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<目次>
2025年

2025・第15回やんばる対談について(2025,Jan.29)
今年の「やんばる対談」、中頭にも。(2025,.Feb.5)  同上・記録




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2025年

・第15回やんばる対談について(小林)
  島袋正敏さま  (一平さん、どうぞよろしく! ・・・2025,Jan.29)
  小林ぶんじんです。先日は電話で久しぶりにお声を聞いて、懐かしいかぎり。 お元気な様子で何よりです。
●あのとき、お話ししたこと。今年の「やんばる対談」の持ち方について、確認のメールです。 今年は、これまで取り上げてこなかった「名護の図書館・文庫運動」について、取り上げてみる案。ゆんたく風に気軽に想い出話をお願いする。たとえば次のようなことについて。
1,琉米文化会館の想い出をもっている方は、どなたかいませんか。そして崎山図書館についてもも。
2,「教育隣組」関連で、字の小さな「文庫」活動の想い出、どなたからか、事例をお聞きしたい。
3、市、教育委員会の対応、自動車、文庫サービスのこと。初代館長(正敏さん)としての苦労話も。
4,あわせて、市民の側の運動、取り組み。市民活動の資料など、あれば見せていただきたい。
5,徳田球一、宮城与徳・・・関係資料の取り組みについても思い出話を。
6,その後の、今の図書館活動、運営と課題、予算など状況は。
7,もしできれば、やんばるの他自治体の動き、字の図書室の活動などありますか?
●日時:電話でお話ししたように、330日案・午後(2時~5時)予定。「蔓草庵」に参上する案。
 参加者:いつものメンバー45人と、図書館・文庫問題をテーマにしている若い研究者を一人誘っています。
 古酒を12本、瓶に注ぐ儀式をお願いしたいので。2本ほど買っておいていただけませんか。 
 稲嶺進さんはじめ各位によろしくお伝えください。一平さん、今後とも連絡よろしくお願いします。 ぶんじん拝

67, 今年の「やんばる対談」、中頭にもー
 第15回「やんばる対談」ご案内
  ……小林ぶんじん(TOAFAEC顧問)February 8, 2025 7:52 AM
 今年の「やんばる対談」(2025、第15回)について、通信・前便に島袋正敏さんと小林の私信を、そのまま紹介しました。「名護・やんばる」の「図書館づくりと文庫運動」についての、興味深い歴史(図書館づくり市民運動)、その歩みなど紹介いただき、現状と課題を語り合うテーマです。米軍基地周辺の「子どもを守る」運動として生まれた「教育隣組」との関連で、字・集落の「文庫」活動など、また図書館始動後の自動車文庫の話もお聞きしたいと。 予定日は,東京から名護入りするメンバーの都合を優先していただき、330日(日)午後1時半頃から。会場は、これまで通り「蔓草庵」(名護東海岸・底仁屋)です。関心ある方々のご参加歓迎。
 また、その前日(329日)午後4時頃から、中頭(なかがみ)青年団OB会の皆さんと、中頭の歴史(青年運動、復帰運動、反基地闘争など)を記録にしていく企画(積年の課題)を語り合うことになりました。会場はコザ十字路近く、同青年会OB会事務所=中根事務所)。当日(29日)はコザ泊まりになる予定。(3/30当日の泊まりは、名護・山田荘。) フライト便は混み合う時期、お早めに予約する必要あり。
 委細・問い合わせは、山口真理子さんまでizk07252@nifty.com.

●1,中頭青年団O B会と復帰運を語る:報告 …山城千秋(熊本大学)  2025 4,4(9:57 AM)
日にち:2025年3月29日(土)   ところ:中根事務所(沖縄市)
出席者(敬称略)沖縄:東 武、田場盛順、山内順盛、宮城盛光、玉代勢修司  
       本土:小林文人、内田純一、包 聯群、石川敬史、農中 至、山城千秋、山口真理子
 かつて小林先生と「戦後沖縄青年運動史の証言」という記録を2005年から2013年にかけてつくり、TOAFAEC誌に連載しました。当時聞き取りをした仲宗根悟さん、中根章さん、有銘政夫さんなどの諸先輩方の多くが鬼籍に入り、占領期の青年団運動について語れる方々も限られてきました。そのようななか、今回12年ぶりに小林先生の呼びかけにより、中頭青年団OB会の方々との再会が果たされました。出席者は東さん、田場さん(いずれも元沖青協会長)をはじめ、山内さん(元読谷村青連)、宮城さん(元中青協会長)、そして一緒に沖青協で活動した玉代勢さん(元沖青協副会長)らとともに、会食しながら復帰前後の青年会と復帰運動などについて、自由に発言していただきました。今回は再会を喜び、「ゆんたく」形式で実施したため(しかも美味しい古酒付き)、記録も曖昧なところが多いことをご容赦ください。以下に、その一部を紹介します。
 東さんは、地元の旧勝連町平敷屋青年会出身で、勝連町の会長も務めました。当時の勝連の青年会はスポーツ大会と地域行事に参加することが主な活動でしたが、隣の旧具志川の青連が総会で社会活動や社会問題について議論していることに衝撃を受けたと話されました。また、沖青協時代の話では、会長の豊川英信さんが突然会議を開かなくなり沖青協が一時解散状態にあったこと、その再建を田場さんと一緒に奔走され、青年大会の予選を北谷町青連の協力の下実施できたことなど、初耳の話に多く触れることができました。
 田場さんからは、復帰後の国立渡嘉敷青年の家での朝の集いのエピソードを聞きました。朝の集いでは日の丸を掲揚するのですが、復帰後の沖縄では日の丸に対する複雑な感情があり、田場さんたち青年たちは掲揚に反対し、集いの参加を拒否されたそうです。青年団で復帰運動を闘った仲宗根悟さんや中根章さんらは、復帰後、日の丸へのジレンマを抱えていたのではないでしょうか。また、田場さんは琉球大学教職員組合の執行委員長と全公労の副会長を務めていたとき、組合に対する弾圧があったことなども話されました。
 最後に小林先生から、中頭青年運動について、テーマを10くらい取り上げ、10回語り合おうと提案がありました。テーマとしては、たとえば先述の日の丸問題と復帰闘争、原水禁運動、いまだ現存する基地問題への取り組み、428「屈屈辱の日」、金武湾を守る闘争、比謝川など環境問題、中の町青年団、毒ガス移送問題、コザ暴動、青年会と中頭教職員員会の関係、喜瀬武原闘争などなど。1960年代以降の沖縄問題と中頭青年団の運動を中心に、記録する会を再開する、語りの記録と関連する資料とを編集して、記録集つくっていくとことが確認されました。
 来る4月28日、中頭青年団O B会では、恒例の「沖縄戦・敗戦から80年 428 『屈辱の日』辺戸岬集会」を国頭村辺戸岬にある祖国復帰闘争碑の前にて開催し、集会アピールを宣言する予定です(海勢頭豊さんも歌うとのこと)。多くの方々に関心を寄せてもらい、可能であれば集 会にご参加いただけると幸いとのこと。(文責:山城千秋) 
なかがみ青年OB会事務所にて(内田純一さん写す、2025/03/29)


●2,やんばる対談第15回のご報告  ……山口真理子(事務局) 2025.4.5
  330日(日)13401700頃 テーマは、名護の図書館の歩み・文庫運動についてー
 蔓草庵(名護市天仁屋)を会場に、やんばる対談第15回を行ないました。雨模様で沖縄にしては寒く、屋内での「ゆんたく」となりました。机の上を片付けるのが大変だったそうです。その後“復元”できたでしょうか。この日の参加者(五十音順、敬称略)、やんばる:呉屋美奈子(恩納村文化情報センター奉仕係長、沖縄国際大学非常勤講師)、島袋正敏(蔓草庵主宰、元名護市教育委員会)、松崎美佐子(辺野古公民館図書室の司書、元名護市立図書館児童サービス担当)、宮里健一郎(しまくとぅば読本―県文化振興課―久志言葉の地域アドバイサー、元崎山図書館館長等)。声かけは他図書館にもしたそうですが日曜日なので忙しく、参加は難しかったようです。やんばる以外の沖縄参加者:赤嶺一子(南風原町、社会福祉士)、鷲尾眞由美(那覇市、沖縄環境ネットワーク)。
 本土側:石川敬史(十文字学園女子大学)、小林文人(TOAFAEC顧問)、包聯群(大分大学・言語学)、 農中至(鹿児島大学)、山城千秋(熊本大学)、山口真理子(TOAFAEC事務局、元調布市立図書館)。
 やんばる対談も15年が経ちました。2010年に稲嶺進さん(元々は社会教育担当)が市長に当選され、進さんの応援の気持ちから始まったのでした。間にコロナ禍でできなかった年や年2回の時もあって、ちょうど今年で15回目となりました。最初の会場は「青年の家」、2回目は壁や屋根は未完成でブルーシートで覆われていた蔓草庵。3月中旬というのに寒い日で震えあがり、焚火に当たりながらでした。以後は旧博物館の2回以外は蔓草庵が会場でした。正敏さんが自力で造り上げてこられたのも見てきました。鳥や虫、山羊の声も聞こえてきました。この日はシロガシラという鳥がずっとさえずっていました。
 これまで、地域活動・社会教育のいろいろな分野をテーマにしてきました。博物館を中心に、在来資源・生きもの復活運動(アグー、リュウキュウアユ等)、民話、地域史づくり、社会教育主事集団等々。東京にない名護独自の取り組みの歴史を記録にしてきました。最後に残っていると言っていいのか、それが図書館と文庫の話でした。
 この日は、名護の図書館の歴史から始まって、1999年に開館した今の中央図書館の話へ。市民たちが自ら求めた本格的な市民図書館。そして護市出身の徳田球一や宮城与徳の資料保存の取り組みにも力を入れて語られました。徳田球一は名護の生まれ、戦時中の獄中を生き抜き、戦後は日本共産党書記長へ。その後に中国へ亡命、北京で客死した人。宮城与徳も名護の出身、ゾルゲ事件に関わった画家で昔の言葉で言う“国賊”でした。徳田球一のデスマスクやお連れ合いと獄中時代にかわした往復書簡も名護図書館に所蔵されています。行政内部からの批判もあったそうですが、郷土出身者ということで図書館資料としてちゃんと位置付けているのです。この一連の経過からの正敏さんの言葉「やっぱり図書館、博物館というのは行政のトップと歩調を合わせるのではなく、そこで何をすべきなのかということを踏まえて仕事をすべきだと思います」は、長年、多岐に亘って活動されてこられた正敏さんの気概が強く感じられる言葉でした。
 そして「15年かけても語り尽くせぬ、あるいは資料的に不十分ではあるとしても、大事なことは語ってきた。15年経ったこの日は一つの区切りでないか。この日は正敏さんが特によく語られた。本当に後まで思い出に残る対談でした」と、感慨を込めての文人先生のまとめとなりました。
 恩納村文化情報センターの活動も、「文化と知識と観光の架け橋」を目指したユニークな報告でしたし、辺野古公民館図書室の生き生きとした様子もご紹介したいのですが、ここでは略させていただきます。この記録、秋に刊行予定の年報30号に掲載いたしますので、是非そちらでご覧になってください。
 なお、文人先生は「アメリカ占領下・沖縄の図書館」を『図書館雑誌』19928月号(日本図書館協会)に書いておられて、先生のホームページ→■で見ることもできます。
蔓草庵にて「やんばる対談」(2025/03/30)、

左より2人目・島袋正敏さん(蔓草庵、包聯群さん写す→■関連写真












 

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