【南の風】発行リスト・ぶんじん日誌 
   −801号(2002年1月12日)〜900号(2002年7月6日)−

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<目次一覧>
第801号【2002年 1月12日】イギリス訪問団、ジュネーブからの新年のご挨拶
第802号【2002年 1月14日】カイロからの風、韓国へ、雪国より、上海への便り
第803号【2002年 1月16日】都立図書館があぶない! 社会教育関連法研究会の始動
第804号【2002年 1月17日】大連より、エルギン・マーブル、沖縄関連のお願い
第805号【2002年 1月19日】やっぱりウイルス!旭丘高校・教研集会、研究会から帰る
第806号【2002年 1月20日】モンゴル「子どもたちの未来のために」、第71回研究会
第807号【2002年 1月22日】最終講義・囲む会のお知らせ、故横山さんの声が聞こえる
第808号【2002年 1月24日】上海・中日文人図書室は? 上海訪問計画、広州より
第809号【2002年 1月25日】文人図書室、堀之内より、九州大学コロキウム
第810号【2002年 1月27日】新空港は八重山総意?白保メー15、和光大学最終講義
第811号【2002年 1月30日】上海の本づくり、中国語教科書づくり、いい日旅立ち
第812号【2002年 2月 2日】非常勤職員として、中国(上海)訪問計画、名護への便り
第813号【2002年 2月 3日】ある高校の近況報告、上海・大連訪問の航空券など
第814号【2002年 2月 5日】梅の花10年ぶり、日本に里帰り、アドレス変更
第815号【2002年 2月 6日】江東区より自己紹介、石垣島より、春立ちぬ
第816号【2002年 2月 7日】(公民館の風第258号合併号)「囲む会」の記録
第817号【2002年 2月 8日】72回研究会、3月の中国行き、故福原実のサイト
第818号【2002年 2月10日】沖縄へ、大連短信(4)、市民活動の風 21
第819号【2002年 2月13日】東京観察日記(1)、「風を囲む会」の報告(続)
第820号【2002年 2月15日】エジプトと日本の研究交流、沖縄の本づくりin名護
第821号【2002年 2月17日】町立公民館の歩み、白保メール17、中国行日程変更
第822号【2002年 2月18日】2月TOAFAEC定例研究会報告、中国行きへの期待
第823号【2002年 2月20日】「ベトナムに行った」おはなし、福岡そして大分へ
第824号【2002年 2月22日】沖縄本づくり最終段階、名護からメール、原野火災
第825号【2002年 2月24日】組原慎子ちゃん、カール・マルクスのお墓
第826号【2002年 2月26日】ストへのご支援を! 朗報二つ、レディング通信90
第827号【2002年 2月28日】ウイルス来襲! 第1波スト中止、もうすぐ雛祭り
第828号【2002年 3月 3日】上海より呉メール、大連短信(5)、伊江島へ渡る
第829号【2002年 3月 5日】黄さん中国へ、中日教育研究関連情報、旅終わる
第830号【2002年 3月 7日】上海の日本訪問、閘北区への関心、名護の編集会議
第831号【2002年 3月 8日】日本からの上海訪問・中日文人図書室、沖縄の移民資料
第832号【2002年 3月 9日】上海の本づくり、大連より、ウミガメに選ばれた島(19)
第833号【2002年 3月10日】第73回研究会案内、モンゴルへ帰郷、東京観察日記4
第834号【2002年 3月12日】上海より訪日手続き、日本より上海訪問日程、大連より
第835号【2002年 3月13日】サービスコーナーのスト、中古パソコン、本の引っ越し
第836号【2002年 3月15日】3月定例研究会の出席、大連より、所蔵資料の棚卸し
第837号【2002年 3月18日】第73回研究会報告・韓国への関心、上海へのパソコン
第838号【2002年 3月20日】沖縄本の原稿、サクラサク! 白保メール(20)
第839号【2002年 3月21日】上海のホテル、中国の一人っ子政策、春にウグイス
第840号【2002年 3月23日】英国から引っ越し(レディング通信91)、中国・上海へ
第841号【2002年 3月25日】北海道より、南京大虐殺記念館へ、イギリス最終日
第842号【2002年 3日28日】最後のストライキ! 新海先生退官パーティー
第843号【2002年 3月30日】和光グループ無事帰国、旅のトラブル、サービスコーナー
第844号【2002年 4月 1日】第74回研究会案内、いよいよ四月、自由人となる
第845号【2002年 4月 3日】『研究』在庫、『活きる』、ジュネーブから、中国のデモ
第846号【2002年 4月 4日】上海訪問報告(1)、かわいそうな沖縄の川(白保22)
第847号【2002年 4月 6日】上海訪問報告(2)、5月訪日予定者一覧、新学期始まる
第848号【2002年 4月 7日】サービスコーナーの4月、いつでも泊まれる東京の宿
第849号【2002年 4月 9日】上海報告(3)上海の本づくり、先島「津波警報発令!」
第850号【2002年 4月11日】上海訪日団受け入れ準備、津波警報発令!(2)
第851号【2002年 4月12日】中日文人図書室その後、広州のレイシは今年豊作!
第852号【2002年 4月13日】上海へ書類発送、済美教育研究所へ、津波警報発令(3)
第853号【2002年 4月15日】裁判日程、広州より帰国、堀之内町より、津波警報(4)
第854号【2002年 4月16日】初メール、堀之内町より、5月訪日団の東京プログラム
第855号【2002年 4月18日】河南省・開封へ、近況・コーナー資料室のことなど
第856号【2002年 4月20日】上海の本づくり、沖縄の本づくり、正敏さんのパワー
第857号【2002年 4月21日】第74回研究会報告・正敏さん語る、滋賀より初参加
第858号【2002年 4月23日】TOAFAEC総会呼びかけ、中国出版集団、沖縄市長選
第859号【2002年 4月25日】上海・研究会計画について、緑の和光から、広州行き断念?
第860号【2002年 4月26日】沖縄の科研費、訪日について上海打合せ、沖縄ニュース3
第861号【2002年 4月28日】鶴川(和光大学)からのご挨拶、那覇からのメール
第862号【2002年 4月30日】ビザ書類の発送、白保メール24、4・28沖縄デー
第863号【2002年 5月 2日】上海への最終文書、沖縄本の最終レイアウト、沖縄遊学
第864号【2002年 5月 3日】韓国、そしてドイツ・アルトナーレ、五一・メーデー
第865号【2002年 5月 5日】ソウル・世界の文化政策シンポ、憲法記念日に・・
第866号【2002年 5月 7日】第75回研究会、ソウルから帰って、沖縄本・編集終了
第867号【2002年 5月 9日】上海図書館長の講演、小泉靖国参拝問題、サクランボ
第868号【2002年 5月11日】原風景を!TOAFAEC事務局会議、日韓宮中音楽演奏会
第869号【2002年 5月12日】上海領事館へのビザ申請、訪日スケジュール、滋賀の風
第870号【2002年 5月15日】上海訪日団滞在スケジュール案、滋賀・愛知川便り(2)
第871号【2002年 5月16日】赤い花,白い花bT、第7号編集会議、沖縄復帰30年
第872号【2002年 5月18日】上海からの連絡、沖縄プレ集会in川崎、台湾情報
第873号【2002年 5月20日】第75回研究会の報告、上海の受入れ、琉球舞踊
第874号【2002年 5月21日】エルパピリオンへ、ようこそ!012345
第875号【2002年 5月23日】上海情報、訪日団(東京・川崎)スケジュール
第876号【2002年 5月24日】上海訪日厳しい状況、緊急連絡、どうなるか!
第877号【2002年 5月25日】上海の訪日計画・中止! 沖縄の本つくり合同校正
第878号【2002年 5月27日】上海来日中止の波紋、不可解な新空港案・白保(26)
第879号【2002年 5月28日】TOAFAEC 総会呼びかけ、新参加、有事法制反対デモ
第880号【2002年 5月30日】上海訪日・今後のこと、置戸より、TOAFAEC 総会
第881号【2002年 6月 1日】日本領事館よりビザ! 六月集会、白保メール27
第882号【2002年 6月 2日】上海訪日第2次プランへ、TOAFAEC・総会について
第883号【2002年 6月 4日】上海訪日・新日程、小金井クラブ、社会教育との出会い
第884号【2002年 6月 5日】上海・航空券予約、ホテルさがし、沖縄本の校正作業
第885号【2002年 6月 7日】ドイツへ出発、沖縄本の校正作業、訪日団の東京宿泊
第886号【2002年 6月 8日】名護集会に向けてのキャラバン、私の復帰世30年
第887号【2002年 6月11日】ハンブルグ・アルトナ、沖縄本・秒読み、土の宿
第888号【2002年 6月13日】TOAFAEC 総会の案内、ドイツの旅だより(3)
第889号【2002年 6月14日】6月15日の総会、ドイツの旅だより(4)カッセル
第890号【2002年 6月16日】ドイツの旅だより5韓国からの通信、沖縄本の最終入稿
第891号【2002年 6月17日】ドイツ・韓国の旅・行動記録、沖縄からの話題二つ
第892号【2002年 6月19日】上海より第7号へ投稿、高校まちづくりシンポ、校正日程
第893号【2002年 6月21日】最後のゲラ読み作業、総会の記録、もうすぐ900号
第894号【2002年 6月24日】上海の観光希望、沖縄本の作業ようやく終わる!
第895号【2002年 6月26日】モンゴル旅行計画、久高島イザイホー再び中止
第896号【2002年 6月28日】梅雨明けの八重山、沖縄本の完成、21日は? 上海語
第897号【2002年 6月30日】900号間近か、沖縄本の特別頒価、中村メール開局
第898号【2002年 7月 2日】上海訪日団関連情報、メンバー・スケジュールなど
第899号【2002年 7月 4日】川崎の上海受入れ、東京の受入れ、八重山は台風
第900号【2002年 7月 6日】上海訪日団は川崎へ、モンゴルへの旅、沖縄本の注文


*(日誌)901号〜1000号

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  南の風・ぶんじん日誌(801号〜900号)

第802号:2002年1月14日
<上海のお二人へ>
 羅 李争 さま
 袁 允偉 さま
 新年好! 好久不見!
 昨年10月に上海を訪問してもう3ヶ月が過ぎました。皆さん、お元気ですか。2月になると春節はもうすぐ。春のたよりが聞こえはじめる季節が待ち遠しい。
 その後、小生の方も多忙をきわめ、失礼を重ねています。新社区大学「中日文人図書室」の今後の運営について、具体的にどう進めていくか、一度、皆さんと協議する機会をもちたいと思っています。昨年11月はじめ、お二人にメール(下記)を差し上げましたが、そのままになっていますので、出来れば先回のメールについてのご意向、ご返報をいただければ幸いです。
 それを頂戴した上で当方でも検討し、3月下旬か4月上旬に上海訪問の機会をつくりたいと考えています(2月上旬を考えていましたが、準備不十分のため延期)。皆さんのご都合はいかがでしょうか。
 小生だけでなく、若い学生を数名連れていくことも計画してみたいと考えています。上海行健職業学院の学生の皆さんと交流の機会にもなればと思うのですが、その場合、学生の宿舎などの便宜を計らっていただけるでしょうか。
 王鴻業校長や徐熾強書記など、皆様にどうぞよろしくお伝え下さい。
               *2001年11月1日のメールは省略
◆歌の工房
  −1月10日、生涯学習論・最後の授業−
◇四半世紀通いつめたる沖縄を語りて終われば拍手のありし
  −1月10日、大学の授業歴、今年最後の日−
◇ゼミ終わるこの日よりわれ「自由人」心たかぶり夜を眠らず

第804号:2002年1月17日
<沖縄の本づくりなど>
(1)沖縄の本づくり・編集会議の日程、小林平造氏へ:
 2月末あたりに原稿督促をかねて、沖縄本づくり編集会議を開く必要がありましょう。当方の日程を調整してみたところ、その週の土曜日など可能です(3月2日案)。夜だとすぐ飲みたくなるので、午後3時あたりから如何でしょう? 場所は名護(中央図書館)。正敏さんの都合も大丈夫のようです。いま電話で調整しました。これを第1案として、もし集まりが少ない場合、その前日の1日午後を第2案としましょう。小林平造氏のご都合は如何? 平良、中村両氏(もし可能ならば山城さんなど)とも連絡・調整していただけませんか。
(2)山城千秋さんへお願い:
 和光大・小林ゼミの二人(みやらび)が、今年4月から沖縄大学へ国内留学の希望をもち、1年間ちかく沖縄に住むことになりました。せっかくの機会、できれば楽しい地域に居を定めたい、と相談を受けました。即座に「浦添・内間」を候補にあげておきました。
 小さな部屋二つ、山城さんの人脈(あるいは棚原くんのツテ)で探していただけませんか。二人のうち一人(吉松朋子さん、和光1年)は、サンシンを稽古中。内間の青年会の皆さんにも紹介して下さい。
 ただ、内間から沖縄大学は少し遠い?のかもしれませんね。あるいは別の地域の案があれば、ぜひ教えて下さい。沖大・平良研一さんには既に二人を紹介ずみ。

第805号:2002年1月19日
◆<今年最初の定例研究会>
 いまTOAFAEC 研究会から帰りました(18日23時)。モンゴルからの留学生の皆さん(和光大学、東京学芸大学、東京外国語大学など研究生)が、困窮にあえぐモンゴルの子どもたちのために、NPO的な組織をつくって、奨学金などの支援活動に取り組む構想と決意を披瀝。終わってグルマン亭。
 早速、そのスナップをホームページに入れました。ご覧下さい。

第806号:2002年1月20日
◆<カイロ、Dr.アーデルへ>
 1月18日夕、アーデル君から発信したメール1本が着信していました。添付フアイルなし。これは安全だ、と喜び勇んで開いてみたところ完全な文字化けで、見事に読めませんでした。かなり長文のメール、まことに残念。
 どんな内容だったのでしょう。あと一度、送ってみて下さい。日本では、アーデル・メールのウイルス騒ぎ。そちらではどう? パソコンは大丈夫ですか。
歌の工房
       −第71回目の研究会、1月18日−
◇民族の子どもら想うモンゴルの留学生の目は輝きて
       −過ぎし日のボヤンバートルの顔ふと浮ぶ−
◇その胸に深く秘めたる「ある敵意」笑顔に含みひとことも言わじ

第807号:2002年1月22日
◆<台湾・楊碧雲さん、「囲む会」へ参加>
 今日昼、電話あり、台北市政府教育局(社会教育)専員の楊碧雲さんが、27日「ぶんじん・囲む会」へ出席とのこと。会場の場所などFAXで連絡しました。
 今回は、イギリス、エジプトなど、海を越えてのご参加があり、当事者としては恐縮しています。それだけTOAFAECの(国内ではそうでもないが・・・)国際的な広がりを反映しているのかなぁ、と喜びもあり、同時に申しわけない思いでもあります。
 はるばると海外からご参加の各位には、会費などのご配慮はできませんか。もしお許しいただければ、(ぶ)の「ご招待」というかたちでは如何でしょう? ご検討いただければ幸いです。
◆<横山宏さんの声が聞こえる(小川利夫)>
 「月刊社会教育」2月号の「追悼・横山宏さんを偲ぶ」を読まれたからだろうか、小川利夫さんから「心のリハビリ通信」第41号(12月下旬発行)が送られてきた。横山さんの「最後の便り」(ハガキ)のコピーや『社会教育雑記』(同時代社、1985年)が紹介され、切々と追想が綴られている(「横山宏さんの声が聞こえる」)。
 小川利夫さんの歌三首。ここにそのまま収録させていただこう。
◇こんな世に 君が居たから僕も居れた 今宵地球は暗くて寒い
◇骨太に いつも生きてた 君なれば この世紀末 如何に生きぬく 
◇折りにふれ いつも励まし君の声 忘れはしない お世話になった

第808号:2002年1月24日
◆<上海行き計画> 
 3月末の予定で、上海訪問の計画をすすめます。また具体化したら連絡します。中古パソコンの確保はあなたの友人にお願いできますか? 経費については小生にご請求下さい。それを上海訪問の学生に持参してもらうようにしましょう。みな、初めての中国(上海)訪問です。1日、南京に行くことが可能でしょうか。人数は5人前後かと思いますがまだ確定しません。この風を読んで、希望者が増えるかも。
 黄丹青さんへお願い:3月第最終週の上海−成田往復、格安航空券をあたっていただけませんか。いくらぐらいでしょう?
歌の工房
      −櫨(ハゼ)の苗、寄せ植えの鉢、1月17日−
◇わが書斎の空気に馴れしハゼの鉢紅葉忘れ落葉もせじ
          −研究会から帰る、1月18日−
◇ヒヤシンス残り香あればその株を枕頭に運びともに眠らん

第809号:2002年1月25日
◆<九大・松田武雄さんへ>
 
25日午後5時すぎ、宇部を経由して、東京に帰りつきました。
 今回はいい機会を与えていただき、有りがとうございました。和光大学・最終講義は、土曜日の午後ですが、二人の定年退職・教授が登壇しますので、ゆっくりした時間がとれず、どうも上記・九大院生コロキウムが実質的な最終講義になったようです。感謝しています。
 金子満君はじめ、院生の皆さんによろしくお伝え下さい。

第810号:2002年1月27日
◆<和光大学・最終講義>
 1月26日の午後、和光大学人間関係学部を定年退職(退官と言わない)する池田貞雄教授と小林の最終講義が予定通り開かれました。小林の関係では、エジプトからアーデル、イギリスより岩本陽児、沖縄からは中村誠司の各氏など海を越えての参加者があり、北海道(森田)、九州(上野)、神戸(末本)、群馬(石川ほか)をはじめ多くの方に来ていただき、恐縮してしまいました。二人のプログラムですから、短い時間の最終講義、申しわけない思いです。まことに有り難うございました。
 パーティでは小林ゼミの学生がサンシンを弾き、歌いかつ踊り、二次会の「のむぎ」では語らいあり、なんとも楽しい1日。
 この日、学芸大学・沖縄研究会以来の友人である桑原重美さん(もとNHKカメラマン)がビデオ撮影をされていました。そのうちきっと作品を見せていただけるのではないかと、楽しみにしています。
 いまから“風”の囲む会です。皆さんに有り難う。

第812号:2002年2月2日
◆<江頭晃子さんへ>
 ご送付の貴稿「社会教育施設で働く非常勤職員−私たちは何ができるのか−」を拝見しました。大事な問題提起、ぜひ投稿して下さい。
 「ぼやき」や「あがき」に終わらせないで、最後の部分をもっと書き込んで、むしろ非常勤職員ならではの「提言」「可能性」を展開してほしい、と思いました。非常勤職員は、常勤職員と比較して、市民的立場
を(本来は)明確にもっている、(本来は)自由闊達な仕事が出来る、ドイツの社会文化センターなどでは多様な雇用形態のスタッフがそれぞれの立場を活かし連携し、面白いネットワークを形成して施設の仕事をしている(例、ハンブルグ・モッテなど、谷和明氏に聞くときっと参考になる?)ように思うのです。
 「月刊社会教育」などでぜひ採択してほしいもの。「公民館の風」でも数回に分けて載せたいが、多くの人の目にふれるために、ぜひ積極的に投稿して下さい。
 それにしてもこの間の東京社会教育の悲しむべき退行現象に、常勤職員集団や社会教育関連・委員会が有効な発言や対抗の運動に取り組めない(まったく聞こえてこない)現状が残念でなりません。「公民館の風」256号所収の植松賢也氏(神奈川県座間市)メールなどには、その職員としての嘆きが書かれているが・・・。
◆<3月下旬、中国・上海訪問計画(TOAFAEC)>
 …承前(風802号、808号)…
 当初2月上旬に予定した上海訪問計画は(4月上旬でなく)3月下旬に変更して実行しようということになりました。スケジュールはほぼ次の通りです。参加ご希望の方は「ぶんじん」までご連絡下さい。
スケジュール@:
 3月21日〜26日 上海(できれば南京大虐殺記念館等も)、閘北区社区大学と交流、「中日文人図書室」についての協議。(上海→成田往復のコース)
スケジュールA(小林ほか希望者のみ):
 3月26日〜29日 山東省煙台(張林新・新ホテル「海明賓館」)→大連(萩原敬子さん訪問)→成田
*航空券・経費の関係で1両日の変更あるかも。
経費:スケジュール@10万円前後か、A+α
参加希望者:和光関係など5〜6名、和光以外の方も参加歓迎
問い合わせ:ぶんじん→ E-mail:BunjinK@cup.com
2月上旬に参加希望者による打ち合わせ会を予定(東京)
 <お願い>
1,黄丹青さん:上記日程によるスケジュール@上海往復・格安航空券を調べて下さい。またA上海→大連→成田についても分かれば教えて下さい。国内便は張林新に依頼予定。
2,萩原敬子さん:この日程でご都合いかがでしょうか?
3,上海・羅李争さん:以上のスケジュールで準備を始めます。学院の方のご都合はいかがでしょうか。人数など確定次第ご連絡いたします。
◆<名護・島袋正敏さんへのFAX、1月31日>
 拝復
 全国集会・名護集会の準備資料、FAXを大量に送っていただき、有り難うございました。驚きました。全面展開の様相ですね。小生は、東京側では(もう委員長も離れて)まったくフリーです。むしろ沖縄側の実行委員会に参加したくなるような(皆さん参加の)陣容、嬉しくなりました。
 さしあたり「後援リスト」の隅っこに「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)」を加えていただけませんか。もちろん無理のない範囲で。「・・・山の賑わい」として。それから、分科会21(沖縄側から提案の)「字公民館と地域づくり」に小林文人を出して下さい。分科会で、沖縄側と本土側をつなぐ役割を果たせるかと思いますが、いかがでしょう。
 全国集会の準備にあたっては、沖縄側の意見・提案を、全国側に遠慮なさらないで出して下さい。これまでの動きは、分科会・課題別集会など、全体の構成はいままでのパターンで進行し、あまり変わりばえしない。社全協も全国集会も変わっていく必要がありますから。沖縄の独自な空気と文化と感性で、変えてほしい!というのが小生の期待です。ただ骨格はもう決まってしまいましたが・・・。
 せっかくの沖縄・名護集会なのに、ちょっと残念、もったいないなという思いがあります。
 小生の最終講義と囲む会、名護から中村誠司さんに来ていただき、感謝しています。どうぞよろしくお伝え下さい。
 こんどの全国世話人会議は、大学入試のため行けません。2月下旬、沖縄本づくり編集会議への名護行きを楽しみにしています。 
◆歌の工房
       −1月26日、最終講義、もちきれない花束−
◇花々の香りにむせて華やぎの心もてあます春宵ひととき
       −1月29日、沖縄より蘭の花−
◇海を越え南風(はえ)に運ばれ寒中の白き冷気にほのぼの紅く

第813号:2002年2月3日
◆<上海・烟台行き、お願い四つ>
 黄丹青さん:有り難うございました。上海−成田往復は3月21〜26日の予定で、5人前後、成田ー上海ー大連ー成田は3月21日〜26日(大連)〜31日(成田)の予定で、2人?前後です。数日うちに人数を確定しますので、ツーリストをご紹介下さい。
 水谷徹くん、この「風」を上海・大連同行予定の染谷さんに届けて下さい。
 小峯みずきさん、この情報(航空券の値段)を上海行きを考えている人たちに伝えて下さい。またパスポートの取得手続きを始めてください。鈴木愛美さんが行きたい?(小生への年賀状)とのこと、確かめて下さい。どうぞよろしく。
 大連の萩原さん、上海までお出でになれますか。それとも大連で合流しましょうか。煙台には、大連からフエリーの往復で2泊?程度を考えています。張林新くんは小生たちの日程に合わせて、帰国するそうです。張林新のお父さんが、煙台の賓館で小生の70歳のお祝いの会をしたいと言っているそうです。

第816号:2002年2月7日
◆<「囲む会」の御礼>
 誰が名付けたのか、「小林夫妻と“風”を囲む会」が開かれました。当の本人としては誠に面映ゆいかぎりですが、ご要望もありますので、「呼びかけ人」事務局から送られてきた記録を、二つの「風」合併号としてお送りすることにしました。当日、遠路をいとわずご参加された皆さま、そして呼びかけ人の面々、誠に有り難うございました。小林と“風”ともども、厚く御礼申しあげます。
 当日と前日の最終講義(和光大学)の模様は、TOAFAECホームページにもスナップをいくつか収録しています。

第817号:2002年2月8日
◆<故福原実の追悼サイト>
 福原実(当時、群馬県笠懸町・社会教育主事)が亡くなって、早いものでもう4年が経過した。このたびのお兄さん制作のサイは、弟への想いが充ちあふれ、切々と胸をうちます。とくに彼が姿を消して発見されるまで、そして告別式、その後のことなどを綴った「その死−兄の慟哭」を読んで、昨夜は眠れませんでした。今日はまた、江頭晃子さんたち友人が編集・刊行した遺稿・追悼集『おれのこと』(福原実、1999年、私家版)のページを開いています。どこかで彼がこちらを向いて語りかているよ。
 「みんな、あまり無理すんなよ、頑張り過ぎるなよ、イヤになったら休みなよ、風に吹かれて旅にでも出ろよ・・・」と。
<古い歌ノートから>(1997年12月13日、告別式)
  −福原実は東京学芸大学在学中、軟式野球部のピッチャーであった。
◇救援を求めずひたすら投げつづけ孤高のなかで投手は倒る
  −彼が私にかけてきた最後の電話は笠懸公民館50周年・記念講演の依頼だった。
   その当日 (1998年2月22日)、すでに彼の姿はなく悲痛極まりなし。
   虚ろな心で講演をした。
◇君しのび笠懸に行き君おもい君の声なく笠懸悲しも

第819号:2002年2月13日
◆<歌の工房>
  −2月10日、岡上、和光への道−
◇川の辺の通いなれたる道なれどなぜに今年の梅はさやけき
◇紅く白くほのかに咲きし梅の香に誘われ知らぬ丘をのぼりぬ

第820号:2002年2月15日
◆<アーデル氏へ>
 わざわざカイロから来日、ご苦労さまでした。感謝しています。ところで、ご依頼のTOAFAECや日本の大学との研究提携の件は、東洋大学・アジアアフリカ研究所・比嘉佑典氏(所長、小生の永い友人です)に、ザカジク大学アジア研究所(とくに日本との研究交流の関心)のことを話しておきました。貴兄がもしまだ日本滞在中であれば、直接に会う機会をセットしようと思いましたが、もう帰国のスケジュールに入ったらしいという情報で残念でした。比嘉先生は、積極的です。コンタクトして下さい(東京・自宅の電話03-3975-6995) アーデルの電話・メールアドレスなど教えておきました。
 小生も4月から自由の身。近い機会に、ナイル河が見えるという貴君の新居に泊まって、隣村のエジプト型「公民館」訪問の夢を実現したい。

第822号:2002年2月18日
◆<歌の工房>
  −2月17日夜、プロゼミ有志、「のむぎ」にて、沖縄の話つきず−
◇休日に店を開いてプロゼミの別れの宴催しくれし
◇笑いあり語りもあれど歌のなき帰り一人で「ざわわ」をうたう

第824号:2002年2月22日
◆<沖縄の本づくり、いよいよ最終段階>
 原稿執筆依頼から早いものでもう1ヶ月半、今月末の原稿締め切りまであと旬日を残すのみとなりました。関係の皆さまの執筆状況はその後いかがでしょうか。お忙しい時期とは思いますが、作業を急いで下さるよう、あらためてお願いいたします。
 本づくり・編集・調整作業については、実質・編集長H氏および研究室の皆さんのご努力で、きわめて順調に進行中です。感謝に堪えません。
 思い起こせば、昨年の今ごろ、「世界の社会教育施設と公民館」原稿のことで、催促される側の最右翼にいたH氏、本年は一転して催促する側の最右翼、ご本人はおそらく?地獄と天国の違いを実感しているのではないでしょうか。苦労してきた人が編集の中心にいるわけですから、こんどの本は必ずやいい出来に結実すること疑いなし!刊行の日が待たれます。
 仕事は今からがたいへんですが、そろそろ最終的に書名を確定する時期にもなりました。「沖縄の社会教育実践」(仮)でいいのかどうか、あと一つ、工夫が足りないする感じもする。皆さん、ご意見を・・・。
 細かな点について、小生にもH氏から問い合わせがありましたが、小生の担当分はほぼ順調。詳細は別メールでご報告します。とりいそぎの経過報告と最終の執筆お願いまで。

第825号:2002年2月24日
◆<組原洋子さん>
 故組原洋子さんは、那覇市立図書館司書、その後は中央公民館職員、水準の高い講座を企画してきた人。1998年の社会教育研究全国集会(東京都立大学)には、病をおして、夫・洋さん、慎子ちゃんと一緒に参加し、沖縄での全国集会開催を積極的に推進されました。那覇の自宅を集会準備の事務局に提供したいとも話された(結果的に遺言になってしまいましたが・・・)ことをいま想い出します。

第827号:2002年2月28日
◆<ゼミ沖縄合宿、和光・最後のプログラム>
 和光大学・最後のゼミ旅行、今回の参加者の大半ははじめての沖縄です。26日から7日間の日程。27日は精力的に南部をまわりました。幸いに晴天にめぐまれ、喜屋武岬からの空と海は限りなく青く、広い。過ぎし日の沖縄戦の歴史を語りかけても、この果てしない宇宙に吸い込まれてしまう。はたして若い世代にどれほど伝わっただろうか。
 ひめゆりの塔も摩文仁の丘も、ほとんど初夏を思わせる日ざしのなか、静かに重く何かを問いかけていました。ホームページにスナップ数葉。

第828号:2002年3月3日
◆<伊江島へ渡った1日>
 沖縄ゼミ合宿(和光大学最終プログラム)は賑やかに進行中。沖縄の友人たちの協力を得て、南部めぐりから中部を経て、いま名護に滞在中です。
 3月1日の名護市博物館創設18周年記念日の夜、「明日、伊江島に行きたい」という一行の声に応えて、島袋正敏さんから伊江島の金城盛和さん(写真家、陶芸家、画家、ヨットマン)へ案内依頼の電話をして頂きました。
 無理なお願いにもかかわらず、2日朝は、伊江港に盛和さんが出迎え。豪勢な1日が始まった。島をめぐり、盛和さんの工房を訪問。午後は知る人ぞ知る伊江随一の歌い手・知念宗真さん(CD「土風の声」)のお宅で、オリオンビールや(床の間の)黒糖酒などを飲みながら、歌・サンシンを聞かせていただく。同行はご存知・宮城満さん(名護市立図書館)。満さんと「ぶんじん」はすぐに酔いました。
 伊江島から本島への帰路は、盛和さんのヨット。穏やかな風に揺られながら、初夏とおぼしき光線と潮風を満喫して本部港へ。1時間半の忘れられないヨット体験。
 夜は「ヒンプン・ガジュマル」前のヒージャー(山羊)屋で、和光・最終ゼミを惜しむ集いとなりました。彼(女)らは色紙を書き、お別れのケーキを用意し、踊りあり、涙を見せる学生もいて、教師冥利につきる一夜。ヒージャーとケーキの奇妙な組み合わせは初めてでそた。皆さん、どうも有り難う。

第829号:2002年3月5日
◆<歌の工房>
  −和光大学最終プログラム、ゼミ沖縄合宿、ようやく羽田へ帰着、3月4日−
◇旅終わる思い切なるものあればことさら軽く手を振り別れぬ
◇いまひとつ旅は終わりぬまたひとつ新しき旅の道をたずねん

第831号:2002年3月8日
◆<3月下旬、上海訪問について>
 羅李争さま
 いよいよ上海訪問の日程が近づきました。往復の航空券もビザも予定通り確保しました。いろいろお世話になります。以下のこと、袁允偉さんにも、どうぞよろしくお伝え下さい。
1,日程:
 3月22日CA930 成田15:55発→ 上海18:20着
    27日CA929 上海11:25発→ 成田14:55着(帰国)
*小林は27日上海から山東省煙台へ、大連経由で帰国(31日)
(27日SC130 上海10:20発→ 煙台11:40着)
2,訪問メンバー:
 小林ほか、和光大学生5名(男1,女4,うち2人は社会人学生)、計6名。小林以外はみな初めての中国訪問です。どうぞよろしく。これに下記のように黄丹青さんが上海で合流予定。
 なお大連留学中の萩原敬子さんも同日程にて上海訪問を思案中。安価なホテルの予約(女性、同室可)をお願いします。
3,活動案(実質4日間):
 1日、学院訪問、中日文人図書室についての協議、学生相互の交流。
 2日、上海を歩く。
 3日、南京(大虐殺記念館等)に行く。
    *学院の車をお願いできますか?
 4日、自由行動。
 細かなスケジュールはお任せします。
 なお小林は、呉遵民氏の依頼(南の風828号・呉メール)により、一夜、華東師範大学を訪問する予定。日程調整をお願いします。
4,中日文人図書室:
 これからの方向について、いろいろ話しあいたい(実質的に初めての機会)。構想や運営についてお互いに積極的に意見を出しあいましょう。羅さん構想の中古パソコンは用意が出来たでしょうか。
 また関連して、閘北区の社区活動や行健学院のことなど、関係の皆さんと交流を深め、さらに知見と深めることが出来れば幸いです。
 王校長や徐書記など、皆さまにどうぞよろしくお伝え下さい。

第832号:2002年3月9日
◆<上海訪問、呉遵民さんへ>
 3月26日の華東師範大学への訪問日程、あまり堅苦しくならないようお願いします。小林一行の上海滞在中のスケジュールは、閘北区側の袁允偉、羅李争両氏にお任せしているつもりなので、両氏と調整しておいて下さい。
 ところで、葉先生等の招聘について、「1999年11月、華東師範大学の王学長等関係者を招聘したときは、TOAFAECとして招聘文書を作成した記憶があります」(南の風830号)の件、このかたちでいいですか。ご返報を待っています。

第834号:2002年3月12日
◆<上海訪問、羅李争さんへ>
 ウイルス被害とのこと、お見舞い申しあげます。メール、有り難うございました。スケジュールはすべてお二人にお任せします。日本の学生に案内の上海の学生が同行する計画はいい案ですね。5人の学生(女4,男1)のうち、二人は「社会人学生」(母親の世代)ですが、皆きっと喜ぶと思います。
 5人以外に、大連(遼寧師範大学)に留学している萩原敬子さん(昨年5月に小生に同行して上海を訪問した女性)が参加するかも知れず、また紹興に帰郷している黄丹青さんも合流する予定ですので、宿泊予定のホテル名・電話など予め教えて下さい。
 中古パソコン5台の受け渡しは、訪問予定の学生たちの住所がバラバラですから、3月22日午後、成田空港の出発予定(CA930便、成田15:55発)のカウンターに持参していただけると助かります。出発の2時間前、14:00前後、当方は6人グループ、なんとか分かるでしょう。一つづつ、手荷物で持てるようにしておいていただけると有り難い。あなたの友人にご面倒かけますが、よろしくお願いして下さい。
 荷造り代や成田往復の交通費は小生の方で負担するようにいたしましょう。大学の研究室に持ってきていただいても、5人にそれぞれ届けるのがまた一苦労ですから・・・。あなたの友人へのお願いの結果をお知らせ下さい。

第836号:2002年3月15日
◆<研究室の引っ越し>
 この1週間は和光・研究室の整理に追われていましたが、14日、ようやく引っ越し、ダンボール60箱を福岡・油山に向けて発送することが出来ました。研究室に残したものは、旧沖縄研究会・発行の「沖縄社会教育史料」、TOAFAEC発行の「東アジア社会教育研究」、収集ビデオなどダンボール約20箱、それにTOAFAEC関連の中国・台湾・韓国・モンゴルなどの文献(書棚8本のうち1本半)。
 沖縄関係の文献資料を残すかどうか、ずいぶん迷いましたが、書棚1本をこえる分量があり、後任者に迷惑をかけてもいけないので、思いきって九州へ移動することに。出来れば東京に残したかったのですが、自宅・マンションは、すでに本・資料であふれ、新しく購入したマンション別室にもスペースなく、決断することにしました。7年前、東京学芸大学研究室引っ越しの際に沖縄研究資料の主要部分を福岡に移した経過が想い出され、「そうだ、分断されていた沖縄資料がこれでやっと合流することになる」と自らを慰めています。 
 実は、私たち研究会・所蔵資料(ダンボール20箱)の置き場をどうするか、は頭の痛いところ。後任・岩本陽児さんの理解を得て和光研究室に残すことが出来、正直、ほんとに助かりました。大げさにいえば、地獄に仏! 感謝!
 この機会に、研究会所蔵資料の棚卸し。若干の小林・内田管理分を除いて、研究室に残置した各冊数は次の通り。モンゴル留学生が書架上からダンボールをおろし、ひとつひとつ開いて、数えてくれました。なお、書架内に置いている(展示)冊数が各2冊あり、これは別、ダンボール分のみ。もし会員諸氏の手元にTOAFAEC残部資料があれば、号数・冊数をお知らせいただければ有り難い。
○「沖縄社会教育史料」
 第1集(1977)        8
 第2集(1978)       24
 第3集(1979)        2
 第4集(1982)       63
 第5集(1985)      113
 第6集(1986)       95
 第7集(1987)       22
○「東アジア社会教育研究」
 第1号(1996)      1
 第2号(1997)     37
 第3号(1998)     38
 第4号(1999)     85
 第5号(2000)     64
 第6号(2001)     60
○「東京の識字実践1994」 110(ただし印刷不良分を若干含む)
○これ以外に「東京の識字実践1992」「東アジアの社会教育・成人教育法制」(1993)ほかの資料がそれぞれ数冊程度。

第837号:2002年3月18日
◆<福岡にて>
 3月15日発「南の風」第836号・「研究室の引っ越し」記事中の東京の識字実践「1944」「1922」は、言うまでもなくいずれも「1994」「1992」の間違いでした。この日、確定申告の最終日、数字に追われ、その額に少々頭にきているところで、あわてて「風」を吹いたため、思わず数値が小さくなってしまいました。お許し下さい。
 今日、17日午後、和光からのダンボールが福岡に無事到着。なんとか書庫に担ぎあげました。夜は、九州大学・院の皆さんと愉快な夕食会、楽しい1日でした。

第839号:2002年3月21日
◆<上海・羅李争さんへ>
 ご連絡どうも有り難うございました。安いホテルですね。
1,日程は承知しました(お任せします)。
2,二日目(24日)の学生さんの案内については感謝。しかし先便の「夕飯は学生の家で招待」案は、ご迷惑をかけることになるので、夕飯時にみなで集まって、お礼の食事会をするようなかたちの方が、日本側としては気が楽です、と学生たちは話しています。
3,この日か他の適当な時間に、小生と袁、羅お二人、それに合流予定の黄さんなど交えて「文人図書室」のことを話しあいましょう。
4,26日は、学生たちは自由時間の予定です。
5,ホテルは、パソコン(インターネット、メール)が使えますか。今回の上海行きには、小生のパソコンを持参するかどうか、迷っています。
6,22日夕のCA930便(上海へpm.18:20到着予定)、空港まで迎えて頂きますか。よろしくお願いします。
◆<歌の工房>
   −研究室、本の引っ越し、3月14日(鶴川)−
◇よろめきつ本を運びて40年 荷造り終われば夕陽の紅き
   −福岡、ダンボール受け取り、3月17日−
◇価値もなき資料にあれど捨てがたき ともに歩みしサクラの季節
   −ダンボールを開く、3月18日(福岡)−
◇朝韓の歴史にも似て分断のわが書庫はいま統一の日

第840号:2002年3月23日
<小林・和光大学生一行、予定通り上海に到着>
 22日夜、一行6名、無事に上海着。小林以外はみな初めての中国。袁さん、羅さんに王さん(社区大学々長)も加わって、歓迎の夕食をご馳走になる。恐縮すると「私たちは老朋友だ!」と言って肩をたた
く。上海の最初の夜、いい一夜で始まった。明日から5日間、学生間の交流も交えて、面白い旅になりそう。23日は大学の車で、南京・蘇州行き。

第841号:2002年3月25日
◆<南京大虐殺記念館へ、はじめての学生交流>
 23日夜、羅李争さんの助力を得て、上海のホテルから初めて「風」を発信することができました。しかし、大急ぎで編集したため、記事の貼り付けに重複があり、見苦しいかたちになって失礼しました。ダブリの部分を切り取って、ご覧いただければ幸いです。
 22日上海に到着、翌23日は袁さんの大学の車を出してもらって高速道路を一路西へ疾走。かって日本軍が南京を攻めた同じルートをたどるようにして南京へ。南京大虐殺記念館で心を重くし、帰路、孫文・中山陵にのぼって、ようやく気分を一新しました。しかし(学生が希望していた)蘇州への立ち寄りは、時間の関係で割愛。途中の渋滞にも巻き込まれ、上海にたどり着いたのは、午後9時過ぎ。初日から大エクスカーションとなりました。
 1937年の南京事件からすでに60年あまり、同じ道すじを高速道路で走り、その足どりをこうしてパソコンで送信できるとは・・・、あらためて歳月の経過に思いを馳せています。
 24日は、和光の学生と閘北区・社区大学の学生が一緒に終日「上海を歩く」プログラム、初めて本格的な交流となりました。雨も降り肌寒い上海でしたが、心は温かい1日となりました。
 いまから写真数葉をホームページにアップする作業したいと思いながら、少々疲れもあり・・・さて・・・。

第842号:2002年3月28日
◆<山東省・烟台にて>
 いま中国・山東省の烟台にいます。27日に上海から移動しました。26日は上海から帰国する和光大グループの最後の夜、深更まで話しがつきず、手持ちのビールがなくなって、日本にもって帰るはずの名酒・白酒「孔府家酒」(26日、講演した華東師範大学からお土産にいただいた)まで開けて酔い、ついにメールが出せませんでした。
 27日から28日にかけて滞在している烟台の新ホテル「新景賓館」(西新宿で北京家庭料理の店を出していた和光大学留学生・張林新の経営、今年1月オープン)ではパソコンを開く余裕がなく、28日午後、東京につないで、今ようやく上記・江頭メールを読んだところ。
 「最後のストライキ」という言葉がなんとも印象的。職場がこわれていくのに、それに抗して闘う気力をもたない労働者?が多いのに、非常勤職員3人でよく「ストライキ」をもって頑張ってこられました。はるか中国の地から深く敬意を表し、連帯のながいながい拍手をおくります。ストライキの現場に行けませんが、心で参加!
 31日夜、帰国します。今回の中国訪問では、ご報告すべきことがいろいろあり、4月に入って「風」で送ります。

第843号:2002年3月30日
◆<和光グループの帰国>
 下記メールのように、学生グループは無事に日本に帰国できました。
 今回は、とくに帰りの航空券(予約していた便のリコンファーム遅れによりキャンセルされ、北京の韓民の助力も得て、なんとか予定の便に搭乗できた)をめぐって、上海の羅李争、袁允偉のお二人には大変な心労をおかけしました。みな「感謝!」の思いいっぱい。忘れがたい旅の思い出をかみしめているようです。あらためて御礼を申しあげます。
 あわせて、上海教育出版社との協議や、華東師範大学の杜・学部長との出会い、王・学長や羅・副学長との再会、そして夜の講演(通訳)など終日お世話になった呉遵民さん、ご苦労さまでした。
 27日の上海空港では、あと一つのハプニングがありました。当日帰国の和光グループと別れ、わざわざ送りにきてくれた(紹興に帰郷中の)黄丹青さんや羅李争くんとも別れたあと、チェックインの長い行列に並びました。そのあげく、烟台行き出発の空港は新しくできた浦東新空港と知らされました。こちらにも国内線があったのです。
 これにはあわてました。しかし時すでに遅し、車で1時間余の移動時間を考えると、予定の便にはどうしても間に合わない!
 あと1日、上海に泊まることも考えましたが、皆さんとは連絡がとれず。幸いにどうにか烟台行きの次の便を確保できて、バスで浦東新空港へ移動。5時間ほど空港内でやりすごし、午後5時頃やっと山東省・烟台にたどりついた次第。やれやれ・・・の1日でした。
 しかし烟台では、ご存知の張林新・経営の新ホテル「新景賓館」で、あついもてなし。絶妙の山東料理に舌鼓をうっています。30日、大連に出て1泊し、31日に帰国の予定です。

第844号:2002年4月1日
◆<無事に帰国しました>
 今回の訪中ではいくつかトラブルもありましたが、全体としては充実したいい旅だったと思います。31日夜、大連からの便の成田到着は1時間ほど遅れましたが、驟雨のなか、無事に帰宅いたしました。
 今後にむけて、新しいステップをきざむ旅でもありました。「中日文人図書室」のこと、上海教育出版社からの本刊行のこと、5月の訪日・社会教育調査団を迎える準備など、「風」で追々とご報告することにします。
 小生、今日から待望の無位無冠、晴れて自由人となりました。なにか心はずむところがあり、旅の疲れもあるのに、なかなか眠れません。みずきさん、CD どうぞよろしく。

第846号:2002年4月4日
◆<2002年3月22〜27日・上海訪問報告(1)
 今回の訪中は、昨年10月の上海訪問(「社区教育」調査)の際に産声をあげた閘北区・行健職業学院(旧業余大学)の「小林国際交流閲覧室」にノート型パソコン(5台)を搬入し、その後の状況と今後のことを協議すること、同時に初めて同行した若い世代(日本側は和光大学生)による学生間交流を試行すること、が第一の目的でした。
 あわせて、五月来日予定の上海からの調査団受け入れの事務的な準備、急遽始まった「社区教育・社会教育」に関する本づくり(上海教育出版社)の打合せ、また呉遵民を介しての華東師範大学(王建盤学長)への訪問、そして教育系院生への講演、など盛り沢山。(その後、山東省・烟台、そして大
連に足を延ばしましたが、これはまた別の機会に書きましょう。)
 華東師範大学・学長室への表敬訪問(3月27日)では、1999年11月、王学長や羅副学長など訪日のときの思い出話に花が咲きました。福岡の豆腐料理、東京のドジョウ鍋、関西の焼き鳥?など。(こちらは忘れていたのに)皆さん、実によく憶えている、それぞれに印象的だったのでしょう。
 夕食後、久しぶりの呉遵民の通訳で、教育系院生に「上下五〇年、日本教育改革与展望」と題して2時間余の講演をしました(ホームページに写真収録)。学長に「私は今年で70歳、大学を定年退職、今日は文字通りの最終講義です」と話すと、杜・教育系主任(教育学部長)が「いや、新しい始まりです、再度また次の講演を・・」と応じてくれる、挨拶とは言え、なんとも嬉しいひとこと。
 聞けば、杜さんは学生時代に羅李争と同室の親しい友人だったそうで、小林の名も羅李争から聞いていたらしい。帰途に名酒「孔府家酒」をいただき、この白酒で学生たちと上海最後の夜の乾杯をしたことは、すでに「南の風」(842号)に書いた通りです。

 さて、まず簡単な報告から始めましょう。葉忠海氏らの訪日団のビザ申請のための必要書類を呉遵民から託されました。前にも連絡があったように、招聘理由書、身元保証書、滞在予定表、名簿の、4点です。招聘者はTOAFAEC(代表・小林)だとすれば、やはり(上野事務局長ではなく)東京で作成する必要がありそう。TOAFAECの規約や役員一覧等も添付しなければならず、当然のこと印鑑も捺さなければなりません。
 今回の訪日予定8名のうち、すでに葉氏ほか7名の名前は分かっていますが、あと一人が未確定らしい(どこかの組織の承認が未だ?)。8人目が分かり次第、早急に以上4点の書類作成に入るつもりです。
 日程・訪問地については、短い日数なのに福岡・大阪・東京とまわるのは無理ではないか、たとえば(いつぞやの上野メールのように)福岡を割愛してはどうか、と言ってみました。しかしみな初めての日本、時間的に可能ならば、できれば(小林平造を訪ねて)鹿児島にも行きたいほどだ、とのこと。
 いつぞやの呉遵民メールのように、まずは福岡、関西、東京とまわるのであれば、当方としてどういう体制をとるか。上野「秘書長」として実質的な日程を確定して、それぞれの地域分担で8人の宿泊の予約等の準備を始める必要がありましょうし、またお互いの経費負担についても合意しておきたいもの。上野「秘書長」、どうぞよろしく。
 公式の日程以上に、葉忠海夫妻は(娘さんが埼玉?在住)数日の延泊を希望されている模様。このことを含めて、ビザ申請の「日程」にはどう書くか、呉くんから最終的な(希望)日程案を寄せていただけませんか。皆さん、学期始めで忙しいでしょうが、この作業は早急に開始する段階に来たようです。(つづく)

第847号:2002年4月6日
◆<2002年3月22〜27日・上海訪問報告(2)
 −華東師範大学とTOAFAECとの関係−
 先回報告(1)の、華東師範大学・学長への表敬訪問のところで書き忘れたことがありました。私たちと同大学・継続教育学院との共同研究・相互訪問に関する協定(意向書1998年、協議書2000年、TOAFAECホームページに掲載)については、昨年秋の私たちの訪中計画の延期を求める(継続教育学院長)書簡により、形式上は中断したかたちになっています。
 (形式上と書いたのは、葉忠海さんや呉遵民の努力により、昨年10月に調査団として訪中しましたから、大学の受け入れではないかたちで実質的には継続している、このことは関係者ご承知の通り。)
 今回の学長への表敬訪問の際、この経過について私たちの不満を表明するか(1999年秋の学長一行の招聘以降、そのままになっている)、あるいは今年度はどうなっているか?と督促するか、など何らかの表現で言及して然るべき、という気持ちがありました。
 しかし、結果的に当方からは何も言いませんでした。久しぶりに会ってお互いに懐かしく「好久不見!」と握手をして、そのすぐ後に学長から「私たちの大学とあなたたちの研究会との共同研究の関係は基本的に変わりません」という趣旨の表明があったからです。そこには学長なりの複雑な気持ち、なにかをにじませた表現、むしろ今後に向けての期待、を感じ取りました。この挨拶に、私はうなずいただけにしました。ご了解下さい。
 昨年から今年にかけて、華東師範大学内の機構改革、継続教育学院の(研究機関から行政機関への)性格変化、私たちが最初に「意向書」をかわした「成人教育研究所」の移管(継続教育学院から分離し職業技術学院と合作?)等の経過がこの間にあったようです。今後また、新しいかたちでの関係が求められるようにも思われます。このあたりの正確な情報は呉遵民から補っていただけると有り難い。(つづく)

第848号:2002年4月7日
◆<850号に向けて、お願い>
 南の風850号が近づきました。50号おき恒例の名簿整理をいたします。“風”は双方向に吹きあうことを原則としたいので、ご連絡がなければ、「読むだけ」の方はリストからはずさせていただきます。また配信を希望されない場合は、ご遠慮なくその旨お知らせ下さい。
 この機会にお願い。「公民館の風」と二つ受信されている方は、出来れば、どちらかを選んでいただきたいのです。各号の末尾に「公民館」「南」それぞれ直近号の目次を掲載して、ご希望があれば該当号をお送りするサービスを開始していますので、これを利用していただければ幸いです。
 どうしても・・・という方には両方をお送りしてきましたが、ほとんど毎日、「風」が吹きつける状況となり、いささか迷惑、今日もか、うんざり、の声なきにしもあらず。ご迷惑になるのは本意ではありませんので。
 二つの「風」をお送りしている各位の方が、最近は、かえって返信がない?ようにも思われ、一つの「風」になれば、そよ風となって、返しの風もいただけるのでは、と期待もしているのです。
◆<いつでも泊まれる東京の宿>
 あふれた本・資料の置き場に、皆さんおそらく悩んでこられたと思いますが、みずから収集し、あるいは恵与されたものは一切捨てない主義の小生としては、この間、うめきつつ、よろめきつ、なんとか維持してきました。大半は(今年3月・和光研究室資料も)福岡・油山文庫に送ってきましたが、それでも東京自宅にたまったものあり、やむなく近所のアパートの1室を借りて、物置がわりにし、ときどきそこに泊まる奇特な人もいました。
 このたび、同じマンションの階下(3階)に空き室あり、なんとかなる値段なので思い切って購入。3月に上記アパートを撤去し、あふれた本・資料(和光研究室のいろいろも)など移動、中国行きとも重なって実はたいへんでした。その後遺症か、いま、ぎっくり腰治療中です。
 安マンション、そして畳の部屋ながら、少人数の集いも可能になります。また海外を含めて各地から上京される方が、いつでも泊まれる宿としても開放したいと考えています。少なくとも3人までは大丈夫。これまでの経験では、本・資料が溜まれば、所蔵の酒の類も自然に溜まるもの。部屋の隅に酒蔵も備えて、楽しい夜の空間にもしてみたい?
 井の頭道路に面していますから、そう静かではありませんが、何よりも交通至便、「西永福」駅から徒歩5分、そこから新宿も渋谷も、また吉祥寺に出るのも15分内外という場所、ご遠慮なく利用していただきたい。(上海の羅李争くんを一度呼びたいな、などと考えています。)
 目下、引っ越し後の整理作業はそのまま停滞。しかし19日の研究会に沖縄から参加予定の正敏さんに最初の客になってもらえるよう整備中。この夜、高井戸の研究会のあと(遅くなっても構わない人は)西永福へお立ち寄りを。「いつでも泊まれる宿」をのぞいてみてください。
◆<上海訪問報告(3)> −上海の本づくり(上海教育出版社)について−本号が少しながくなりましたので、次号にまわします。

第849号:2002年4月9日
◆<2002年3月・上海訪問・報告(3)−上海の本づくり−
 本づくりの話しは、いつも、あるふとしたきっかけで、動きはじめるようです。今回の「上海の本づくり」もまったくそうでした。
 昨年10月の「社区教育」調査団・上海滞在中のある夜、有名な上海教育出版社の総編集長・袁正守女史がホテルに来訪されました。なんでも、大事なお嬢さんが東京に留学されたばかり、どうぞよろしく、というご挨拶だったと思います。
 ところが調査団一行との話ははずんで、中国と日本をつなぐ面白い本をつくりましょうという話に発展し、その夜だけで3冊ほどの出版構想が話題になったように記憶しています。話しの架け橋はもちろん呉遵民、愉快な夜でした。(そういえば、呉遵民著『現代国際生涯教育論』1999年、が上海教育出版社から刊行されています。)

 その後この数ヶ月の間に、呉遵民を介して、中国の社区教育と日本の社会教育を結ぶ本づくりの企画が具体化してきました。そして今回の上海訪問の際に、再び上海教育出版社(袁正守・編集長、担当の袁彬さん)とお会いし、来年春・刊行に向けての原稿依頼を正式に受けたのです。
 書名はこれから協議して決定していくとして、ねらいは「社区教育」を国際的視野から位置づけ、日本の「社会教育」の制度や実践を紹介しつつ、これからの課題や展望を明らかにする、編者は、小林、末本、呉の3人(三世代)とするが、中国「社区教育」に関心をもつ研究者、自治体関係者にも執筆に参加してもらう、などなど、話しあいました。
 あるレストランの午後、袁・編集長はこの本への熱い期待を披瀝し、当方もざっくばらんに意見を出しあって、面白い本になりそうな予感がしています。
 内容・構成案については、すでに出版社あて末本案が出されていますが(三月初旬)、これを基礎にして、当日、以下のような諸点が話し合われ、ほぼ合意されたように思います。
(1)読者の主な層は、研究者というより現場実践家・行政関係者を想定、
(2)理論だけでなく、むしろ実践的具体的に元気が出るような本にする、
(3)日本の社会教育や地域おこし等の、実践事例、地域事例を紹介する、
(4)写真もいれて、心がおどるような、これまでにない本にしたい、
(5)編者3人を中心としつつ若い研究者や自治体関係者の執筆も求める、
(6)上からの啓蒙・宣伝的なものでなく、市民の自由と主体的な活動について書く、
(7)国際的な流れについても、当然、書いてほしい、
(8)日本の社会教育と中国の「社区教育」の基本的な違い、何が課題か、を明らかにしてほしい、など。
 当日、同席された呉さん、上記メモについて、補足や修正などあれば、お願いします。またこれから黄丹青さんのご助力が必須、どうぞよろしくお願いします。
 最終的な構成案、執筆分担案については、これまでの経過をふまえて末本さんに再提起をお願いし(四月下旬)、関心ある方々のご協力をお願いして、いい本に仕上げていきたい。私たちにとって初めての中国向けの本づくり、ぜひとも成功させたいもの。

第850号:2002年4月11日
◆<上海来日準備>
 上記・上野メールは、昨年秋に上海を訪問した関係者に送信されたものですが、5月の上海・訪日団受け入れは、TOAFAECとして対応していく必要もありますので、「風」に収録させていただきました。
 東京では、訪日団のホテル確保にここ数日振りまわされました。しかるべきホテルで、そう高くないところをねらって、約20本の電話をかけまくり、結局、成功せず。あるホテルなどはワールドカップ関連の記者グループの予約で、全室満室。東京の予定日(5月30日〜6月2日)は別の大きな学会もあるらしく・・・、まったく!混んでいます。
 それでも、穴場さがしの嗅覚がさえて、東京の中心部(英国大使館の横、福岡会館)にうまく予約がとれました。ただし予定4泊のうち3泊のみ。1泊(6月1日、土曜日)はどうしてもダメ!
 また1日かけて、内田くんと相談したり、箱根や富士周辺に繰り出す案を考えたり、四苦八苦。そうだ、海に行こう、古都・鎌倉あたりはどうだろう、など考えて、鎌倉・七里ヶ浜にお住まいの伊藤長和さんに駆け込み、いろいろあたっていただきました。結局(海岸ではなく)川崎市国際交流センター(川崎市)横のホテルになんとか予約していただきました。1泊だけ移動しなければなりませんが、やれやれ、一安心。
 上海の査証申請のための文書は「滞在予定表」を除いて、いま発送を待つばかり。これも急ぐ必要あり。訪日団が福岡に上陸か、あるいは関西か、決定次第、大至急ご連絡ください。13日早朝から沖縄ですから、12日には上海に出したい。どうぞよろしく。

第851号:2002年4月12日
◆<2002年3月・上海訪問・報告(4)−中日文人図書室のその後−
 昨年10月の上海閘北区新社区大学(上海行健職業学院)「小林国際交流閲覧室」の出発は、ホームページにも掲載したように、正直びっくりした出来事でした。それからもう半年ちかくが経過しています。あの小さな空間がその後どのように動いているのか、どんな可能性をもっているか、こんどは少しゆっくりと落ち着いてこの目で確かめてみたい、というのが今回の上海訪問の最大関心事でした。
 和光大学の最後の年、「上海に行こう」という呼びかけに応じてくれた5人の学生たち。3月下旬の訪問日程を決め、羅李争を通して、先方の都合を確かめたところ、「まったく問題ない、歓迎です」とのこと。すぐに中古(ノート型)パソコンの搬入計画が始まりました。文人図書室に配置して、インターネットで日本とつなごう、というものです。この計画の立案・推進役はすべて羅李争、たいしたものです!
 5人がそれぞれ1台づつ手にもって上海に運んでくれました。空港には、出迎えの袁允偉、羅李争のお二人。学校づくりの話しが始まって7年、何度この二人に迎えられたことでしょう。しかも今回は若い学生たちと一緒。この日の上海・虹橋空港の春宵のひととき、まさに値千金、いつまでも忘れないでしょう。パソコン5台は空港の出迎えのその場で袁さんに手渡しました。もちろんその後も皆で学院まで運びましたが、思いは袁・副学長への手渡し・・・でした。
 学院・図書館の「小林国際交流閲覧室」は、昨年秋に産声をあげたときそのまま、まったく変わらないたたずまいで私たちを迎えてくれました。図書館自体はまだ本格的に動き始めていない様子、この日、入口のブザーのゲートの工事がようやく行われているような状態で、学生の利用は一部の閲覧室だけ可能、あと図書館全体としてはいまだ工事中。それだけに昨年秋の「文人図書室」の開幕式は特例的なものだったんだと、あらためて思いました。
 
 「文人図書室」のこれからの進め方について、小さなメモを用意していきました。大要、次のようなものです。
A,文献・資料類の収集・整備:「社会教育」「生涯学習」を中心とする
  *一般図書にはひろげない、「社区教育」との関連 *5カ年前後の計画
1,自治体の社会教育資料:主として大都市の新しい社会教育・生涯学習に関する資料(計画、統計、要覧、諸報告等)を収集・整備あわせて地域づくり、市民活動、ボランテイア等の資料も
2,国(文部科学省)、研究所、大学等の刊行物、研究報告書、など
3,社会教育・生涯学習に関する研究文献、雑誌類
4,辞典、統計、ハンドブック類
5,ビデオ、CD,フイルム類
6,その他(写真、地図など)
B, コンピューターの整備
C,管理・運営の組織をどうする?

 上海最後の夜おそく、ホテルの1室で、このメモを袁、羅のお二人に説明しました。昼の時間は、学生間の交流活動が中心で、ほとんど時間がなかったのです。「ぶんじん」がどんなイメージをもっているか、今後への問題提起として聞いてもらうかたちになりました。袁さんがいくつか意見をいって(窮屈な組織はつくらない、日本語を読める人はあまりいない、ビジュアルな資料、たとえばビデオあるいはポスター等を含めて、新しい動きがわかる資料を、など)、こちらも率直な見解(かたちばかりの「閲覧室」はよくない、5年間ぐらいをめどに努力していこう)を述べて、羅くんが低い声で通訳して・・・、夜は更けていきました。
 さて、これからどんな方向で動いていくことになるか。すべては今後の課題として別れたかたち。あまり無理をしないで、しかしせっかくの機会、これを活かして、日中双方の関係者に少しでも役立つものになればと考えています。
 “風”の皆さんのご意見、ご提言もお待ちしています。若い世代の交流だけでなく、次回は、日本の社会教育関係者による軽やかな旅を企画し、実際に「文人図書室」を見ていただき、中国の社区教育関係者との交流を重ねていければいいな、などと夢見ています。
 
第852号:2002年4月13日
◆<上海へ査証(ビザ)申請の書類発送>
 上海・呉遵民氏あて、葉忠海氏など8名のビザ申請に必要な書類(身元保証書、名簿、滞在予定表、招聘理由書)を12日午後、発送しました。日程上、福岡に上陸するかどうか、まだ未定のようですが、これ以上、書類の発送が遅れない方がいいという判断からです。5月27日の福岡は一応書き入れてあります。(小生は、13日から名護、沖縄本づくりの最終総括編集会議のため、東京を離れますので・・・)
 あわせて、招聘者としてのTOAFAECの規約・役員一覧(未確定ながら)など関連資料として添付しました。1999年秋、広州を招聘する際には、こういった資料提出を求められたからです。
 呉遵民くんへ、さらに「東アジア社会教育研究」第6号(お手元にありますか?、なければ昨年の、あるいは葉論文を収録している第3号)を添付資料として追加してください。別の(黄丹青さん)情報では、同じ招聘者でも、ビザがおりない場合があるらしいので、丁寧に申請して下さい。福岡の日程を省略する場合でも、一応の予定表が出ていれば、大丈夫ではないかと思います。
◆<上海で知った先島「津波警報発令!」>
 3月26日お昼過ぎ、上海のあるレストランで、出版社の人たちと美味しい食事を楽しんでいるとき、呉遵民(華東師範大学)のお宅から電話が飛びこみました。「いま、沖縄で津波警報発令!」とのこと。私が沖縄に関わりが深いということを呉遵民の奥さんはご存知だったのでしょう。驚きました。
 その場はしばし騒然・・・、中国にまでニュースがとどくような規模の地震、そして津波だ、はるか昔、八重山で多くの死者を出した明和大津波のことなど思い出し、宮古や八重山の友人たちの顔が浮かんできました。
 しばらくして、死者はいない、被害はないらしい、いま警報は解除された、などの情報が伝えられ、ほっと一安心。
 呉さんの奥さんの心遣い、それと、瞬時に海をこえて情報が飛び交う(とくに同じ東海に近い上海だったからかも知れませんが・・・)時代に思いを馳せたひとときでした。
 しかし、警報が出たその島内で、車を走らせていた鷲尾真由美さんは「警報発令」を知らなかったという。12日の朝日・朝刊は、1ページをつかって、「南西諸島の津波警報」「なぜ住民逃げず」の「検証」記事を載せています。

第853号:2002年4月13日
◆<那覇の夜>
 14日は名護から那覇へ。和光大学より沖縄大学へ1年間の留学で那覇に住み始めた滝本ちひろ、吉松朋子(2001年プロゼミ学生)と佐久本全さんも一緒に「山海」で夕食。喜納勝代さん、名城ふじ子さんとは会えず。酔って前島の新「パピリオン」へ。日曜日で残念ながら休み。
 8月末の名護・全国集会にぜひ日程を都合してほしいというメッセージを海勢頭豊に残し、あきらめきれず、留守のステージで二人の写真を撮って(ホームページに収録)記念にする。酔いもさめていま帰ったところ。

第854号:2002年4月18日
◆<東京プログラム・第1案 >
 上海・訪日団のことを19日の研究会で、少しでも話題にできればと思っていますが、時間がないようにも思いますので、素案として多少のイメージを出しておきます。上海の呉さんも含めて、皆さんのご意見をいただき、スケジュールを決めていきたいと思います。(宿泊は6月1日以外は東京)
5月27〜29日 神戸・大阪など関西プログラム
5月30日 関西から上京(午前か午後か?) もし午後に組めれば、二三区のどこかを訪問。
5月31日 三多摩の公民館を訪ねる。国分寺と・・そして?
6月 1日 伊藤長和さんに相談して川崎を歩く。たとえば市民館と活発な「地域教育会議」を
       訪問する、など。(川崎泊)
6月 2日 自由行動。送別パーテイ?
 上海訪問団は総勢8名、それに小林ほか。黄丹青さんも協力してもらえるようです。関心ある人(たとえば早稲田の新保さんなど)にも声をかけるかどうか。車の関係でむしろ(8人以外の人数)を決めてもいいと思いますが・・・。
 車については、訪問先との関係で移動手段を考えればいいと思いますが、まずは6月1日は車の手配をお願いすることになるでしょうね。31日・三多摩案とすれば、むしろJRとタクシーの方が効率がいいかもしれません。いくつか検討課題。
・正式招聘の日程は5月31日まで、6月1日川崎プログラムを組んでいいかどうか?
・歓送迎のパーテイをどの日にするか、2日にする?
・社区教育=社会教育に関する研究会を計画するかどうか?
・観光をどう組むか、食事の手配、などなど検討を始めましょう。

第858号:2002年4月23日
◆<桑原重美さん、風ネット参加か?>
 桑原さん(元NHKカメラマン、いまフリー)から電話あり、19日は別の日程あり、研究会に行けず、正敏さんに会えなくて残念、との連絡でした。そういえば私たちと桑原さんとの出会いは、ある名護の夜の集い、ジールの2階、正敏・誠司両氏を介してのことでした。
 また、メール・アドレスを取得された由。「南の風」のことを話し軽めの自己紹介を送ってほしい旨お願いしておきました。果たしてうまく届くかどうか?
 桑原さんには、昨年のハンブルク行きの記録ビデオを制作していただき、今年はまた「最終講義」を撮影していただきました。あらためて御礼申しあげます。

第861号:2002年4月28日
◆<和光のプロゼミ2人へ>
 先日の訪沖の際、パピリオンで撮った滝本ちひろ・吉松朋子お二人の写真をホームページに入れました。もし好きでなければ、ご一報を。すぐに差し替えます。離島は、まずは久高島。そのうち思い切って八重山、とくに竹富島、あるいは平田大一の小浜島(ちゅらさんの舞台)。
 佐久本さんのお金は次回の飲み会そしてパピリオンまで保管しておいて下さい。佐久本さんもきっと受け取らないでしょう。その旨、小生からお礼ハガキを出しておきます。上原文一さん(具志頭村)にもそのうち会いに行って下さい。二人のこと、よろしくと手紙を出してありますので。

第863号:2002年4月30日
◆<上海・呉遵民氏と関係の皆さんへ報告>
 5月末に来日予定の上海訪日団のメンバー変更にともなって、あらためて査証申請のための書類(身元保証書9通、招聘理由書9通、計18通)を大急ぎで作成し、4月29日 AM10:30、発送しました。国際エクスプレスで出しましたので、2日前後で着くそうです。滞在予定表は前に送ったものをそのまま活用いただき、訪日者氏名リストは変更状況に即して、上海側で作成して下さい。
 また同じく先送した招聘者・TOAFAEC の規約・役員名簿等をコピーして添付して下さい。本来ならば「東アジア社会教育研究」最新号、あるいは訪日調査団と関連する号を一緒に提出できればいいのでしょうが、これは無理。TOAFAEC ホームページの「東アジア社会教育研究」バックナンバー・目次一覧などをコピーして添付するのも一案か。(先回の広州関係者をTOAFAECとして招聘したときは、これら資料を求められましたので、念のため)
 沖縄本づくりの最終段階や、横山宏氏「偲ぶ会」での「人と業績」の準備などと重なり、例年になく忙しい連休の幕開け。まいった、まいった、というところです。

第863号:2002年5月1日
◆<上海へ最終文書の送付>
 この1週間、5月末の上海訪日団関連の呉メールがほとんど毎夜(しかも深更に)舞い込んできました。九州行きの予定も延ばして、これに対応、なかなか大変でした。上海側のビザ申請ルートの変更、訪日予定メンバーの差し替え等によるもの。その都度、あらたな文書づくりを求められました。昨夜のメールでようやく最終文書?の段階か。5月1日メーデーの日、前夜に到着した「名簿最終版」に基づき、朝から「労働」をして、最終(であってほしい!)文書として発送しました。
 この間「延期しましょう」という判断もありましたが、上海側の混乱が一応収束され、いまむしろ悪名たかい日本領事館の厳しい査証審査の方が問題。わたしたちから延期を提起するとなれば、こちら(日本)側のしかるべき理由が問われることになりましょう。
 招聘者としてのTOAFAECは、公的機関ではなく、民間非営利の名もなき小研究グループですから、これから在上海・日本領事館がどう審査することになるか。かって広州の友人たちをTOAFAECとして招聘したときも一連の資料を求めらた経過があります。そのおり「中国は厳しい国だな」と言ったところ、「日本側がうるさいのです!」とたしなめられて恐縮した記憶があります。
 今回ホームページからTOAFAEC関係の概要資料をコピーし、すこし補筆、前より詳細なワンセットの添付資料として上海へ同封しました。次の4点です。1,TOAFAEC概要(HPの表紙の部分)、2,東アジア社会教育研究(1号〜6号)目次一覧、3,規約(昨年の総会で論議したもの)、4、役員一覧(同)。
 政府登録?団体ではないが、他の学会・研究団体がそうであるように、研究的に活動していること、いかがわしい団体でなく社会的に有意義に存在していること、の証明のためです。以上、ご報告まで。

第865号:2002年5月5日
◆<ハンブルグ行き、残念ながら・・・、谷和明さんへ>
 ソウルからのメール、有り難うございました。シンポジウムでのご活躍いかがでしたか。小生は、5月2日、ようやく福岡に来たばかり。名護で進行中の沖縄本づくり最終レイアウトの皆さん(島袋、中村、平良、山城など)とパソコンで結びながら福岡で作業をしています。予定を早めて7日には帰京、9日にエイデルへすべてを搬入予定。(なかなかゆっくり出来ません。)
 谷さんからの上記・添付フアイルは英文、「公民館の風」にと思っていたのですが、ドイツ旅行(ハンブルグ・アルトナーレ)のご案内記事もありましたので、この英文報告は私の手元に預かって、ご希望の方があれば(どうぞご一報を!)お送りすることにしたいと思います。ご了承ください。
 ところで小生(及び妻)の今年のドイツ行きは、どうも実現できそうにありません。一応、6月上旬を空けてはいたのですが、前後にいろいろのことが重なり(中国・上海からの訪日調査団受け入れなど)、また早くから出席を約束していたゼミ卒業生の結婚式があいにく6月9日挙式と決まり、ハンブルグ日程と完全にダブってしいました。いろいろ思案しましたが、参加は無理のようです。申しわけありません。
 せっかくの企画、またドイツ社会文化運動と日本の公民館をつなぐ本づくりの宿題もあり、まことに残念ですが、次の機会のお誘いを待ちたいと思います。昨年のアルトナーレ行きの経過もありますので、川崎の伊藤さんや生活クラブの石倉くん、あるいは他の社会教育関係者のご参加が期待されるところ。

第867号:2002年5月9日
◆<「作庭は移ろいの芸術」(丸山健二、朝日・7日夕刊)からほど遠い
                     ・・・庭のサクランボの木の話>
 いま福岡・油山の小さな庭は一年でもっとも豪華な季節。なによりも白樺三本(おととし倒れた一本も蘇った)のそよぐ若葉、透明感のある緑。足もとにはエビネの群落。農中茂徳が植えてくれた柿の苗も根付いている。木洩れ日にベンチを持ちだし、緑の薫風を浴びながら、ぼうっとして寝ころぶ至福のひととき。幸いこの季節、まだ蚊もいない。
 7,8年ほど前、白樺に並べてサクランボの木を植えた。「桜桃」という名に惹かれて、きっと花も綺麗、実も生るだろうと思ってのことだが、まったく期待はずれ。花も実もあるはずなのに、印象としてはただ濃い緑のみ。ただ、驚く勢いでずんずん伸びた。白樺より幹も太くなり、座敷の屋根を越して・・・、とここまでは許せるのだが、秋から冬になると落葉が屋根にひどく、雨樋につまってしまう。
 いつも主がいない家は、ノラ猫だかどこかのイエ猫たちの格好のたまり場になっていて、排泄物にも少々困っているが、この連休、よく見ていたら、猫たちはサクランボの幹を伝って2階のベランダでランデブー、仲良く昼寝を楽しんでいた。
 これはご愛嬌だとしても、連休(博多ドンタク)の二日間の大雨では、落葉がたまった雨樋は機能せず、屋根からの雨水は半ば滝のように流れ落ち、座敷の前は小さな池になっている始末。いつも土砂降りのときは、こういう状態だったのか。
 屋根にのぼって雨樋を掃除すればいいようなものだが、憎っきヤツはサクランボめ、この期に及んでは許しておくものか、みたいな心情になって、6日午後、ノコギリを持ち出しゴシゴシと(猫が屋根にのぼれない高さで)幹を引き倒してしまった。
 そのあとが大変!倒した枝を切り分け、山こずみに。約4時間の作業、疲れはてた。そしてまた、少々ギックリ腰の症状、年寄りの冷や水とはこのこと。「作庭こそが芸術のなかの芸術ではないか」(丸山)という一文に触発?されて、サクランボのたたり、つい書きたくなった次第。

第872号:2002年5月18日
◆<上海から来日の皆さん>
 ビザ取得が順調にすすむことを祈っています。前にもお知らせした?ように、上海の皆さんの東京滞在(5月30日〜6月2日)のこの時期、丁度サッカーのワールドカップ開催と重なり、ホテルの予約が難航しました。ようやく確保した「ふくおか会館」も、6月1日のみはすでに満室で、川崎の「ホテル・オーロラ」に移動しなければなりません。部屋は、5月30日と1日(ホテル・オーロラ)は、ツイン3,シングル2,で予約できましたが、5月31日と最終日6月2日については、ツイン1室しかとれず、他の皆さんはシングル6室の予約となっています。ご了承ください。 
 なお、『東アジヤ社会教育研究』第7号への投稿希望、拝受しました。意欲的なお申し込み、歓迎です。予定テーマとおおよその枚数をお知らせ下さい。

第874号:2002年5月21日
◆<ホームページへの参加、もうすぐ, 012345!>
 TOAFAECのHP、拙い手づくり作品ながら、最近は来客多く、カウンターが勢いよくまわって、いま1万2千330あまり(20日正午)。すぐに上記のように数が並びます。2度とこないラッキー?ナンバー。ちょうど出くわした方には、近く出る(7月初旬予定)沖縄の本を1冊進呈することにいたしましょう。(小林文人・島袋正敏共編『沖縄社会教育のメッセージ』仮題、エイデル刊、思いのこもった力作!)
 ご一報下さい。ただし「風」メンバーに限る? −声あり、限るべきでない? そう、どなたでもどうぞ、出会った方はご連絡下さい。

第877号:2002年5月25日
◆<上海からの訪日団、ついに来日中止!>
 昨夜の「風」でお知らせしたように、日本領事館(外務省)のビザ申請の審査・交付が、訪日団出発予定の来週月曜(27日)には間に合わないことが決定的となり、上海訪日団はついに計画を中止せざるを得なくなりました。なんとも残念です。
 24日は朝からお互いに電話をかけあい、とくに上野景三さんは外務省へ、末本誠さんは上海(呉さん)へ、それに伍して、ぶんじんも・・。妙にケイタイが役に立つのも逆に腹立たしく、疲労・焦燥・無念の一日。来週まで結論を持ち越すことはできないスケジュールだけに、やむなく25日午後には結論を出し、訪問予定先、予約ホテル、パーテイ会場などのキャンセルに追われました。東京・川崎プログラムでは、準備交渉にあたっていただいた伊藤長和さん、内田純一さんにつらい作業をお願いする結果になり、なんとも申しわけない次第。
 それにしても憎きは、日本在外公館・外務省の形式主義と官僚体質!

第881号:2002年6月1日
◆<沖縄本、合同校正作業(名護)、ご参加を!>
 沖縄の本(エイデル研究所発行)づくり、31日到着した島袋正敏さんからの写真約60点、ゲラに貼り付ける作業をしました。いい本になりそう。しかしまだ未着の原稿1人あり、どこで決断?するか。この土・日、エイデルに頑張ってもらって、打ち出した貼り付けゲラを持参して、6月5日朝、名護へ。
 合同校正・書名決定等の作業を下記のように予定しています。@名護。ご都合がつく方はご参集下さい。執筆者が多く、また時間的にも、校正ゲラを各自にお送りする余裕なく、編者の合同作業のでやろうという計画です。
 当初は中村誠司さんが上京する予定でしたが、むしろ東京からゲラ刷りをもっていって、名護で仕上げようということになりました。
 期日:6月5日午後3時〜7日深夜(8日朝・小林帰京)
 場所:名護市中央公民館(連絡先 ぶんじん、島袋正敏の携帯へ)
 参加:中村誠司、平良研一? 島袋正敏(議会の合い間)、小林文人ほか・・・
 <今後の予定>
・6月10日:すべてのゲラをエイデルへ返し。
・6月17,18,19日:最終校正(@エイデル)。いまのところ小林だけの孤独な作業になり
 そう。都合のつく方のご協力を乞う!
・7月10日:刊行
・7月13日 :出版お祝いの会、全国集会に向けての集いに結びつけられないか(名護)。

第886号:2002年6月8日
◆<沖縄本「出版祝いの会」と全国集会に向けてのキャラバン計画>
                             −名護にて、経過報告−
 5日から7日にかけての沖縄の本づくり・校正作業と写真選びの作業、島袋正敏さんと中村誠司さんとぶんじんの3人、本の書名を最終的にどうするか(まだ確定にいたらない)などの論議をまじめにしたあと、6日夜、ようやくオリオンビールとシマ酒の時間となりました。
 いつものことながら話ははずみ、本の完成お祝いの会に重ねて、名護全国集会・プレ集会を各地で盛大に(琉球列島をキャラバンするかたちで)開こう、ここではずみをつけて8月末の集会につなげよう、など盛り上がりました。その論議のなかで、東京・内田くんの都合も聞きたくて、電話したわけです。(下記メール)
 スケジュールはほぼ次の通り。こんご受け入れ側の都合で多少の変更は予想されますが、一応この線で準備をすすることになりました。関心ある方のご参加を待っています。
 7月10日(水) 本の完成
   11日(木) 南部・中頭のプレ集会(那覇か宜野湾)
   13日(土) 名護の出版祝賀会・北部プレ集会(名護)
   15日(月) 八重山のプレ集会(石垣)
    16日(火) 宮古のプレ集会(平良) *時間帯はいずれも夜。
*ぶんじんは10日から18日まで沖縄入り。八重山・宮古には誠司さんなども合流する。
 先島めぐりを含めてのキャラバン構想は、本の編集作業のなかで話し合われてきたことです。せっかくの「おきなわの社会教育−自治・文化・地域づくり」(仮題)刊行ですから、これが各地・各シマで読まれ、全国集会のエネルギーともなり、さらにこれからの沖縄社会教育の新しい展開にもつながることになれば、と期待しているところです。

第894号:2002年6月23日
◆<『おきなわの社会教育ー自治・文化・地域おこし』(エイデル) 作業終わる!>
 6月22日、23日の両日、沖縄本の最終ゲラ読み、索引づくりなど、すべての作業を終えることが出来ました。
 エイデルの新開さんと沖縄本の企画を話したのが、ちょうど昨年の今ごろ(『世界の社会教育施設と公民館』づくり最終段階のころ)。それから1年の道のり、編集案が確定し執筆が始まってほぼ半年の作業。どうにか最終ゴールにたどりつくところまで走ってきました。
 前の本は3年がかり、こんどはかなり慌ただしいスケジュール、それを象徴するかのように、この両日も目まぐるしく過ぎました。とくに二日目の後半、最後の索引づくりの段階では、この日に作業を終わるために、エイデルは戦場の雰囲気となりました。なんとか終わったところで、どっと疲れが・・・。
 呼びかけに応じて集まっていただいたのは、近藤恵美子、小峯みずき、内田純一(第1日)、そして江頭晃子、飯沢美樹、石倉祐志、石川敬史(第2日)の皆さん、それにエイデル側は担当の長谷さん、応援の山添さんと、最終段階には、新開さん(取締役、出版部長)も駆けつけていただき、恐縮しました。どうもお疲れさま、皆さん、有り難う!

 初日の22日はかなり余裕があり、午後後半はW杯の韓国・スペイン戦に切り換えたり、賑やかに進行しましたが、23日はかなり難航。最後の索引づくりは、コンピュターの力であっという間に片がつくかと思いきや、さにあらず・・・ビールを飲み始めたのは結構遅い時間となりました。
 奇しくもこの日、沖縄は慰霊の日、本づくりと重なって、沖縄を想う一日となりました。おわりは脱兎のごとく、なんとか作業をおえることができたこと、ご心配の方々にご報告申しあげます。
 これで(25日の最終チェックを経て)、7月10日には本になります。予定通り、7月11日から沖縄で始まる出版報告会・全国集会キャラバン(那覇、名護、石垣、平良)に間に合わせることが出来ます。
 感謝!です。
 いずれ「風」で新本・目次の紹介、割引値段の設定、などお知らせします。この本は、8月末の全国集会当日に間に合わせるのではなく、その準備過程で活用してほしい、という思いで作業を急ぎました。月刊7月号でも、中村誠司さんが(旧書名ー沖縄の社会教育実践ーで)紹介してくれています。まわりの方々にご喧伝いただければ有り難い。すでに小生は各地で100冊ほどの予約をとりました。
 皆さん、どうぞよろしく! (ぶんじん)

第895号:2002年6月26日
■<モンゴル旅行計画のこれまで>
 1997年のどのあたりからか、ボヤンバートル君(現在、内蒙古師範大学・日本語担当)が和光大学社会教育研究室に在籍するようになりました。これをきっかけに小さな研究室にモンゴルからの留学生が集まるようになり、彼が帰国したあとも套図格君を中心にモンゴル族との出会いが続いています。
 昨年の1月、永福の新年会で馬頭琴の演奏が披露されました。これがよかった!その後、学校や地域で彼らの活動を支援する動きが始まりました。遅々たるあゆみですが、なにしろ物価高の東京で、3K労働に従事しながら、1ヶ月千円を貯金し、故郷の子どもたちの苦境を救おうというモンゴル留学生たちの悲願。「これを見捨ててなるものか」というわけで、川崎や滋賀(愛知川)でも馬頭琴コンサートなどの企画を用意していただき感謝にたえません。
 6月21日の夜、TOAFAEC定例研究会は総会に合流して開かれませんでしたが、モンゴル部会?は和光大学「のむぎ」に集まりました。「のむぎ」の主人も大いに関心をもち、「もしモンゴル行きの計画があれば参加したい」とのこと。いろいろと相談しあいました。その結果、下記(略)旅行計画がほぼ確定しました。関心をおもちの方々、ぜひ参加をご検討下さい。
 今から呼びかけを始めて、参加人数はどうなるか。「ぶんじん」「のむぎ」の二人はすでに参加を決定しています。

第898号:2002年 7月 2日
<歌の工房> 
   *七夕の会、白酒は「孔府家酒」
◇笹の葉も短冊もなき宵なれど 白酒のあり語らいのあり
◇酔いどれて論じあいし日遠く過ぎ いまサッカーに興じつつ飲む


*(日誌)901号〜1000号


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