黄宗建・小林文人・伊藤長和・共編
『韓国の社会教育・生涯学習−市民社会の創造に向けて』
(エイデル研究所、2006)

*『日本の社会教育・生涯学習』 (韓国・学志社、2010)→■
(下段)




【目 次】
まえがき 小林 文人
序章 韓国の社会教育・生涯学習をどう理解するか 小林 文人・伊藤 長和
1部 社会教育・生涯学習の歴史と展開
1章 社会教育概念の成立過程−初期の社会教育の動き 李 正連
2  植民地朝鮮の社会教育−日帝支配下の歩みを探る 都築 継雄
3  戦後(解放後)社会教育の歩み−胎動・模索・発展 孔 秉鎬
4 「平生教育法」の展開と課題−新しい世紀に向けて 李 煕洙
2部 生涯学習の制度と改革
5章 生涯学習施設と職員−生涯学習を支える体制づくり 魯 在化
6章 大学と地域の生涯学習−大学の多様な役割 高 ウンミ
7章 公共図書館の行政組織 柳ヒョンスク
8章 教育改革と学校を中心とする生涯学習−いま、地域の中で学校は 金子
3部 生涯学習の実践と運動 
9章 住民自治センター−草の根の住民たちの学び 梁 炳贊
10章 社会福祉館−子ども、障害者、高齢者の学び 金 宗海
11章 文解(識字)教育の展開−文字を学ぶ人たち 尹 福南
12章 市民運動−女性運動から自治を創る 鄭 賢卿
4部 地域からの報告
13章 光州市民の文化的主体形成−光州の地域文化と「文化の家」の活動 吉田正岳
14章 富川市の生涯学習と市民運動 李 時載
15章 光明市平生学習院と大学の役割−光明市民大学を中心に 高 炳憲・林 正娥
16章 農村社会の発展と生涯学習−セマウル運動を中心に 林 馨佰
17章 全州の生涯学習はいま−自治体の挑戦 小林 平造・肥後 耕生
終章 韓国における生涯学習の潮流と展望 黄 宗建

特別報告
特別報告1 試行錯誤で拓いた日韓教育交流−「日韓社会教育セミナー」回想 笹川孝一
特別報告2 川崎と富川の市民交流と生涯学習 小田切 督剛
特別報告3 韓国における多文化共生の創造に向けて
       −川崎市「ふれあい館」が示唆するもの 金
侖貞
特別報告4 韓国の住民自治センターと日本の公民館 長澤 成次
特別報告5 全国生涯学習フェスティバル 浅野 かおる
日韓文化コラム 「公園デビュー」と「教会」デビュー 朴 海淑

資料編

1 法律
11 大韓民国憲法(抄)
12 (旧)大韓民国憲法(抄)
13 (旧)大韓民国憲法(抄)
14 教育基本法(抄)
15 (旧)社会教育法
16 平生教育法
17 地方教育自治に関する法律(抄)
2 条例・宣言
21 光明市「平生学習都市宣言文」(1999.3.9
22 富川市平生学習条例(2003.4.10制定)
23 全州市教育支援条例
   仁川広域市延壽区住民自治センター設置及び運営条例(抄)
3 自治体・施設等
31 自治団体
32 生涯学習機関
33 学校教育機関
34 平生学習都市
35 生涯学習に関わるコミュニティ施設
4 政府機関、関係団体
41 憲法改正の経緯と歴代大統領
42 政府機関
43  政府出捐研究機関
44 生涯学習関係学会
45 生涯学習関係団体・協議会等
46 関係団体・協議会等
47 市民社会団体等
5 年表
6 文献リスト
61 解放以前の教育(1)1945年以前の出版物
62 解放以前の教育(2)1945年以後の出版物
63 解放以後の教育
64 その他
65 博士論文
66 TOAFAEC韓国関連論文(19962005年)
あとがき 伊藤 長和
編者略歴・編集委員一覧・執筆者一覧索引




★<『韓国の社会教育・生涯学習』ご紹介・予約特価> 

                     南の風第1705号 2006年8月22日
                     山添路子(Sun, 20 Aug 2006 21:05)
                      *エイデル研究所
 
 9月刊行予定の『韓国の社会教育・生涯学習―市民社会の創造に向けて―』(黄宗建・小林文人・伊藤長和共編、エイデル研究所、定価5000円、432頁予定)のご紹介をさせていただきたいと思います。
 本書は「韓国の社会教育・生涯学習」に関する“日本初”の本格的な研究書・解説本で、日韓双方併せて30名余の研究者、自治体職員等が執筆しています。
 韓国の社会教育・生涯学習の歴史や制度、実践や運動の展開について、全体的・包括的な視野で章を構成しており、国レベルの動向だけでなく、地域レベルの具体的な事例も多く盛り込んでいます。基本用語には「注」で解説を加え、氏名・地名等には仮名ルビを付しており、さらに法制・行政・施設・団体・文献・年表等の資料編も充実していますので、入門書としても最適です。
 本書は書店を通じてご購入いただく場合は定価5000円となりますが、9月末日までに予約注文をしていただきますと、予約特価4000円(税・送料込)にてご購入いただけます。また10冊以上のお申し込みについては、3500円(税・送料込。ただし送付は一括でお願いします)にてご購入いただけます。ぜひこの機会をご利用下さい。
 お申込み方法は、冊数、お名前、送付先、電話番号をご明記の上、メールアドレス:kankoku@eidell.co.jp までお送り下さい(確認のメールを返信させていただきます)。
 「韓国の社会教育」編集記録(本ホームページ)にもありますように、4年近くの歳月をかけてじっくりと、さまざまな人の思いをこめてつくられた本です。何卒ご検討下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
*小林付記:
  特別頒価本についての問い合わせや申し込みは、小林文人→■宛でも結構です。

★<『韓国の社会教育・生涯学習』の刊行は10月12日> 
From: 山添路子 <yamazoe@eidell.co.jp>
Subject: Re: ようやく印刷へ
Date: Sun, 1 Oct 2006 21:45
 皆 さま
 いつもお世話になっております。先日はメールをいただきまして、ありがとうございました。ご報告が遅くなりましたが、29日(金)にようやく韓国本を印刷所に入稿いたしました。
出来上がりは10月12日(木)を予定しています。業者も月末で仕事が非常に立て込んでおり、なかなか思うような段取りが組めませんでした。本当に出版記念会(10月14日)のギリギリ直前になってしまって、申し訳ございません。発行時期が予定よりも半月ほど延びましたので、それに合わせて予約特価の期間も10月15日まで延長したいと思います。
 12日(木)ですが、場合によっては当日、日本公民館学会理事会(中大駿河台記念館)にお届けすることも考えております。
 長野県公民館大会でも販売拡大にご尽力下さり、誠にありがとうございました。(以下、略)






『韓国の社会教育・生涯学習』 2006

1,まえがき
(文責・小林文人)

 振り返ってみると、本書の企画が始まったのは2002年の暮れ、韓国に関心をもつ数人の語らいからであった。それからすでに4年近くが経過している。海を越えての本づくり、私たちの小さな舟は波にゆられ風雨にさらされ、難航を重ねてきた旅であった。一時は失速寸前となったときもあった。完成に向けての作業がなんとか持続できたのは、日韓双方の編集委員会メンバーの本づくりに向けての共通した思いと友情によるものである。いまようやく刊行が実現することとなり、万感の思いをもって、執筆者各位、版元のエイデル研究所、ご協力いただき声援をおくってくださったすべての関係の方々に、心からの感謝を申しあげたい。
 本書は、韓国の社会教育・生涯学習に関する日本語による最初の研究書・解説本である。日本と韓国は一衣帯水の位置にありながら「近くて遠い」関係は社会教育・生涯学習の分野においても同様であって、これまで両国をつなぐ研究協力や実践交流はながく未発のままであった。社会教育関係者としても、専門研究者は別にして、隣の国の制度や実践を体系的に知る機会がなかった。拠るべき文献は1冊も持たなかったのである。
 私たちが、『韓国の社会教育・生涯学習』の本づくりに一つの確信をもつようになるのは、日本社会教育学会等における韓国研究を志す若い世代(とくに日韓双方の留学生)の新しい胎動であった。この5年来、意欲的な研究発表や論文執筆が質量ともに一段と拡がりをみせるようになった。これらの若々しい潮流に励まされながら、「歴史的に深い関係にある韓国の社会教育について初めての本づくりに挑戦しよう」「両国の関係者にとって必読・必携の本を創ろう」「日韓双方の研究者、実践家に執筆を求めよう」などと語りあったのである。
 本書編集にあたっては、とくに次のような視点を重視して取り組んだ。
1,韓国の社会教育・生涯学習の歴史や制度、実践や運動の展開について、可能な かぎり全体的包括的な視野をもって章を構成する。
2,国レベルの動向だけではなく、地域レベルの具体的な実像に焦点をあて、典型 的な事例を盛り込む。抽象的な理論より事実の実証に力点をおく。
3,よく見られがちな権威主義的な傾向から脱皮して、新進気鋭の若い研究者に積 極的な執筆を求めていく。
4,各章は全体の一部として位置づいているが、同時に執筆者の独立した研究論文 の性格をもっている。それぞれの立場や個性を尊重して無理な調整は行わない。
5,法制・行政・施設・団体・統計・文献・年表等の基礎的な資料編を充実する。 また基本用語について解説を加え、氏名・地名等に仮名ルビを付すなどにより、研究書であると同時にこれまでにない解説書とする。

 本書はすべて日本語で記述し、ハングルによる原稿は編集委員会において日本語に訳出した。周知のように韓国では生涯教育を「平生教育」、あるいは識字を「文解」という。これらも基本的には日本語に訳しているが、「平生教育法」「文解教育協会」等の固有名詞は原語をそのまま使用している。
 用語や表現の違いを尊重しつつ、しかし違いを超えて、同じ領域や課題について共通の地平にたって論議をかわし、相互の対話と理解を深めていく方向が期待される。本書が「韓国の社会教育・生涯学習」の単なる紹介に終わることなく、あわせて日本の社会教育・生涯学習の課題について、東アジア的視野をもって、対話的に探求を深めていくステップとして活用されることを願っている。
 もちろん本書は多くの課題を残している。いま韓国の生涯学習は、躍動する市民運動を背景に、激しく変化しつつ地域的な展開も急激なものがある。本書がそのような激動に対応しつつ基本文献として読みつがれることが大きな課題である。とりあげた領域についても、たとえば博物館や体育・スポーツの問題等は本書に取りあげることが出来なかった。読者諸賢のご批正をいただきながら、今後さらに拡充した内容を盛り込む次の機会をまつことにしたい。 
 あらためて本書出版を引き受けていただいたエイデル研究所(代表・大塚智孝氏)に深甚の謝意を表したい。海を越えての30名余の執筆者との連絡、原稿の遅れ、
煩瑣な資料収集などに耐えて、多大の労苦を惜しまれなかった新開英二氏とくに編集担当の山添路子さんに深く御礼を申しあげる。
 (2006年9月吉日)   編者:黄 宗建 小林文人 伊藤長和


急告】(表紙・裏・カコミ)
 
編者・黄宗建博士は、本書出版を目前にして、2006年7月20日、ソウルにて急逝されました。(享年77歳) まことに痛恨の極みです。韓国はいうまでもなく、アジア各地の社会教育・生涯学習の研究と運動に大きな足跡を残されました。その業績を称え、在りし日を偲び、深く頭を垂れて、本書を霊前に捧げます。  編者・執筆者一堂


*追悼のページ・アルバム→■




2,序章 韓国の社会教育・生涯学習をどう理解するか
     
小林 文人 伊藤 長和

1 はじめに−もっとも近い国
 日本の社会教育・生涯学習を国際比較的にみた場合、歴史的かつ制度的に、もっとも近い関係にあるのは、ほかでもない、韓国であろう。まず「社会教育」という国際的にはマイナーな用語を正式の制度概念としてきたのは、日本と韓国(そして台湾)であった。朝鮮の近代史において、社会教育の概念と思想が導入される経過には、日本が大きく関わっていた。日本の国家主義体制下そして朝鮮の植民地支配下において、民衆統制の施策として社会教育が位置づいてきたのも共通している。日本からの解放後においても、韓国では同じく「社会教育」法の制定努力が重ねられ、実際に成立した大韓民国・社会教育法(1982年)の構成は、日本の社会教育法と類似するところが少なくなかった。
 両国は地理的に一衣帯水の距離にある。社会教育の歴史においても(植民地時代の負の遺産を含めて)きわめて近い関係にある。しかしながら、今日にいたる両国の社会教育・生涯学習の関係はむしろ疎遠なままに推移してきた。一部の先進的な自治体を別にすれば、地域間の実践的な相互交流は全体として少なく、研究協力の面においても、いくつかの挑戦(後掲特別報告1・笹川孝一論文)が試みられてきたが、いまだ大きな潮流にはなっていない。「近くて遠い」という両国間の関係は、社会教育・生涯学習の領域においても、残念ながら否定することは出来ない。やはり36年にわたる植民地支配の不幸な歳月が双方にいまなお重くのしかかっているのであろうか。
 日本社会教育学会の研究状況を振り返ってみると、ハングルを学び韓国研究を主要なテーマとする研究者は、最近の若い世代の登場までは、まったく皆無に等しかった。自治体の社会教育、また共通して国際的影響のもと新しい動きとなってきた生涯教育(韓国では「平生教育」)相互の、海を越えての交流・提携の関係はながく未発であった。
 そのような全般的な状況のもとで、同時にまた両国の間に新しい胎動が静かに始まっている事実も見逃すことはできない。国家間の政治的な軋轢に呻吟しながら、一方で市民レベルや地域間の交流が少しづつ底流に動き、先駆的な自治体(たとえば川崎市)において韓国の自治体(たとえば富川・プチョン市)との間に市民による草の根の交流が拡がってきている。研究者や関係団体の間でも、日韓の社会教育国際セミナーの開催や集会への相互参加等を通して、新しい出会いが始まっている。主として1990年代以降の動きであるが、いろんな模索の試みがしだいに顕在化してくるようになってきた。
 研究や交流の重要な繋ぎ目として、研究者等による個別的な努力もみられたが、韓国から日本への、また日本から韓国への、留学生たちの役割を見逃すことはできない。日本の社会教育研究の世界では、とくにこの5年、双方の留学生たちの意欲的な研究活動・発表が注目されるようになった。これまでにない新鮮な課題意識をもつ世代の若々しい登場である。東アジアを共通の視点にすえる研究サークルも組織されてきている。そして市民・地域・自治体のなかにも、草の根からの交流が模索され定着をみせている。
 いま日本と韓国との間には、社会教育・生涯学習・市民運動をめぐる新しい時代が始まろうとしているのではないか。地域の動きに着目すると、その予兆が静かに見えるように思われる。本書はそのような時代の胎動と息吹きに刺激され支えられながら、自らその動きのなかに身をおいて、新しい一歩を進める役割を果たしていきたいと願っている。(小林)

2 韓国の社会と教育の理解(伊藤)
(1) 政治的な亀裂と韓流ブーム
(2) 激しい変化のなかで  
(3)地方自治制度と教育
(4)歴史的な背景を理解したうえで

3 在日韓国・朝鮮人の運動と友好都市交流(伊藤)

(1) 川崎市における取り組み
(2)富川市との市民交流

4 韓国の社会教育・平生学習の理解
(1)社会教育・生涯学習をめぐる研究的な出会い
 さて、日本と韓国の社会教育・生涯学習についての研究交流はどのような展開をたどってきたのであろうか。本書の編者3名に関して、その経過を事例的に書いておこう。お互いの出会いと流は1980年初頭にまでさかのぼる。
 当時の韓国は、朴正煕政権が終わり、光州民主化運動とその弾圧(光州事件)そして全斗煥・チョン・ドゥファン大統領就任にいたる谷間のような時期にあって、社会教育関係者による「社会教育法」立法研究が活発に取り組まれていた。黄宗建(啓明大学校教授、韓国社会教育協会事務局長、当時)は日本社会教育法調査のため来日し、小林文人がこれに協力し法制関係資料を提供したことが機縁となった。小林は1980年2月に忠清南道・チュンチョンナムドの扶餘・プヨで開かれた社会教育専門家会議(韓国社会教育協会主催)に招かれ、日本社会教育法について長時間レクチャーの機会を与えられた。その日、参加者諸氏の活発な討論が忘れられない。
 韓国では1982年「社会教育法」が成立した。その後10年が経過、東京学芸大学社会教育研究室では「韓国社会教育法10年調査」をテーマに訪韓したのが1992年3月であった。韓国社会教育は法制定によってどのような変化がみられるのか、法定着の実相を調べてみたいというのが目的であった。
 その前年に「日韓社会教育セミナー」が誕生していた。第2回セミナー(大阪)で小林は黄宗建と再会し、1992年12月の第3回セミナー(大邱・テグ)には伊藤長和も参加、多くの韓国側研究者と出会うことができた。そして1993年の第4回セミナー(川崎)では、伊藤が実質的な責任者となり、両国関係者とともに中国からの参加者も迎え、盛大な集会を成功させた(特別報告1:笹川孝一論文)。
 1994年以降、小林は日韓文化交流基金の援助を得て、毎年の韓国訪問が実現するようになり韓国研究者との交流が深まった。黄宗建は日本社会教育学会(1993年)、佐賀大学(1994年)、鹿児島大学や沖縄(1998年)等からの招聘があいついだ。伊藤は前節でふれたように、川崎市を拠点に自治体間の友好・交流に独自の道を拓いてきた。
 1995年に小林等は「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」(TOAFAEC)を結成し、研究年報『東アジア社会教育研究』を創刊(1996年)した。創刊号の巻頭論文には、金宗西(キム・ジョンソ、ソウル大学名誉教授・韓国教育改革委員会々長)による「韓国の文解(識字)教育問題の考察」(方玉順・パン・オクスン訳)を掲げている。各号ともに韓国に関する諸論稿を収録し、とくに黄宗建「自分史を語る」(第4号1999年、第5号2000年)は注目を集めた。ちなみに同研究会の代表は小林、副代表は伊藤と末本誠(神戸大学)、2005年現在、この年報発行はいま第10号を数えている。
 このように見てくると、一つの出会いを契機として研究交流が始まり、とくに1990年代の相互努力によって幾筋もの水路が開かれ、それらが交叉し響き合って、一連の水脈となって流れ続けてきたことがわかる。お互いの友情と信頼を確かめあった歳月でもあった。この間には多くのエピソードがあるが、ここに紹介する余白はない。
 1992年当時、「韓国社会教育法10年調査」報告に小林は次のように書いている。「海外比較研究がかなり活発な日本社会教育学会でも、韓国についての本格的な研究報告は殆どなく、当時・・・」として、諸岡和房「韓国の社会教育」(九州大学比較教育文化研究施設紀要28号、1976年)、倉内史郎「韓国社会教育法について」(東洋大学アジア・アフリカ文化研究所年報23号、1989年)の2論文をあげるにとどまっている(「韓国・社会教育への道」1992年)。この時点から比べれば、この十数年の経過のなかで、韓国の社会教育・生涯学習に関する研究は飛躍的に増大してきたといえるだろう。

(2)内在的に理解すること
 韓国社会教育法の制定から10年の定着を確かめる1992年調査の旅は、準備も不充分のためか、失望の毎日であった。法制定が韓国の社会教育の歴史に何をもたらしたのか、大いなる関心事であったが、実態がなかなか把握できない。たとえば法のなかに積極的に規定された「専門要員」(第3章)や「社会教育施設」(第4章)の条文がどのように現実化されたのか、その実像がほとんど見えないのである。日本社会教育法の制定(1949年)が公民館制度の普及定着に大きな役割を果たしてきたイメージとは大きな違いがあった。
 韓国の社会教育と日本の社会教育は、その名称の同一性から、両者の類似性を期待しがちである。しかし、当然のことであるが、歴史も実態も決して一様ではない。むしろそれぞれの固有の歩みと独自の展開にこそ注目すべきことが次第に分かってきた。私たちは安易に相互の類似性を求め、単純に自らの視点のみに立って比較を急ぐきらいがある。もっと韓国の歴史と現実の深みにおりて、いわば内在的な視点をもって理解する視点を欠いていたことが反省された。
 たとえば社会教育行政のあり方にしても、それが機能していく中央・地方の機構や職員組織の実相は日本と同じではなく、しかも背景にある政治と歴史の状況は大きく異なっている。たとえば韓国社会教育法第4条「すべての国民は、社会教育の機会を等しく保障される」「社会教育は学習者の自由な参加と自律的な学習を基礎として行われなければならない」などの理念は、現実には、法制定(1982年)当時まだ続いていた軍事政権下の統制のなかにおいての条文であり、その実態は、北と南の厳しい政治的緊張関係を前提として理解されなければならないものであった。民主主義社会の風景のなかで保障される機会均等や学習の自由の理念とは異なる現実があった。その意味で単純に韓国と日本の社会教育の類似性を求める発想は事実の正しい認識を妨げるのであって、むしろ相互にみられる違いにこそ着目し、それぞれの固有かつ独自の展開と実態を明らかにしていく姿勢こそが必要なのではないか。当時、韓国調査に参加したメンバーは、そのような韓国の社会教育についての歴史的理解と内在的な研究視点の重要性について、熱く語りあった経過がある。
 韓国の社会教育そして生涯学習の歴史的な展開過程において、大きな画期となるのは、前述したように、厳しい軍事政権下に取り組まれてきた民主化運動と1987年の盧泰愚・民主化宣言(大統領直接選挙、政治犯赦免、言論の自由保障等)をへて金泳三・文民政権の登場(1992年)、地方自治の復権(1995年統一地方選挙)にいたる時期であろう。その後の今日にいたる十年余の歳月のなかで、日本の「失われた十年」と対照的に、韓国政治のダイナミックな展開があり、躍動する市民運動の拡がりがあった。教育政策としては1995年「教育改革委員会」による生涯教育振興に向けての注目すべき「5・31教育改革方案」の提唱があり、法制の面では1997年教育基本法が制定され、さらに社会教育法にかわる新しい「平生教育法」が1999年に登場するのである。

(3)韓国の社会教育・生涯学習の特徴をどうみるか −7つの視点
 本書を編むにあたって、私たちは韓国の社会教育・生涯学習の歴史と展開について可能なかぎり包括的な視点をもって章の構成を考え、資料等を提示する努力を試みている。また国レベルの動向だけではなく、地域レベルの具体的な実態についても典型的な事例を盛り込むことにした。もちろん紙数には限定があり、不充分な点を残しているが、これらの諸報告を通して、韓国の社会教育・生涯学習の歴史的な進展と地域的動向が、ある程度全体的に明らかになることを意図している。
 しかし同時に、単なる概論的理解にとどまらず、韓国独自の固有の展開について、歴史内在的に、また地域実態的に、その特徴を浮き彫りにしていく必要がある。それは韓国についての理解とともに、日本の社会教育・生涯学習の課題を、東アジア的視野をもって、比較的に考えていく視点にも結びつくだろう。
 韓国の社会教育・生涯学習をどのように理解していくか。その独自の特徴をどうとらえていくか。簡単に答えられる問題ではないが、検討を深めていくための視点・課題として、とくに次の7点を指摘しておきたい。
〔第1〕 韓国の社会教育・生涯学習が展開してきた政治社会的背景についての歴史理解
 すでに述べたように、韓国はその近現代史において厳しい変転を強いられてきた。1910年の日本による「韓国併合」と植民地支配、1945年「解放」後アメリカ軍政下の時代と1950年朝鮮戦争の悲劇、その後に引き続く南北の分断と対立緊張関係、さらに政治的激動を経て1960年代以降の軍事政権、そのなかでの激しい民主化運動、そして1990年代以降の改革と市民運動の躍動。そのような歴史的背景のなかで、韓国の社会教育・生涯学習は、それぞれの時代において(日本よりもはるかに厳しく)政治社会的な状況に直面させられてきた。それらの歴史理解なしには社会教育・生涯学習の歩みを充分に認識することはできないだろう。
〔第2〕 「社会教育」「生涯教育−生涯学習」概念と法制化過程に関して  
 概念の形成・変容の過程自体が歴史的なものであり、時代とともにドラスティックに変転してきている。上述の歴史理解に関連して大筋の流れをみると、「韓国併合」前の社会教育概念導入過程における開化派知識人による民衆啓蒙的な側面(第1章:李正連論文)、植民地支配下における民衆教化・統制的な社会教育(第2章:都築継雄論文)、「解放」後のハングル識字(「文解」)教育に傾斜した社会教育実践、30年にわたる社会教育法の立法過程と法制概念としての社会教育(第3章:孔秉鎬論文)、生涯教育−生涯学習概念の登場と社会教育法の限界を克服するかたちでの「平生教育法」の成立(第4章・李熙洙論文)という経過は、きわめてダイナミックな展開であった。
 韓国では、いわゆる第5共和国憲法(1980年)において「国家は平生教育を振興しなければならない」(第29条)とする理念が登場し、それを受けて社会教育法は「社会教育とは…国民の平生教育のためのすべての形態の組織的な教育活動をいう」(第2条)と定めていた。社会教育と生涯(平生)教育の両概念はいわば調和的に位置づいていた。しかし社会教育法制定後間もなく社会教育研究者等によって同法改正案が提起されている。さらに金泳三・文民政権による教育改革構想(1995・5・31)が大きな画期となり、教育基本法制定をはじめとする一連の法体系の改編がすすめられ、学校教育法制に並ぶ(社会教育法を脱皮する)平生教育法の制定(1999年)へと結実した。
 その後2005年現在、韓国平生教育学会を中心に平生教育法をさらに拡充しようとする方向で「学習国家実現のための平生教育法の合理的改善法案」論議が重ねられている。理論的基礎からの概念検討と現実的に「平生教育」基本法としてのさらなる法改正へ向けての積極的な挑戦が注目される(李正連「韓国の平生教育法の成立と展開」名古屋大学社会教育研究室「研究年報」20号、2006年)。教育関係専門研究者を主体とする法制改革案の果敢な提起は、日本の国家行政主導による法改正施策の一方向の流れと対比して、学会のあり方とも関わって、学ぶべきところが少なくない。
〔第3〕社会教育・生涯学習をめぐる地方教育行政および一般行政との関係
 韓国では全般的な中央集権の強い体制と地方自治の相対的な弱さが指摘されてきたが、この点では教育委員会制度を前提とする日本の地方教育行政の自治的なあり方とは大きな違いをもっている(もっとも日本の教育委員会がどれほど健全に機能しているか、議論のあるところだ)。韓国の場合、ソウル特別市・6広域市・9道には教育行政機構(教育委員会)がおかれているが、基礎自治団体(75市、86郡、69自治区)においては教育委員会がなく、社会教育・生涯学習にかかわる固有の教育行政組織は自治的に機能していない。他方で、一般行政領域(地方行政、福祉行政、文化行政、労働行政等)の系列において、日本にみられない多彩な教育・学習・文化あるいは福祉・労働等に関わる生涯学習的事業や施設があり(資料編参照)、その意味で地域生涯学習活動が活発に展開されているという別の特徴がみられる。
 日本の社会教育機関としての公民館に類似する施設は、教育行政の系列にある「平生学習館」にとどまらず、一般行政で設置された生涯学習センター的施設もあり、また行政自治部所管の「住民自治センター」(基礎自治団体の下部行政機構である邑、面、洞事務所の自治的改編)や、保健福祉部系列の「社会福祉館」等の方が機能的に近いところがある(第9章・梁炳燦論文、第10章・金宗海論文、特別報告4・長澤成次論文)。図書館(第7章:柳??論文)や「文化の家」(第13章:吉田正岳論文)等は、教育行政の所管ではなく、文化行政の系列に属している点に注意しておく必要がある。
〔第4〕 社会教育・生涯学習の展開にとって基礎条件となる施設の問題 
 旧社会教育法において「社会教育施設」規定が設けられていたが、実態として社会教育施設としての固有の展開をみせないまま、平生教育法では「平生教育施設」として範囲を拡大させた法制となった(第5章:魯在化論文)。まず国・地方自治団体の行政系列で設置される「平生教育センター」、「地域平生教育情報センター」、「平生学習館」(第12条〜第13条)の基本軸が定められている。それと並行して平生教育法では、(1)学校形態、(2)社内大学形態、(3)遠隔大学形態、(4)事業場附設、(5)市民団体附設、(6)学校附設、(7)言論機関附設、(8)知識人力開発事業関連、の各「平生教育施設」が条文化(第20条〜第27条)された。日本社会教育法と相対的に類似性をもっていた旧社会教育法とは、この点において、大きく異なる内容となっている。
 一定水準の要件を整備した施設において学歴を認める形態から、非営利法人による施設、民間私塾的なカルチャーセンター的なもの等を含め、多種多様の施設の諸形態を、生涯学習施設として包括的に位置づけていく方向である。
 他方で、平生教育施設としての実態はどうか。行政系列において設置される「平生学習館」等の公的施設でも、専門・独立の固有施設は少なく、図書館(もっとも多い)、文化院、社会福祉館、大学などの諸施設を活用するかたちで機能している場合が多い。また諸施設は直営形態とともに、いわゆる委託方式も多様に存在する。いま日本では指定管理者制度による委託のあり方が問題とされているが、韓国ではとりわけ新しい施設運用の方法として施設委託を必ずしも消極的にとらえているわけではない。たとえば地域の大学機関と連携し、専門研究者を配置して水準の高い「平生学習院」運営を委託形態で取り組んでいる光明市の事例(第15章:高炳憲・林正娥論文)などをみると、多面的な視点からの評価が必要になってくるだろう。
〔第5〕 生涯学習を担う専門職制度と職員集団形成の課題
 平生教育法では、旧社会教育法に規定されていた社会教育「専門要員」を継承するかたちで、「平生教育士」の専門職制度が規定された。専門的資格要件や養成機関の指定とともに「平生教育団体及び平生教育施設には平生教育を効率的に実施するために平生教育士を配置しなければならない」(第19条)と定められた。本格的な専門職制度の登場である。
 平生教育士は1級〜3級のレベルに分かれるが、旧「専門要員」の資格取得者だけで、約3万人(うち2級が2万5千人−2001年度「平生教育白書」)を数え、その後この数値に新しく養成された「平生教育士」が加わることになる。実際に先進的な施設等において、新しく「平生教育士」の配置がはじまっている。しかし配置の実態や制度的位置づけについてはなお課題を残し、さらなる法制的充実が求められている。
 この専門職制度がこれからどのような展開をとげていくか、重要な課題である。施設・団体等への配置が拡がり、学校教員・図書館司書職員・社会福祉職など関連分野の専門職と並んで集団的形成がすすむかどうか。その実践と専門的力量が社会的に支持され承認され、専門職制度として実質的に確立していくかどうか。日本の社会教育主事・公民館主事等の専門職制度化が必ずしも順調にすすまず、とくに最近は停滞している現状との対比において、韓国のこれからの歩みが注目される。さらに「平生教育士」制度の改善・拡充についての法改正論議がどうすすむかも興味深いところである。
〔第6〕 社会的格差の拡大傾向のなかで、「教育疎外集団」「文解」(識字)教育運動(終章:黄宗建論文)への取り組み
 韓国では、とくに日本の植民地支配が生み出した非識字者に対して、他に類をみないハングル学習運動の大きな潮流があり、韓国社会教育史を貫く独自の研究・実践が蓄積されてきた。少なくない社会教育研究者が識字研究を行い、数々の調査を手がけてきた。植民地時代そして解放後さらに現在においても識字教育の実践と運動が取り組まれてきた(第11章:尹福南論文)。日本の社会教育界が、基礎教育としての識字実践・研究についての蓄積を充分にもたないのと対比して、多くのことを教えられる。
 ユネスコ・国際成人教育協会(ICAE)等が指摘するように、教育の不平等はいまや生涯教育において大きな問題となってきた。生涯教育が進展することによって、かえって教育格差が拡大するという矛盾にどう立ち向かうか、真剣に考えなければならない。韓国・教育基本法では学習権(第3条)、教育の機会均等(第4条)が規定され、平生教育法でも同じく機会均等保障、学習者の自由(第4条)がうたわれている。これらの理念が実質的にどのように具体化されていくか。すべてのものが等しく学ぶ権利(学習権)を尊重する立場にたち、社会的マイノリティ、障害者、経済的困窮者等の教育的無権利層にたいする学習権保障の実践が問われることになる。関連して、台湾「終身(生涯)学習法」(2002年)が、「マイノリティ・グループ…原住民、心身障害者、低収入家庭に終身学習に係わる機会および資源を優先的に提供」(第4条)することを求めている条項等も大いに示唆的である。
〔第7〕 躍動的な市民運動の展開と地域・住民自治の視点にたつ教育・学習活動
 1987年の盧泰愚・民主化宣言は、それにいたる激しい民主化抗争が引き出したものであった。その後の韓国社会における市民運動の躍動と地方自治の展開は(第12章:鄭賢卿論文)、生涯教育・生涯学習の新しい潮流を創り出す基盤となりエネルギーとなってきた。とくに注目されるのは、1990年代の全国規模にわたる"巨大な"市民運動は、「中央に対して力を注いできた運動の主体が次第に"地域"に入り、住民の生活世界を守る方向へ転換するようになってきた」といわれる(第9章:梁炳贊論文)。地域からの住民運動の方向である。これら草の根運動は、それぞれの生活現実に根ざし、地域の諸課題に取り組み、問題解決のための必要な学習を組織するという流れになっていく。それがさらに「住民参加の市民運動」へと発展していく可能性をもっている。
 そのような地域の変化を背景として、生涯教育・生涯学習のこれまでにない展開もまた期待されることになろう。従来の社会教育から新しい生涯学習への流れのなかで、いま注目すべき市民の時代が到来し、地域の発見と草の根の学習活動の時代がやってきた、ということができるのではないだろうか。

(4)相互研究・交流の課題と東アジアの視点
 編者たち(小林・伊藤)は、昨年(2005年9月)京畿道・光明市で催された第4回全国平生学習フェスティバルに参加した。いまや「生涯学習」は市民たちの合い言葉となり、「平生学習都市」認定式場の熱気から、国策として「平生学習」振興が位置づいていることを知った。想像をこえる盛大な生涯学習の祭典、この5年来の驚くべき発展、を深い感慨をもって実感させられた。
 生涯学習フェスティバルに合わせて開かれた国際学術シンポジウム「人間中心の平生学習社会〜人的資産に対する観点の転換のために」には、日本から小林が招聘され、市民社会の形成と学習とくに公民館の役割について報告する機会を与えられた。ここでは国家規模での、あるいは産業社会における、人的能力開発論に力点をおいた「平生学習」と、市民社会を創造していく市民の主体形成としての「平生学習」の考え方が出され、興味深い論議がかわされた。その数日後、同じ光明市で前述した韓国平生教育学会等が主催する「平生教育法」改正論議が熱心に続いていた。
 
これから韓国の生涯教育・生涯学習はどのような道を歩いていくのだろう。民主化宣言(1987年)からほぼ20年、生涯教育振興をうたった教育改革構想(1995年)から10年あまり、「平生教育法」制定(1999〜2000年)からはまだ5年余を経過したばかりの若々しい歩みである。おそらく次なる改革へ向けて、模索と創造への挑戦の歩みが続いていくことだろう。その道は日本の社会教育・生涯学習の制度・体系と同じ道程をたどることにはならないだろう。
 
日本についていえば、戦後教育改革からすでに半世紀を経て、この間に蓄積してきた社会教育・生涯学習の公的体制をどのように再創造していくかが問われている。ややもすれば硬直化し、ときに空洞化している制度や組織を、市民にとってのみずみずしい公共空間へ脱皮・再生させていく道を創り出していくことができるかどうか。
 韓国の模索・創造に向けての新たな挑戦、日本の再生・脱皮をめざす再創造の作業、その道程は同じではないが、ともに市民にとっての生涯学習への体制構築という課題は共通している。相互の違いを大事にしながら、ともに語り対話し交流し、相提携しながら、それぞれの創造・再創造の道を歩いていく努力を重ねていきたいものである。
 
序章の最後に一つだけ付け加えておきたいことは、日本と韓国だけでなく、東アジアへの眼差しをもって、研究・交流のネットワークを拡げていく必要についてである。目を転じれば、中国各地では改革開放政策を背景に「社区(地域)教育」「終身(生涯)教育」への大きなうねり(上海市、福建省など)が始まっている。台湾では社会教育法と並立するかたちで「終身学習法」(2002年)が制定され、とくに台北市等の「社区大学」の活発な展開が注目を集めている。南ではベトナムの地域開発のなかで「地域学習センター」(全国約1万の町村のうち5千前後に設置)が大きな役割を果たしはじめている。
 それぞれの国・地域のいわば縦断的な理解だけでなく、東アジアの視点をもった横断的な対話・交流の環をひろげ、研究・交流・協力の共同体づくりをも模索していきたいと考えている。 (小林)











『韓国の社会教育・生涯学習』 編集経過記録          

*関連→黄宗建先生・追悼■




宗建先生を迎えて編集会議(川崎、20031031)、前列・右より二人目・黄先生
(最後の来日)
                    


◆<黄宗建先生を迎える−編集会議>

 *南の風1152号 2003年10月22日伊藤長和 

○10月30日(木)黄宗建氏・来日(KE701) 11:30 成田着→川崎へ
           ホテル(オーロラ) 044-455-1109
 10月31日(金)午前:川崎市社会教育施設訪問、午後・編集作業
          16:00〜 韓国本・編集会議 会場:川崎市生涯学習プラザ
          18:00〜 終了後・歓迎会 「魚や一心」 武蔵小杉駅前
          連絡先・伊藤長和氏 携帯電話 090-8084-0700
 <急告!黄先生の事情により帰国を1日早め、下記・歓迎会中止>
         11月1日成田発(kE704便 13:55〜16:35着)でソウルへ
         歓迎会出席予定の各位にくれぐれもよろしくとのこと
  中止→11月1日(土)17:00〜19:30 黄宗建氏・歓迎会
       
○黄宗建先生と編集委員会について:黄宗建先生のホテルは、30日、31日予約済みです。
 ホテル「オーロラ」=川崎市国際交流センター内 044-455-1109 川崎市教育委員会の伊藤で予約。シングル1泊朝食(和食)付で6840円。当日、遠くからご出席下さる金子満さん、李正連さん、はホテルはどうなさいますか。「オーロラ」は安くてきれいですよ!
 金子満さんと江頭晃子さんと小林文人先生は、成田でどうやって合流なさいますか。
 編集委員会は、現在、黄宗建先生を含む10名の編集委員さんの内、長澤成次先生、文孝淑先生お二人を除く編集委員からご返事をいただきました。皆さん編集打ち合わせ会から歓迎会までご出席下さるそうです。従って、場合によっては、3時の編集打ち合わせ会はそのまま編集委員会に切り替えて実施しても良いかもしれませんね。(伊藤長和)

○黄先生を迎える−伊藤さんメールへの返事(南の風・同号 小林ぶんじん)
 黄宗建さんの出迎えは、当日KE701便(11:30分着)の到着便乗客出口での待ち合わせにしてはどうでしょうか?>江頭さん、金子くんへ。それから江頭さんの車に一緒に乗って楽しいドライブ、川崎へ。金子、李正連お二人のホテルの件は伊藤さんに直接ご連絡下さい。
 11月1日夜の黄先生ホテルは「成田エアポート・ワシントンホテル」(0476−35−5511)を予約しました。空港駅からシャトルバス運行(約10分)。1日夜の「成田エクスプレス」はJR東京駅20:00前後(最終)にお乗せする必要があるようです。2日朝はホテル07:15発のバスに乗らなければなりません。すべて手配済み。時間も調べました。韓国経由で中国(山東省)への慌ただしいスケジュール(黄さんも私より少し年長だから)、少々お疲れになるかも知れませんね。…(略)…


川崎に黄宗建氏を迎えて・・・関連写真(スケジュール欄・2003年10月31日)→■


◆<魯在化さんを迎えてー編集会議>
 日時:2004年3月13日(土)15:00〜17:00
 会場:川崎市生涯学習プラザ(武蔵小杉駅下車) 044-733-5560
 内容:構成・執筆者・締め切り・今後のこと他        
 *韓国から魯在化さん来日(成田着12:30)
 左より、李正連さん、魯在化さん、小林文人



◆<韓国安養・編集会議> 2004年5月7日の記録(伊藤長和)
 5月7日に韓国安養市の「平生教育研究所」(所長:魯在化)で開催した編集会議の報告と、その後の経過について伊藤長和より説明をしました。京都・同志社大学の編集会議にて。出席者(敬称略)。
@黄宗建、金済泰、魯在化、李熙洙、尹福南、都築継雄、小林文人、伊藤長和、小田切督剛
Aその後の経過、執筆者の追加など−京都・同志社大学の編集会議記録参照のこと(次項)
 *関連写真→■

編者三人・左より伊藤長和、黄宗建、小林文人−金浦空港にて(20040508) 



◆<京都・編集会議>南の風1334号 2004年9月27日伊藤長和 
 9月17日(金)午後5時、日本社会教育学会の研究大会が開かれた同志社大学の徳照館で初日の大会プログラム終了後、編集会議を開催しました。日韓社会教育研究交流を90年代初期の頃から手がけられた笹川孝一先生(法政大学)が、最後までご同席下さいました。
 魯在化(韓国・聖潔大学校)先生も来日されました。9月の京都は観光シーズン。ホテルの予約をせずに魯在化先生が来日され、小林文人先生にもご苦労いただきましたが、ホテルはどこも満杯で、結局、伊藤長和と相部屋となりました。修学旅行生の使う和室旅館の大部屋でしたが、かえってこの部屋を気にいってくれました。私も、ベッドルームよりは、オンドル部屋の方が好きなんです。
 出席者は多様
 ◇ 日本側:小林文人、伊藤長和、小田切督剛、笹川孝一、江頭晃子、石倉祐志
 ◇韓国側:魯在化、鄭賢卿、李正連
 編集会議記録(別記)
 魯在化さんの来日歓迎と、金子満さんの就職(文部科学省生涯学習政策局)を祝う懇親会を、編集会議終了後、同志社大学の寒梅館(大学会館)の7階レストラン「セカンドハウス・ウイル」で開催しました。
 編集会議にも出席いただいた江頭晃子、石倉祐志、笹川孝一先生には引き続き出席いただきました。会議には間に合わなかった金子満さんも乾杯時には到着され、また東大留学生の金侖貞さん、遅れて鹿児島大学の小林平造先生にも出席いただき、12名の賑やかな祝宴となりました。伊藤長和が、北朝鮮の金剛山で買い求めた人参酒も宴席で飲み交わしました。…以下、略…

 
京都・編集会議のあと懇親会(同志社大学・寒梅館、20040917 *関連写真→■

別記・編集会議記録
 韓国安養・編集会議以降の経過、執筆者の追加など(京都・同志社大学の編集会議)
・韓国側未定執筆者の追加:7 章「学校(大学)と地域平生教育」〜権斗承(明知大学校)
・日本側未定執筆者の追加:12章「光州広域市のまちづくりと平生学習」
                          〜吉田正岳(大阪学院大学)
○執筆者の変更、等の協議と決定
・10章「公共図書館と文庫運動」:柳??氏(スロベニア)〜健康を害し執筆不調。
     現在小林文人が再度連絡中。
・8章「社会福祉と社会教育実践」:金宗海氏(カトリック大学校)に執筆依頼をする。
・浅野かおる氏(福島大学)には、コラムで執筆を依頼する。
・金済泰氏には「高齢者教育と社会教育」についてコラムで執筆を依頼する。
・小田切督剛氏は、伊藤長和に代わって「富川市と川崎市の交流」を執筆する。
・笹川孝一氏「日韓社会教育研究交流史」はページ数を増やす。
・「重度氏には「ふれあい館の活動」を是非書いていただく。
・小林平造氏には「全州広域市の平生学習」を書いていただく。
・長澤成次、朴海淑さん、文孝淑、の皆さんにコラム執筆をお願いする。
・関連参考資料については、魯在化、伊藤長和、小田切督剛で担当する。
 年表は魯在化が作成。
・引き続き、文孝淑氏には声をかける。
○執筆の進捗状況
・原稿提出済みの人:黄宗建氏(翻訳は李正連)、尹福南氏(翻訳は小田切督剛)、
 李熙洙氏(翻訳は李正連)。
・順調に執筆中の人:都築継雄、孔秉鎬、李正連、鄭賢卿、梁炳燦、李時載、高炳憲、
              林正娥、金鎭華
○今後のスケジュール
・原稿執筆期限:日本語完全原稿〜12月15日(水)
*韓国語原稿は12月15日までに日本語に翻訳すること。
・日本語翻訳体制:魯在化、李正連、小田切督剛、朴海淑、浅野かおるの各氏
○原稿の読み合わせ−12月20日ごろ、合宿で作業(温泉)


◆<ソウル・編集会議−韓国第4回平生学習フェスティバル参加>
                南の風1535号 2005年9月27日(小林ぶ) 
 韓国へ9月22日出発、26日帰国の羽田−金浦便で、予定通り、昨夜帰ってきました。(略)
 今回の韓国の旅は、光明市で開かれた「第4回・全国平生(生涯)学習フェスティバル」への参加、合わせて富川(ぷちょん)市の生涯学習センターや住民自治センター・文化の家等を訪問しようというもの。フェスティバル開幕当日に開かれた国際シンポジウムには小林が招聘され、日本の公民館について報告する機会に恵まれました。
 同行は、川崎から伊藤長和、小田切督剛のお二人、手打明敏(筑波大学)、浅野かおる(福島大学)、金命貞(東大大学院、小林報告通訳)の皆さん、たいへんお疲れさまでした。
 また9月25日夜の韓国本・編集会議(コアメンバー、於ソウル)には、魯在化夫妻、孔秉鎬、李正連、肥後耕生等の皆さんが集まっていただきました。
 何よりも韓国の新しい友人たちと出会い、国際シンポでは同じ壇上でE.カーン博士(コロンビヤ大学教授、地域通貨タイムダラー創始者)の謦咳に接し、また金信一氏(ソウル大学)をはじめとする韓国・平生教育学会関係の主要メンバーとも会うことができました。旅はよきもの。(以下略) 
 ソウル・編集会議、仁寺洞 「山村」 にて (20050925)



◆<川崎・韓国本編集の夜>  南の風1648号 2006年5月11日(小林ぶ)
 企画が始まってすでに3年半、わが国はじめての「韓国の社会教育・生涯学習」(日本語版)刊行に向けて、編集作業はいよいよ最終段階となりました。10日午後は川崎で最後のツメの作業。終わって(例によって?)夜は愉快に飲みあい語りあいました。
 この日、小田切督剛さんが韓国「平生教育白書」等をもとに、巻末の資料編に収録する統計、法令、関係機関・団体、平生学習都市一覧などを作成。本のイメージが非常に具体的になって、一同、楽しくなったのでした。しかし、現在の韓国・平生学習の躍動をあらわす資料は揃った感じですが、今日にいたる曲折・苦難の(たとえば軍事独裁政権下の)歩みが見えてこない、たとえば、かって黄宗建氏(編者の一人)が担ってきた創成期の韓国社会教育協会や文解教育運動などの資料を盛り込めないか、そんな話になりました。
 いま韓国を離れて中国に滞在中のご本人にお願いしてみよう、小林が連絡をとってみることになりました。といっても本編集はすでに最終段階、1〜2頁程度を「終章・付記」として書き加えてもらうのが関の山でしょう。
 その場で、はたと思い出したことあり。「東アジア社会教育研究」では、第4号(1999年)と第5号(2000年)の2回に分けて、「この人−先達の自分史」企画を組んだ経過がありました。その第1弾は黄宗建氏。聞き手は小林と金子満(当時、大学院生)。家に帰りつくや、酔いを振りはらって、6年前の古いフロッピーを探し出すなど大騒動。
 うまくHTM に置き換え、別の機会に撮った3人の写真も1枚添えて、ホームページに掲載したところです。敏速果敢な小田切メールに負けてはならじと対抗心を燃やし、頑張って見事に成功!
 まずはこの証言(→)をご覧下さい。あらためて読み直してみると興味深い内容。深更さらにいい気分になり、また一杯、というわけです。
 夜のしじま、紫蘭のかすかな薫りがただよってきます。


★<韓国本の完成間近か> 南の風1662号 2006年6月9日(小林ぶ)
 6日午後は川崎、近刊『韓国の社会教育・生涯学習』ミニ編集会議、いよいよ最終作業。…(中略)… 編者も執筆者(約30人)も編集事務局も、ともに日韓双方からの協力体制によるもの。この間に紆余曲折はありますが、海を越えて、こういう本づくりが実現できる時代になったこと、作業をすすめながら、感慨新たなものがあります。難しい出版構想をエイデル研究所に引き受けていただき、今年の夏には(なんとしても!)刊行しようと、頑張ってきました。まさに乞うご期待!というところ。
 本づくりは、ときに厳しく、ときに楽しいもの。開いた編集会議は数知れず。当初は韓国からも来日して頂きましたし、こちらからソウルに渡って開いた会議も2回。本が出来上がったら、韓国で盛大なお祝いの会を催そう、などと楽しい話で盛り上がりました。
 一衣帯水の隣の国でありながら、これまで研究的な交流も実践的な提携も、大きな潮流にはなってきませんでした。社会教育そして生涯(平生)学習の実際の展開は、当然のことながら、日韓双方で決して一様ではありません。
 たとえば、自治体と教育行政の仕組みは異なり(韓国の基礎自治体に教育行政はない?)、図書館や「文化の家」などは教育行政の所管ではない。他方で住民自治センターや福祉施設などが地域で生涯学習の機能を活発に担い始めている。「平生学習」についての積極的な法制化・改正の動きがあり、市民の躍動的なエネルギーも注目される、などなど。この本では、そのあたりを理解する「資料編」を充実しようと話し合っています。
 たまたま先日の日本公民館学会「公民館・コミュニテイ施設ハンドブック」合評会(第3回)では、韓国がテーマとなり、幸いに川崎の小田切督剛さんが詳細な資料解題と分かりやすい「地域施設」一覧表などを作成されています。ぜひ 本「資料編」に活用したいもの。またTOAFAEC「東アジア社会教育研究」第11号編集にも、これをふらませて、掲載できないものかと思いました。(略)

韓国本ミニ編集会議(産業文化会館)−終わって川崎駅前で懇親 (20060606)



★<韓国・社会教育法 > 南の風1678号 2006年7月10日(小林ぶ)
 TOAFAEC のホームページには、折々に「東アジア」の社会教育・生涯学習に関する法制資料等を掲載してきました。しかし、韓国「社会教育法」は未入力のままでした。今回『韓国の社会教育・生涯学習』本(エイデル研究所・近刊)編集の過程で、川崎の小田切督剛さんの作業によりデジタル入力された法全文(日本語訳)を頂いて、ようやくアップできました。ご覧下さい。(HP表紙・左側「韓国」から入って下さい。小田切さん、有り難う。)
 韓国・社会教育法は、1950年代(朝鮮戦争のなか)草案づくりが始まり、約30年間の助走を経て、1982年末に成立しました。当時の社会教育ゼミ(東京学芸大学)で、これをいち早く取りあげ、日本・社会教育法との異同などを論議したことがあります。最初の日本語訳は、魯在化さん(当時・院生、現在・聖潔大学校教授、韓国本編集委員の一人)。社会教育法施行令を含めてレポート用紙11枚、鉛筆手書きの労作です。末尾に「なるべく韓国語に忠実に訳したので表現がかたいと思う」のメモが付されています。この魯在化訳は、ぶんじんの韓国関係資料ファイルのなかに大事に保存されてきました。
 今回これに加えて、社会教育法最終改正(1997.12.13)の日本語訳として収録できたのです。訳者はあえて「魯在化・小田切督剛共訳」とさせていただきました。
 ご承知のように韓国の社会教育法は、1999年に成立した「平生教育法」(平生=生涯)へ全面的に移行することとなりました。法としては17年の命脈。日本社会教育法を研究してきたものとして、同じ名称の法の歩みについては大きな関心をもってきたのです。


★<韓国本、無事入稿> 南の風1680号 2006年7月13日(小林ぶ)
 川崎と東京では、この3ヶ月、『韓国の社会教育・生涯学習』の最終編集作業が続きました。編者の伊藤長和さんと小林ぶ、編集委員のうちとくに小田切督剛、金侖貞のお二人、それにエイデル研究所からは担当として山添路子さん。本づくりに向けてのチームワークと集中度、ミニ編集会議による毎回の前祝いなど、いつまでも思い出に残る作業となりました。山添メールにあるように、11日にすべれの原稿を無事入稿できました。本への夢がまさに現実となる見通し、嬉しい限りです。まだ作業は続きますが、皆様、ご苦労さまでした。
 この間ご心配をかけた韓国側の編集委員、とくに魯在化さん、大活躍だった李正連さん、それに肥後耕生さん、早くから原稿を寄せてくださった皆様、有り難うございました。刊行は9月の日本社会教育学会をめざしています。
 この本の企画が始まったのは2002年の暮れ。それからすでに4年近くが経過しています。思いのほかの難航でした。しかし、このテーマでの本づくりは日本初の挑戦、海を越えての編集作業、当然すぎる歳月ともいえましょう。編者の黄宗建先生、そして(当初はアメリカ在住だった)魯在化さんも、編集会議のため来日(2003〜04年)していただきました。私たち日本側も2回ほど韓国に渡って編集会議。その間に、川崎で開かれた編集会議(ミニ会議を含めて)は数えきれません。執筆者は、日韓双方あわせて30名をこえます。
 7月26日(水)午後は拡大編集会議(川崎市高津区市民館、風1678号・小田切メール)。編集委員だけでなく、執筆者を含めて、できるだけ賑やかに集まって校正作業をすすめたいと考えています。執筆者以外の方も、もし関心をおもちの方は、ぜひご参加ください。


★<韓国本・校正作業> 南の風 1689号 2006年7月27日(小林ぶ)
 26日午後から韓国本・拡大編集会議(於・川崎市高津市民館)。
 韓国本のゲラが机上に並びました。これまでの歳月をかけての執筆・編集作業を反映して、想像をこえる厚み。これに資料編を加えると、公民館『ハンドブック』なみのページ数になってしまう。ただちに本の定価につながるわけですから、どう縮小するか、難作業が始まりました。嬉しい悲鳴どころか、苦しく呻くような数時間。さてどうなるか・・・。
 予定以上の枚数を書いてきた執筆者にターゲットをしぼって・・・編者で分担しての校正作業が始まります。ケズル仕事は頭が痛い!
 呻吟の数時間を終わって、みんなで故黄宗建先生に献杯。在りし日を偲んで、思い出話いろいろ。この間、顔を見せなかった金子満さんに電話、文部科学省から川崎まで呼び出して、また献杯。黄先生は「父のような存在」だったとのこと。
 かなり酔って帰宅、すぐダウンでした。その後のこと、以下のメールをご覧下さい。深夜3時過ぎの小田切督剛さんへの妙なお願いの1通。
 「昨夜はお疲れさまでした。帰宅して、少々酔っていたのか、
一眠りして・・・。いま目がさめて、カメラから昨夜の画像1枚を抜き出し、
ホームページ・7月スケジュールにアップしたところです。
ご覧ください。山添さんのうしろに小生の帽子が写っています。
ビヤホールのすみっこ。
実は帰り際にハンチングが見当たらず、
ま、いいか、そろそろどこかで失う頃だ、
酔いもあって、あまり探しもせず帰宅したのでした。
デジカメの効用で発見できました。
すみませんが、確保しておいて下さいませんか。急ぎませんので・・・次回にいただきます。」
 小田切さんの職場はこのビヤホールの隣のビル、どうぞよろしくお願いします。急な電話に驚いて駆けつけた金子さんも、ご苦労さまでした。
写真撤収

★<韓国本・校正作業−その後> 
○南の風 1691号 2006年7月30日(小林ぶ)
 あの笑顔、忘れじ・・・黄宗建先生
 「南の風」と関連して黄宗建先生のこと。実は「風」は一度も黄先生に届きませんでした。私のアドレス帳には黄宗建アドレスが二つも残っています。風を送るようにと強い要請がありました。2003年から翌年にかけて数回も。しかし送信は成功せず。なんど繰り返しても風は戻ってきて、結局、諦めてしまいました。失望されたに違いありません。
 その頃、勤務されていた中国の大学側の接続か、あるいはサーバーに問題があったのか、単にアドレスが(2通とも!?)間違っていたのか。
 ちょうど韓国本の編集委員会を起ち上げた頃。先生は山東省の紡織職業大学に招聘され、韓国語学科教授(顧問)として赴任されていました。私が同じ山東省の烟台(日本語学校)に滞在した時、電話したその日に長距離バスで飛んでこられました。中国の地で日韓の感激的な再会。当時のホームページ(2003年11月スケジュール)に写真を掲載しています。若者たちに囲まれたあの笑顔が印象的。→■追悼ページ
 「南の風」送信はうまくきませんでしたが、TOAFAEC の「東アジア」研究には当初から大きな関心を寄せ、声援をおくって頂きました。沖縄への興味も並々ならぬものがあり、「次は南の島で再会しよう」と約して別れたのでした。お会いしたのは、これが最後。

○南の風 1692号 2006年8月1日
 梅雨明け宣言、夏が来た・・
 長かった梅雨がようやく明けました。久しぶりの陽光、しかしまだ本格的な夏の日ざしではありません。8月となったのに・・・部屋にこもっての作業が続きます。ガマンの夏だ。
 先号も書いたように、『韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル・近刊)の最終ゲラ読み。原稿の大半はハングル版、それを李正連さんや小田切督剛さんたちがすばらしい日本語に訳してくれて、本になるのが楽しみです。その執筆者各位は韓国ですから校正は無理、時間に追われて、編者が分担して最終校正をやろうと。ページ削減の課題もあり、シンドイ作業です。
 本の終章は黄宗建先生の執筆。文字通りの“絶筆”となりました。座り直して粛然として読みました。

○南の風 1704号 2006年8月20日
 最終ゲラすべて読み終わる
 今年の夏の大仕事がようやく一段落しました。
前にも書きましたが、毎日、うんざりする程のゲラ読み。一つは9月刊行予定の『韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル研究所)、あと一つはTOAFAEC 発行「東アジア社会教育研究」第11号、スケジュールが重なってしまいました。二つの本のゲラ1校〜2校を連日交互に読んでいるような毎日でした。
 しかし、本になる夢が一歩ずつ実現する作業ですから、いま、終わってみると、結果的には疲れも吹き飛ぶ充実感。秘蔵の泡盛古酒をチビリとやって、いい気分です。
 ここ数日の日誌。8月17日は終日、韓国本の最終ゲラを読んでいました。夜になってエイデル研究所へ。山添路子さんが待って?いました。川崎の小田切督剛さんも来て、残った問題を処理しながら、午後9時過ぎにすべて終了、4年越しの仕事から解放されました。乾杯のエネルギーさえも残っていないほどの疲労感、そして、なんともいえない達成感。
 (以下・略)


★<『韓国の社会教育・生涯学習』ご紹介・予約特価> 
                    
南の風第1705号 2006年8月22日
                     山添路子(Sun, 20 Aug 2006 21:05)
                      *エイデル研究所
 小林文人先生;先日は弊所まで校正済みのゲラをお届け下さり、さらには10時半近くまで(「午後9時過ぎ…」ではなかったと思います)、追加のゲラ読みの作業をしていただき、本当にありがとうございました。富川ご出発の前日にもかかわらず、急遽駆けつけて下さった小田切督剛さんにも感謝申し上げます。
 さて、この場をお借りして、9月刊行予定の『韓国の社会教育・生涯学習―市民社会の創造に向けて―』(黄宗建・小林文人・伊藤長和共編、エイデル研究所、定価5000円、432頁予定)のご紹介をさせていただきたいと思います。
 本書は「韓国の社会教育・生涯学習」に関する“日本初”の本格的な研究書・解説本で、日韓双方併せて30名余の研究者、自治体職員等が執筆しています。
 韓国の社会教育・生涯学習の歴史や制度、実践や運動の展開について、全体的・包括的な視野で章を構成しており、国レベルの動向だけでなく、地域レベルの具体的な事例も多く盛り込んでいます。基本用語には「注」で解説を加え、氏名・地名等には仮名ルビを付しており、さらに法制・行政・施設・団体・文献・年表等の資料編も充実していますので、入門書としても最適です。
 本書は書店を通じてご購入いただく場合は定価5000円となりますが、9月末日までに予約注文をしていただきますと、予約特価4000円(税・送料込)にてご購入いただけます。また10冊以上のお申し込みについては、3500円(税・送料込。ただし送付は一括でお願いします)にてご購入いただけます。ぜひこの機会をご利用下さい。
 お申込み方法は、冊数、お名前、送付先、電話番号をご明記の上、メールアドレス:kankoku@eidell.co.jp までお送り下さい(確認のメールを返信させていただきます)。
 「韓国の社会教育」編集記録(本ホームページ)にもありますように、4年近くの歳月をかけてじっくりと、さまざまな人の思いをこめてつくられた本です。何卒ご検討下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
*小林付記:
  特別頒価本についての問い合わせや申し込みは、小林文人→■宛でも結構です。





★<黄宗建先生追悼と『韓国の社会教育・生涯学習』出版記念の会ご案内>
             
From:伊藤長和(Wed, 6 Sep 2006 09:19)
     
               ○呼びかけ人(50音順)
                上田幸夫(日本体育大学、月刊社会教育編集長)
                笹川孝一(法政大学、東アジア成人教育フォーラム会長)
                佐藤一子(東京大学、日本社会教育学会会長)
                末本 誠(神戸大学、東京/沖縄/東アジア社会教育研究会)
                手打明敏(筑波大学、日本公民館学会事務局次長)
                長澤成次(千葉大学、社会教育推進全国協議会委員長)
                魯 在化(韓国聖潔大学校、韓国平生教育研究所所長)
                〔同 川崎市〕
                李 仁夏(社会福祉法人青丘社理事長)
                朴 欣淳(川崎・富川市民交流会運営委員)
                森山定雄(川崎地方自治研究センター理事長)
                矢追三恵(川崎・富川<日韓>美術交流会代表)

○黄宗建先生追悼と『韓国の社会教育・生涯学習』出版記念の会へのお誘い
 去る7月20日に韓国の社会教育・平生教育学会の先達、黄宗建先生が急逝されました。黄宗建先生は日韓の社会教育研究の架け橋として、日韓社会教育セミナーや日本社会教育学会さらに日本各地の招聘講演等に大きな役割を果たされました。黄宗建先生は、日韓のみならずユネスコNGO国際成人教育協議会(ICAE)やアジア南太平洋地域成人教育協会(ASPBAE)の理事・東アジア地区議長としてもご活躍いただき、文字どおりの国際人として社会教育・生涯学習の発展、特に識字教育の普及に尽力されました。
 表記の『韓国の社会教育・生涯学習』は、黄宗建先生の社会教育・生涯学習にかける熱い想いを受け、小林文人、伊藤長和が編者に加わって取り組まれてきました。日本初の韓国の社会教育・生涯学習にかかる総合的な本で、執筆者は30名を超える日韓の研究者が担当しています。9月末の刊行となり、残念ながら編者の黄宗建先生にはご覧いただくことができません。関係者の皆さんにとっては痛恨の極みだと思います。
 ついては、生前の黄宗建先生と関わりのあった研究者に呼びかけ人をお願いし、また在日の運動と日韓交流を支えてこられた川崎市の市民の皆さんにも呼びかけ人をお願いして、黄宗建先生追悼と『韓国の社会教育・生涯学習』出版記念の会を開催させていただきます。
 ご多忙のところ誠に恐縮ですが、万障お繰り合わせの上ご参加いただければ、幸に存じます。           
1.日時:10月14日(土)(15:30受付)
          16:00〜黄宗建先生追悼、『韓国の社会教育・生涯学習』出版記念の会
          18:30〜 出版記念・懇親会
2.会場:川崎市中原区武蔵小杉「ホテル精養軒」 
3.会費:6000円 
4.事務局〔連絡先〕:伊藤長和(川崎市教育委員会学習情報室長)
  E-mail ito-o@kpal.or.jp
  〒210-0011川崎市川崎区富士見 2-1-3 教育文化会館内 
        044-233-6250 Fax044-233-2700


★<黄宗建先生追悼・『韓国の社会教育・生涯学習』出版記念会に出席して>
      金子 満(文部科学省生涯学習政策局調査企画課専門職・外国調査係)
         「南の風」第1732号(2006年10月17日)         
                
 10月14日(土)午後4時より川崎市のホテル「精養軒」にて黄宗建先生追悼『韓国の社会教育・生涯学習』出版記念会が開催されました。
 出席者として,呼びかけ人のひとりでいらっしゃる末本先生をはじめ,本の執筆者,韓国と交流を深めてこられた川崎市の職員および団体の方,そして編集に関わった方,さらにはそのご親族など,各界さまざまな方がたの出席により盛大に行なわれました。
 韓国の富川市と川崎市のまさに掛け橋としてご活躍の小田切さん、そして識字教育から日韓の交流を深めてこられた江頭さんの両名司会によって会は進行され,黄先生との出会いやエピソード、そして出版に至るまでの経緯などが語られました。黄先生をよくご存知の方は勿論のこと、そうでない方も、黄先生の偉大な経歴もさることながら、その哲学や教育実践,そして人を愛して止まないそのお人柄に触れ,深く感銘を受けられるとともに涙を流される一面もございました。韓国からは黄先生の研究所を引き継がれた魯在化先生などが参加されていれました。
 後半部では川崎市「ふれあい館」の館長,「重度さんのご令嬢でいらっしゃる「平舜さんの,目が覚めるような美しい衣装,そして力強いパンソリの公演が行なわれ,華やかな雰囲気に包まれました。会場からは,黄先生に対するメッセージ,そして今回の出版本に対するコメント、さらには次の改訂版に向けての思いなどが寄せられました。
 会も終盤に差し掛かった時,わたくしの頭の中に,ふっと黄先生が愛していらっしゃった、喜納昌吉(そして石嶺聡子)の「花」を歌いたい・・・という思いが舞い降りて参りまして,その旨を小林先生にお伝えしたところ,先生は快く承諾してくださいました。そして、最後は会場の全員で「花」大合唱・・・、黄先生もきっとこの会場でわたくしたちと共にお歌いになられたことでしょう・・・。
 『韓国の社会教育・生涯学習』の出版おめでとうございます。そして,黄宗建先生、誠に,誠にありがとうございました。先生のご冥福をお祈り申し上げます。





★<追悼・出版記念会の静かな余韻>
         *「南の風」第1732号(2006年10月17日)小林
        
 10月14日の川崎で開かれた『韓国の社会教育・生涯学習』出版記念会。黄宗建先生の追悼会でもあり、この日のために韓国から来日した魯在化さん持参の写真がかざられ、思い出がこもごも語られました。参加者は約50名。「平舜さんのパンソリが演じられ、黄先生が大好きだった「花」も歌われました。二次会も盛大。
 翌15日夜は、はるばる韓国からご参加のお三方(李慶恵、魯在化・金順女夫妻)を囲む会(渋谷・ロゴスキー)。伊藤夫妻と小林夫妻もはじめて一緒に食事をするかたちとなりました。
 魯在化さん夫妻は、深夜便で飛んで、未明(午前四時過ぎ)に仁川着とのこと。重い荷物(新韓国本と第11号)をかついで、ほんとにご苦労さまでした。16日夕「無事に帰りました」との電話。帰ったその日、ほとんど徹夜気味で、大学での講義を2回こなし、さすがに疲れたと。
 あんなにお元気だった黄先生の急逝、その波紋があるからでしょうか、いつもになく丁重な電話。「先生、お体を大事に長生きして下さい」と。ご心配いただいて、恐縮しました。
 そういえば、当日の参加者のなかからも、「ぶんじん先生、もういい年だから、あまり無理しないように・・・」とか、「いまのうちに言い残しの話を聞く会でも・・・」などの話が聞こえてきました。たしかに年の順では、黄先生の次は小生ですから、それなりの自覚?はありますが、まだまだ・・・の気分。年相応にもっと衰えてよさそうなのに、その兆候があまりなく、当人もむしろ当惑気味。金子満さんの報告にあるように、一緒に「花」を歌ったりすると、ますます元気になります。
 しかし、心にかけていただいて、有り難うございます。黄先生追悼会の私なりの収穫は、皆さんからの励ましと、自重自愛すべしとのご忠告。心して次のステップへ・・・などと、余韻を楽しんでいます。
 渋谷・ロゴスキーにて。魯在化夫妻は帰ったあとのスナップ。(061015)






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