杉並の公民館・社会教育を記録する会・安井家資料研究

  
−経過記録  2003年3月〜2009年〜

                                         
  *東京の社会教育史(小林)→■
  *安井資料研究会・日程・文献解題・略年表→■
  *杉並の社会教育・公民館に関する資料・報告(小林)→■  
  *「歴史の大河は流れ続ける」編集・杉並公民館など写真アルバム→■

 <目 次>
 1,南の風・関係記事など(2003年3月〜2006年2月〜2009年)
 2,記録する会:日程・経過記録−2003年、2004年、2005年、2006年
                       2007年〜2008年〜2009年




杉並公民館50年記念・座談会「公民館を語ろうよ」(セシオン杉並−20031110)

2003年
■(1)杉並公民館の記念碑 *「南の風」1020号(2003年3月14日)
 いま恐ろしい勢いで、社会教育・公民館に関する記録・資料が廃棄され消失しているのではないでしょうか。これから「平成大合併」が強行されていけば、また大量の文書類が棄てられることになるでしょう。
 この間、沖縄をはじめとして、各地の史・資料の保存と復元の運動をしてきたつもりです。「東京の社会教育の歩み」を掘る作業も13年続けて報告書を刊行してきましたが、残念ながら中止を強いられました。その後は小さな研究会が細々と継承しているかたちですが、いま一つ、運動的な拡がりをもてないでいます。沖縄の小さな集落が、自らの歴史を綴ろうとする「字(あざ)誌」運動の、大きな志に学ぶ必要を痛感しているところです。
 東京・杉並の皆さんで、戦後の公民館や住民運動の歩みを復元していこうという努力が始まっています。3月12日、もと公民館が建っていた荻窪体育館・会議室で、杉並区コミュニティカレッジ「歴史に学び伝えるもの−公民館から社会教育センターへ」が開かれ、旧杉並公民館について報告しました。園田(現・平井)教子さんの果たした役割も紹介しておきました。
 奇しくも今年は、杉並公民館が誕生して50年目にあたります。講座が終わったあとの食事会で、かって市民企画「公民館教養講座」を躍動的に担った方々に呼びかけて、あらためて歴史を再生し、新しい歩みを始める集いを企画しようということになりました。
 旧公民館敷地の一角に「杉並区立公民館跡地の碑」(記念碑・オーロラ)があります。碑文を書き写してきましたので、以下にご紹介しましょう。

○記念碑の由来 
 昭和二八年十一月に開設した杉並区立公民館においては、区民の教養向上や文化振興を図るため、各種の教養講座が開かれ、また、社会教育の拠点として、区民の自主的活動が行われてきました。
 これらの活動の中でも、特筆されるものは、昭和二九年三月ビキニ環礁水爆実験をきっかけとして、杉並区議会において水爆禁止の決議が議決されるとともに、同館を拠点として広範な区民の間で始まった原水爆禁止署名運動があり、世界的な原水爆禁止運動の発祥の地と言われております。その公民館も老朽化により平成元年三月末をもって廃館されましたが、その役割は杉並区立社会教育センター(セシオン杉並)に発展的に継承されております。
 ここに公民館の歴史をとどめるとともに、人類普遍の願いである永遠の平和を希求して記念碑を建立したものであります。                   平成三年三月   東京都杉並区
記念碑・オーロラ(杉並区荻窪、030312)



■(2)東京・杉並区立公民館50周年へ向けて
   *「南の風」1045号(2003年4月23日) 
 東京(二三区)には公民館がない、というのはご存知の通り。戦後初期、1950年代には北区、練馬区、杉並区の三区に公民館が設立されましたが、今は練馬区1館のみ。他の二区では公民館は廃止されたのです。
 しかし杉並では「公民館は閉館されたのではない、発展的に継承されて今の社会教育センター(セシオン)が動いているだ」という考え方が主張されています。区民レベル(区ではない)で公民館の組織と精神をさらに発展させていこうというのです。
 杉並公民館は創立(1953年)時から安井郁(国際政治学者)を館長に迎え、世界に拡がった原水爆禁止運動の発祥の拠点となりました。当時、公民館長室は反対署名運動の事務局であったと伝えられています。「歴史の大河は流れ続ける」(全4集)に記録されている安井館長企画の連続教養講座は見事なもの、これを受け継いで、その後の区民(女性)主導の公民館講座も水準の高い取り組み。それらの歴史を復元し、さらに新しく発展させていこうという思い。
 今年は創立からちょうど50年。秋には(敢えて)「公民館創立50周年の集い」を企画し、歴史を掘り起こし語り継いでいこうという集いが、22日午後、もと杉並公民館近くの「すみれ家」で開かれました。
       

■(3)杉並の社会教育を記録する会・安井家訪問
      *「南の風」1109号(2003年8月6日)  
 杉並の公民館が発展的に継承されている・・・と考えれば、今年は丁度50年の記念の年。11月1日にはお祝いの会をやろうという話になり、「記録する会」も活動を始めました。
 5日は安井家を数人で訪問。安井郁(かおる、元杉並公民館々長、原水爆禁止日本協議会理事長、法政大学名誉教授)田鶴子夫妻の所蔵資料の袋やダンボール箱を開いて頂きました。もちろん第一級の資料、宝の山、これをどのようにリスト化するか、など相談をしているところに雷鳴あり、夕立となり、帰るに帰れず・・・。
 頂いた歌集より、安井夫妻の歌をいくつか。
      安井田鶴子歌集『白き風船』(1986年)より
○真実を求めて我ら集いたり二十四年前の霜月はじめ
○「杉の子」と名づけて共にはげみつつ原水爆禁止の署名集めぬ
○誰やらに似ているごとき五位鷺の高き枝よりわれを見おろす
      安井郁歌集『永劫の断片』(1978年)より
○どろどろのこの世に為すべきこと多し枯淡の境地をわれは求めず
○残年をわれは数えじ為すべきをただ為しゆかん心もはらに
○胸ぬちに溢るる思いさまざまを言葉にはせじ今日も生きつぐ
                     

■(4)安井資料の掘り起こし
       *「南の風」1110号(2003年8月7日)
 先号の続き。どなたか安井郁・田鶴子夫妻・所蔵資料の探索と復元に協力していただけませんか。あるいは大学院レベルで、そんな関心を抱く若い人を紹介していただけませんか。自分の論文テーマにもなり、杉並社会教育を記録する会の活動にも結びつき、貴重な安井資料を世に復元することにもなる・・・。
 杉並の公民館は、安井郁(国際法学者)館長を擁することによって公民運館活動が国際的なテーマと響きあい、また地域の母親たちの小さな読書会(杉の子会、安井田鶴子さんの資料保存が見事!)が、日本の原水禁運動の契機を創る、という独自の歴史を刻んできました。ご夫妻は支え合ってともに歩んでこられました。
 かって園田(現・平井)教子さんはその一端の資料を駆使して浩瀚な修士論文を作成。その過程で“公民館を存続する会”により「歴史の大河は流れつづける」(1〜4号、1980〜1984)が刊行されました。第2の教子さんが現れないかしら、というわけです。いま安井家では、信頼できる関係をもって書斎等に眠っている所蔵資料を整理・公開していこうという姿勢です。稀有の公民館史というだけでなく、日本の反核運動、社会運動史にとっても第一級の資料の山といえましょう。


■(5)宮沢賢治<ジブンヲカンジョウニイレズニ・・・>    
         *「南の風」1112号(2003年8月10日)
 原爆忌。1110号の続きです。
 杉並の公民館から始まった原水爆禁止運動(1954年)は、国民的規模の運動に広がった反面、政党の路線問題の対立にまきこまれ、安井郁氏は日本原水協理事長を辞任することになります。1963年のこと。「いかなる国の原水爆にも反対する」問題について、政党や関係団体間の対立は根深いものがあり、担当常任理事全員が涙をのんで全会一致の辞任を決定するのです。
 安井郁氏はこう書き記しています。「原水爆禁止運動について政党の系列化を進めることは、国民運動を破壊するものである。それは分裂工作をおこなっている勢力を喜ばせることになる。」
 「九年前に原水爆禁止運動が発足した当時、まだ大きな組織はなく、専従の事務局員もいなかったが、仮事務所にあてられた杉並公民館長室に毎日奉仕した杉並の主婦や母親たちは、その壁に掲げられた宮沢賢治の“雨ニモマケズ”の詩、とくにそのなかの“アラユルコトヲ、ジブンヲカンジョウニイレズニ、ヨクミキキシワカリ、ソシテワスレズ”という一節を深く心にとめて、献身的にはたらいた。」(「日本原水協理事長辞任についての声明」1963年、『道−安井郁 生の軌跡』所収)
 “雨ニモマケズ”の詩、杉並公民館の閉館(1989年)後は、南荻窪の安井家の玄関に掲げられています。

宮沢賢治 “雨ニモマケズ” (安井家蔵、031110)


原水爆禁止署名運動−集まった署名の山、杉並公民館長室(1954年) -031111-



■(6)「杉並公民館50年」企画
      −杉並の社会教育を記録する会−    
         *「南の風」1146号(2003年10月13日)
 今年は杉並区立公民館が開館して50年の記念すべき年になりました。杉並公民館は東京二三区の貴重な公民館史というだけでなく、日本の原水爆禁止運動の端緒を開いた公民館です(1954年)。ご承知のように今年4月から「杉並の社会教育を記録する会」が市民運動として取り組まれ、50年を記念して、下記のような内容の催しが企画されました。区内外のご関心ある方々のご協力・ご参加を呼びかけています。
 公民館は1989年に閉館し、社会教育センター(セシオン杉並)となりましたが、その後も公民館の“発展的継承”がめざされてきました。この機会に公民館の歴史を思い起こし、新しい未来の創造に向けて、課題を共有し、区民相互の活動を発信・交流していきたいと考えています。
 なお11月10日の展示と座談会には日本公民館学会・定例研究会の方々も合流される予定です。
○杉並公民館開館50周年記念「“とき”を拓き、明日を紡ぐ」事業
  主催:杉並区社会教育センター、杉並区社会教育事業推進委員会
  企画:杉並の社会教育を記録する会
1,展示と交流
 (1)杉並区の社会教育の流れ
 (2)各団体等の活動を区民に発表し参加を呼びかける
  期間:11月10日午後1時〜11日午後4時
  会場:セシオン杉並(社会教育センター)1階展示室
2,座談会:「公民館」を語りつごうよ
  11月10日(月)午後2時〜4時
  杉の子会メンバー、石崎あつ子、小林文人、ほか
*「杉並公民館50年」記録誌・刊行見込み
3,連続講座(会場:荻窪体育館2階会議室)*旧公民館の場所
 (1)10月9日(木)午前10時〜正午
  「杉並公民館から巣立った市民たち・パート1」 
      すみれ家経営 田村匡代 
      杉並区消費者の会 小沢千鶴子
 (2)10月22日(水)午前10時〜正午
  「杉並公民館から巣立った市民たち・パート2」 
             障害者作業所 古川須美子
             地域家庭文庫活動 山辺昭代・西内ミナミ
 (3)上記・展示会・座談会(11月10日午後2時〜4時)
 (4)11月26日(水)午前10時〜正午
  「杉並公民館から巣立った市民たち・パート3」
   リサイクル・これから 杉並区消費者グループ連絡会 大橋とも子
   35年間の大気汚染測定    杉並区公害対策連絡会 山家瑛夫 
   朝顔の葉っぱと大気汚染  杉並区大気汚染測定連絡会 渡辺正子 
 (5)みんなで話し合おう−いま私たちの暮らしと社会教育
   小林繁(明治大学)、小杉とし子(社会教育委員)、地頭所冨士子
   (杉並文庫・サークル連絡会)、西野博之(フリースペース・たまりば)
   進行・小林文人

杉並区立公民館・1989年閉館当時 -19890223-



■(7)杉並の社会教育を記録する会編:
  『学びて生きる−杉並公民館50年』(資料編)の刊行成る!
              *「南の風」1162号(2003年11月7日)
 風1146号の予告をご記憶でしょうか。「杉並の社会教育を記録する会」が動き始めて半年近く、その苦労がみのって、昨日ようやく上記の記録集が刊行されました。B5版・120頁、市民手づくりの労作です。原水爆禁止署名運動の発祥という独自の役割を果たした杉並公民館、しかしその歩みは資料的にも充分に記録されていません。
 1980年代初頭の公民館廃止の動きに抗して取り組まれた「公民館を存続させる」運動のなかで『歴史の大河は流れ続ける』(全4冊)が作成された経過がありますが、今では全く入手できなくなりました。それからほぼ20年。一部に『歴史の大河』を再録しつつ、さらに新しい記録を盛り込んだ「資料集」です。
 もちろん「記録する会」としては、杉並にとっての地域史づくりですが、同時に東京(三多摩)「社会教育の歩みを掘る」運動を続けてきたものとしては、市民レベルの東京社会教育史への新たな挑戦、というメッセージを秘めています。いまは休会?している旧「二三区の歩み」研究会の皆さんに、ぜひこの記録を届けたいという思い。
 『学びて生きる−杉並公民館50年』(資料編)・目次:
・はじめに
・編集方針と収録資料の説明
・「杉並公民館50年」の意味するもの(解題・小林)
・公民館教養講座一覧表(1954〜1962年)
・安井家関連資料(1)−杉の子会、回想、オーロラの碑
・『歴史の大河は流れ続ける』
  表紙、全目次、安井郁論文・安井田鶴子・解題、杉並図書館の前史、
  原水禁運動と婦人団体の関わり、杉並公民館の歴史(田中進)、編
  集後記など
・教養講座・公民館講座一覧表(1973〜1988年)、同活動記録
・「公民館の歴史をたどる」(杉並区立公民館、1989年)から
・社会教育センター保存資料リスト
・杉並区立公民館に関する研究文献・資料リスト
・杉並の社会教育関連年表
・杉並の社会教育を記録するということ
・あとがき

 発行は杉並区教育委員会(社会教育センター)、頒価なし。資料代として実費のみ(500円?)。11月10日の展示会・座談会(「公民館を語ろうよ」14:00〜16:00、セシオン杉並、風1146号に詳報)の際に配布される予定です。一般配布も可能となる予定。希望者はご一報下さい。


■(8)安井郁・公民館構想
              *「南の風」1163号(2003年11月9日)
 11月10日「杉並公民館50年」記念の集い「公民館を語ろうよ」(前号)に話を求められています。昨夜はあらためて安井郁(当時)館長の論文や「杉の子」会の記録を読み直しています。原水爆禁止署名運動の初期の段階において、人々の反核への思いがどんなに(党派的でなく)素朴で純なものであったか、そこに杉並公民館がどのように関わったか、公民館初期の文部省「寺中構想」とは異なる杉並の公民館「安井構想」をどのように把握するか。
 前にも紹介したことがありますが、「安井構想」は、園田(現姓・平井、鶴ヶ島市教委)教子さんが追求したテーマでした。今や稀少本となった『歴史の大河は流れ続ける』(全4集)の頁をめくっていくと、「公民教養講座」「関連年表」や証言の記録づくりに園田さんのなみなみならぬ努力があったことを再発見することができます。
 安井郁館長(法政大学教授、第五福竜丸被爆をきっかけに原水爆禁止杉並協議会議長、更に原水爆禁止日本協議会<初代>理事長を兼ねる)の活動を通して、社会教育法の公民館関連条項(例えば第20条、22条など)を読むと、法の規定が別の新鮮な響きをもって迫ってくるように思われます。
 たとえば「各種の団体、機関等の連絡を図ること」(22条5項)の杉並での実像は、多くの農村的土着的な公民館とは異なって、原水禁運動の胎動へ向けての「連絡」でした。独自の展開があざやか。
 当時の公民館長室(「雨ニモマケズ・・・」の額が掲げられていた)は、杉並の原水禁署名運動の文字通り事務局だったのです。各種「団体、機関」関係者が相集いました。杉並だけでなく全国協議会に拡大しても杉並公民館拠点となりました。原水禁「全国ニュース」第1号は「杉並公民館内・原水爆禁止署名運動全国協議会」として発行されています。
 

2004年
■(9)原水爆禁止署名運動から50年
                   *「南の風」1206号(2004年1月26日)
 昨年は、杉並公民館創設から50年でしたが、今年は第五福竜丸がビキニ環礁で被爆し、公民館を拠点として杉並の女性たちが原水爆禁止署名運動に立ち上がって50年の年にあたります。ということは、日本の原水禁運動も50年、半世紀の歳月をたどったことになります。
 今日(25日)の朝日新聞は、創刊125周年の特集として、「第五福竜丸は死なず」という記事を掲載しています。「死の灰」を浴びて十数年、東京湾のごみ埋め立て地で係留されていた第五福竜丸を「原爆ドームを守った私たちの力で」保存しようと訴えたのは、朝日「声」欄に載った1通の投書でした(武藤宏一「沈めてよいか、第五福竜丸」1968年3月10日)。
 その3日後、同じ「声」欄に当時54歳の主婦だった東京都杉並区の安井田鶴子さんの投書「福竜丸生かす道を」が掲載されました。「半分かたむいたまま波に打たれていた船の、寂しそうな姿がいまも忘れられません」と印象をつづり、「船を生かす道を考えましょう」と呼びかけたのです。安井さんはビキニ事件が起こったとき、全国へ広がる原水爆禁止署名運動を杉並で始めた母親たちの一人(杉並公民館長・安井郁氏夫人)でした。
 その後も、保存に賛同する投書が相次ぎ、間もなく、美濃部亮吉・東京都知事は陳情を受け、第五福竜丸の保存を決定。夢の島公園に展示館が開館したのはようやく1976年のこと。
 当時、原水爆禁止運動の政党間不信・分裂が続くなか、市民の「声」と運動がこのような展示館を実現させたことになります。そのことの意義をしみじみと考えさせられた朝でした。

 〜〜<この間、1年経過>〜〜〜〜

2005年
■(10)安井家の原水禁運動資料
               *「南の風」1410号(2005年1月29日)
 1月28日は二つのスケジュール。午後の安井家訪問と夜の1月定例(TOAFAEC )研究会でした。研究会はご案内の通り、…(中略)…
 ところで今年は、原水爆禁止世界大会(第1回、広島)、そして原水爆禁止日本協議会(原水協)結成から50年の年です。原水協・初代理事長であった安井郁氏(当時・法政大学教授、杉並区立公民館長)の貴重な所蔵資料を整理(データーベース化)して光をあてよう、というかねてからの宿題あり。28日午後、竹峰誠一郎くん(早稲田大学・院博士課程、南の風1408号で紹介)と荻窪の安井さんのお宅を訪問しました。
 故安井先生の本棚やダンボールの資料は、一見しただけで第一級資料、宝の山の雰囲気にあふれていました。物置も見せていただきました。関心をもつ若者にも呼びかけて、学習会を企画し、3月〜4月あたりに集中して資料整理の作業をしよう、と話しあいました。いまから呼びかけのメールを打ち始めます。和光大学(旧)小林プロゼミや図書館学専攻の石川敬史くんなど皆さん、どうぞよろしくお願いします。
 ちょうどいま(28日深夜)、NHK広島のHさん(「原水禁運動発祥の地で署名集めをされていた方にぜひお話をお伺いしてみたい」との希望あり)からメールが来ました。「 … 故安井郁さんのご自宅で作業をされるようなご予定がありましたら教えていただければと思います」(Fri, 28 Jan 2005 23:31)とのこと。残念!1日遅かった。次回は3月になりそうです。


■(11)“原爆ゆるすまじ”
         *「南の風」1422号(2005年2月20日)   
 いま取り組もうとしている原水禁運動資料(安井家)調査整理、その事前学習会(3月2日夜・HPに記載)のこともあり、当時の記録を少し調べていますが、実に感動的な記述に出会います。(岩垂弘『核兵器廃絶のうねり−ドキュメント原水禁運動』連合出版、1982、など)
 たとえば、第1回原水爆禁止世界大会(1955年夏、広島)。正式参加は3国際組織、14ヶ国52人、国内は97全国組織、46都道府県からの代表2575人、多くの人が会場に入りきれず場外でスピーカーを通して大会の論議を聞いた、実際の参加者は約5000人であった、とされています。
 「大会宣言」が採択された時、清水慶子女史がこれを読み進むにつれて、会場全体はものすごい興奮のルツボと化し、基地反対にふれたところでは文字通り万雷の拍手となり、最後には、一斉拍手が怒濤のように巻き起こること五度、約20分間にわたって、感激その極に達した拍手が鳴りやまなかった、とのこと。
 フィナーレは“原爆ゆるすまじ”大合唱。指揮は作曲者の日比谷高校教諭の木下航二氏。「この大会にふさわしい幕切れで、歌が終わっても、しばらく誰ひとり会場を立ち去ろうとはしなかった」(今堀誠二『原水禁運動』潮出版社)と伝えられています。


■(12)“夕やけ小やけの赤とんぼ”
         *「南の風」1423号(2005年2月22日)   
 前号の続き。故安井郁氏の追悼のために編まれた『道−安井郁・生の軌跡』(法政大学出版、1983年)、その中に森恭三氏(旧制高校・大学の同窓、元朝日新聞論説主幹)がこんなことを書いています。
 「ある暑い日、安井君が突然新聞社に私を訪ねてきた。…(略)…安井君はどの政党政派をも、またどの個人をも、非難することはなかった。私が今でもはっきり覚えているのは、“夕やけ小やけの赤とんぼ”をうたったよ、といって笑ったことである。(略) 安井君の説明によると、議論が行詰って動きがとれなくなったとき、皆の気持を一転させようと思い、一人立ちあがってうたいだしたのだという。唱和するものがあったのかどうかという点を私は聞き漏らした。(略)」
 第8回(1963年)原水爆禁止世界大会の閉会総会での出来事だったようです。この大会は、参加各派の意見が対立し、分裂状態になりました。森氏の一文のあとに、次のようなコメントが(編者によって)書き添えられています。
 「…いよいよ激しくなった内部の意見の対立で、総会は中断されたが、台東体育館にぎっしり集まった全国、全世界の代表たちは、真夏の暑さの中、根気よく再開を待っていた。その時、“赤とんぼ”の歌が、壇上のマイクを通して、静かに流れはじめた。それをきっかけに、各地の代表たちによる歌の交歓が始まり、まるで合唱コンクールか歌の祭典のように、全国各地の民謡があちこちからわき起り、外国代表たちも競ってお国自慢の歌を披露した。長時間待たされていた沈滞をふきとばして、和気あいあい、和やかな連帯の熱気に包まれたハプニングの事件であった。」 この年は,安井郁氏が原水爆禁止日本協議会・理事長を辞任した年でもありました。岩波『世界』1963 年5月号に安井郁「日本原水協理事長辞任について」の声明が掲載されています。


■(13)“同じ高嶺の月を・・・”
         *「南の風」1424号(2005年2月24日)   
 また前号(原水禁運動資料)の続き。
 安井郁氏の杉並区立公民館長就任は1953年11月。その翌年の3月1日(つまりわずか4ヶ月後)にビキニで第5福竜丸被爆。杉並では直ちに署名運動が始まり、5月に原水爆禁止署名運動杉並協議会が発足し、その議長へ。そして同全国協議会結成により事務局長、1955年には原水爆禁止日本協議会(原水協)理事長に就任。新しい公民館長の歩みは、そのまま日本の原水禁運動の激流と重なるわけです。
 杉並での署名運動は公民館長室が事務局だったと伝えられます。公民館ではさまざまな集会が開かれ「公民館がこわれそう」の記事も。全国協議会発足時の事務局は「杉並公民館長室気付」。この激動の歳月、法政大学教授の仕事もあり、どんな毎日だったのだろう、と思いを馳せたくなります。(その後、1959年に名誉館長へ。しかし公民館「世界の動き」連続講座は続き、第100回記念・最終講演「歴史の大河は流れ続ける」が行われたのは、1962年11月でした。)
 1963年、そのような安井郁氏の原水協理事長の辞任声明(前号)は悲痛なものでした。分裂した原水禁運動は、その後も厳しい意見対立を含んで推移していきます。他方、それだけに運動統一への熾烈な努力が重ねられました。1979年の原水禁世界大会を大同団結に向けて開催しようという流れのなかで、中野好夫氏(評論家、二十一氏「合意文書」の一人)が詠んだ歌一首。
 “わけのべるふもとの道は多けれど同じ高嶺の月をみるかな”
 麓から山に登る道はいろいろあるけれど、なんとか統一した大会を成功させて、ともに同じ月をみたいという思いは、多くの関係者の願いを見事に代弁したものだったようです。岩垂弘著『核兵器廃絶のうねり−ドキュメント原水禁運動』は、目次の頁に、この一首を掲げています。


■(14) 3・1ビキニデー
        *「南の風」1427号(2005年3月1日)
 51年目のビキニデー。1954年3月1日の米国の水爆実験による被爆者はマーシャル諸島の島民や日本漁船(第五福竜丸など856隻)。今年は広島・長崎の原爆から60年目ということもあり、ビキニデー関連のいろんな動きがあるようです。2月27日から日本原水協・全国集会が静岡市、原水禁国民会議・市民集会は横須賀市で、開かれています。
 私たちの原水禁運動(安井家)資料研究会もすでに動き始め、3月2日に学習会を開きます。こちらはとくに「ビキニデー」を意識していたわけではありません。竹峰・石川など参加予定の皆さんの都合を聞いたところ、たまたまそうなっただけのこと。
 また、こういう作業を始めたのは「被爆60年という節目だということで行われるのですか?」という問い合わせ(NHK広島)もありましたが、「杉並の市民活動と社会教育を記録する会」活動の流れで、こうなったもの。しかし、あらためて60周年という意味を考えています。
 すでに「風」1415号〜1416号(そしてホームページ)でお知らせしていますが、あらためてのご案内。関心ある方はどうぞお出かけ下さい。
○原水禁運動(安井家)資料研究会:学習会
 日時:3月2日(水)18:00〜20:30
 テーマ:原水禁運動と安井郁
     (3月13日作業の打ち合わせ)
 報告・解説:竹峰誠一郎(早稲田大学・院)、小林文人(TOAFAEC)
 会場:高井戸区民センター3F・第三集会室(特別室)
     (京王井の頭線「高井戸」下車)3分 
○原水禁運動(安井家)資料研究会:訪問調査
 日時:3月13日(日)13:00〜17:00
 内容:安井家資料のデーターベース化
 場所:東京都杉並区南荻窪3−13−11安井家
 集合:JR荻窪・南口西改札(立川寄り)13:00に集合
 連絡先:竹峰誠一郎(080-3637-9736)、小林文人(090-7700-7756)


■(15)「歴史の大河は流れ続ける」
        *「南の風」1428号(2005年3月2日)
 原水禁運動資料研究会として、安井家資料のデーターベース化に取り組もう、その前に3月2日(本日)学習会を開こう、という企画については、前号本欄に書いた通りですが、奇しくも、この日は安井郁先生のご命日であることに気づきました。
 25年前の拙文を引用させていただきます。「杉並区立公民館を存続させる会」が発行した標記資料集・第一集「解説」(小林)として書いたもの。懐かしいガリ版刷り(1980年4月20日発行)です。

 「この資料集の標題『歴史の大河は流れ続ける』は、杉並公民館・公民教養講座(1954年4月26日〜1962年6月16日)における安井郁館長の連続講演“世界の動き”最終会のテーマである。この標題はもともと読書会「杉の子会」のテキスト『新しい社会』(E.H.カー)に流れる一つのテーマであった。
 私たちは、このたび、杉並の公民館そして地域の文化運動の歴史を記録するにあたり、このテーマを継承し、資料集第一集にあらためてこの標題を掲げることにした。
 その安井郁先生も、すでにこの世を去られた。私たちが杉並公民館の歴史にかかわってこられた方々の聞き書き活動を開始し、そして、この第一集刊行の計画を進めていたさなか、三月二日のことであった。このことについて一度、せめて一度、安井先生から直接にお話しをうかがいたいという私たちの悲願も、遠い夢となった。残念なことであった。私たちはただ哀悼の意を捧げつつ、公民館の創設と地域平和運動・文化運動に大きな足跡を残された先生の意志を復元する努力を続けるほかはない。結果的に本資料集は、先生への追悼集ともなってしまった。」

 このあとに「東京の社会教育には“歴史”がない。歴史の事実そのものは、かけがえのない歩みとしてあるが、それが自覚的に記録された歴史がない。日本の社会教育史のなかでも大きな空白となっている」と続くのですが、それから25年、いまもなおその状況は変らない。
 実は本号(近藤恵美子さんの訪中報告)は、“桃の節句”に出すつもりでしたが、故安井先生を偲びつつ、3月2日の日付で送信いたします。


■(16)心意気こそ!
       *「南の風」1429号(2005年3月4日)
 3月2日夜の原水禁運動(安井家)資料研究会は、にぎやかにスタートしました。1930年代生まれの世代から80年代生まれの若者たちまで10人。半世紀にわたる年の違いをこえて、同じ課題をともに語りあうというのは楽しいことです。
 竹峰誠一郎さん(和光大学卒、早稲田大学・院、『ヒバクの島マーシャルの証言』著者)より「ビキニから杉並アピールへ:1954年という時代を探る」、小林ぶんじんは「原水禁運動と安井郁」について、石川敬史さん(和光大学から図書館情報大学・院へ、現在は工学院大学図書館)は「安井資料のデーターベース化」を中心に、それぞれの報告を出しあい、今後の作業の進め方を相談しました。
 経費的な条件をまったくもたない集団ですが、いささかの経験とそれぞれの知識をもちより、なによりも課題に取り組む心意気はともに旺盛、いい論議ができました。終わって高井戸駅前の(久しぶりの)レストランでビールと遅い食事。
 一夜あけて3日の日誌。風邪気味で欠席された安井節子さんに電話で報告、杉並区教育委員会の心ある人たちに協力要請、江頭晃子さんと打ち合わせ。この研究会の事務局長をお願いした竹峰君から相次いでメール着信。13日の安井家訪問には、ある新聞記者の取材希望が寄せられたとか。安井さんにもお話しておきました。
 安井郁先生には『永劫の断片』(1977、短歌新聞社)という歌集があります。頁をめくりつつ、思わず拙歌二つ。
 ◇党派こえ反核の道説きし人の足跡偲ぶ命日の夜に
 ◇“永劫の断片”とふその生の凝縮の文繰り返し読む


■(17) ひそかな実験
      *「南の風」1434号(2005年3月13日)
 原水爆運動(安井家)資料整理をどうすすめるか、ここ1両日はさかんにメールが飛び交い、整理の枠組や項目を確定する作業がすすめられました。明日(13日)の安井家訪問には、手持ちのノート型パソコンを各自持ち込んで、資料データーベース化に向けての挑戦を試みます。
 幸いに石川敬史さん(工学院大学図書館、和光大学講師)は図書館情報学の専門ですから、わたしたちは大船に乗った気分。しかしひそかに、素人の集団が自分たちのパソコンとエクセルを駆使して、どれだけ専門的な作業をすすめることができるか、一つの実験をしているような気持があります。
 もともとデーターベースといえば、情報の基地の意。大型コンピューター時代では、とても素人には及びもつかない次元のことでした。しかし誰でもが(意志があれば)パソコンで気軽にエクセルなどの“すぐれもの”を利用できるような時代になりました。これまでにない世界が開けてきたのではないか、素人も智恵と情熱があれば、かなりのことができる、雑然たる資料がデーターベースとして体系化されることによって光輝く価値を再発見することができる、その可能性を追求してみようというわけです。
 課題は単に安井資料のデーターベース化だけではありません。たとえば地域の市民運動や社会教育の実践などの領域を考えても、かけがえのない貴重資料が蓄積されてきている。しかし、さまざまの事実が存在していても存在するだけでは貴重な価値が見えてこない、そのうちあえなく見捨てられ廃棄されていく、そういう現実も否定できません。
 素人でも、必要なネットワークを組み、どんな手順で、どんな枠組や項目で、必要な作業をすすめていくか、これからの挑戦、そして一つの実験でもあります。どういう成果を生み出せるか。まずは(ときに悲観的にもなりましょうが)、楽観的に、面白く取り組んでみたいもの。
 これから関心ある方々のお知恵も拝借したく、やや煩瑣になりますが、安井資料研究の経過資料などご紹介(別記)した次第です。


■(18)安井田鶴子さんの思い出
          *南の風第1435号(2005年3月16日)
 3月13日、原水禁運動(安井家)資料研究会は、荻窪駅で待ち合わせ、歩いて約10分、安井家を訪問しました。そこで安井田鶴子さんが亡くなられたことを知りました。2月14日、享年91歳。ショックでした。
 竹峰誠一郎君を紹介し、一緒に資料を下見して整理作業の進め方など相談するため、安井家に伺ったのはたしか1月28日。そのわずか2週間後のことだったのです。まわりにあまりお知らせされなかったそうで、私たちも存じあげませんでした。いつも安井先生の写真が飾ってある応接室に、田鶴子さんのご遺骨と遺影が安置されていて、一同9名でご冥福を祈りました。
 安井先生が亡くなられた1980年3月前後、ちょうど「杉並公民館を存続させる会」で『歴史の大河は流れ続ける』編集を開始した頃でした。このとき私たちは先生の訃報に接しました。今回も安井家資料の調査整理を始めたばかり、不思議な一致だなと思いながらお線香をあげました。
 『歴史の大河は流れ続ける』編集作業は、東京学芸大学社会教育研究室とくに園田(平井)教子さんの役割もありましたが、何よりも安井田鶴子さんの存在なしには語れません。1号から4号までに収録されている杉並公民館や原水禁運動の貴重な資料は、安井家所蔵の資料から田鶴子さんが持参されたものが少なくありません。
 いい「解説」も書いておられます。たとえば「民主社会の基礎工事」として社会教育を位置づけた安井郁論文について。「故安井郁の書き残したものの中にこの『特別区の社会教育』の原稿はあった。古びて色の変わった、所々汚れた四百字詰の原稿用紙十七枚に、最初の方はペンで、そして終わりの方は鉛筆で書かれている。(以下略)」など(第2号7頁)。安井郁先生が亡くなられて丁度1年を経過した頃の一文です。
 この日、帰宅して古いアルバムをめくってみました。1980年夏の懐かしい写真が出てきました。安井田鶴子さんを中心に「存続させる会」代表の伊藤明美さんや園田教子さん、それにちょうど50歳の若いぶんじんなど。コピーして次回の研究会にもっていきましょう。
 TOAFAEC ホームページ(古いアルバム)に当日(3月13日)の写真4葉などをアップしました。→■

○古いアルバム−1980年夏・杉並公民館を存続させる会「歴史の大河は流れ続ける」編集会議
  左より園田教子、川添れい、安井田鶴子、大塚利曽子、伊藤明美(代表)の皆さん(撮影・小林)
○関連写真(古いアルバム)杉並区立公民館閉館行事の日、安井田鶴子さん・ぶんじん、ほか
                                     

■(19)4月・安井家資料整理−ご報告
    *南の風第1462号(2005年5月7日)竹峰誠一郎
 昨日(4月30日)は、ぶんじん先生はおやすみでしたが、以下の7名が参加し、わいわいがやがやしながら、着々と(?)進めました。パソコンの台数が限られていたので、ファイル綴じになっていた原水禁関連の資料(原水協通信など)分類を主に進めました。
 参加者(敬称略):安井節子、石川敬史、江頭晃子、稲富和美、安藤裕子、篠原史生、竹峰誠一郎
 また15:00の休憩時間の頃に、杉並の社会教育・市民運動の記録づくりを進めようとしている方2名も、「整理の方法を知りたい」とこられました。たいやきご馳走さまです。
 次回は5月22日(日)13:00〜を予定しております。安井節子さんは、14:00から別件で抜けられます。ご主人がお留守でしたら鍵を最後に閉めて帰ることになります。この件について、安井節子さんと話しましたが、もし22日で参加できない方が多い場合は変更も検討しますが、今のところ当初の予定どおり22日でおこなうことになりました。ノートパソコンをお持ちの方はご持参ください。また、ポストイット(大・小)があれば助かります。
 終わったあと、石川君と帰路、助成金のことを話しました。いま、市民にも開かれた実践や運動を呼び起こす力になるような研究活動を奨励している「トヨタ財団」が研究助成を募集しています。
 http://www.toyotafound.or.jp/docs/docsken/jkenyoko.htm。
 5月20日締切りです。皆さま、申請してみませんか?この安井家所蔵資料整理にとりくんでいるメンバーによる共同研究、あるいは有志の共同研究という形を考えております。もちろん申請しても10倍、20倍…というものですが、やらなければ何も始まらないと思いますし、いかがでしょうか。


■(20)杉並・安井家所蔵 原水爆禁止運動関係資料の共同研究(企画)
      *南の風第1470〜71号(2005年5月23〜24日)竹峰誠一郎
 1955年、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催されてから今年でちょうど半世紀が経過した。原水爆禁止運動は、1954年3月1日、第五福竜丸が被災した、ビキニの水爆実験を発火点に全国的に広がった。東京の杉並は、この「原水爆禁止運動の発祥の地」と呼ばれている。
 それは1954年5月9日、「あらゆる立場の人びとを結び」「全日本国民の署名運動で原水爆禁止を全世界に訴えましょう」との杉並アピールに由来する。実際アピールの内容を体現し、杉並公民館が署名集約の全国の窓口となり、かつ全国的に誇れる「子どもたち以外の全区民が署名運動に参加するような」(岩垂弘『「核」に立ち向かった人びと』日本図書センター、2005年、32頁)運動を、杉並はうみだしていった。
 杉並アピールを起草し、その後の杉並の署名運動の先頭に立ったのは、国際法学者であり、当時、杉並公民館館長の職にあった安井郁であった。安井はその後、日本原水協の初代理事長となり、まさに原水爆禁止運動の顔となった。しかしその後の原水禁運動の分裂のなかで、安井は統一に疾走するも力及ばす、1963年3月に辞任するのであった。
 また安井郁と共に、本研究で注目したい人がいる。それは郁の妻、田鶴子である。田鶴子は、これまで郁の影に隠れ、あまり脚光を浴びることはなかったが、杉並の原水禁運動のなかで彼女の果たした役割も実に大きかったのではと、私たちは注目している。田鶴子は、原水禁運動に即座に立ち上がった「杉並の主婦」の象徴とされる、公民館の学習サークル「杉の子会」の中心メンバーでもあった。
 安井郁・田鶴子は、まさに杉並、いや日本の原水禁運動のキーパーソンであった。しかしこの両人は既に故人となられ、所蔵していた原水禁運動関連資料は、活用されずに眠っている。安井家に所蔵されていた原水禁運動関連資料は、1980年代に一度、本共同研究の顧問を務める小林文人等(杉並公民館を存続させる会)により、断片的に、収集され、まとめられたことがあった。
 その成果は、『歴史の大河は流れ続ける(4)杉並公民館の歴史―原水爆禁止署名運動の関連資料集』として、冊子体となって自費出版された。
 しかしその後、本格的な資料整理や分析には着手されず、貴重な資料は、ほとんど公開されずに今日に至っている。安井家所蔵の原水禁関連資料の全体像は、誰にもつかめていない。
 こうしたなかで、安井家に所蔵されている原水禁関連資料の整理と分析に取り組み、安井家原水禁資料を世によみがえらせようと、本研究は構想された。具体的には、1)原水禁運動ひいては市民運動に関する資料を保有したり、あるいは収集し公開したりしている諸団体・諸機関の調査にとりくむ。そして2)この調査を活かしながら、安井家所蔵の原水禁関連資料を整理し、公開していく。3)整理した資料の分析をおこない、安井の関わった杉並を中心とする原水禁運動の実証研究を進めていく。
 本研究は、研究に不可欠な一次資料を提供し、その性格も明らかにしようとするもので、原水爆禁止運動研究の礎となるものであろう。さらに本研究は、市民活動の足跡をいかにして後世に残していくのか、そのノウハウと知識が蓄積される、実践的な場ともなろう。
 本研究は、半世紀前の資料整理と分析ではあるが、それは過去のノスタルジーに浸るものでは決してない。あらゆる立場の人びとを結ぼうとした原水禁運動の誕生の理念を現在に生かし、どんな角度からでも関心をもつ人びとに、学歴や思想信条、あるいは年令の別を問わず、開かれた形で、本研究は進めていく。実際今も、多彩なバックグランドをもつ、若い世代を中心にした20代から70代までが集っている。第1回原水禁世界大会から50年目の今年、本研究を通じて、現在は分裂したり、なじみがうすくなっている原水禁運動に若い世代が触れて、その価値を発見し、原水禁運動に関心をもつ新たなネットワークを生み出していきたい。


■(21)原水禁運動(安井家)資料整理・6月報告
      *南の風第1489号(2005年7月2日)稲富和美
 …(略)…
 6月26日、資料整理が行われました。気温が高く暑い中、参加なさった皆様お疲れ様でした。当日の活動内容等を報告いたします。
◇資料整理、書庫確認
 先日、私が作成した安井家の(資料のある場所を描いた)部分的な見取り図を参考に2時頃まで書庫内の確認を行い、その後3時過ぎまで資料整理。いつもどおり話をしながら進めました。
◇石川さんによる講義「データベースとは何か」3時過ぎ〜
 今回は、技術的な話を中心の講義でした。石川さんがレジュメを準備してきてくださって、データベースの歴史と種類、方法などについてお話していただきました。その後、議論が盛り上がり、次回以降に「市民にとってのデータベースとは何か?」「市民がデータベースを作ることの可能性と意味」等についても小林先生や江頭さんの御協力を得ながら話をしていただければ…という話題も上りました。
◇HP作成
 講義の後、HP作成についても話が盛り上がりました。作成は、安井節子さんが行うことになりそうです。HP作成の際には、画像情報として古い写真をデジタル化して載せてもいいという話もありました。
◇分類方法の変更
 詳しくは、石川さんより連絡が入るかとは思いますが、資料の中に今までの分類の中になかった「朝鮮関係の資料」や「ソ連関係の資料」が出てきたこともあり、変更点が出てきました。
 …(略)…
 これまでエクセルでデータ入力した分を、石川さんに送ってください。石川さんがそのデータ内容を確認、調整するそうです。
 …(略)…


■(22)7月整理作業に向けて(メール)
   −作業グループ・ML(Fri, 22 Jul 2005 01:00)より−
    *南の風第1501号(2005年7月22日)小林文人
 皆さん、お元気ですか。小林です。
7月24日は午前に別の用事あり、少し遅れます。お許し下さい。
皆さんで、それぞれ分担の作業を始めておいて下さい。
先回に引き続き、パソコンへの入力作業と平行しながら、
すこし学習会の時間をもちましょう。
ルソーが「農民のように働き、哲学者のように考える」と言った
ように、働くだけでなく、考えあいましょう。
先回の石川敬史報告「データベースとは何か」を受けるかたちで、
「市民にとってのデータベース」、そして「その可能性」を問う、
どんな課題、展望があるのか、などを考えていきたい。
まずは江頭晃子さんの、これまでの三多摩市民活動資料の取り組み
を背景として、なにか小さなコメントをお願いできませんか。
小生も、一つ、二つ、発言していきたい。
わずかな時間でいい、急がなくていい、考えあうことを重ねて
いければいい、と思います。
この間、石川君から「安井資料エクセル」について、こんなメール
が来ています。
 「今,みなさんのファイルを拝見しながら,分類の方法やエクセルへ
の記入方法について、マニュアルのような簡単な資料を作成しています。
次回の整理作業までには,MLでみなさんに流したいと考えております」
と。この説明をうけ、論議する時間も必要ですね。
今回は、この時間をしっかりもつことが重要か。そして「働く」時間
も必要だから、「市民にとってのデータベース、その可能性」を考えあ
う課題は、次回以降に(継続していくことに)なるかも。
暑い夏、皆さん、頑張りすぎないで、元気に参りましょう。
ワシントンDCの竹峰君、無事に帰ってきて下さい。  
                             

■(23)朝日新聞 2005年8月3日(夕刊)
 −原水禁の原点「杉の子会」を見直そう、母らの「反核」継ぐ動き、
   資料研究・旧会員聞き取り−  
 原水爆禁止世界大会が始まってこの夏で50年。きっかけは、公民館で読書会をしていた母親たちが、米国の水爆実験による第五福竜丸の被爆に危機感を抱いて始めた署名運動だった。読書会は「杉の子」会。日本の反核運動の原点を社会教育や女性史の視点から再評価する動きが出ている。(隅田佳孝) 
 東京都杉並区の安井節子さん(60)宅に7月24日、東京学芸大学名誉教授の小林文人さん(73)と司書や学生たちが集まった。 
 「原水禁運動資料研究会」の8回目の訪問調査。節子さんは、杉の子会のリーダーだった安井郁・元法政大学教授(故人)の長男の妻。
 小学校のPTA会長だった安井元教授は53年、PTAの母親約20人と公民館で読書会を始めた。会の名は、唱歌「お山の杉の子」から取った。
 54年、米国が南太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験をきっかけに母親たちと始めた署名運動は全国に広がり、55年、第1回原水禁世界大会が広島で開かれた。安井元教授は、原水爆禁止日本協議会(原水協)の初代理事長に就任した。
 安井元教授は80年に亡くなった。
 研究会は今年3月、発足。安井元教授が残した原稿や文書、書簡を概要とともにパソコンに入力して、データベースを作っている。
 小林さんは「原水禁運動はそもそも、市民の活動として始まった。公民館が中心になったのは、社会教育の観点からも貴重な歴史だ」と言う。
 杉並区の女性たちがつくる「地域女性史をつくる会」は、杉の子会の母親への聞き取りを98年に始め、冊子にまとめた。署名運動になじみがなく、拡声器もない時代。恥じらいながら街頭や町会で署名を呼びかけたことや、公民館に集まって署名を集計したなどを母親たちは口々に語った。
 「戦争を経験した母親たちが抱いた核廃絶への純粋な思いを風化させてはならないとの思いが強まった」と代表の小林五十鈴さん(67)は言う。
 原水禁運動は63年、ソ連の核実験などの評価を巡る路線対立から分裂。安井元教授は日本原水協の理事長を辞任した。間もなく杉の子会も活動に終止符を打った。
 会のメンバーだった杉並区の岩田阿喜子さん(94)は言う。
 「原点は核兵器は反対っていうこと、ただそれだけだったんです。政治がかかわってきて私たち素人にはわからなくなって。寂しいことです」

★<杉並・安井資料研究についての朝日記事>
    *南の風1511号 2005年8月11日 小林文人
 今年3月より継続してきた杉並の原水禁運動(安井家)資料研究会。朝日新聞(社会部)記者の隅田佳孝さんが取材に見えたのは、先月24日の安井家訪問調査でした。その前になんどか電話取材あり、安井家調査に同行したいとのこと、安井節子さんの意向も確かめて、隅田さんが当日現れたのでした。
 思いのほか若い。注目して読んだ「ノモンハン事変戦死者手帳」の記事(朝日7月24日)を書いた記者だと知りました。一応の取材を終え写真も撮って、「ゆっくりお話を聞きたいのですが・・・地震の取材にまわらねばなりません」(前日かに首都圏には強い地震あり)「残念です」と早めに帰られました。
 数日後にもいくつか追加取材の電話あり、2,3日中には掲載されるだろうとのこと。どんな記事になるか、心待ちに。ノモンハン記事のイメージあり、きっと朝刊だろうと毎朝の新聞を開いてきましたが、見当たらず。その後は、松本・福岡へ出かけて、旅先でも何度か朝日を確認、しかし記事はなく、その後、実は忘れていました。
 福岡から帰京して、溜まった新聞のうち、夕刊を拾い読みしていたところ(とくに連載・吉川昭「彰義隊」の続きを読みたくて)、大きな牛の写真が目に入りました。その横に「原水禁の原点」「杉の子会」などの活字あり。夕刊だったのです(8月3日、東京版)。
 牛の写真とは「マザー牧場」の存在感あふれる一枚。原水禁運動の記事は(写真もなく)、メス牛に圧倒されて、小さく見えたのはご愛嬌。


2006年
■(24) 平塚らいちょう賞
     *南の風1589号【2006年1月15日】
 「平塚らいちょう賞」が日本女子大学に新しく設けられ、その第1回奨励賞を丸浜江里子さんが受賞されたこと、まことにおめでとうございます。新春早々に飛びこんできたビッグニュース!
 しかも杉並・原水禁運動(安井家)資料研究をテーマにしての受賞ですから、私たち研究会としても、嬉しい限りです。丸浜さんは、昨年の2月頃から「南の風」に参加され、折りにふれてメールを頂いてきました。「杉並の教育を考えるみんなの会」事務局として活動されていますが、もともと中学校(社会科)の先生、退職されて明治大学・大学院へ。修士論文の研究テーマとして杉並の原水禁運動をとりあげられたのです。
 「らいちょう賞」選考委員会のコメントは次の通り。
 「半世紀前に、杉並の公民館に集う主婦たちが始めた水爆禁止署名運動の足跡をたどり掘りおこす研究は、膨大な資料の整理・記録・聞き取りという地道な努力と熱意を要する貴重な活動になる。当時と現代の人間の関係など、生の人間に目線がいけばおもしろい論文にまとまるし、評価の異なる市民活動を分析することによって、より客観的な成果も期待できる。今回は修士論文であり1年後の研究発表とともに、この研究をさらに継続・発展させ、その成果を社会に還元していかれるよう望む。」とのこと。
 このテーマは、岩本陽児さんを介して、和光大学・総合研究所でも研究プロジェクト事業として一定の評価を得ているようです。市民主導のささやかな研究活動が、こういうかたちで社会的に注目されていくことは、当事者の一人として励まされる思いです。
 いつもは控え目?な丸浜さん、今回のこと「風」にぜひ一文を。感想やこれからのことなど語っていただけれれば幸いです。

■(25) 安井郁「道」
     *南の風1601号【2006年2月7日】
 2月5日は安井家訪問調査(第15回)。原水禁運動−安井家資料研究会は、その後も月1〜2回のスケジュールで着実に動いてきました(→こちら■)。歩みが始まってほぼ1年。この日の参加は竹峰、丸浜、安藤、小林の4人と安井節子さん。データー入力を一休みして、収蔵資料・全体像の把握もしようというわけです。
 納戸の棚から隣の応接室へ、これまで未見の包みや箱を移して、新たな資料を開く作業を始めました。安井郁・田鶴子夫妻の写真の前での作業、印象的なひととき。いま応接室は足の踏み場もない状況です。
 おそらく安井先生ご自身が紐でくくられたであろう、生原稿の袋を開くときの緊張と感動。なかに「道」の袋がありました。先生は、とりわけこの言葉を愛されました。追悼の本も『道 安井郁 生の軌跡』と題されています(1983年、法政大学出版局)。
 この日に開いた「道」の袋は、生前に自ら刊行された文集(1967年)。端麗な字で書かれた原稿や写真、印刷者への指示など。文集の巻頭を飾っている「道はわが前にも後ろにも」の原稿も。その一節です。
 「…道を求めるという古めかしい言葉を、真実を求めるという言葉におきかえてもさしつかえない。専攻の学問と教育の分野のみならず、信仰の分野でも、文学・音楽など芸術の分野でも、そして原水爆禁止運動を中心とする国民運動の分野でも、私はひたすら何が真の道であるかを求めて遍歴しつつ、しばしばつまずいて倒れ、傷つきながらも、また立ちあがって歩みつづけた。…」
 「あとがき」によれば、個人雑誌をつくろうという夢をもっておられたようです。還暦を記念して、その夢を実行に移そうかと考えたとき、「狭い門からはいれ」という内面の声を聴き、このような文集(16頁)のかたちで出すことにしたと。質のたかい、味わい深い「道」です。
 

  安井郁先生(安井家書斎、2003年8月5日)


■(26) 杉並「記録する会」
     *南の風1625号【2006年3月30日】
 杉並の公民館(1953年開館、1989年閉館、現「社会教育センター・セシオン杉並」)の50年を記念して、2003年にはいくつもの事業が企画され、記録が綴られました。すべて市民企画。その経過はTOAFAEC ホームページ「杉並」サイトに収録しています。
 それから約3年が経過しました。早いものです。この間、いくつかの活動が活発に動いています。一つは、原水禁運動(安井家)資料研究会。ほぼ毎月定例の安井家訪問調査、3月26日(日)がちょうど定例日でした。本格的な作業を始めて、ほぼ1年。この1年の取り組みの記録をつくることになりました。
 いつも午後1時半過ぎから作業を始め、5時頃まで。当日の参加者は5名。資料整理やデーターベース化へ向けての入力作業の合間に、安井節子さん心づくしのお茶の時間があり、いろんな話に花が咲きます。先月は映画「三池」の監督・熊谷博子さんが来訪され、ドキュメント映画づくりの貴重な話。今月は納戸のアルバムを初めて開き、安井夫妻の昔日の面影に接して、その当時に思いを馳せました。帰路は常連で荻窪駅前の店でビールを楽しむ習わし。
 あと一つは、「杉並の市民活動と社会教育を記録する会」の活動。今日(29日)は、その3月例会日でした。安井家訪問調査はほとんど休みませんが、「記録する会」の方は、当方のスケジュールと合わないことが多く、最近はほとんど休みがち。敷居が高くなっていたところに「記録づくり編集作業の最終段階です、お出で下さい」とお誘いの電話がかかっていたのです。皆さんはお弁当持参の作業。これこそ「市民活動」そのもの。頭が下がります。
 戦後史とは言え、すでに60年。貴重な歴史が記録されること疑いなし。本来は区史編纂の公的な体制が動くべきなのに・・・と、行政への失望を感じつつ、他方で市民エネルギーへの大きな期待を実感させられるひとときでした。


■(27)「小さな扇」のさわやかな風
     *南の風1635号【2006年4月18日】
 杉並・安井家資料研究会の4月日程は、二日続きの合宿で集中してやろうという提案があり、15〜16日の両日、安井家に通いました。荻窪の駅からお宅に向かう道、曲がり角の八重桜が実に見事。安井家の桜もまだ白く咲いていました。竹峰誠一郎さん(早大院)は西永福“風の部屋”に宿泊、ご苦労さま。
 これまでの資料データー入力作業からしばしはなれて、それぞれのテーマで資料を読んだり、スキャンしたり。いろんな話がはずんで・・・集中したようなしないような。ぶんじんは、この機会にいくつかのボックスに大事に保存されてきた生原稿すべてを通覧(といってもタイトルに眼を通すだけですが・・・)。
 本格的な論文から、新聞・雑誌への寄稿文、なによりも原水爆禁止運動関連の集会挨拶やメッセージ、あるいは結婚式の祝辞まで、手書きの生原稿がすべて残されています。なかに鉛筆書きもありますが、ほとんどが端正な字で清書されていて、驚くべきことです。
 著作構想(未完の三部作?)のための原稿等に混ざって、一篇の詩がありました。タイトルは「小さな扇(未定稿)」。かなり劣化した「法政大学」用箋7枚。安井節子さんにお願いして、コピーして頂きました。書き出しの部分と、最後の小節のみをご紹介いたしましょう。
    小さな扇(未定稿) 安井郁
    世界ではじめて
    原爆がおとされた都市―
    その廣島を私はおとずれた
         爆心地のちかくに建てられた
         ひろい公民館は
         市民でうずめつくされていた
         それは自分のからだをもって
         あるいは愛するものの身をとおして
         原爆の苦痛のきびしさを
          つぶさに知った人々であろうか
   その人々のかがやく瞳を
   じっと見つめながら
   私は語りはじめた
   一枚のメモも手にもたずに
     …(中略)…
        語りおえて席にかえった私の
        顔を 背を
        汗がとめどもなくながれた
        九月もすでになかばだというのに
   そのとき
   つぎのO博士の講演を
   熱心にノートをしていたひとりの婦人が
   自分の扇を
   私のところにとどけてくれた
       小さな扇―
       そのおくるさわやかな風のなかで
       私はあかるく考えつづけた
       平和をもとめる人々を
       結びあわせるつよい力を」
 このあとに「1953年9月16日、東京にむかう急行列車『雲仙』にて」と記されていました。当時、安井郁(法政大学教授)はまだ杉並公民館長ではなく、第五福竜丸ビキニ被爆(1954年3月1日)から胎動する原水禁運動もまだ未発のころ。この日付に興味をそそられました。あたかも原水協理事長(1955年9月)を思わせる詩作そのもの。夜行列車にゆられながら、「平和」へ「結びあわせる力」を予見していたような安井郁の当時を偲びました。


■(28) 吉田嘉清氏を囲む−原水禁運動(安井家)資料研究会
     *南の風1671号【2006年6月26日】
 6月25日(日)の研究会は、同じ杉並にお住まいの吉田嘉清さんをお招きして、貴重なお話を聞きました。吉田さんは、1950年・反レッドパージ闘争を早大全学委員長として闘い、1954年以降は原水爆禁止運動に参加。1955年の日本原水協結成とともに事務局常任、1964年に同事務局長、1975年には副理事長、1983年代表幹事などを歴任、現在もお元気に「平和事務所」代表をされています。
 さきほど届いた竹峰誠一郎さん(早稲田大学・院)のメール。
 「…本日は80歳を迎えた吉田嘉清さんの泉のようにあふれ出すお話に感嘆させられること多々あり。縦横実に3〜4時間語っていただきました。まだまだ話したりないような印象。フルネイムで次々登場するお名前の数々、記憶力も抜群。人名辞典が欲しかった。途中から安井郁さん田鶴子さんの長女である渡辺侑子さんと夫の渡辺雅司さんも合流。実に豪華な学習会でした。この要約については、丸浜江里子さんから出される予定です。安井節子さんにはいろいろとお気遣いいただきました。
 …(以下略)…」(Mon, 26 Jun 2006 00:42)
 丸浜さんからのメール。「今日のお話し会、本当に充実していました。吉田嘉清さん、渡辺(安井)侑子さんから次々とすごいお話が出て、本当に驚きでした。…(略)… みなさま、お疲れ様でした。」(同01:29)
 研究会には久しぶりに本田雅和さん(朝日)も来会。故安井夫妻の遺影がみつめる部屋での吉田さんの証言はひときわ印象的なものがありました。多くの曲折をのりこえて、一筋に平和の道を歩んでこられた人生、このように元気に歩き続けたいと思いました。ちなみに吉田嘉清さんの本:「わが戦後行動−いま原水爆禁止は」(新興出版社、1981年)、「原水協で何がおこったか」(日中出版、1984年)など。
 後列左端・吉田嘉清さん−安井家応接室(20060622)



■(29) 安井家資料との出会い−研究会「ちらし」原稿より
     *南の風1673号【2006年6月29日】
 安井家資料との衝撃的な出会いは25年ほど前でした。安井郁先生は亡くなられていましたが、安井田鶴子さんが、亡夫の原水爆禁止運動や「杉の子会」等の原資料をしっかりと継承され、そこから「歴史の大河は流れ続ける」(1984年)などの記録も編集されました。それから四半世紀、安井家はこれら第一級の貴重資料を大事に保存されてきたのです。
 社会的な共有財産として:
 日本だけでなく国際的に拡がった原水爆反対の平和運動は、地域から胎動しました。杉並では母親たちの小さな読書会から始まり、旧杉並公民館が運動の拠点。その記録・資料が安井家の書庫に保存されてきました。これらは歴史と時代が生み出した社会的な共有財産です。世代と立場をこえて、その保存運動が市民運動として取り組まれ、整理・分析の共同作業が始まっています。
 世代から世代へ語り継ごう!
 歴史的な資料を復元するというのは、古い作業のように見えて、実は歴史を創造していく新しい運動だと思います。貴重な宝の山を、現代に甦らせ、とくに子どもや若者たち、若い世代に伝えていきたい。当時の人々が織りなした活動と資料を再発見し、いまの時代に語り継いでいきたい。保存されている豊富な写真なども活用して、たとえば「地域から平和を!」の躍動的な映像などを制作できないだろうかと夢見ています。


■(30) この1年・研究会報告書刊行
   *南の風1719号【2006年9月24日】

 9月23日(土)は、原水禁運動・安井資料研究会。この日、1年余をかけてきた活動の報告書(風1717号に既報)が出来上あがり、安井家に届いていました。約60ページの労作、私たちの活動記録や入力した安井家・資料目録等が収録されています。「杉並の市民活動と社会教育のあゆみ」(同記録する会編集)シリーズの別冊、杉並区教育委員会社会教育センター(セシオン杉並)発行というかたち。もちろん中間報告的なもの、不充分な部分もありますが、次の歩みへのステップとなること間違いなし。関心ある方があれば、若干お分けできる部数があるかも。
 安井資料研究会ホームページ更新作業のなかで、江頭晃子さんたちの「アンティ多摩」が手づくりでホームページを開設されたことを知りました。みんなでお祝いしましょう。ぜひ、南の風にご紹介下さい。


2007年
■(31) 2007年最初の安井家訪問調査
   *南の風1782号【2007年1月26日】

 昨夜25日は、今年最初の「原水禁運動(安井家)資料研究会」でした。東京杉並(荻窪)の安井家を訪問し、資料整理・調査活動が始まったのは2005年1月、早いもので、2年が経過したことになります。この間、毎月1回の定例会(学習会を含む)が継続されてきました。この日で通算29回目(ホームページに案内)。
 参加メンバーは、発足当初から振り返ってみると、多少の出入り?があるものの中心メンバーは変らず。竹峰誠一郎、石川敬史、丸浜江里子、江頭晃子、それに安井節子の皆さんとぶんじん。20代は別にして30代から70代まで各世代からの参加。若い世代を代表していた稲富和美さんはいま奈良に職を得て、毎月の定例会には参加できず。これに先回(昨年12月)から、岩本陽児、古市直子夫妻が加わっていただき賑やかになりました。
 作業は遅々として進まず、しかしゆっくりと継続されてきました。1時半から5時頃まで、途中で安井節子さん心づくしのお茶の時間。終ったあとは、荻窪駅前でしばしビールのひととき。折々にいろんな話をしてきました。この作業からなにが生まれてくるのか。
 もちろん安井家資料の掘り起こしが第一の課題ですが、それを通していろんな成果が顔を出してくるに違いないと思っています。ぶんじんは、正月の初夢にも出てきた「市民運動資料のデータベース化」と「戦後初期社会教育資料の発掘と全国ネットづくり」への構想を温めているところ。「平塚らいちょう賞」を受賞された丸浜さんは、安井家資料研究を核にして「なぜ杉並に原水禁運動が拡がったのか−社会教育と女性に注目して」論文がまとめられました。まだ拝見していませんが、力作!間違いなし。TOAFAEC 研究会にもご紹介いただきたいとお願いして別れました(3月予定)。
安井家訪問調査(2006年12月17日、江頭晃子・撮影)



■(32)「杉並の市民活動と社会教育のあゆみ」第2号を刊行
        *南の風1927号(2007年10月9日)ぶんじん
 この8月、「杉並の市民活動と社会教育のあゆみ」第2号が発刊されました。市民の手になる「同・記録する会」の刊行物。発行は教育委員会(社会教育センター)となっていますが、編集はまったくの市民パワーによるもの。拍手!
 杉並では、かっての「公民館を存続させる」市民運動の取り組みのなかから、「歴史の大河は流れ続ける」全4冊(1980〜1984)の記録がつくられました。しかし現物は、今ほとんど見ることが出来ません。多分1999年だったと思いますが、杉並区社会教育委員の会議(議長・ぶんじん)が、原水爆反対署名運動や公民館の活動など他に例をみない歩みを含めて、社会教育の歴史を綴る必要を公式に提言しています。それに応える当局の動きが見られないまま、市民有志により、地域の社会教育・市民活動を記録する活動が胎動してきたという流れです。
 杉並区立公民館が開館(1953年、その後1989年に社会教育センターへ発展的に移行)して50年記念の年(2003年)に、連続講座が企画され、「社会教育博覧会」という名の展示会や、「学びて生きる−杉並区立公民館50年」(資料編)が刊行されました。これをステップにに杉並「記録する会」は、開設した講座の記録化に重ねて、「杉並の市民活動と社会教育のあゆみ」第1号(2006年)、同別冊「原水禁運動(安井家)資料研究会報告書(2005〜2006)」、そして労作・第2号刊行へと歩みを続けてきたわけです。
 第1号は、女性の社会活動、市民が先駆けてきた福祉、自治会等の地域活動がテーマ(全34項目)、新刊の第2号は、社会教育とPTAをテーマ(全25項目)に編集されています。これらはすべて市民たち当事者による企画・執筆・編集です。再び拍手を!
 第2号をご希望の方は、ぶんじん宛ご一報を。今だとまだ入手できます。(送料など要実費)


2008年
■(33) 2008年4月・安井資料研究会
      −安井田鶴子さん「ひたすらに平和願えり母なるわれら」
        *南の風2016号【2008年4月21日】
 4月研究会(19日)に出席。3月の例会は、上海グループと沖縄に出かけて欠席。2ヶ月ぶりの参加。法政大学(旧)安井ゼミの甲山員司さん等も見えて、賑やかな会となりました。数えて第41回、よく続いています。
 これからのことを打ち合わせした残りの時間で、故安井田鶴子さん資料のダンボールを少し整理。雑誌・新聞のスクラップ資料に紛れこんで田鶴子さんの日誌も出てきました。1960年当時のもの。取り出して、安井節子さんにお渡ししておきました。
 この研究会は、もちろん安井郁(法政大学教授、兼・杉並区立公民館長、日本原水協初代理事長)資料の整理・データーベース化をめざして発足したものですが、連れ添った田鶴子さんの役割が大きかったことがだんだんと分かってきました。安井郁資料がすべて散逸せず保存されてきたことが田鶴子さんの大きな功績、同時に、田鶴子さん自身の資料も少なくないのです。
 会誌「杉の子」の最終号(第12号、1969年6月)に安井郁は「有終の美」を書いています。田鶴子さんについて、「杉の子会のしめくくりという…妻の意見に心から賛成」「杉の子は私と妻の生活の一部」「私と妻は杉の子とともに生きてきた…」などの一文あり。深い思いが印象的。ガリ版刷りのページをラブレターのような感じで読みました。
 安井田鶴子さんの『歌集・白き風船』(1986年刊)、そのなかに「杉の子」読書会を詠んだ歌もいくつか収められています。
◇「杉の子」と名づけて共にはげみつつ 原水爆禁止の署名集めぬ
◇ ささやかな力と知りつつひたすらに 平和願えり母なるわれら
 *参考:1980年当時の安井田鶴子さん(写真)→■(古いアルバム・杉並)


■(34)杉並の地域史運動
        *南の風2048号(2008年6月19日)ぶんじん
 東京・杉並の公民館史、その創設期において、日本の平和運動の歴史に重要な1ページを残したことはご存知の通り。「南の風」でも、HPにも、これまで不充分ながら、いくつか取り上げてきました。
 この5年、散逸し風化しがちな地域の社会教育・市民活動資料を記録する取り組みが重ねられてきました。その一つは、言うまでもなく、原水禁運動に関する安井家(故安井郁氏は杉並区立公民館の初代館長、日本原水協の初代理事長)資料研究会。ほぼ毎月1回の研究会、今月で第43回を数えます。
 あと一つ、その母体として「杉並の市民活動と社会教育を記録する会」があります。杉並公民館が誕生して50年、2003年に記念連続講座や「社会教育博覧会」等が開催され、公民館の歴史を記録した「学びて生きる−杉並区立公民館50年史(資料編)」、講座記録「時代に学ぶ地域活動」(2003年)、「“とき”を紡ぎ明日を紡ぐ」(2004年)等が刊行されてきました。さらに、「杉並の市民活動と社会教育のあゆみ」第1号(2006年)、第2号(2007年)が世に出て、いま第3号(2008年)の最終編集がすすんでいます。市民による取り組み、行政当局からの援助・支援はほとんどなし。
 収録されているテーマは、女性活動、地域福祉、町会・福祉、社会教育(17項目)、PTA,消費者運動、環境アセスメント、情報公開、環境ネット、スポーツ、図書館・文庫活動(予定を含む)など。すべて市民活動の記録、そして市民有志による執筆と編集作業。5年の歳月を重ねてきたことになります。
 安井研究会にはほぼ毎月出席、しかし「記録する会」には最近ご無沙汰が続き、数日前に“お叱り”のような、ラブコールのような電話を頂戴しました。18日午後のひととき、久しぶりに会場・杉並セシオンに出かけてきたところです。
 今後この杉並の地域史記録を1冊にまとめることが「記録する会」の夢。思い深ければきっと夢はふくらみ、求めれば必ず扉は開かれる、そんな話になりました。ご声援ください。


■(35)安井資料研究会−手書き原稿と「北富士・忍草」の笠
               *南の風2074号【2008年8月10日】
 8月8日、韓国生涯学習研究フォーラム(川崎・岡本太郎美術館)へ。この日は「岡本太郎が見た韓国」展が開かれていて、私たちの研究会も同美術館に会場を設定していただきました。「岡本太郎の感性を振動させた韓国」との出会い、あらためて岡本太郎を再発見した思い。
 9日は原水禁運動(安井家)資料研究会で荻窪の安井家へ。いつもの常連メンバーに加えて、「風」(前号)案内を見て、米山義盛さんが現れました。釜山への交流の旅にも突然登場した人。その軽ろやかなフットワークにあらためて敬服。暑い中、ご苦労さまでした。
 この日は長崎原爆の日。これに合わせるかのように、安井家書斎では原水爆禁止運動・貴重史料を手にとって見ることができて、不思議な感動を味わった1日でした。たとえば「原水爆禁止世界大会日本準備会」が結成され(1955年5月)、事務総長である「安井郁」の有名な「一般報告」が、手書き原稿として保存されていました。同年8月6日・広島の第1回世界大会を経て、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)へと展開していくのが9月。安井郁はその初代理事長に就任、当時は杉並区立公民館・館長の職にありました。
 1955年と言えば、この年は戦後平和運動・基地反対闘争にとって重要な年です。東京・砂川の基地拡張反対運動、沖縄の伊佐浜や伊江島の軍用地接収への抵抗、あるいは北富士米軍演習場反対闘争など。北富士では住民総決起大会に地元9ヶ村が参加し、農民たちが演習場に座り込み、それを無視して射撃演習が行われたところ。
 安井家の納戸の奥には、「北富士・忍草」と書かれた笠が大事にしまわれていました。埃をはらい窓際に出して写真を一枚(下掲)。安井家資料は、文書・記録資料類だけでなく、このような実物資料(たとえば旗、たすき、メガホン、署名簿、バッジなど)もまた貴重。私たちに余力があれば、これら現物の展示会をしたいものだ、など話が出ました。
 帰途は荻窪駅前で、安井節子さんにも加わっていただき、ビール。

1955年・原水爆禁止世界大会「一般報告」手書き原稿(安井家所蔵) −080809−



■(36)メガフォンと募金箱−安井資料研究会 
            南の風2092号【2008年9月12日】
 先日(7日)の杉並・原水禁運動(安井家資料)研究会では、写真をいくつか撮りました。ちょうど1ヶ月前の本欄に書いたように、安井家には文書記録だけではなく、旗、笠、たすき、署名簿、バッジなどの実物資料がいろいろ。私たちに余力やスペースがあれば、地域平和運動資料展(仮称)みたいな企画を考えたいほど。
 選んで2枚の画像をホームページにアップしてみました。1枚は「杉の子」会の皆さんが、原水爆反対署名運動などで使ったと思われるメガフォンとカンパ箱。ハンドマイクなどない時代の懐かしいメガフォン。それと蚊取り線香の箱などを活用して穴をあけ、「募金箱」と手書きされた箱。安井家物置に保存さていたものです。画像として再び日の目にあてることになりますし、いま企画中の2007年度・報告集「ひたすらに平和願えり」(仮題)にも採録できると考えてのことです。
 あと1枚は、安井家の玄関脇に飾られている版画「杉並公民館」1989年、M,Yoshinoさん作。かっての木造・杉並公民館を知るものには思い出いっぱいの風景です。「1989年・取り壊された(原水禁運動発祥の地)東京都杉並区立公民館」と添え書きがあります。たまたま同じ年に撮影していた杉並公民館の実画像と並べて、TOAFAEC 「古いアルバム」→■に載せてみました。ご覧いただければ幸いです。-080907-



■(37)「杉並公民館と安井先生」 南の風2113号 2008年10月21日
 風・前号で書きかけた安井(原水禁運動)資料研究会の午後(10月18日)。安井郁の丹念な記録ノートに挿入されていた1枚のメモ。前後の綴りからみて1964年のものです。安井郁は、原水協運動の厳しい路線対立のなか、創設以来の日本原水協・理事長を辞任(1963年)しますが、ちょうどその翌年ということになります。誰か(おそらく女性)が書いて渡した小さな紙きれ、無署名です。
○杉並公民館と安井先生
   公民館の和室に先生はぴったりしている
   ベージュの壁を背にして
   濃い茶の着物を召して
   すわっていらっしゃる
   そのめがねの奥の
   まろやかな顔
   テーブルの上のあわいバラの花
   先生には公民館の和室がよい…
 当時まだ存続していた女性たちの学習会「杉の子会」の一こまか、と想像したくなります。かっての第五福竜丸ビキニ被爆の際、原水爆反対署名運動に立ち上がった公民館グループです。
 国際法学者、反核・平和運動のリーダー、安井郁は 1953年から1959年まで杉並公民館の館長(法政大学教授・兼任)でした。「歴史の大河は流れ続ける」連続教養講座など、刮目すべき公民館の取り組み。私たちは、杉並公民館「安井構想」と呼んできました。「寺中構想」とはまた別のユニークな公民館の展開がありました。
 日本公民館史は、このような各地の公民館構想とそれを担ってきた群像によって創り出された“大河”の流れ。


2009年
■(38)安井研究会・50回、報告書第3号「ひたすらに平和願えり」
                      南の風2159号 2009年1月29日
 折にふれてご案内を載せている「原水禁運動(安井家)資料研究会」、1月24日の例会は第49回を数えました。次回は第50回を迎えることになります。ちょうど満4年でもあり、何か記念の集いにしてはどうか、という話が出ています。
 安井研究会は、これまでも数回、TOAFAEC 研究会と合同で開いたことがあります。ちなみに2月のTOAFAEC 定例研究会は2月25日(水曜)の予定。この日に、地域からの平和運動、日本の原水禁運動を担ってきた安井郁・田鶴子夫妻の歳月、安井家に所蔵されてきた貴重資料が問いかけるもの、といったテーマで合同研究会を開く企画が始まっています。皆さんお楽しみに。
 安井夫妻はともに歌を詠まれました。それぞれに「永劫の断片」(郁、1977)、「白き風船」(田鶴子、1986年)の歌集が遺されています。田鶴子さんの一首、「ささやかな力と知りつつひたすらに平和願へり母なるわれら」から思いをいただいて、『ひたすらに平和願えり』のタイトルによる研究会この一年の報告書をいま編集中。2月25日の研究会当日に間に合えばいいのですが・・・。

■(39) 50年余の水脈、新たな流れ 南の風2163号 2009年2月5日
 風2159号に「ひたすらに平和願えり」と題して報告書第3号を作成中であること、原水禁運動(安井家)資料研究会がこのほど第50回を迎えることを、書きました。よくぞ続いてきたものです。杉並の地で、女性たちの原水爆禁止署名運動が胎動し(1954年)、その後も公民館を活動の拠点として、「地域からの平和運動」(杉の子会など)、さまざまの学習・文化、市民活動が繰り広げられてきました。安井資料研究会もその水脈のなかで生まれ、新たな流れをつくってきたのです。
 地域の社会教育の歩みは貴重な地域史であるにもかかわらず、いつも細々とした流れ、うっかりすると水脈も消えてしまいがちです。2003年の夏、杉並では「社会教育を記録する会」が結成されました。杉並区立公民館創設50年の記念行事を市民企画で取り組み、資料や証言を集めて記録第1集「学びて生きる−杉並公民館50年」が刊行されました。
 そのモデルとなったのは『おきなわの社会教育−自治・文化・地域おこし』(2002年)でした。こんな本を杉並でもつくろう、という話が盛りあがったことを記憶しています。まず手づくりで、「杉並の市民活動と社会教育の歩み」の第1号(2006年)、同第2号(2007年)が刊行されました。市民による15人余りの編集委員、ぶんじんもその一人。
 このほど(昨年12月)、その第3号(B5版、268頁)が見事に完成しました。ここに収録されている報告は、平和と社会教育、子どもと若者、図書館と文庫活動、文化とスポーツ、環境と消費者活動など計57本と詳細な年表。貴重な社会教育・市民活動の地域史です。明日6日、その刊行お祝いの会が(旧公民館の所在地に近い)荻窪で開かれます。

■(40) 心づくしのお茶の時間  南の風2167号 2009年2月13日
 さきほど、江頭晃子さんの締切通告に追われながら、原水禁運動・安井資料研究会の今年度報告(『ひたすらに平和願えり』風・2159号に既報)をやっと書き終えました。この種の作文は、ともすると形式的になりがちですが、思い切って(可能な範囲で)総括的なレポートづくりに挑戦。読み直す余裕もなく、拙劣な表現はそのままですが、その一節をご紹介しましょう。
 「…研究会はほぼ毎月1回、土曜日か日曜日の午後に行われることが多かった。各自がノートパソコンを持参する。とくにテーマや手順を細かく決めるのでなく、大まかな打ち合わせにより、参加者それぞれの関心を尊重して、自由な作業が始まる。資料の整理、分類、内容分析、整理マニュアルにそってのタイトルつけ、ナンバーリング、パソコンへの入力作業など。その間の雑談、ときに真面目な打ち合わせや討論、安井“節子さん心づくしのお茶”の時間、といった雰囲気で時間が過ぎていく。発会当初は、帰路に荻窪駅前で「ご苦労さん」のビールをよく飲んだことが思い出される。
 場所はすべて安井家、書斎そして(資料収蔵の)応接室や納戸・物置など。原資料はすべて安井家から持ち出さないことが原則だから、持ち帰っての宿題作業はなかった。パソコン入力の作業室(書斎)は、ときに大学の研究室のようであり、地域誌の編集室の雰囲気もあり、公民館の小学習室やパソコン教室のようであり、そして文字通り“茶の間”のようであった。…」
 来る2月25日のTOAFAEC 合同研究会(前号に案内)で第50回例会を迎えます。この日までに報告書は出来上がる見通しとのこと。

■(41)安井資料研究会・50回記念 南の風2173号 2009年2月26日
 …沖縄から帰って昨夜(25日)は、原水禁運動(安井家)資料研究会第50回記念の集い、TOAFAEC定例研究会(第148回)と合同で開きました。報告者4人、参加者も思いがけない方を含めて多数(30人ちかく)お出でいただき賑やかな夜となりました。用意したレジメ・資料も大慌てで増刷りしたほど。
 この日を目標に執筆・編集を進めてきた2008年版・安井資料研究会報告書『ひたすらに平和願えり』(風2159号に予告、B5版、70頁)も見事!間に合って、出来たてほやほやを手にしながらの研究会。…

■(42)原水禁運動(安井家)資料研究会・第50回記念  
     −安井家資料との出会い、安井田鶴子さんの回想など−
         (丸浜江里子、Sun, 01 Mar 2009 12:44)南の風2175号 2009年3月2日
 今年はビキニ水爆実験被災から55年、杉並での水爆禁止署名運動からも55年、2005年3月に始まった原水禁運動(安井家)資料研究会が50回目、さらに、安井郁さん(杉並区立公民館長、日本原水協初代理事長)のパートナーの田鶴子さんが亡くなった月(2005年2月)でもあり、「研究会50回記念−安井家資料との出会い、安井田鶴子さんの回想など−」の会を持ちました。
 2月25日当日の会場(杉並区高井戸地域区民センター、18:30〜21:00)には、28人が参加され、15人程用意した資料は、続々見える参加者で足りなくなり、金沢七友実さん、山口真理子さんに増刷の手間をおかけしました。ありがとうございました。
 参加者のうち15人が杉並区から、そのほか、川崎、横浜、柏と都外の方も参加されました。参加された方には、杉並で公民館活動をされてきた「杉並の社会教育と社会運動を記録する会」の皆様、戦後史研究の中村政則さん、女性史研究で「和の会」を主催する永原和子さん、女性史の加納実紀代さん、第五福竜丸展示館学芸員の安田和也さん、大学院で社会教育、平和問題を研究されている方々など、多彩な方が参加されました。
 安井研究会の皆様、とりわけ小林先生、江頭さんの奮闘で報告書『ひたすらに平和願えり』も完成し、安井節子さんがお宅から直送してくださり、印刷の香りもかぐわしい出来たばかりの本を手にすることができました。 内容・報告者は次の通りです。
1,安井家資料との出会いと経過 小林文人
2,「歴史の大河は流れ続ける」(1980〜1984)のこと 生野忠志
3,安井田鶴子の思い出 安井節子
4,杉並の水爆禁止署名運動研究に取組んでー安井田鶴子さんを中心に 丸浜江里子

 小林先生は刷り上がった本を手に、杉並公民館のこと、それが発展的継承という方向でセシオン杉並に移行したこと、『歴史の大河は流れ続ける』を発行したいきさつ、安井研の成り立ち、この資料整理にかける思い(『ひたすらに平和願えり』を是非見てください)を語りました。
 生野さんは「若かりし頃」と20年以上前の『歴史の大河は流れ続ける』の打ち合わせのこと、時には会議がうまく進まないときもあったが、安井田鶴子さんと大塚利曽子さんが毎回出席して原水禁署名運動を記録しておきたいという気持ちがひしひしと伝わってきたことなどを懐かしそうに語りました。
 安井節子さんは、田鶴子さんについて一緒に暮らしていなければわからないことを話してくれました。タンシチューなど洋食がお得意だったこと、でかけるときには帰ってからすぐ食べられるものを用意したこと、毎日の新聞を丹念に読み、切り抜きをスクラップ帳にまとめていたこと、第五福竜丸の保存を呼びかけた武藤宏一さんの投書にすぐ呼応して投書し、保存に向けて努力されたことも語りました。
 丸浜は修士論文「杉並区における水爆禁止署名運動の成立ー戦前・戦後の人々の結びつきに注目してー」の中から、戦後社旗教育と杉並区の社会教育の受容を行政と住民の面から見えること、さらに安井田鶴子さんについて田鶴子さんが通った神戸女学院の面から語りました。
 多彩な方々の多彩な論議は、現在の杉並はどうなっているのかも含めて広がりましたが、時間がなくなり、続きは場所を変えて,、11時近くまで続きました(駅ちかくの交流会)。
 今年は原水禁署名運動55年、引き続いて論議を深めてもよいのではないかとも思いながら散会しました。皆様、おつかれさまでした。

■(43)50年前に学び、50年後をめざす  南の風2175号 2009年3月2日
 3月1日を迎えました。朝鮮民衆の独立運動(1919年)から90年目の記念の日。私たちの「原水禁運動(安井家)資料研究会」第50回記念の例会報告が届きました(上掲)。当日(2月25日)に間に合った2008年版報告書『ひたすらに平和願えり』も力作。これまでに蓄積した「資料整理マニュアル」「資料目録」一覧に加えて、研究会メンバーによるレポートに読み応えあり。そのエッセンスをいくつかご紹介します。
 「…近年、インターネット上で共有される知的データベースのことが関係者の間で“コモン”と呼ばれることが増えてきた。安井資料の…世界史的コレクションが何らかの形で、人類共通の文化財としてアクセス可能な状態になることを願う。…」(岩本陽児)
 「杉並は原水禁運動の発祥の地なのか。…“発祥の地”だからと、安井家資料を説明するのは、ある意味簡単なことだ。しかしそこで思考を止めていいのだろうか。…」(竹峰誠一郎)
 「…1970年代に市民により地域文庫・家庭文庫が相次いで開設された。デジタルアーカイブについても、市民の立場・目線から、その意義や価値について本質的な問題提起ができないだろうか。」(石川敬史)
 「原水禁運動資料の整理作業はゆっくりと50年前の人々の思いや行動に習いながら、50年後の資料価値を創造しつつすすんでいる。ぜひご一緒ください。」(江頭晃子)など。
 『ひたすらに平和願えり』(B5版、70頁)の頒布価格はまだ確定していませんが、おそらく600円前後(送料別)か。ご希望の方はご一報を。

■安井資料研究会編「ひたすらに平和願えり」(2009年)
                −この1年・研究会の活動(小林)→■


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 2,杉並・社会教育を記録する会・経過記録  
  

2003年

■杉並の社会教育を記録する会(経過)

1,杉並区コミュニティカレッジ「時代に学ぶ地域活動」
  −歴史に学び伝えるもの−公民館から社会教育センターへ−
  3月12日(水)10:00〜12:00 荻窪体育館会議室
  (小林文人、石崎あつ子 他)

2,杉並公民館50年を祝う、今後のこと、話し合いの会
              −昼食会をかねて
  4月22日(火)12:00〜 すみれ家

3,杉並の社会教育の歴史編纂に向けて
  5月27日(火)13:30〜 杉並区産業商工会館
  杉並の社会教育を記録する会・構想
  代表:石崎あつ子、事務局:森内和子

4,「杉並の社会教育を記録する会」始動
   −旧杉並公民館の資料を読む
  6月18日(水)13:30〜 杉並区セシオン  

5,「杉並の社会教育を記録する会」の立ち上げ(7月7日)
 ・目的:社会教育、地域活動を記録し、次代につなぐ
 ・会員:目的に賛同し、活動する人・参加随意
 ・定例会:毎月第3月曜日(午後1時半〜)次回は7月22日(火)セシオン
 ・会代表:石垣あつ子(資料保存も兼務)、事務局・森内和子、顧問・小林文人
 ・年会費:1000円
 ・事業(2003年度)
 イ 連続講座
  1,公民館から巣立った市民たち パート1
  2,原水禁運動の拠点となった公民館
  3,公民館存続を訴える会「歴史の大河は流れつづける」全4冊を読む
  4,公民館を発展的に継承した社会教育センターは、いま
  5,プロゼクト「杉並の社会教育を記録する会」をさらに拡げよう
 ロ 11月に向けて 記念行事の検討、記録作成に向けて

6,杉並の社会教育を記録する会     
   −上記事業の検討      *杉並公民館に関する文献・資料
  7月22日(水)13:30〜 杉並区セシオン  

7,安井家訪問調査
  8月5日14:00〜17:30 8月13日14:00〜15:00
  安井家(杉並区・南荻窪)    

8,杉並の社会教育を記録する会
   ー第1号・編集会議ー   
  8月18日13:30〜16:30 杉並セシオン

 当日配布資料;杉並の社会教育を記録する(第1集)編集案
                 -2003年8月18日−(小林メモ)
  1),タイトル(案):「歴史の大河は流れ続ける・パートU」 *今後検討する
           「すぎなみの社会教育」第1号−杉並公民館のあゆみ
  2),編集:杉並の社会教育を記録する会 
  3),スケジュール:7月〜8月    資料収集、年表など作成
             8月5日、13日 安井家訪問・資料整理(高野さん)
             8月18日    編集会議
             8月〜9月 資料編集・整理、原稿作成
             9月末日     原稿締め切り
            11月1日    発行
  4),経費:   ・原稿の入力、コピー、編集、印刷、製本
           ・印刷部数、販価、販売部数
           ・カンパ?  
  5),役割分担:・編集長
           ・担当
  6),ねらい・編集方針:
      (1)杉並公民館50年を記念して埋もれた資料を発掘する
       (2)稀少資料を復刻・普及する
       (3)杉並公民館に関する文献資料リスト、年表をつくる
  7),構成案 ・歴史の大河は流れ続ける−目次、復刻資料(選定)
     ・安井資料−リスト(10分類) *1947〜1953 荻窪懇話会、桃友会
                         1967〜1968〜杉並講座、荻窪講座
     ・杉並公民館記念帖(教養講座・講師サイン)−コピー
     ・セシオン・公民館関係資料−リスト(中曽根聡氏)
     ・公民館(教養)講座−1975〜1988−記録、テープリスト、復刻資料
                             講座企画運営委員会、回想
     ・杉並公民館に関する文献・資料
     ・年表、
     ・解題
   8),体裁・頁数: B5版、  頁  

9,杉並の社会教育を記録する会
   −第1号・執筆分担の確認、調整
  9月9日13:30〜16:30 杉並セシオン

10,杉並の社会教育を記録する会
   −第1号・原稿(第1次)集約
  9月24日13:30〜16:30 杉並セシオン

 当日配布資料;杉並の社会教育を記録する(第1集)留意事項
      記録する会・第1号・編集メモ   −2003/09/24−小林
           −思いつくままに−
 1),書名(みんなで決める)
 2),まえがき、あとがき
 3),目次(開いてみたくなるように、頁数も、きちんと間違わないように)
 4),「記録する会」設立の経過、参加メンバー一覧
 5),分担・作業・執筆した部分には、担当者の名前を入れる
    名前はできるだけたくさん出た方がよい
    不充分なところ、補足・修正すべきところなど、逐次、補っていく
    ことを「まえがき」か「あとがき」に書いておく
    安井資料も、今後の作業に期待してほしい、ことを付記する
                  −第2号以降を刊行する意志
 6),たのしいページや囲み記事(こぼれ話)を入れる、カットや写真も
 7),表紙や裏表紙も、こだわる・・・たとえば旧公民館の画や写真?
 8),本来は読み合わせが必要。加筆・訂正する機会を設けることが
    出来ないか
 9),年表もみんなで一度目を通す
    「公民館を存続させる会」「歴史の大河は流れ続ける」など脱落?
 10),小林「研究文献・資料一覧」もチェックを
 11),「公民館講座」(第4期)等で作成された記録集リスト(第1次資料)
    を充実したものにする *はじめての記録化

11,編集会議−10月2日、10月15日、10月20日、21日

12,11月1日 「学びて生きるー杉並公民館50年(資料編)」刊行

13,11月10日 杉並公民館50年記念・展示会、座談会「公民館を語ろうよ」
  (セシオン杉並)日本公民館学会・研究会メンバー参加

 当日配布資料:杉並の社会教育・公民館50年の歩み    
               −「公民館を語ろうよ」 (2003/11/10)小林メモ
  1,時期区分−公民館の歩みから
       T. 1945〜1953 戦後初期・文化運動、PTA等(公民館設置前)
       U. 1954〜1962 杉並区立公民館・安井郁館長「公民教養講座」 
       V. 1963〜1972 移行期、講演と映画の会など
       W. 1973〜1988 市民企画「教養講座・公民館講座」、自主グループ
       X. 1989〜 現在 セシオン杉並       
  2,杉並公民館・安井構想  ・民衆教育(民衆とともに学ぶ)の基地としての公民館
                     ・国際的視野と社会科学の学習、『歴史の大河』の視点
                    ・地域へのまなざし、女性の学ぶ(「杉の子会」)
                    ・社会的運動への取り組み(原水爆禁止署名運動)
                    ・公民館と図書館の結びつき
  3,第W期・市民企画「講座」づくりの躍動
         ・「教養講座の生いたち」1972〜1973〜1975年
         ・文庫運動など「母親たち」と図書館・公民館との出会い
         ・市民主導の講座づくり、その積み重ね(15年)
         ・「公民館から巣立った」さまざまの市民グループの胎動
         ・多彩な取り組み(まつり、合宿、保育等)、記録の作成
         ・行政側の対応−市民企画の尊重と支援
    「継続性」と「計画性」の歩み
    公民館事業の“発達論”
  4,社会教育センター(セシオン杉並)への継承と発展の課題
  5,残された課題−杉並の社会教育を記録する−
      (1)第T期の地域文化運動、PTA活動の資料収集
      (2)第U期・安井家所蔵の資料整理
      (3)第V期・講演と映画の会、地域の教育文化運動(文庫運動)
      (4)第W期・市民主導「教養講座・公民館講座」の資料・証言
      (5)第X期への「継承」と「発展」


2004年

14,杉並の社会教育を記録する会、2004年第1回
 日時:1月20日13:30〜
 内容:『学びて生きる』合評、こんごの進め方、など
 会場:セシオン杉並

15,杉並の社会教育を記録する会、2004年第2回 2月20日12:00〜
   杉並の社会教育を記録する会、2004年第3回 3月24日12:00〜

16,TOAFAEC・2月定例研研究会「杉並の社会教育を記録する運動」対談メモ  
 (地頭所冨士子氏・小林、2004年2月27日、高井戸区民センター)
                        TOAFAEC 2月定例研究会 小林 文人
 <当日配布メモ>
(1),杉並公民館に関する主要文献・資料
 ・東京都公民館連絡協議会発行『東京の公民館30年誌ー基礎資料編』(1982年)
  東京都公民館連絡協議会発行『都公連公民館白書』(1988年)
 ・東京都教育史編纂事業『東京都教育史』(通史編四、東京都立教育研究所、1997年)
 ・杉並区立公民館発行『公民館の歴史をさぐる』、同『閉館記念行事』(1989年3月)
 ・杉並区立公民館を存続させる会編『歴史の大河は流れ続ける』1〜4、1980〜1984
 ・杉並区女性史編さんの会編『杉並の女性史』(ぎょうせい、2002年)
  地域女性史をつくる会編『杉の子読書会で学んだ女性たち』(会誌1号、2003年6月)
 ・園田教子「都市公民館論ー東京都杉並区公民館・安井構想について」1983年(学大)
 ・横山宏・小林文人編『公民館史資料集成』(エイデル研究所、1986年)
 ・小林文人「東京23区の公民館−資料解題」東京都立多摩社会教育会館発行『戦後に
  おける東京の社会教育のあゆみ』1(通巻10, 1997年)
 ・内田純一「地域社会教育施設のネットワーク」小林編『これからの公民館』(1999年)
 ・遠藤輝喜「大都市における公民館」社教学会特別年報『現代公民館の創造』(1999年)
 ・杉並の社会教育を記録する会編『学びて生きる−杉並公民館50年』(2003)*目次

(2),杉並公民館の歩み−時期区分
   T. 1945〜1953 戦後初期・文化運動、PTA等(公民館設置前)
   U. 1954〜1962 杉並区立公民館の開館、安井郁館長「公民教養講座」 
   V. 1963〜1972 移行期、講演と映画の会など
   W. 1973〜1988 市民企画「教養講座・公民館講座」、自主グループ
   X. 1989〜 現在 セシオン杉並       

(3),杉並・高井戸の図書館・文庫の歩み(略史)
  ・1950 杉並図書館−都から区へ移管
  ・1952 荻窪へ移転開館、安井郁館長就任
  ・1968 子ども図書館くがやま文庫、1971(高井戸)ムーミン文庫など 
    *「すぎなみ文庫の15年 ’77〜’92」(1993年)
  ・1972 (公民館)児童文学と読み聞かせの講演会、1973教養講座「子ども文化」〜、
  ・1977 杉並文庫連絡会の発足(加盟17団体)
  ・1982 杉並区立中央図書館・開館
  ・1983 高井戸地域区民センター・図書室

(4),社会教育における地域史運動
  自治体行政史だけでなく市民の団体(集落)の活動・実践・運動史
  みんなで書く(沖縄・字誌に学ぶ)
  東京の社会教育を“掘る”課題 − 過去・現在・未来を貫く視点

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17,杉並の社会教育を記録する会、2004年第3回 3月24日12:00〜
 ・『すぎなみの社会教育』(仮称)についての編集、どうすすめるか
  編集委員会の体制(PTA,福祉、環境、公害、消費者運動、青少年、文化、図書館、
     新生活運動、ユネスコ、公民館、婦団協(婦団連、杉女連)、スポーツ、行政、
     安井家資料、など)
  名称「社会教育」ではせまい、障害者関連、学校教育関連
 ・小林メモ(一歩を踏み出す、歩きながら、資金、行政とのかかわり、NPOへの取り組み
  を視野にいれる(歴史、講座、展示会、資料室構想等)、持続的な取り組みで1冊の本を。

18,2004年第4回 5月14日午後1時半〜4時 セシオン、市民の視点を
              毎月1回ぐらいの編集会議を、課題に即して話を聞く

19、第5回 6月16日午前10時〜12時 セシオン(予定)

20,その後、2004年後半(ほぼ毎月1回の例会)は欠席多く、記録も中断。(小林)

 8月から9月にかけて、会の正式名称は「杉並の市民活動と社会教育を記録する会」となり、規約も作られ、世話人は、代表・林美紀子、事務局・森内和子、会計・地頭所冨士子、記録・高野尤子、の皆さん。『杉並の市民活動と社会教育−1945年からの歩み』編集構成案が作成され、「あなたもご参加ください」などの呼びかけがおこなわれ、テーマ・領域ごとの執筆活動が始まる。
 2004年12月、記録する会の企画運営・編集による『“とき”を拓き、明日を紡ぐ−杉並公民館開館50周年記念事業の記録』が刊行された。
 
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 2005年

1、1月25日(火)11:00〜13:30 (セシオン杉並・団体交流室)
 各担当分野の報告、分冊発行について、執筆要項案の検討、など。

2,1月28日14:00〜16:30 安井家訪問:小林文人、竹峰誠一郎(早稲田大学・院)。
 原水禁運動資料を中心に資料調査と整理(データーベース化)の計画を協議する。

3,2月定例会(欠)

4,3月2日(水)18:30〜高井戸区民センター 安井資料学習会(10名参加)
 小林文人、竹峰誠一郎、吉松朋子、稲富和美、江頭晃子、山家利子、篠原史生、
 丸浜江里子、平川千宏、石川敬史
 
 当日配布資料(小林レジメ)
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   原水禁運動と安井郁                  −2005/03/02−
    −文献資料・解題−               (25年目の命日)小林ぶんじん
1,はじめに−この間の経過と資料
(1) 杉並区立公民館を存続させる会(1979〜1984)
   →『歴史の大河は流れ〜続ける』1(1980)、2(1981)、3(1982)、4(1984)
                    *公民館の歴史1,2,3 *原水爆禁止署名運動5
(2) 杉並の社会教育を記録する会(2003春〜2004秋)
     杉並の市民活動と社会教育を記録する会(2004秋〜)
     → 『学びて生きる−杉並区立公民館50年(資料編)』(2003年11月)年表    
     → 『時代に学ぶ地域活動』(2003)、『“とき”を拓き、明日を紡ぐ』(2004)
(3) 原水禁運動50年と安井家資料の研究・整理の課題
2,安井郁の生涯(略年表・別ページ→こちら)
   『民衆と平和』(1955、大月書店・新書版)
   『国際法学と弁証法』(1970、法政大学出版局)
   歌集『永劫の断片』(1977、短歌新聞社)
   『道−安井郁 生の軌跡−』(遺稿と追悼集、1983、法政大学出版局)
3,安井家(郁、田鶴子夫妻)資料の拡がり−整理案
 A,国際法学・学術論文
 B,戦後初期の地域活動、PTA運動    *『民衆と平和』p32〜
 C,杉並区立公民館・図書館         *『歴史の大河は・・』1,2,3,
 D,原水禁運動(1)1954〜1963(原水協理事長辞任まで) *『歴史の大河は・・』4,
 E,原水禁運動(2)1963〜1980
 F,「杉の子会」                  *「学びて生きる」pp24〜30(安井節子)
 G,関連論文、新聞記事
 H,道樹会(東京大学)、有朋会(法政大学)
 J,キリスト者
 K,歌人、作品
 L,書簡、ノート、日記
 M,その他
4,データーベース(提案、石川敬史)
5,これからの日程 3月13日(日)午後1時・JR荻窪駅(西荻窪寄り)改札
  4月以降
6,原水禁運動・文献(多数あり)
  岩垂弘『核兵器廃絶のうねりードキュメント原水禁運動』(連合出版、1982)
  日本平和委員会編『平和運動20年資料集』(大月書店、1969)ほか

5,3月13日(日)安井家訪問(13:00,JR荻窪集合) *経過・南の風第1434号(上記)

 安井資料データーベース化の項目案 →*その後修正・微調整
(1)主題(内容)別
 A.国際法学、学会関係
 B.戦後初期の地域活動・PTA運動
 C.杉並区公民館・図書館、社会教育
 D.原水禁運動(1)(1954〜1963)
 E.原水禁運動(2)(1964〜1980)
 F.杉の子会、諸団体(婦団協等)関連資料
 G 講座・講演・エッセイ
 H 法政大学等、大学関係  
 J.キリスト者
 K.歌人、音楽関係
 L 書簡、ノート、パスポート、日記等
 M.追悼、偲ぶ会
 N.その他
(2)種類別
 1,図書、パンフ・冊子類
 2、雑誌・雑誌論文・記事・抜刷等
 3,新聞・新聞記事
 4、公文書(役所、学校等への文書も)
 5,諸団体文書・通信・ニュース・記録
 6,名簿類・規程・会則
 7,ちらし、ビラ、ポスター等
 8,書簡・ハガキ(来信)
 9,直筆原稿、ノート、手紙、パスポート *「安井田鶴子」は特記
 10、アルバム・写真・フイルム
 11、その他
(3)整理項目
 1,資料番号
 2,タイトル、サブタイトル
 3,雑誌名、新聞名
 4,著者、編者、撮影者等
 5,発行者
 6,巻・号
 7,年月日
 8,ページ数、枚数
 9,注記              


安井家書斎にて(2005年3月13日、撮影:吉松朋子):写真移動



4,2005年3月以降〜
  安井家(原水爆禁止運動)資料研究会日程(別掲)→■

5,杉並の市民活動と社会教育を記録する会・定例会(毎月)→略



 2006年・活動記録 →■

<以下、小林出席>
1,2006年3月29日、会場:杉並セシオン
  杉並の市民活動と社会教育を記録する会
  第1次分冊(女性、福祉、まちづくり)記録づくり、最終編集作業

2,2006年7月12日、会場:杉セシオン
  杉並の市民活動と社会教育を記録する会
  『杉並の市民活動と社会教育のあゆみ』第1号・刊行、合評、今後のことなど

3.2006年9月1日
杉並の市民活動と社会教育の歩み
  −別冊・原水禁運動(安井家)資料研究会報告書− 2005〜2006年版
 編集:原水禁運動(安井家)資料研究会
 発行:杉並区教育委員会

<目次>
はじめに−原水禁運動(安井家)資料研究会のこの1年− 小林文人・・1
1.研究会の歩み
1.研究の意義と目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5
2.2005年の成果と2006年の研究計画・・・・・・・・・・・・・・・・7
3.研究会の記録(2005-2006年)・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9
2.資料整理の方法と目録
1.安井資料整理マニュアル(第8版)・・・・・・・・・・・・・ 15
2.書庫内概念図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21
3.安井郁・田鶴子資料目録(2006年7月末現在)・・・・・・・・ 22
  B.戦後初期の地域・PTA活動・・・・・・・・・・・・・・・・ 25
  C.杉並公民館・図書館・博物館・・・・・・・・・・・・・・・ 27
  D.原水禁運動(1) 1954-1963・・・・・・・・・・・・・・・・ 30
  F.杉の子会・婦団協など・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 43
3.この1年を振り返って
1.安井家と沖縄問題           小林文人・・・・・・ 48
2.偶然のめぐり合わせから        安井節子・・・・・・ 49
3.この1年を振り返って         丸浜江里子・・・・・ 50
4.安井家資料整理プロジェクトに参加して 安藤裕子・・・・・・ 51
5.安井家資料の整理・保存から      石川敬史・・・・・・ 53
4.研究会へのお誘い
  研究会紹介チラシ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 55
  主要メンバー紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 57
おわりに  安井節子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 58

2007年・2008年・2009年 - 安井家資料研究会
■安井資料研究会編「ひたすらに平和願えり」(2009年)
                −この1年・研究会の活動(小林)→■
                      -20090419−






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