【南の風2011】発行リスト・2751号〜2800号
各号後記(ぶんじん日誌)



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南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


2800号【2012年1月11日
★<沖縄行き延期>
 正月十日が過ぎ、恒例の新年会も終わって、文字通り新しい年がスタートしましたね。「南の風」には今朝(11日)、本号2800号を編集した後になお4〜5本のメールが待機中。なにか勢いを感じさせる年の始め。
 昨晩からは沖縄(那覇、中頭、名護など)に電話のかけ通しでした。12日から出発予定の沖縄行き日程に関してです。既報(風2789号)のようにNHK沖縄は、「沖縄復帰40年」企画の取材のため、当方にも協力要請あり、多少でも力になれるのであればと沖縄行きを計画したのでした。最初の放送(19日)に間に合うように日程を組んだところ、「放送予定が12日になる可能性」(NHK沖縄)あり、仲宗根悟さん(もと復帰協事務局長)等の取材を正月に済ませたとのこと。当方が無理に“間に合わせる”必要はなくなったことが一つ。
 もちろんTOAFAEC 年報(第17号、9月発行予定)としての取り組みもあり、じっくり協議の時間など相談したかったのですが、これも都合あわず。結果的に今回の沖縄行きは2月終わり(名護市長2年)から3月上旬あたりに延期しよう、ということに。
 予約していた飛行機とホテルをキャンセル。名護、中頭、那覇の研究会の皆さんに変更をご連絡(お詫び)して一件落着となりました。やや拍子抜け・・・ポカンと空いた1週間。この冬まだ行っていない油山・隠れ家の掃除にでも、という家人の意見もありますが、まずは突然の空白を楽しむことにします。那覇から鷲尾真由美さんのお誘いに応えることができなくなりましたが、アセス問題等に緊迫した那覇の動きは興味深く、記録としてそのまま掲載(上掲)させていただきます。

2799号【2012年1月9日
★<新年会終わる>
 新年会(1月8日午後)ご参加の方々、世話人の皆さん、お疲れさまでした。昨年と比べると、留学生の数がやや少ない感じでしたが、子どもたちを加えると30名ちかく、楽しい集いとなりました。年の初めにいいスタートを切ることができ、有り難うございました。
 ヤンバル島酒のカメから古酒(クースー)を汲み出して一瓶を持参する慣わし。所望する人だけに少しづつ振る舞って、これが好評。二次会(風の部屋、約10名)でも古酒を飲み合って、夜が更けていきました。今朝は久しぶりに二日酔い気味です。
 烟台(帰国中)の伊藤長和さん、鹿島からの森下松寿さん、ご苦労さまでした。留学生は、初参加の王国輝(東京大学)、呉世蓮(早稲田大学)、張治科(宇都宮大学)等の皆さん。信州伊那谷からは米山義盛さん、りんご持参で参加。さきほど届いたメールは次の通りです。
 「昨日はお世話になりました。楽しい集まりと古酒の美味しさに、最後は万全を期して代行運転をお願いして、12時過ぎに無事帰宅できました」(Mon, 9 Jan 2012 09:29)。年始の心境が添付されていますが、これは次号まわし、ご了承を。
 ところで、あと1号で2800号となります。「風」も最終ラウンドを迎え、恒例の 100号おきアドレス帳整理は行わないことにします。案外と気をつかうのです。もし配信無用の方があれば、ご一報ください。
 前号本欄「福島からの年賀状」でご紹介した立柳聡さん(福島県立医科大学、もと「公民館の風」メンバー)から、「沖縄とのつながり」もあって「南の風」配信を「楽しみに…」の返信あり、本号よりお送りするようにします。一文をいただければ幸い。
2012新年会(東京・明大前「ハミングバード」、20120108)


2798号【2012年1月7日
★<福島からの年賀状>
 皆様からたくさんの年賀状をいただき、有り難うございます。今年の賀状は、とくに大震災・福島原発問題の深刻さを反映してか、メッセージ性の強い内容が多く、読むのがたいへんなほど。メイルでいただく(とくに海外の)ご挨拶は、「風」誌上に掲載しましたが、ハガキ賀状は入力する必要があり、なかなか。それでも例年いつくかご紹介してきた経過も思い出しながら・・・。
 福島からの賀状。「…未完成技術である原子力発電は放射能汚染という重大かつ深刻なを事故を引きおこし・・・加えて情報開示の遅れは、結果として私たちを無用の被爆に追い込んだ」(福島県伊達市・宍戸克己さん)。「…子どもたちが大変なことに!一人でも多く助けたい思いでいっぱいです。どうか各地で子どもたちをどんどん受け入れてください。そのための運動をひろげましょう」(福島県立医科大学・立柳聡さん)。
 伊達市はあんぽ柿特産の地。今年は生産の自粛を求められ、農家は大きな打撃を受けたとのこと。年末より農地や樹木の除染が始まっているそうですが、“除染”も気が遠くなるような作業、今後どう展開していくのか。
 話題一転、奈良からの賀状。阪口和美(和光大学卒、旧姓・稲冨)さんが結婚し夏に男子誕生のお知らせ。加えて十月末に沖縄料理の店「がじゅまるの木」を開店したそうです。「…主人の店です。独立しました。こちら方面へお越しの際はぜひお立ち寄りください」と。近鉄奈良駅からすぐ(奈良市中筋町16−2 電話0742-27-7655)だそうです。稲冨さんは「風」記事の縁で、奈良市生涯学習財団に応募し公民館の仕事を始めた人。関西の皆さん、一度、新しい店をのぞいてやってください。

2797号【2012年1月5日
★<新年会の物語>
 漂泊の人生を続けている(ように思える)渡部幹雄さんの「年末年始旅日誌」(上掲)を読みながら、刺激されるところがありました。こちらも九州から東京へ出たのは出稼ぎの思い(50年前のこと)。東京はいつも仮の住処。久留米に生家あり福岡油山に隠れ家あり、年末年始は必ず九州への往復でした。
 そこに沖縄の“病い”始まり(35年前のこと)、年末に沖縄に行って正月は福岡で・・・年末に行けなければ、福岡の正月三が日を済ませて沖縄に入るという日程が定番となりました。私の研究室に出入りした留学生はみな強引に沖縄に誘われ、その往復に福岡の正月雑煮を食べさせられた人も多いのです。北京の韓民(最近メールが届かない)や上海の羅李争、カイロのアーデルなどそうでした。
 福岡油山の庭では正月2日に新年会、1975年頃から定着してきました。1年の行事がここから始まるかたち。九州時代の教え子(今すでに70歳)や知己が集まり、2001年まで続きました。肝煎り役は農中茂徳、その幼い息子が、ぶんじんの膝の上に神妙に座っている写真などあります。
 船橋の息子一家と揃って正月を迎えようと、交通混雑の福岡行きは敬遠、この10年は東京で一緒に年を越すようになりました。今年もまだ東京を離れていません。それだけに上掲・渡部「旅日誌」が羨ましい。
 東京の新年会は1981年から始まりました。永福のマンションに庭はなく自宅をすべて開放、昼から深夜までの無礼講。年とともに人が増えて、ついには延べ50〜60人の混雑。さすがに無理・・・というわけで、世話人の肝煎りで近くのレストランで開くようになりました。今年は1月8日午後、皆さんお揃いでおでかけください。夜の部は・・・どうなるか?未定。
 詳しくは→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2006sinnenkai.htm

2796号【2012年1月4日
★<屠蘇酒の酔い>
 お正月は息子一家と過ごしました。孫たちも賑やかに騒いで、屠蘇酒の酔いを楽しみました。終日ほろ酔い気分で本年初の「風」(前号)をつくり、皆さんに配信。しかし再読してみると、上海・呉遵民さんの年頭ご挨拶の掲載もれ(目次のみ記載)。また台湾の陳東園さん所属「空中」大学を「宮中」と誤記。正月から千鳥足?でした。申しわけありません。ちなみに空中大学とは放送大学の意、陳さんも元気のようで何より。呉さんのご挨拶は本号に載せました。(上掲)
 黄丹青さんからは“お年玉”が…。昨年10月の福建省訪日団のレポート「日本と韓国・生涯教育視察報告」(李斗石さん執筆、2011/11/5)の日本語訳を頂きました。早速ホームページへ掲載。ご覧ください。
 →■ http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/tyugoku200912.htm
 訪問団帰国後、李さんが短時間でまとめられたもの。その精力的な仕事ぶりについてはご記憶の通り(風2969号)。内容的には、日本と韓国の社会教育・平生教育の動向・特徴(視察内容)を要約し、それをふまえて福建省としての課題提起の試み。三国間の検討、読み応えがあります。
 課題は五つ。中国としての生涯教育法制の立法、生涯学習行政システムと専門機関の整備、とくに専門職制度の確立、生涯学習にかかわる公的経費の充実、そして学習認証システムの構築。日本と韓国はそれぞれの歴史と蓄積があり、その「先進的な経験を学ぶ」と同時に、「この訪問は福建が世界に踏み出した第一歩」であったと結ばれています。団長の裴曉敏さん(福建中華職業社主任)から丁重な賀状も頂戴しました。

2795号【2012年1月2日
★<海を越えて−東アジアからの風>

 皆さま、お元気に新年を迎えられたことと思います。元旦早々、各地からの年賀状をいただき、有り難うございます。また韓国から年始の電話や、パソコンにも新年ご挨拶のメ−ルいろいろ来信。そのうち、東アジアからのいくつかを本号に掲載させていただきました(上掲)。これほどたくさんの便りに接するのは正月ならではのこと。思わぬ人からの賀状もあって、懐かしい限りです。
 正月早々、お詫びを一つ。当方も例年のように賀状を用意していました。旧12月に喪中欠礼のハガキを頂戴するうちに、ハッと思い出したことあり。実は義兄(富美の実兄、享年89歳)を昨年5月に喪っていたのでした。大慌てで・・・急ぎ「寒中お見舞い」に切り替えることに。正月の年賀ご挨拶は“欠礼”して、休み明けに“お見舞い”を差し上げる予定です。年頭から申しわけありません。
 12月の本欄(風2793号)で2冊の本・資料を紹介しましたが、さらに年もおしつまって2冊の本を恵送いただきました。一冊は、鈴木敏正・姉崎洋一共編『持続可能な包摂型社会への生涯学習−政策と実践の日英韓比較研究』(大月書店)。あと一冊は、福島大学の皆さんの共同執筆による堺野健児・千葉悦子・松野光伸共編『小さな自治体の大きな挑戦−飯舘村における地域づくり』(八朔社)。冒頭に、飯舘村長(管野典男氏)は「未曾有の危機を乗り越えるために」を寄せて、これまでの歩みのなかで「福島大学ぬきに…」飯舘村は語れないこと、難局に直面して、この本は必ずや「道しるべとなる」との強い確信を書いています。

〜〜〜<2012年>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2794号【2011年12月30日
★<今年の最終号>
 2011年が暮れていきます。1945年とともに、生涯忘れないであろう年となりました。東日本大震災の2万人近い死者・行方不明者の慟哭が聞こえてきます。多くの家屋・集落が流失し、10万人以上の人々が放射能に追われ、つらい避難を強いられている毎日。大晦日の除夜の鐘は、どのように響くのでしょうか。
 南の風は、できるだけ楽しく、愉快に吹いていこう、と心がけてきましたので、現実の厳しさとのギャップに苦しんできた1年でもありました。それでも、めげずに、休まず、年の瀬を迎えることとなりました。各地からの便りが相次ぎ、年間230号の送信。これまで14年の歩みのなかでも最多の記録。なかには迷惑メールもあったかと思いますが、お許し下さい。
 いま「風」は日本各都市は言うまでもなく、南の那覇や名護、石垣や竹富、さらに海を越えて、ソウルや公州、台北や高雄、フフホト・北京・烟台・上海・広州など、加えて遠く、ダッカ、カイロ、ニューヨークなどに届いています。“返し風”のない方が多く残念ですが、期待して読んで頂いている様子が伝わってきます。ご愛顧に感謝!です。
 実は、どこかで店仕舞いにしたい、と思いながらの1年でした。八十路になるのだから、もう、そろそろ・・・、いい潮時はないものかと探ってきました。しかしTOAFAEC 広報機能を担っている意識があり、何よりも皆様からの送信があれば嬉しくなって、ほぼ3日に2日のリズムで吹き続けた年となりました。来年は、この7〜8年、取り組んできた『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店)刊行のニュース(2012年・夏?)を掲載する喜びの日が一つの節目か、あるいは(誰かが挑発した)3000号まで頑張れるかな、などと思いながらの越年です。皆さま、良いお年をお迎えください。

2793号【2011年12月28日
★<お祝い二つ>
       *「小さな忘年館」 写真→■(12月26日記事)
 前号本欄に「26日夜は小さな忘年会」と書きましたが、今年最終の仕事もしました。昨年秋に韓国で刊行された『日本の社会教育・生涯学習』の日本出版リライト版の編集会議。来年3月刊行に向けての集約作業、未着のリライト原稿数本をなんとしても年明け早々に入稿していただくことを確認し、めでたく終了。その後に忘年会としての乾杯という流れでした。心あたりの方、ご協力のほど、どうぞよろしくお願いします。
 この席で、中国から帰ったばかりの伊藤長和さんから新刊二冊を頂きました。日本にいるものが、かえって知りませんでした。一つは、よこはま生涯学習ネットワーク研究会発行『横浜の社会教育を顧みて−1970年代から1980年代を中心に〜』の力作。あと一つは、大雨雄峰著『大悲・東日本大震災に奉げる詩』(文芸社)。いずれもこの12月に刊行されたばかり。
 二冊目の著者は、もと川崎市の社会教育を担った方、大都市研究の初期に学会発表もされ(1978年・名古屋大学)、『月刊社会教育』にも「政令指定都市」について報告(1981年12月号)が載っている古橋富美雄さん。その後に出家得度され、いま曹洞宗僧侶。「浄土はこころのなか 今日もあの海から 朝日が昇ってきたよ…」などの詩をしみじみと読みました。
 お正月を前にして、本号にお目出たい記事が二つ並びました。一つは今年4月に故郷(内モンゴル)に帰ったトクタホさんの大学就職が決まった報告。加えて鷲尾真由美さん(那覇)の新居落成のニュースです(上掲)。トクタホさんは夫妻ともどもにポストが用意されたとの別情報もあり、これでひと安心ですね。
 鷲尾さんは、1980年代後半に始まった中国語学習会(東京学芸大学社会教育研究室)からのお付き合い。「南の風」は創刊時からのメンバー。東京から石垣に移られたあと、今回は那覇・壺屋に新居を建てられたのです。驚きました。お二人にお祝いを申し上げます。

『日本の社会教育・生涯学習』 編集委員会、瀬川理恵さん撮影(渋谷ロゴスキー、2011126)


2792号【2011年12月26日
★<小さな忘年会>
 上掲「烟台の風」の伊藤長和さんは、正月の休みで中国からすでに一時帰国中。今晩(26日)渋谷・ロゴスキー(18:00〜)で会います。積もる話もあり、また共編で韓国に出版した本(2010年)の日本版・編集会議にもなりそうなので、同編集委員・李正連さんもお誘いしました。TOAFAEC 事務局の皆さんにも「ご都合つけば・・・」と連絡したところです。思わぬ小さな忘年会となりそう。
 夜の会を当日昼に「ご案内」するとは、まことに失礼の極み・・・と思いながら、もしご都合つく方があれば夜の渋谷にお出かけください。9時頃までいると思います。ここ数年頑張ってきた「韓国生涯学習研究フォーラム」(2007年〜)、やや遅れて動いてきた「中国生涯学習研究フォーラム」(2008年〜)、あわせて「東アジア社会教育交流委員会」(2009年〜)の皆さん。最近(3・11以降)はゆっくり語り合う機会をもてませんね。
 皆さん忙しい!毎日。振り返ると今年は集まる機会が少なかった。福建省来日の折も、韓国の三国間国際フォーラム準備会の前も機会なく、中国・韓国の研究会もすくなく、心のこりでした。来年はむしろ思い切って「東アジア交流委員会」主催の賑やかな集いを企画してはどうでしょうか。年の瀬に「大きな忘年会」を計画すればよかった、と今ごろ思っています。
 そういえば、TOAFAEC 研究会も(定例会は毎月開いてきましたが)、事務局会議は最近ほとんど開かれなくなってしまいました。メールとかケイタイとか、妙に便利なもので済んでしまうのですね。年報「東アジア社会教育研究」編集委員会のスタートも間近か、であってほしい。失礼なお誘いに便乗して、来年への期待をすこし・・・。

2791号【2011年12月24日
★<師走の風>
 街頭のクリスマス、あの喧噪は苦手で、とくに会合がなければ家に引きこもるのが通例。街も今年はなにか例年と違う24日の雰囲気。肩をすぼめて行き過ぎる人が多いようですね。寒波も襲来、東京は(まだ雪は降りませんが)いちだんと冷気が身にしみます。生涯忘れない多難の年もいよいよ残り少なくなりました。体調を崩している人もあるそう、お大事に。
 「沖縄タイムス」が今年の「十大ニュース」を載せています。驚いたことに「八重山教科書 見えぬ一本化」が第1位。それについで「東日本大震災」は2位(上掲)。ちなみに、共同通信による国内「十大ニュース」一位はもちろん「東日本大震災と東電福島第1原発事故」。沖縄は東北から離れているとは言え、八重山教科書問題への関心と憂いが伝わってきました。共同通信の十大ニュース(共同通信と全国加盟新聞社、民放契約社の編集・論説等報道責任者ら242人投票)は、次の通り。
 2、菅首相が居座りの末退陣、ドジョウ野田内閣誕生。3,サッカー女子W杯、なでしこジャパン世界一。4,円が戦後最高値を更新、円売り介入、輸出産業苦境に。5,野田首相がTPP交渉参加を表明。6,東電が初の計画停電、夏は15%節電。7,政府要請で浜岡原発停止、九電ではやらせメール問題。8、大阪ダブル選で橋下氏、愛知トリプル選で河村氏側完勝。9,小沢民主党元代表を強制起訴、元秘書3人は有罪。10、八百長問題で大相撲春場所中止、25人が角界追放。次点、台風12号、15号で大きな被害。(国際十大ニュースは略)
 今年を忘れない!とは堀尾正靱先生(とりまとめ)カレンダーのメッセージ。皆さんそれぞれの今年の十大ニュースは? 

2790号【2011年12月22日
★<「おきなわ短信」のあゆみ>
 今日(22日)は冬至。いつも明けない夜が好きなのに、夜が短くなる節目の冬至は、なぜか心に響くものがあります。少しずつ太陽が戻ってくるよ、ゆっくりいこう、楽しいこともあるさ、そんな気分になります。沖縄では冬至を「トゥンジー」といい、この日に田芋や豚などが入った美味しいジューシー(炊き込みご飯)をつくる慣わし。ご馳走になって元気が出た想い出があります。
 「南の風」はいつも沖縄からの便りを心待ちしています。しかし、なかなか吹いてきません。メールなど書くより、もっと楽しいことがあるのです、きっと。当方はなにか沖縄からの記事がほしくて、沖縄タイムスや琉球新報、八重山毎日新聞など読むついでに、そこから「南」のニュースを拾って、ときには場ふさぎとして「おきなわ短信」欄をつくってきました。
 本号にはたまたま「短信」記事なし。前号に名護勝山集落「区制70年祝い」を琉球新報・地域欄から拝借して「短信」644 号としています。それなりに選んで載せているので、前後の事情や思いもあり、いま読み直して面白い?記録シリーズになっているのではないかと。
 「おきなわ短信」は、最初「公民館の風」創刊(1999年)の頃、誌面をつくるため「沖縄の公民館」シリーズとしてスタートしたもの。各紙記事を活用しながらの、ぶんじんの書き下ろし記録。この頃、当時の名護市長が辺野古岬に普天間基地移設受け入れを表明、東海岸「二見以北10区」の会などが果敢に反対運動をしていた時期でした。集落(公民館)としての反対運動あり、他方で公民館建設などアメの補助金が乱れ飛ぶ動きもあり、「公民館」が大きな焦点となってきた一面があります。というわけで初期「おきなわ短信」を再発見する思いで、記録としてHPに載せておくことにしました。このあとは、次第に新聞記事だけの「短信」へと移行していきますが、社会教育の視点からみた沖縄ニュースと言えるかも。
→■
http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/okinawatansin1999.htm

2789号【2011年12月21日
★<沖縄復帰40年>
 来年は沖縄の日本復帰(1972年)から40年。この間、私たちの沖縄研究もすでに35年の歳月を重ねてきました。沖縄社会教育研究会から東アジアに視野をひろげたTOAFAEC。その年報『東アジア社会教育研究』でも“沖縄”問題を毎年取り上げてきました。すでに15年余り、来年の17号特集として「復帰40年」テーマをどのように位置づけることができるか(できないか)、の論議が始まろうとしています。
 沖縄の「祖国復帰運動」の歴史をたどっていくと、沖縄教職員会と並んで、青年団運動の果たした独自の役割が注目されます。その中心に仲宗根悟さん(1927年生れ)の存在がありました。沖縄青年連合会(当時)の事務局長、そして沖縄県祖国復帰協議会では終息過程まで事務局長の大役を担われた方。その証言を『東アジア社会教育研究』は、第12号(2007年)に収録しています。仲宗根さんを中心とする中頭(なかがみ)青年団OBの皆さんへの5回にわたる聞き取り記録。
 復帰40年にあたって、NHK沖縄では「…来年1月から5月にかけて、ローカルニュースや全国ニュースで復帰40年のこれまでと、これからを伝えるニュースを放送する予定」とのこと。仲宗根悟さんへの取材を通して私たちの沖縄研究、とくに青年団運動史の証言収集活動を知ったそうです。当方にも取材要請ありいま日程調整中。どれほどお役にたつか分かりませんが、1月12日〜17日のスケジュールで久しぶりの沖縄行きを計画しました。中頭だけではなく那覇の研究会の皆さんや、名護・島袋正敏さんにも連絡したところです(竹富島へ行く余裕はなさそう)。もし、同行希望の方があれば、ご一緒いたしましょう。ご連絡ください。
 昨夜(20日)は、国立で徳永功さんを囲んでの夕食会。楽しい夜でした。出版を祝う集いの下相談も。2月上旬の線で企画が進められる予定です。

2788号【2011年12月19日
★<来年の楽しみ>
 12月16日の研究会について、呉世蓮さんから早速の記録が寄せられました(上掲)。有り難うございました。残念ながら、風・前号(入れ違いに着信)には間に合わず、二日遅れで本号に収録。実は、いただいた原文は、なが〜い詳細をきわめた長文。当日の論議について坂田宏之さんからももコメントが届きましたので、呉さん報告は大幅に縮めてしまいました。思いのこもった文章の大半を割愛し、申しわけなく、お許しください。原文は記念に大事に保存させていただきます。
 前号に「50回目の記念日」を書いたところ、何人もの方から“お祝い”メールを拝受、恐縮しています。上掲の呉さん、坂田さんの研究会報告にも特筆していただきました。たまたま日が合っただけのことなのに・・・と冥利につきる思い。山本健慈・和歌山大学長からも直々の来信あり、嬉しくなって、本欄にご紹介させていただきます。
 「…2787号拝読しました。ご結婚50周年おめでとうございます。しばしば上京しながら、(本日からも月火の中教審等の会議で上京しています)冨美夫人にはお会いできないままなのが、残念です。来年はぜひお会いしたいと思います。重ねておめでとうございます。ますますお元気で。」(Sat, 17 Dec 2011 17:25)
 ところで、来年は「沖縄復帰40年」の年です。伝えられるところでは、NHK沖縄が1月から5月にかけて「復帰40年」についての番組制作を始めているとのこと。私たちの沖縄復帰運動・青年団運動史の研究に関心をもち、取材要請がありました。期待に応えて、1月中旬に沖縄に行こうかと調整中です。日程など次号に書きます。

2787号【2011年12月17日
★<50回目の記念日>
 昨晩(16日)は寒い夜でした。今年最終の、数えて179 回目の研究会。風邪気味であれば足も鈍る冷気、師走の忙しい時期とも重なり(下旬から中旬への日程変更もあり)、欠席連絡が相次ぎました。そのなかから。
 瀬川理恵さん。「…とても残念ですが、欠席させていただきます。もしや、16日ではと思っておりましたが、あいにく、その日は以前からの予定が入っておりました。申し訳ありません。それから、新年会も欠席なのです(大泣)。… 先生や皆さんにお目にかかれないのは寂しいです。」
 岩本陽児さん。「 … 和光大学の行事と重なってしまい、参加かないません。フィールドワークの報告会と、映画『原発 ほんまかいな?」上映会の実行委員なのです。ご参集の皆さんによろしくお伝えいただけませんか?盛会でありますように。なお、新年会には参加を予定しています。よい年の瀬と、よいお年をお迎えください。」
 研究会「話題提供」のお二人は、佐藤進さんと坂田宏之さん(写真)。三多摩の公民館の歴史を担ってきた懐かしい名前がたくさん出てきました。今回の『多摩のあゆみ』特集を契機に、東京で再び公民館のことが熱く語られ始めるといいなと思いました。ぶんじんは「東京社会教育史」研究の再開を提案するレジメを用意していきましたが、これは時間なし。
 しかし、続いて開かれた忘年会では、自ら挨拶して、皆さんに“祝杯”をお願いしました。この日は50回目の結婚記念日だったのです。私たち二人では、「よく続いてきたものだ!」と言い合って、一昨日に乾杯の夕べを過ごしました。80歳を含めて今年は節目の年でした。

左・佐藤進さん、右・坂田宏之さん(西永福、20111216)
 写真移動→179回研究会記録→■

2786号【2011年12月16日
★<三多摩の公民館>
 前号本欄には(お気づき?の通り)脱字・変換ミスあり、申しわけありません。HP掲載分は修正しましたが・・・、だんだんと目もかすんできて思わぬミス、ご寛恕を願います。
 前号『きむたかの翼』に岡幸江さんから早速のコメント(上掲)、有り難うございました。「肝高の阿麻和利」の生みの親、本の編者でもあある上江州安吉・教育長(当時・2003年)の写真を探し出しましたので、HPに掲げました。独特の風格!ですね。
 ところで、16日(金)夜は久しぶりに「三多摩の公民館」をテーマとする研究会。たましん地域文化財団『多摩のあゆみ』144 号の刊行を祝い、同誌収録10本の「公民館」報告を読みあう企画です(前号に案内再掲)。特集に寄せられた報告は8本。別に連載(洋風建築への誘い、建物雑想記)のなかの「旧日の出町公民館」の写真と建築学的な記事が実に興味深い。加えて「本の紹介」小平市史料集「近現代編」第4集も公民館に関する記録とのこと。まさに多摩の“公民館”特集です。
 日の出町公民館(残念ながら解体の運命にある建物)のことは、うかつにも知りませんでした。もともと林業が主産業の地域。「…日の出町公民館は、地元の材料を使い、地元の手で作られた公民館。無垢の木に土壁、漆喰仕上げという、現在であれば皆が憧れる、自然素材を使った地産地消の公民館」(p85、酒井哲氏)だったのです。
 研究会には「2011年を忘れない!」カレンダーを持参します。そのあと盛大な「忘年会」とは、妙な組み合わせですね。
左・上江州安吉教育長(当時)と (旧・勝連町教育長室にて、東武氏写す、20031002)


2785号【2011年12月14日
★<新刊『きむたかの翼』>
 「きむたか」は「肝高」、“志の高い”意。沖縄では有名な言葉です。勝連(現うるま市)の美称。そして勝連城の城主であった「阿麻和利」(あまわり、逆賊と伝えられてきた)の歴史を見直し、民衆から慕われた郷土の英雄としての阿麻和利の精神文化をたたえる言葉。勝連の中高生たちが「肝高の阿麻和利」(2000年3月初演)の舞台で躍動してきたことはご承知の通り。その新しい記録が出版されました。編者は、企画・制作者と言うべき上江州安吉氏(勝連町教育委員会教育長・当時)と約20人の編集委員会。その中には、脚本・嶋津与志さんや、もちろん演出・平田大一さんなどの名が見えます(11月30日刊行、長崎出版)。
 大きな感動をよびおこした数々のステージ。初演から10年を越えて公演回数は約200回、観客動員数12万人という大記録だそうです。
 本の全編にわたって上江州安吉先生への賛辞があふれていますが、熱情をこめた教育長の個人的な役割というだけでなく、あらためて教育行政に期待される積極性、また社会教育行政のあり方や学校の関わり方に教えられるところがありました。それを支える地域の力と伝統文化も。まさに「勝連に教育ルネッサンスの風が吹いた」(山内彰・実行委員長)のでしょう。
 これまで「肝高の阿麻和利」については、演出・演技指導の平田大一さん(和光大学卒、南島詩人、現在・沖縄県文化観光スポーツ部長)を通して見てきたところがあります。たとえば同著『キムタカ・舞台が元気を運んでくる感動体験夢舞台』(2008年、アスペクト社刊)など。新しく『きむたかの翼』を読んで、全体像がよく分かりました。
 2003年の関東公演を成功させた岡幸江さん(九州大学)の寄稿もあり、興味深いものがありました。琉球新報には「地域教育、結実への記録」と題する書評(田場裕規、2011年12月11日)が載っています。→■ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-185095-storytopic-6.html

2784号【2011年12月12日
★<七つの子の作文>
 定期便で届けられてきた伊藤長和さん「烟台の風」、今回は珍しく1週間振り。龍口市「南山大仏」詣でのレポート(上掲)でした。ご先祖からの啓示は「早く帰れ!」とのこと。印象深く読みました。
 この一文には、思いがけず、2003年8月「南山職業技術学院」「南山大仏の里」フィールドノート(ぶ記事、「南の風」1122号)に言及あり。8年前のことなのに、忘れずに・・・有り難うございました。
 あの8月の上海・烟台訪問は、「烟台本州日本語学校」開校式への出席が主目的。黄丹青さん(目白大学)や宮城満さん(名護)、故石倉裕志くん(TOAFAEC 事務局長)も同行していました。烟台のあと上海へ。出来たて「小林国際交流閲覧室」(行建職業学院)や桃浦鎮「社区学校」を訪問した思い出の旅。ホームページにも訪問記録を掲載しています。→■http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/shanhai0305.htm
 最近(東日本大震災以降)は、烟台・張林新さんと話す機会がありませんが、元気でしょうか。そう言えば今年初めの新年会で会いましたが、来年1月新年会(8日午後の予定か)にお出かけください。積もる話を聞きたいものです。
 ところで本号には、東京学芸大学の卒業生から来た関連メール2本を載せました。いずれも社会教育専攻ではありませんが、研究室活動としては深いつきあい。とくに内藤茂さん(TOAFAEC 掲示板の常連)が担任をしている小学校2年生の作文、被災地ボランティア活動の経験に基づく「ぼくの見た町 ぼくの想う町」は、読売全国作文コンクールで金賞を受賞したもの。感動して読みました。本文は長文なので、最後の部分のみの抄録、ご容赦ください。7歳の子の文章は、南の風14年史のなかでも最年少記録となりましょう。

2783号【2011年12月10日
★<祈りのカレンダー>
 「2011年を忘れない!」カレンダーがさきほど(10日昼)届きました。発起人(とりまとめ)堀尾正靱先生の別のメールによれば、「実物大のカレンダーを今日、壁にかけて、基本的に予想通りの出来であることを確認」とありましたが、私にとっては想像以上の出来映え!
 メッセージがくっきり。2011年を忘れない! 大きく傷ついた那智の大瀧の回復を祈りつつ、新しい力を予感させる祈りの女性像。散りばめられたたくさんの言葉。たとえば、「気仙沼に春がきた〜!桜が咲いていました」(避難所発「ファイト」編集長・小4)、「言葉はいま現実のできごとにあらかたおいていかれています」(辺見庸)、「無常の悲しみがあるから人と人は支えあう」(鍋島直樹)、「あなたの街の駅は、壊れていませんか?」(和合亮一)、「3・11は日本の科学技術が敗北した日である」(佐倉統)、「私と一緒だねえ、この花もこうして、踏ん張って、生きているんだ」(及川康子)などなど。堀尾先生、有り難うございました。
 2012カレンダーの趣意書・注文票は、風2777号、2779号などに既報・添付しています。被災地支援1口1万円=10枚のカレンダー。皆さんのご支援どうぞよろしく。まわりの方々にも拡げて下さい。ご希望の方があれば、ご一報を。プロジェクト事務局につなぎます。
 ところで、この3日間、韓国大邱で韓日中三国生涯学習国際フォーラム(12月9〜11日)が開かれています。もともとは来年に向けての準備会、しかし結果的には今年も大きな規模の集いになっているようです。ぶんじんも当初は出席予定でしたが、八十路に入ったことでもあり自重(すみません)。石井山竜平、李正連、上田孝典などの皆さんが参加、ご苦労さまです。帰国されたら、ぜひ報告を寄せてください。

2782号【2011年12月8日
★<少年Bの12月8日>
 70年目の12月8日がめぐってきました。1941年のこの日、早朝からラジオ放送の異様な雰囲気、「臨時ニュースを申しあげます!」で始まった太平洋(大東亜)戦争開始の日、少年Bは10歳でした。
 興奮の1日という印象が残っています。この日から学校が戦時下の体制に大きく変わりました。校庭・奉安殿の前に整列、皇居遙拝、訓辞を聞いたあと、隊伍を組んで近くの氏神様へ戦勝祈願、8日(「大詔奉戴日」と言ったような)にはそんな行事が毎月行われました。恭しく“奉読”される開戦の詔勅を今でも少し憶えています。「天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ、昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス。… 億兆一心国家ノ総力ヲ挙ゲテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ」など。
 学芸会では、真珠湾攻撃が演じられました。また12月10日のマレー沖作戦で、シンガポールに到着したばかりの英戦艦が撃沈された“大戦果”を称える劇も。少年Bは「プリンス・オブ・ウェールズ撃沈」「レパルス撃沈!」と叫ぶ役を割り当てられて、二つの戦艦名を懐かしく思い出します。
 1年ほど過ぎると、状況がだんだんと厳しくなっていきました。物資難、食糧難、配給切符、金物供出、学童疎開、灯火管制、防空訓練、出生兵士を送り遺骨を迎える動員などなど、楽しい回想はまったくありません。そして生家が軍需工場周辺の強制疎開で引き倒され、1945年になると勤労動員(旧制中学校生徒)、米機空襲による被災へと続くのです。

2781号【2011年12月6日
★<古層の島・与那国>
 いちどきに師走に入ったような実感。いくつか忘年会の案内が舞い込み、年内に済ませておきたい仕事の打合せあり、沖縄行きにも誘われましたが、わずか1両日で帰ってこなければならず、来年の計画に延ばそうと了解をとったり、急に“師走”となりました。
 まず遅れていた今年最終の定例(179回)研究会の案内を収録できました(上掲→■)。10日後の16日夜、終わって恒例の忘年会も。皆さん、ご予定ください。多難であった今年を語りましょう。会場は、高井戸(仮施設のため予約できず)ではなく永福・区民センターとなりました。ご注意を。たましん・坂田宏之さんから「多摩のあゆみ」144 号執筆者各位にも案内していただきますから、珍しい人が見えるかも。
 烟台・伊藤長和さん(年末に一時帰国予定)から、来年1月の新年会日程のお尋ね。1月14(土)か15(日)のいずれか?ご検討をお願いします。
 本号記事で興味深いのは、与那国(日本最西端の島)比川集落で共同売店がオープンしたニュース。比川の自治公民館が与那国町の指定管理を受け、集落が運営する初の試みとのこと。比川小学校の子どもたちが看板をつくり、貸し出し文庫コーナーも設けるそうです(上掲)。
 南西諸島のすべての島をまわろうと志をたてた頃、文部省(当時)科研費も得て与那国島に数年通ったことがあります(1998年・南の風創刊の年〜2000年)。古層の島・与那国の独特の公民館活動について2本の調査報告、そのうち1本は「東アジア社会教育研究」(第3号)に収録→■されています。比川は島の南側、与那国の中でも離れた集落ですから、とくに共同売店オープンの喜びが伝わってくるようです。
 すべての島に渡ろうという思いは、まだ持続しているつもり。大事な島がいくつか残っています。夢は果たせるかどうか。

常磐線「山下」駅(宮城県山元町)あたり。駅も線路も消えて、冷たい風が吹いていた。右側に太平洋 (20111204)


2780号【2011年12月5日
★<線路は消えて>
 今年で日本公民館学会は第10回。東北福祉大学(仙台)を会場として盛会でした。「南の風」としては創設の前史から数えて10年、公民館学会の歩みを書いてきたことになります。東日本なのに、西日本からの報告や参加者も少なくなく、年報(第8号)も年々部厚くなりました。よちよち歩きの学会も今や確かな軌道にのった実感の2日間。
 八十路を越して、懇親会だけにし、あとの二次会の誘いなどは潔く断ることに(成功!)。二日目午後の最終プログラムもパスして(申しわけない)、数人で被災地をまわる車に便乗させていただきました。まず南(福島県近く)の山元町へ。役場の敷地に仮設スタジオで奮闘していいる「りんごラジオ」(災害臨時FM放送局)訪問。その足で太平洋岸に向かうと、津波による瓦礫は見事?に一掃され、荒野には冷たい風だけが吹いていました。常磐線の(おそらく)「山下」駅も鉄路もすべて消失(上掲写真)、声を失いました。
 仙台に引き返して宮城野区「高砂市民センター」へ。地震・津波直後から多数の被災者が救いを求めてきた避難所(一時は約1200人)。しかし市指定ではないため行政の支援なく、自立して奮闘した4ヶ月近くの証言を聞きました。圧倒的されるようなドラマあり。できれば次号に書きたいと思います。
 たまたま佐藤一子さん(法政大学)が東北大学で集中講義中。夜の歓迎会が開かれていると聞いて、被災地まわりの一行で乱入? 疲れた身には実に美味しいビールでした。佐藤さんとのツーショットを李正連さん(東京大学)が何枚も撮ってくれましたが、ぶんじんはすでに酔った顔、HPへのアップは控えます。
 最終「はやて」で東京へ。帰宅したのは零時の針がまわっていました。
日本公民館学会第10回大会・総会(東北福祉大学、20111203)


2779号【2011年12月3日
★<なぜ「復権」か>
 前号に続く。服部団次郎「炭鉱犠牲者復権の塔」建立の思いについて、せっかくの機会ですから、あと少し付け加えておきます。炭坑労働者の挌闘のなかでの知識人(谷川雁など)の問題についても、興味深い一節がありますが、それはまた別の機会に…。
 服部は、筑豊で最後まで採炭を続けてきた貝島炭鉱の閉山式(1973年8月5日)のことを印象的に書いています。「一世紀にまたがる営為のあとに残ったのは、ただ虚無の渕をたたえる露天掘り跡だけ…」(永末十四郎)。そして「一脳裏に浮かんだのは、坑内で死んだ友、傷つき倒れた仲間の者たちの生涯を通じての不幸であった」と。「…ただ死者の問題としてでなく、この地上に生きているもの、特に同じ仲間として労苦を共にした、わたしたち労働者の問題ではないか」とも。
 過酷な労働、差別、疎外、なによりも法に守られず、人権を奪われてきた歴史が繰り返されてはならない、その意味で単なる記念碑や慰霊塔ではなく、人間「復権の塔」でなければならなかったのです。
 塔の建立への協力を放棄した人の大半に「復権」という名称への違和感も。しかし塔の建設がいつまでも出来上がらないことになっても、誤解や批判を受けとめながら「私たちは、あえてこの名称を掲げつづけて来た」「たとえどんなに迂遠の道であっても、非能率的であるとしても、この個人の尊重と最も小さく弱い集団を優先するという道をあえて選び、それを貫き遠そうとした」と服部は書いています。(『沖縄から筑豊へ−その谷に塔を立てよ』葦書房、1979年、124〜133頁より)
*東京から仙台(日本公民館学会・東北福祉大学)へ向かう車中にて。
*後記:いまホテルにたどりつき、ようやく配信できることになりました。(3日午後9時)

2778号【2011年12月1日
★<『沖縄から筑豊へ−その谷に塔を立てよ』>
 先日、福岡滞在中に農中茂徳さんの車を飛ばして筑豊へ(夕陽が沈むに旧宮田町に到着)。服部団次郎氏が中心となって建立した「炭鉱犠牲者復権の塔」を仰いたことを書きました(風2768号本欄、11月14日)。この塔について、「別の機会に書くことにします」と記しながら、そのままになっています。かげる夕陽の中でみた“復権の塔”の感動を忘れないうちに記しておきます。
 服部団次郎氏は島根の人(1903年生れ)。牧師として沖縄に渡り、ハンセン病者救済、療養所愛楽園設立に関わり、また幼児園づくりにも努力。戦後は宇部を経て筑豊(貝島大之浦炭鉱)の坑内労働者として働き、その後は宮田町の教会・幼稚園を設立。1970年頃より「炭鉱犠牲者復権の塔」建立の運動に取り組む生涯でした。
 いま旧宮田町(現宮若町)千石公園の頂に『復権の塔』が立つています(1982年完成)。碑文には「…かって炭鉱労働者として石炭産業に従事された多くの人々がその犠牲者となり、また戦時にあっては外国の人々の犠牲者も多数にのぼっており、過去の『人間疎外』に対して『人間性の回復』への願いと、諸外国犠牲者に対するお詫びの意味をこめて…」建立されたとあります。
 服部『沖縄から筑豊へ−その谷に塔を立てよ』(1979年、葦書房)を読んで、心打たれるものがありました。筑豊に倒れた(まだ地下に埋もれている人もいる)犠牲者には、朝鮮や中国からの強制連行者を含みます。“その谷に塔を手を立てよ”の思いは、服部が沖縄南部「ひめゆりの塔」「魂魄の塔」に黙祷を捧げたとき、地下から聞こえて来るような嗚咽の声に応え、平和への祈りに呼応し連帯しようという願い、その言い知れぬ感動から始まったという趣旨のことが書かれています(74〜76頁)。
 一千万円をこえる資金集めに、山本作兵衛さんが画く紙芝居を上演してまわったことなど、一部の記録も【資料】として収録(上掲)しました。
炭鉱犠牲者・復権の塔(旧宮田町・千石公園、20111113) *ブロンズ像:小田部泰久・木戸龍一両氏制作
 坑夫はツルハシ3本(1本ではない)、女は弁当、それぞれにカンテラさげて、坑内に下がった。
「復権の塔」の基礎には1万人余の小石が名を記して埋められた(一人一塔)。塔の4面には山本作兵衛氏の
絵・レリーフが飾られ、また8ヶ国の労働団体から送られた連帯の石版が台座にはめこまれている。



2777号【2011年11月29日
★<大切な記憶、悲しみや怒りは>
 本号も長くなりましたが・・・お許しください。前号本欄に予告した「2011年を忘れない!」新カレンダーに向けてのアピールを掲載することができました。「 … 大切な記憶や、悲しみや、怒りは、時間のなかで見失われる危険性にも直面しています。」
 「2011年を忘れない!」新カレンダーの最終版と申し込み用紙(注文票)を添付しました。ご覧の上、ぜひご注文ください。まわりの方々にも拡げてください。
 被災地(東北だけでなく紀伊半島も)への義捐金カンパは、一口1万円(カレンダー10枚)です。1枚でも・・・のご希望もおありと思いますので、その場合は「南の風」にご一報いただければ、お送りするようにします(送料各自負担)。近くの方は、次回定例(12月)研究会などで手渡しできますね。
 ところで、12月研究会は徳永功さんをお招きし、新書『個の自立と地域の民主主義をめざして』合評お祝い会の企画が話し合われていましたが、すこし先(1月定例会など)に延ばした方がいいだろうという方向です。出版されたばかり、まだ本が皆様のところに届いていない段階でもあり(ご本人とも相談できていません)。次回研究会は第2案を検討中です。
 酒友あり、さきほど何よりの地ビールが到来しました。量も味も(とくに昼食に)頃合い。まだ陽もたかいのに、早速楽しんで、ほろ酔い気分で書いています。

2776号【2011年11月28日
★<「2011年を忘れない!」2012カレンダー>
 夜間中学研究会の関本保孝先生から、都立高校外国人枠の拡大や教育条件改善に関する請願署名(都議会宛)への協力依頼・要請文をいただいていたのですが、風・記事への掲載が遅れていました。催促をいただき恐縮しています。署名の第一次締め切りは12月8日(上掲)、心ある方々のご協力をよろしくお願いします。請願内容についての各≪理由≫は、長文になるので省略。「請願を活かす会」ブログを直接ご覧下さい。→ http://blog.goo.ne.jp/seigan2006→■  
 年末が近づいたせいか、最近は風への寄稿が多く、他方で速報性も大事にしたいので、本号のように連日配信になったり、また長文の場合も少なくありません。ご容赦ください。伊藤長和さんの「烟台の風」を次号まわしにしたり、せっかく吹き始めた渡部幹雄さんの便りも本号に載せることができませんでした。
 風メンバーのお一人でもある堀尾正靱先生(東京農工大学→龍谷大学)を中心に、標記「2011年を忘れない!」新カレンダーが作成されました。「…震災・津波・原発で被災した東北地方や、水害と山津波の被害が甚大な紀伊半島の人々を想い、支援するため・・・」「2011年に語られた言葉の中から12を選び…」カレンダーにちりばめられています。力作です。ぶんじんも発起人の一人。今日あたり呼びかけが始まったはずです。「被災地支援御協力のお願い」を含めて、風でもアピール文を紹介する予定にしています。皆さま、新カレンダー(カンパを含めて1部千円)としてご予定ください。

2775号【2011年11月27日
★<11月研究会の夜、徳永功さんの新著>
 11月25日夜のTOAFAEC 研究会は多数のご参加、皆様お疲れさまでした。また、それに続く私たちへのお祝い会、まことに有り難うございました。花やシャンパン・ワインなどをいただき、あらためて御礼申しあげます。皆さんが帰ったあと、立ち去りがたい面々6〜7人はさらに乾杯を続け、お店にも迷惑をかけました。帰宅して時計をみたら、最終電車に間に合わなかった人もいたのではないか、と心配になったほど。思い出にのこる夜となりました。
 ぶんじんの短い報告タイトルは「社会教育研究五十年、これまで・これから」。すべてをお話しできませんでしたが、取り組んできた仕事のなかから五つのテーマを。公民館研究、沖縄研究、大都市社会教育、ハンドブック編集、そして東アジア交流。いつものように終わりは脱兎の如き幕切れ。
 時間が足りないことは想定していましたから、レジメには「これから」の課題を寸言風に書いておいたつもり。たとえば、大都市研究のところでは、「とくに東京の社会教育をどう再生していくか」など。しかし当方の言葉は、所詮“年寄りの冷や水”です。若い世代への期待大です。動きがあれば“枯れ木も山の賑わい”の喩え、ぶんじんも積極的に参加したい。
 当夜のエイデル研究所・山添路子さんから、徳永功さん(もと国立市公民館長・教育長)の新著(『個の自立と地域の民主主義をめざして−徳永功の社会教育』)が25日付で刊行された、とのご紹介がありました。公民館「三階建論」や「三多摩テーゼ」等を世に出した当事者の証言を含む待望の書。できれば、著者ご本人からぜひ喜びの言葉を「風」に寄せていただけないでしょうか。
178回研究会終わる (高井戸、20111125)、撮影・江頭晃子さん


2774号【2011年11月25日
★<初雪に 故郷想い・・・>
 伊藤長和さんの「烟台の風」が快調です。上掲 202号「漢字の外国語表記」に付された前文、初雪の歌。
 「今朝、… 登校するため部屋を出ると、なんと初雪です。私の言霊が降雪を呼び込みました。そこで、今日の1回から4回の授業では、雪の歌を学生に披露したのです。1.雪の降る町を(日本)、2.トロイカ(ロシア)、3.雪山賛歌(アメリカ)、4.雪は降る(フランス)、5.雪やこんこん(日本童謡)、の5曲です。
・初雪に 故郷想い たたずみて
・寒風に 小雪舞い落ち 我歌う
・初雪や 若人の声 弾みたり」(Wed, 23 Nov 2011 21:04)
 ことのついでに、「風」に載せていなかったメイルをいくつか抄録でご紹介します。早稲田大学大学院・呉世蓮さんから。「…お祝いを申し上げることが遅くなりました。お誕生日おめでとうございます。… 金曜日は、自分の勝手な都合によって参加することが出来ないと思います。フィールドワークや家の行事のため、一週間ほど韓国に帰っております。毎回の研究会は参加するよう心掛けておりますが…、誠に申し訳ありません。皆様によろしくお伝え頂きたいです。」 (22 Nov 2011 16:51)
 丸浜江里子さんから。「80歳おめでとうございます。本当に元気な80歳ですばらしいです。25日にゼミと重なり、お話をお聞きできないのが残念ですが、後半参加させていただきます。」 (23 Nov 2011 16:46)

2773号【2011年11月23日
★<風浪?ながれ旅>
 前号本欄に80歳のことを添え書きしたところ、いろいろお祝いメッセージをいただき恐縮しています。「ワインで乾杯!」とか、なかに長文もあり、有り難いことです。個々にご挨拶を差し上げず、この場でまとめて?御礼を申しあげる失礼をお許しください。
 特別の会ではなく、普段の定例(11月)研究会の企画で、すこしお話しさせていただくことになり(25日夜、案内・上掲)喜んでいます。…といっても改めて大仰なことを考えているわけではありません。しかし、せっかく話を聞いていただくのに・・・と気にもなり、この際、「著作・論文等目録」に「略年譜」を付して、小さなパンフを作成することにしました。アンティ多摩・江頭晃子さんに余計な仕事をお願いする結果となり、申しわけありません。
 作業しながら、北島三郎うたう「風雪ながれ旅」を。人生やはり“ながれ旅”の歳月かと。こちらは北の三味線弾きではなく、南へ渡る流れ者? 厳しい「雪」は少ないけれど、激しい風「浪」を越えての旅だ。九州を追われ、東京へ出稼ぎ、そして沖縄に惹かれて・・・。♪…よされ、よされと風が吹く、… アイヤー、アイヤー、奄美、やんばる、竹富へ♪などと、くちずさんでいました。
 25日当夜は、たましん『多摩のあゆみ』144 号を持参いただけるそうで何より。近く刊行予定の別の本も登場する?とのニュースが聞こえてきました。今年ほど厳しい年はない。それだけに、みんなで元気よく歌いあいたいもの。

2772号【2011年11月22日
★<韓国・始興市の意欲>
 今世紀に入って、韓国の自治体「平生学習」が本格的な展開をみせ始めています。TOAFAEC 『東アジア社会教育研究』にもその動きが反映されて、興味深い報告(富川市、済州市、龍仁市など)が収録されるようになりました。なかでも仁川のとなり、始興(シフン)市の躍動が注目されます。
 昨年の社会教育研究全国集会(東京)には、市長じきじきに集会参加、その足で松本市の公民館を視察し、新しい“自治体間交流”が始まりました。私たちも2009年に始興市を訪問したことがありますが、上海や今年の福建の訪問団も同市を視察し、今や東アジア交流拠点となった感じ。イギュウソンさんたちの「平生教育実践協議会」運動(『東アジア社会教育研究』第15号、2010年)も始興市が拠点です。
 年末に始興市の平生教育職員(約10人)が日本自治体の社会教育行政と市民の地域づくり実践との交流を求めて、来日の計画が進んでいるようです。いま李正連さん(東大)が日程づくりに奮闘中。学会や研究者間の交流でなく、自治体職員による実践的交流の意欲に打たれるものがあります。日本側の動きが未発な段階で、韓国の自治体から新しい時代を拓く努力が始まったようです。計画の具体化に期待大!です。
 ところで私事ながら、本日(21日)ぶんじんは80回目の誕生日を迎えることができました。いつもHP表紙に顔を出している幼い孫たちも先日お祝いに来てくれました。初めてのメイルも来信。「…おばあちゃんの誕生日、あともうすぐ、おじいちゃんも誕生日だから、2人のお誕生日会ですね。おめでとうございます。」
 日頃はあまり誕生日など気にしない主義でしたが、今年はさすがに特別の思い。幼いメイルがことさらに嬉しく…。“身体髪膚これを父母にうく”と亡き親にも感謝しつつ、正月のような1日を過ごしました。

2771号【2011年11月20日
★<『沖縄社会教育史料』>
 先日、私たちが30数年前に発行した『沖縄社会教育史料』(東京学芸大学・社会教育研究室)について、次のようなメイルが舞い込みました。
 「はじめまして。私は …略… 自治会町内会の研究をしておりまして、このたび自治公民館について研究を進めております。…中略… 小林先生の自治公民館サイトを拝見しておりましたら、資料購入のページにたどり着きました。つきましては、『沖縄社会教育史料』全7巻を購入したく存じます。…」(Tue, 15 Nov 2011)
 かって学大・社会教育研究室で、沖縄研究に取り組み始めた頃(1976年〜)、拠るべき資料が無く、語るべき仲間も少なくて、まず「戦後沖縄社会教育研究会」を立ち上げ、『史料集』づくりをはじめました。かなり集中した一時期があります。沖縄・研究会が定例化したのが1977年、そして記念すべき史料集第1集(テーマ・戦後沖縄社会法制)が刊行されました。勢いよく学会発表も始めた頃を想い出しています。当時のメンバーはいま「南の風」にあまり顔を出してくれませんが・・・。
 その後、史料集はテーマを重ねて評価が拡がります(第2集・社会教育行政財政/1978年、第3集・戦後社会教育史証言集/1979年)、第4集・戦後奄美の社会教育/1982年、第5集・アメリカ占領下の教育文化政策/1985年、第6集・宮古八重山の社会教育/1986年、第7集・戦争と社会教育/1987年)。いずれも沖縄調査・資料探索作業のなかで収集した資料・証言を(研究室だけで秘蔵するのでなく)あといちど世に戻そうとの思い。なかに貴重なものも少なくありません。
 史料集は第1号・3号すでに保存分のみ。他の5冊は各1200円で頒布可(送料別)。ご注文については事務局で対応予定。以上、久しぶりの宣伝まで。ちなみに沖縄研究会はいまTOAFAEC 定例研究会へ。『沖縄社会教育史料』は、『東アジア社会教育研究』刊行へとつながっています。
『沖縄社会教育史料』全7冊(東京学芸大学・社会教育研究室刊)


2770号【2011年11月18日
★<名画に包まれて>
 昨夜(17日)福岡から東京へたどりつきました。毎夜の集い、久しぶりの方もあり、疲れを癒す旅のはずでしたが、かなり疲れて帰宅。しか嬉しい毎日。太宰府で平敷屋エイサーを楽しみ、70歳になった教え子(九州産業大学の卒業生)と飲み、80歳違いの赤ん坊(農中茂徳さんの初孫)を抱いて“連帯”の挨拶も出来ました。皆さん、有り難うございました。農中さんの連日の対応(車や魚)、いつものことながら感謝!
 帰宅してドアを開けると、疲れも吹き飛ぶ『多摩のあゆみ』144 号の包み。風2766号本欄で書いたように、まことに豪勢な雑誌(1万4千部の印刷、無料配布)。毎号とくに表紙が絶品! 贅沢なカラー印刷、たましん地域文化財団所蔵の油絵が飾られています。本号は斉藤敏画伯「空をとんだはなし」(1986年作)。爽やかな活気、心さわぐ何かを感じさせてくれる。飽かず観とれて、中の文章は読みたくなくなる?ようなひととき。
 ちなみに、前号143 号(特集・中世多摩の荘園と武士)は同じく財団所蔵の田中正巳画伯「少年の夏」(油彩、1989年)でした。こんな名画に包まれて、多摩の歴史は綴られてきたのですね。
 ところで本号には、伊藤長和さん「烟台の風」200 号を掲載できました(上掲)。伊藤さんの迫力に脊を押されて「南の風」もリズムを刻むことが出来ました。伊藤さんの別便では、フフホトのボヤンバートルやトクタホと連絡がとれたとのこと。ぶんじんにもモンゴル訪問のお誘いがあった由。皆さん、元気で何よりです。トクタホさんの就職が順調にいくことを祈っています。

2769号【2011年11月16日
★<次は豊後の山で>
 ご承知のように、毎号の風記事のうち、本欄のみはホームページに収録しています(本ページ)。全部を載せてほしい、という声を聞きますが、寄稿者それぞれの了解をとる必要あり、それは控えて、本欄のみ。
 たわいのない日誌・編集後記に過ぎませんが、案外と読まれているようです。風を送っていない人から「南の風・読みましたよ!」というご挨拶を頂くのはホームページ本欄を見た人たち。前号「エイサー熱演」は太宰府からの記事でしたから、いま福岡に滞在中であることが分かりましたと、集まってきた人は4人。15日・油山の夜の集いとなりました。
 白杖の古賀さん持参の極上ワインから飲み始めました。楽しく杯はすすみ、締めは名護・島袋正敏さんのカメから頂いていた秘蔵の古酒(クースー)。一杯の古酒がおしまいの合図のようなもの。
 例によって、話のなかで名前が出てくる旧友たちに、酔いのお裾分け、電話をかけはじめました。臼杵の中野五郎さん(市長)、隣村の人(今は和歌山にいる)渡部幹雄さんなど。今年度で定年を迎える人の話題も出て、(2010年1月に開いた)九州関係者の集まりを企画してはどうかという話に及びました。
 主たるテーマは臼杵市長激励、会場は緒方町あたり、つまり豊後の山の中でという案。そんな流れのなかで、今朝は渡部幹雄さんの上掲メイルを頂いたという次第です。賛同者少なからず、どなたか事務局をやってくだされば有り難い。
 本号は、大邱の三ヵ国生涯フォーラムの動き、福建省の報告、そして青年全国大会の話題、つまり韓国・中国・沖縄に関わる三記事が並びました。風としては嬉しい号です。加えて伊藤長和さんの「烟台の風」200号も着信しています。お祝いの記念号、次号に掲載いたします。

2768号【2011年11月14日
★<エイサーの熱演>
 本号を出す直前、沖縄県議会が辺野古移設・評価書提出断念を求める意見書を全会一致で可決。ただ名護選出の県議(自民党)一人が体調不良を理由に欠席した、とのニュースが流れてきました。民意はまさに明らか。ただ名護議員一人のみ不参加というのも解せない話。
 さて福岡暮らし(今日で4日目)レポート。12日夜は(前号予告のように)珍客・東武さんを油山に迎えました。ふと思い出して、山城千秋さんに電話するもなぜか通じない。島袋正敏さんとは話しが出来ました。東さんとともに酔い、沖青協のこと、「東アジア社会教育研究」青年団証言記録のこれから、復帰直後の思い出話。そして平敷屋エイサーや平屋朝敏研究の話題で夜が更けていきました。ホテルに送り届けてこの夜は幕。空に秋の月、すばらしい満月。送迎は農中茂徳さん(感謝!)
 13日の九州国立博物館(太宰府)のエイサー公演は見事でした(HPに写真)。2回の公演に、私たち(門田見昌明、農中茂徳両氏と)はしばし平敷屋の世界に酔いました。同エイサー保存会の皆さんは年令的にすでに若者でなく平均年齢は五十代後半とか。しかし若者そして美童そのままの熱演でした。太宰府の名物、梅ヶ枝餅の焼きたてを差し入れ。
 その後、車を走らせて、筑豊宮田へ。服部団次郎氏が建立した「炭鉱犠牲者復権の塔」へ。実は前夜、名護愛楽園に関わり、筑豊で炭鉱労働者とともに働いた宗教者・服部団次郎(『沖縄から筑豊へ』等の著作あり)にまつわる貴重な話を聞いたからです。案内役は農中さん。この記録は別の機会に書くことにします。
平敷屋エイサー・東武さん(九州国立博物館/太宰府、20111113)


2767号【2011年11月12日
★<福岡へ>
 いま(11月11日)新幹線で西下中。目的地は博多ですが、所用あり途中下車。駅ホームの売店ですすめられ、昼食に「あなごめし」を仕入れて食べてみました。残念ながら期待はずれ。半分でやめて、ビールを飲んでいます。
 むかしの駅弁はうまかった!、子ども時代の懐かしい思い出がよぎります。当時は食糧難でもあって、駅弁の白いご飯が絶品の味でした。とりわけ“夜汽車”に乗った冒険の記憶。なにか一人前になったような気分で、それと駅弁がセットになって・・・回想しきり。切なくなります。中学生(旧制)のバレー部の試合で“遠征”のとき、みな金がなくて、駅弁を買えなかった恨みの旅もありました。ここまで書いて眠くなりました。…

 油山は8月末の全国集会(静岡)の帰路、同じく新幹線で九州入りし、2回続けての陸路。2ヶ月ぶりの隠れ家です。あのときは白いムクゲが咲いていましたが、この季節、庭に花がひとつもありません。
 永福の家には、昨日、立派な本が届きました。包みを開けて、大きな花が咲いたようでした。黄丹青さん(目白大学)が、天野郁夫氏『大学の誕生』(中公新書)を中国語訳して、南京大学出版社から出版されたのです。原著は上下の2冊ですが、『大学的誕生』は1冊にまとまって、いい出来映え。2年がかりとか。黄丹青さん、おめでとうございます。
 こんどの福岡は、九州国立博物館での「平敷屋エイサー」公演(2765号本欄に紹介)を観るためです。同エイサー保存会・事務局長の東武さんは今日(12日)福岡に到着。夜の散歩がわりに(一行から抜け出て)油山まで来てくれるそうです。農中茂徳さんが車でホテルへ迎えに。面白い出会い。思い出にのこる晩秋の一夜となりそうです。

2766号【2011年11月10日
★<「三多摩のあゆみ」の快挙>

 東京三多摩の人であれば馴染みの「たましん」、多摩中央信用金庫は「たましん地域文化財団」を設立し、歴史・美術館や歴史資料室、ギャラリー等を開設しています。1975年からは、お茶の間の郷土誌『多摩のあゆみ』(季刊)が発行されてきました。しっかりした編集で評価のたかい地域誌、A5判・毎号120頁前後、なんと発行部数,14,000部(無償配布)というから驚き。これまでメセナ大賞を受賞したこともあります。
 11月15日発行予定の第144号は,「三多摩の公民館(1960〜70年代)」の特集です(上掲)。皆さん見覚えの公民館関係者が書いておられます。南の風メンバーで,144号をご希望の方があれば、ご一報ください。誌代もちろん無料(送料各自負担)。11月25日TOAFAEC 定例研究会に持参いただけるそうです。また12月3日〜4日に開かれる日本公民館学会(第10回大会、会場・東北福祉大学)でも入手できるように「たましん」坂田さんにお願いしてみます。同大会事務局に50部(先着順)ほどお送りいただけませんか…と。
 ぶんじんは三多摩の公民館−躍動の1960〜70年代−を総論的に書いていますが、そこに古い写真を1枚載せていただきました。多分、徳永功さんが国立市教育長を退任されたときの「ご苦労さん会」の1枚か。小川利夫さん、奥田泰弘さんなど三多摩社懇のメンバー、内田和一さんや進藤文夫さんなど「三多摩テーゼ」関係者、横山宏さんなど公民館史研究会の皆さんが一堂に揃って写っています。総勢20名ちかく、題して「三多摩・公民館運動を担った群像」(1991年撮影)。
 いつぞやの「古いアルバム」シリーズに加えて、ホームページにも収録するようにしましょう。

三多摩の公民館運動を担った群像 (1991年9月撮影) 敬称略
 後段<左より>:内田和一(立川社会教育館→都庁)、横山宏(早稲田大学)、北田耕也(明治大学)、佐藤進(国分寺公民館)、青木紘一(国立公民館)、奥田泰弘(中央大学)。中段:山崎功(昭島公民館)、西村弘(小平公民館、のち教育長)、小川利夫(日本社会事業大学→名古屋大学)、平林正夫(国立公民館)。前段:進藤文夫(国分寺公民館、のち教育次長)、小林文人(東京学芸大学)、安立武晴(相模原)、徳永功(国立公民館、教育長)、近藤春雄(小平市公民館)、野々村恵子(練馬区教育委員会)ほか。



2765号【2011年11月8日
★<平敷屋エイサー>
 沖縄・勝連半島の突端に「平敷屋」(へしきや)という集落があります。十八世紀の和文学者・平敷屋朝敏との関わりもあって歴史的に興味ある地域。同時に戦後は米軍(海軍)ホワイトビートが海に突きだし、原子力潜水艦がしばしば寄港するなど、現代沖縄の、アメリカ極東戦略の真っ只中にある集落です。
 旧勝連町の「きむたかホール」(肝高の阿麻和利・公演)に何度も行きましたし、勝連・平安名の東武(あずま・たけし)さんのお宅に泊まったこともあります。しっかりした「平敷屋公民館」(字公民館)活動が機能し、充実したホームページも。→ http://www.okinawajoho.net/heshikiya/index.htm
 この集落(青年)で受け継いできた「平敷屋エイサー」が有名。もともとエイサーが念仏踊りとして拡がってきた歴史を彷彿とさせるような独特の装束と踊り。たとえばホームページは次のように書いています。
 「…演舞する太鼓打ち、手踊りの服装は紺地に白タオル、裸足で踊った。昔から平敷屋エイサーの特長は、二五歳以下の青年だけで構成し歌や三線と合わせて入羽から出羽まで間隙なく、一糸乱れないバチさばき、黒と白の装束で素足。素朴な踊りの中に、内から湧き出る迫力、パーランクーの打ち方と返し方、腰の降ろし具合、足の運び方など隊列の美しさが見事・・・。」全島エイサー大会などで何度も優勝したことあり。
 昨日、平敷屋エイサー保存会(事務局長)東武さんから電話がありました。無形文化財・平敷屋エイサーが、11月13日昼、九州国立博物館(太宰府)で公演するとのこと。一行30名余り。「琉球と袋中上人−エイサーの起源をたどる」企画だそうです。
 東さん「油山の家のその後は?」「この機会に訪ねたい」と。彼はかって沖縄青年団協議会(沖青協)の会長。沖縄復帰・基地問題と挌闘してきた人です。TOAFAEC の戦後沖縄青年運動史証言づくりに協力いただいた仲(年報「東アジア社会教育研究」12号など)。日程を調整して福岡に行こうかと思い始めました。

2764号【2011年11月6日
★<「沈黙の春を生きて」>
 10月中旬、神田・岩波ホールで坂田雅子監督「沈黙の春を生きて」を観ました。ベトナム戦での米軍・枯葉剤を告発するドキュメンタリーです。本欄でご紹介しようと用意していたのですが、ちょうど福建省訪問団の記事が連日賑やかに舞い込み、機を逸していました。
 レイチェル・カーソン「沈黙の春」が殺虫剤・農薬など「合成化学物質」の大量散布を警告したのが1962年。しかし、その頃から枯葉剤作戦は動き始め、すでに半世紀が経過したことになります。ベトナム各地の深刻な被害はよく知られているところ。しかしこの作戦に携わったアメリカ兵の直接の健康破壊や、次の世代に現れた恐るべき障害については知りませんでした。実に辛い、つらい、ツライ映画。見終わって、しばらく動けなかったほど。
 いまベトナム戦争の補給基地となった沖縄で、枯葉剤使用の実態究明の動きが急浮上。9月26日の名護市議会は、日本政府と米国に対して枯葉剤の使用と貯蔵について調査を実施するよう決議。昨日(11月4日)は辺野古で、英ジャーナリスト(ジョン・ミッチェル氏)を招いての報告・交流会が開かれました。目取真俊さんブログ「海鳴りの島から」に詳しい。→■ http://blog.goo.ne.jp/awamori777
 映画「沈黙の春を生きて」パンフでも、ミッチェル氏が書いています。いま20人ほどの復員兵士が(当局が口を閉ざす中)語りはじめていると。「…港湾労働者、運転手、海兵など、以前軍務に服していた人々が、北はヤンバルから南は那覇港にいたるまでの米軍施設で広範囲の枯葉剤使用の恐るべき実態」「…散布したばかりの基地の回りを子どもたちが歩いていた、あの子たちは今も生きているだろうか?生きているとしても私が撒いた化学剤が彼らの健康を冒してしまったかも知れない。私と同じように…」などの証言。

2763号【2011年11月4日
★<東アジア社会教育交流委員会を>
 金ボラムさん(公州大学校)より、福建訪問団を迎えて開かれた韓国平生教育シンポジウム・交流会(10月28日)の写真を追送していただきました。有り難うございました。そのうちの1枚をホームページ<福建・訪日訪韓の記録>に掲載。あわせて、この間、「風」に寄せられた皆様の福建訪問団関連の報告やコメントなど、主要なものを収録させていただきました。2009年12月の上海訪日に続いて、今回の福建一行の興味深い記録となっています。ご覧いただければ幸い。→■
 http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/tyugoku200912.htm
 ところで、久しぶりに東アジア社会教育研究交流委員会(略・東アジア交流委員会)を開催してはどうでしょうか。正直のところ、福建省が来日する前に交流委員会を開いてもらえないか、連絡や分担などの協議を期待していましたが、学会や諸会合などあり、皆さん多忙。メイルでの対応でしのいできた毎日でした。
 すでに11月を迎えて、諸事協議いろいろありそう。福建省受け入れの事後処理(会計など上田孝典さんの負担その他)や、韓国シンポに出席した李正連さんの報告も聞きたいし、12月中旬に予定されている三国間フォーラム・中間集会(韓国・大邱)の相談も必要なのではないでしょうか。東アジアMLの再活用も期待したいところ。
 今回の福建省訪問団受入の関連で、南の風には大前哲彦さんはじめ関西からのメイルをたくさん掲載できました。「来年は福建に行こう!」の話題も出たとのこと(貝塚・夜の交流会)。この機会に東アジアMLメンバーに参加いただいてはどうでしょうか。

2762号【2011年11月2日
★<第17号に向けて>
 TOAFAEC 『東アジア社会教育研究』16号が刊行されて、1ヶ月半。手にとって頂いた方々から反響が伝わってきます。反省点も少なくありませんが、まずは「いい出来映えだ」の評価が多いようで、ご同慶の至り。
 関係者(執筆者・訳者・維持会員など)にはすべてお届けしていると思います。しかし福建省・執筆者(先日お渡しした)を除いて、中国の編集委員や定期購読(上海閘北区行健職業学院・国際交流閲覧室など)にはまだお届けできていません。気になるところ、幸便はないかしら?
 1ヶ月前に16号の合評・お祝い会(9月30日、第176回研究会)が開かれました。来年(17号)の新編集長に上野景三さん(佐賀大学)が快諾、これから新しい編集作業が始まることになります。楽しみです。
 編集体制としては、昨年より「編集幹事」制が発足しています。中国、韓国、沖縄などの分野から6人の皆さん。強力メンバーですが、みな多忙な毎日。仕事の合間を縫って、どうぞよろしくお願いします。→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/1-10kenkyu.htm
 『東アジア社会教育研究』は第12号(2007年)より、特集を組むことが出来るようになりました。まず「韓国の平生学習」、「中国の社区教育・終身学習」、「東アジアの社会教育法制」など。今年は「東アジア社会教育・生涯学習における研究交流の新しい地平」。来年の第17号はどんなテーマを特集に掲げるか。類書のない『東アジア』年報への期待は確かな拡がりがあり、手応えを感じます。海を越える期待もあり、これからどう応えていくか。

2761号【2011年11月1日
★<11月25日(金)夜に次回研究会>
 この間、風には福建省訪問団についての諸報告が相次いでいます。関西では、とくに貝塚報告にみられるように、福建からの訪問は大きな刺激、首長部局を含めて「社会教育理解を高める機会」(石井山レポート、上掲)となったことなど、印象的でした。皆さん、ご苦労さまでした。
 前号を受けて、福建・李斗石さんから届いた深夜のメイル。「…2760号を拝読いたしました。日韓訪問にあたって、沢山の方々にご迷惑をかけ、お世話になりました。もう一度御礼申し上げます。
 明日の両岸終身教育学科建設シンポジウム(福州)で発表する「日韓終身教育考察報告」のpptを制作してみました。論文ではなく、あらすじだけです。未だ充分ではありません。これから、暇を作ってゆっくり論文にする予定です。ここに訪問写真も一部ありますので、関係の皆様にお伝え下さるようお願いします。」(Mon, 31 Oct 2011 02:22)
 本号に添付しようと思いましたが、実は当方のパソコンでは、この拡張子を開けませんでした。写真も含まれ、かなり重容量、圧縮もかかっている模様。まずは誰かに開いてもらった上で・・・。せっかく送っていただいたのに、李さん、申しわけありません。
 お願いしていた先日の「ソウル市長選」について、市民運動家・カンネヨンさんからコメント(上掲)。これまでにない新しい展開があり、まさに市民の勝利、若者たちの積極的投票活動が当選の決め手となったとのこと。1990年代以降の市民運動の蓄積でもありましょう。カンさん、有り難う!
 いま風はほぼ連日配信なのに、載せきれないファイルもあり。11月定例研究会の案内がTOAFAEC 事務局より届いています。数えて第178 回目の研究会、11月25日(最終金曜日)夜を予定しています。次号に掲載します。

2760号【2011年10月31日
★<お疲れさまでした>
 福建の皆様は順調に旅を終えられ、10月29日、無事に帰国されたそうです。李斗石さんから、感謝のご挨拶が届きました(上掲)。日本から韓国への10日間にわたる旅、幹事役の李さんもさぞお疲れのことでしょう。大活躍でした。日本側の関係各位、ご協力まことに有り難うございました。あらためて御礼申しあげます。
 李さんの文中にある「割り勘」のこと。実は経費負担のことを(失礼を顧みず)前もって福建側に申しあげたのです。当方で企画する歓迎会以外は、食事代・交通費などお互いそれぞれの負担(割り勘)で進めましょうという提案。これまでの経験で、経費的に相互に無理しない、心をこめたお付き合いを大事にする、その方が友好・友情は長続きすると考えたからです。そうでないと、経費の条件がなければ親善・交流もスタートできないことになりますから。もちろん具体的な展開はいろいろ工夫があったことでしょうが…。
 しかし今回の旅では、日本の記録的な円高。福建側はさぞかし諸経費の負担が大きかったことでしょう。他方で、私たちの中国訪問の際には、盛大にご馳走いただいてきた経過もあり、バランスを失していることが気になっていますが、ご理解いただいたことに感謝しています。
 福建の省都・福州は、琉球の歴史のなかで、重要な関わりをもった都市です。2004年に福建を訪問する前夜、「沖縄と福州」について書いた一文があり、この機会に再録(上掲)させていただきました。こんな話を福建の皆様とゆっくりしたかったのですが、出来ませんでした。

2759号【2011年10月29日
★<海を越える交流の記録>
 前号「ソウル市長選」記事に関連して、丸浜江里子さんから次のようなメイルをいただきました。(29日夜)
 「 … ソウル市長選のこと、教えていただき、有り難うございました。沈滞すると言ってよいかどうか、沖縄を除く日本の状況と韓国の状況の違い、民衆や知識人の政治への参加の問題、知識人のあり方など考えてしまいます。だからこそ沖縄に圧力をかけているのか・・・。東アジアの中の一国としての日本にくらす私たち。歌をうたうことを忘れ、手を結ぶことを忘れ、政治に関わること、政治を考えることを忘れた民衆ではいけないと感じながら読みました。」
 ソウル市長選について、ご存知カンネヨンさん(市民運動、もと日本希望製作所)あたりから、何かコメントが寄せられるのではないかと期待していますが・・・。最近は忙しくて、南の風は読んでいない?
 本号に福建省訪問団の受け入れについて、大阪市総合生涯学習センター(岡本和夫さん)と貝塚市中央公民館(中川知子さん)からのご報告を掲載することができました。まさに画竜点睛。有り難うございました。
 東京から関西への福建省5日間の旅。ひととおりの記録が揃いましたので、ホームページも喜んでいます。研究レベルだけでなく自治体・実践相互の交流の軌跡、ともすれば歳月とともに消えていきがちですから、しっかり記録にしておきたいと思ってのことです。ご確認の上、なにかお気づきのことがあればご指摘をお願いします。→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/tyugoku200912.htm

2758号【2011年10月28日
★<ソウル市長選>
 26日に投開票が行われたソウル市長選は、無所属候補・朴元淳氏が当選。朴・新市長は1990年代「参与連帯」に関わり、2000年「落選運動」を展開、政策シンクタンク「希望製作所」等の市民運動に取り組んできた人。今回の市長選では、野党統一候補として選ばれながら、政党(最大野党・民主党)の入党誘いを固辞し無所属を貫いたこと、若い世代の支持が大きかったことなどが注目されています(上掲記事)。既成政党への不信感のなか「負けたのは(与党の)ハンナラ党だけではない、野党も猛省を迫られている」(民主党関係者の談話)と報じられています。
 このニュースを東京の若者や市民グループはどのように聞いたのでしょうか。いま東京・石原都政は4期目に入って半年。伝えられるところでは、4期目の知事として「…登庁または都の公務に出席したのは、計54日。平均すると週2日の計算…」(朝日・27日夕刊)。先日もある会で、「都知事は週1回」登庁だ、という話を聞いたばかりです。
 東京の社会教育・生涯学習の体制が、この10年余の間に大きく後退したことは誰の目にも明らか。今、どんな施策が動いているのかも、まったく聞こえてきません。かって東京の社会教育を考える「都民の会」が活発に論議していた頃のことを思い起こしています。
 話をもとに戻して、ソウル市長選・投開票の当日に、福建省訪問団はソウル入りしたはず。市長選のことなど、福建の皆さんたちではどんな話題になったのかも興味あるところです。
 TOAFAEC ホームページに今回の福建訪問団の主要記事をアップしました。もし訂正などあればご一報ください。大阪市生涯学習センターや貝塚市公民館訪問の記録(10月24日分)をいただければ、追っかけて掲載させていただきます。→■ http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/tyugoku200912.htm

2757号【2011年10月26日
★<福建・日本日程終わる>
 前号本欄の間違い。大阪市「総合」生涯学習センターを「操業」と誤記。単なる変換ミスではなく、重大な?指のもつれです。読み返したはずなのに、それでも気づかず、「南の風」発信もそろそろ末期症状です。
 前号を出したあと(24日17時過ぎ)、貝塚駅前の居酒屋(と思われる賑やかさ)から電話数本。渡部幹雄さん(和歌山大学)でした。「いま福建の皆さんと飲んでいます、和歌山大学・堀内副学長や、東北大学・石井山竜平さんなど一緒。横に福建の林健民さんがいて“小林”の話になりました」など。電話が李斗石さんに替わって、「私たちには運がある、京都で時代祭を観ることができた、滞在の記録を風に送ろうと思いながら出来ない(帰国して送る)、福建一行はみな元気です」。しばらくして再び電話あり、「いま会は終わりました」のご報告。感謝です。
 福建省の皆さんは(疲れはあるでしょううが)元気に韓国に向かわれた様子、何よりのことです。受け入れにご尽力いただいた関西の関係各位、まことにありがとうございました。終わってみれば、あっという間に通り過ぎた嵐のような数日間。お互いに余韻がのこり、新しい発見や語り残した課題もあり。「風」としてはこれからが楽しみでもあります。
 韓国でのスケジュール、いつぞや金ボラムさんから寄せられた日程表(風2752号・添付)を見ると、日本側より研究的なプログラムのようです。国立市公民館(8月来日のヤン・チェ両先生が訪問)の共通の話題もありましょうし、どんな“三国間”論議になるか楽しみです。ボラムさんからでも、速報を頂けると「風」も嬉しいのですが・・・。

2756号【2011年10月24日
★<海外の友人を迎えるネットワーク>
 福建省一行の東京滞在3日目(22日)は、当初予定を少し変更してフリーの時間となったようです。東京大学(院)馬麗華さんと丁健さんが案内されたとのこと(上掲・報告)。ご苦労さまでした。
 4日目(24日)朝、黄丹青さんと上田孝典さんと一緒に新幹線で見送り。帰宅したところ、すぐに京都・国生寿さん(同志社大学)のメイルが着信しました。「…皆さん到着しました。少し予定を変えて、まず時代祭りに行きます。」(Sun, 23 Oct 2011 11:28:22)
 一行の動静が刻一刻と伝わり、面白い時代となったものです。今頃は(24日夕)、第5日の日程(大阪市総合生涯学習センター、貝塚市公民館など訪問)を終えて、貝塚駅前の交流会あたりか。最終夜のホテルは、韓国行きに向けて関西空港周辺に投宿される予定。連日のスケジュールや歓迎会等で、一行はかなりお疲れだろうと推測しています。
 今回の福建省一行の受け入れは、一年前の秋、上海国際(三ヶ国)フォーラムでの出会いが機縁。この1年、東日本大震災をめぐって先方の機関誌『終身教育』に報告を求められ、また逆に当方の年報『東アジア社会教育研究』(第16号)に福建省から「生涯教育の現状と課題」を掲載するという縁も重なりました。
 福建一行は公務ビザでの来日、こちらは民間の小さな研究組織、しかし東アジア研究交流の思いは相互に熱いものあり。幸いに今回とくに関西の研究ネットの方々のご参加をいただいて、心温まる受入れ準備をしていただきました。10年ほど前に上海成人教育関係者を迎え、東京だけでなく、神戸、福岡の学会メンバーで対応したことを想い起こしていますが、あのときにも増して、海外の友人を迎えるネットワークが一段と拡がりもってきたことを実感しています。福建受入れについて関西からのご報告や感想など頂ければ幸いです。

2755号【2011年10月23日
★<東京訪問の一日・福建訪日団>
 10月21日、福建の皆さんにとっては、初めての日本・社会教育との出会いの日となりました。まず東京都庁(生涯学習課)へ、次いで杉並区社会教育センター(セシオン)、午後は西へ足を延ばして、国立市公民館を訪問(予定通り)。案内・説明等の労をとっていただいた梶野光信(都庁)、中曽根聡(杉並)、井口啓太郎(国立)ほかの皆様、ご配慮まことに有り難うございました。
 福建訪日団一行は、地域「社会教育」とくに公民館など施設のありように強い関心をもたれた様子。「政府」の関わり方、職員の位置づけや財政のことなどについて、さかんに質問がとんでいました。
 TOAFAEC としての歓迎会は、いつもの交流の場所(レストラン「イーストビレッジ」)で、形式ばらない集いとなりました。やや早めの到着(例会ではいつも遅れ気味)に料理が間に合わず、せまい会場はついに椅子が足りなくなり、申し訳ない思い。黄丹青さん手づくりの「熱烈感慨!」、その姪御さん(宇都宮大学留学生)や福建訪日団の黄碧升さんの娘さん(北海道大学院生)も参加。黄姓や李姓(福建の二人、東大・李正連さんも参加されて)の多い会でした。福建地方の歌から始まり、韓国からも、日本の歌もたくさん歌われて、ささやかながら盛大な会となりました。出席を呼びかけた白メイさん(廈門出身、福建「生涯教育促進条例」訳者・HP収録)は、残念ながらヨーロッパ出張中とのことで不参。
 この日、東京も夕暮れとともに雨模様。23日からの関西への旅(京都観光日程を含む)の天候が気になります。京都・大阪の皆様、どうぞよろしくお願いします。福建一行の“一路平安”を祈ります。
福建一行の歓迎会(高井戸・イーストビレッジ、20111021) 撮影・遠藤輝喜


2754号【2011年10月21日
★<中国からの原稿料>
 福建省からの訪問団が予定通り(2011年10月20日午後)到着されました。上田孝典さん(筑波大学)と黄丹青さん(目白)が成田まで迎えに出て、ぶんじんは東京・後楽賓館ロビーでゆっくり待っていました。一行のうち、李斗石さん(福建師範大学)とは昨年11月の上海国際フォーラム以来の再会、他の5人の皆さん(HPに写真)とは初対面、新しい友人との出会い。これまでの上海や北京の方々とはなにか違う、福建らしい陽気さを感じさせる一行の雰囲気。初日夜から打ち解けて、居酒屋での夕食を楽しみ、さきほど帰ったところです。
 福建(福州、廈門など)を訪問したのは2004年12月のこと。末本誠さん(神戸大学)と一緒でした。同行・通訳はもちろん呉遵民さん(華東師範大学)。福建訪問のあと、北京に飛んで、この年の中国成人教育協会・年次大会に出席したことなど、HPに記録しています。→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2004fukkenbeijing2.htm
 福建省『終身教育』誌(2011年2号・3号)に寄稿した「東日本大震災をめぐる社会教育からの緊急報告」原稿料を持参されていました。ありがたく拝受。上田幸夫、小田切督剛、竹内正巳、岩本陽児各氏の原稿料を預かっています。できれば本日(21日)「福建歓迎会」(2751号本欄に案内)にお出でいただけるとお渡しできますが…。
 当方からは『東アジア社会教育研究』第16号を。福建「生涯教育の現状と課題」を執筆いただいている(2762号既報)からです。しかし原稿料はなし。申しわけない。お詫びし、ご了承いただきました。
 到着直後の写真一葉「10月スケジュール」ページにもアップ。
福建訪日団・東京に到着(後楽賓館、20111020 pm4:30)
後列左より:林健民、謝和基、李建南、(上田孝典、黄丹青)、黄碧升、前列:李斗石、(小林)、裴暁敏・団長の皆さん



2753号【2011年10月19日
★<アジアの生涯教育法制>
 福建からの来日(20日〜)を明日に控え、最終確認のメイルが飛び交っています。東京そして関西の皆様、どうぞよろしくお願いします。
 前号・本欄を読んで、早速の応答あり。上田孝典さんから「上海生涯学習促進条例」(2011年)のデータが着信しました。「…本来は、訳を見直して、日本語との整合性もチェックしなければなりませんが、…いずれにせよ、東アジア社会教育研究16号にも載せていますので、そのままお送りします」(Tue, 18 Oct 2011 22:29)と。草案付き。
 有り難うございました。訳文にいささかの逡巡もおありのようですが、まずは掲載することに意義あり・・・と考えて、そのままHPへの入力作業を終えました。もし修正の場合は、いつでも更新できますのでご了承を。「福建省生涯教育促進条例」(2005年)と同じページに並べました。→■
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2005fukkenhou.htm
 TOAFAEC/HPには、これら中国関連条例だけでなく、すでに韓国「平生教育法」(2007年)、台湾「終身学習法」(2002年)を掲載しています。また津久井純さんの訳で「ベトナム教育法」(1998年)も。ただしベトナムは2005年に全面改正された様子。改正法の訳出もお願いしたいところです。
 その後の動きとして、とくに韓国の自治体レベルの条例づくりが各地で活発に進展しているとのこと。これらを含めて、解説など加え、アジアを通覧するページにしたいものですね。そのまま<仮題>「アジアの生涯教育法制」の面白い一冊になりそう。

2752号【2011年10月17日
★<福建省・生涯教育の現状と課題>
 風の配信が(15日以降)連日になりますが、ご了承を。公州大学の金ボラムさんから、福建省訪問団の韓国側の受入れ日程(10月25日〜29日)一覧が送られてきました(添付)。有り難うございました。
 韓国日程では「東アジア平生教育シンポジウム(韓中日)」が企画され、東大・李正連さんのお名前も出ています。福建からの報告も予定されている様子です。去年に続く東アジア三国間トライアングル交流の輪が、こうして一歩ずつ拡がっていくのでしょうね。
 日本滞在中のスケジュール(前号)では、福建省からのお話を聞くプログラムはとくに用意していません。関心をおもちの方もありましょう。
 TOAFAEC 新刊『東アジア社会教育研究』第16号には、李斗石さんなど4氏執筆「福建省における生涯教育の現状と課題」を収録しています。中国全土に先駆けて公布された「生涯教育促進条例」、その成果だけでなく実施上の諸問題、今後の課題や方向についても、率直な提起と深い検討を含む力作。大前哲彦さんはじめ関西の皆さんは入手されているでしょうか。ご希望があれば、大急ぎでお送りします。ご一報ください。
 福建省「条例」(2005年公布)については、日本語訳の全文や関連資料をTOAFAEC ホームページに収録しています。ご参考になれば幸い。→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2005fukkenhou.htm
 中国には国家レベルの生涯教育法制はまだ整備されていませんが、今年はじめに公布された上海市の条例(日本語訳)や呉遵民夫妻の論稿等も第16号に収録しています。しかしHPには未入力。条例の日本語訳をされた上田孝典さん、データ(草案を含む)を送っていただけませんか。

2751号【2011年10月16日
★<福建訪日団・歓迎会(21日夜)へぜひ!>
 福建からの日本社会教育訪問団については、折りにふれて「風」に載せてきましたが、いよいよ来日の日程(20日〜25日)が近づいてきました。一行は6人、その名簿(まだ未掲載?)と滞在日程の一覧は上掲の通りです。
 風2731号に「福建省全民終身教育促進会」「中華職業教育社」等の紹介記事、また東京だけでなく関西での準備状況等は風2746号本欄→■に書きました。TOAFAEC としての歓迎会は、黄丹青さんにご案内していただいた通り、21日(金)夜(18:30〜)を予定しています。皆さん、奮ってのご出席をお待ちしています。当日は朝から、東京都庁、杉並区セシオン、国立市公民館への訪問見学という過密スケジュールですから、いつもの杉並・高井戸区民センターではなく、直接に「イーストビレッジ」での交流会・歓迎会を始めようという計画。歓迎する側が少なくては客人にも失礼なので、早めにお出かけいただければ幸いです。→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2006sinnenkai.htm
 日本は、いま歴史的な円高。海外旅行する側としてはいい時代ですが、海外から日本訪問のゲストにはそれだけ負担が大きく、申しわけない思い。せめて心では精一杯の歓迎をしたいと考えています。
 福建省の一行は、日本のあと、韓国「平生教育」訪問へと旅が続きます。さきほど韓国・公州大学の金ボラムさんより、韓国滞在日程表の翻訳が届きました。韓国側でも万全の準備、皆さんのご配慮により、充実したスケジュールが組まれているようです。次号にご紹介しましょう。


*南の風2701号〜→■
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上海・西郊賓館にて呉遵民さんと (2005年10月23日) 
    
【南の風2011】2751号〜2800号・目次一覧

2751号【10月16日】福建省訪日団名簿・日程一覧、あらたな識字実践の思い、福建歓迎会(21日)ぜひ!
2752号【10月17日】
福建の韓国訪問日程、国立女性教育会館発表会、世界ウチナーンチュ大会、福建報告
2753号【10月19日】烟台の風191号、名護市長「政府は米国追従」批判、福建来日、アジアの生涯教育法制
2754号【10月21日】全国夜間中学校研究大会、烟台の風192、玄葉外相に名護抗議、福建訪問団の来日
2755号【10月23日】沖縄との出会い、風に参加、烟台193、民主主義が泣いている、福建・東京訪問の一日
2756号【10月24日】中国「労農教育」、読谷・地域力大切に、福建一行、海外の友人を迎えるネットワーク

2757号【10月26日】福建訪日団、日本社会教育との出会い、関西(京都・大阪)記録、日本日程終わる
2758号【10月28日】八重山教科書問題・文科大臣暴言、烟台の風194、若い世代支持・ソウル市長選
2759号【10月29日】大阪梅田スカイビルの里山へ、貝塚市訪問、烟台の風195、海を越える交流の記録
2760号【10月31日】福建省訪問団・無事に帰国、貝塚市公民館訪問の1日、沖縄と福州、お疲れさまでした
2761号【11月 1日】ソウル市長選・市民の勝利! 福建・関西訪問に同行して、25日夜に次回研究会
2762号【11月 2日】11月定例(178回)研究会ご案内、福建・韓国訪問の記録、日韓訪問考察報告、第17号
2763号【11月 4日】和歌山大学より、大阪市生涯学習センター、烟台の風196、東アジア交流委員会を
2764号【11月 6日】夜間中学・文化祭と公開授業案内、ソウルの風、八重山毎日新聞、沈黙の春を生きて
2765号【11月 8日】三カ国生涯学習フォーラム、烟台の風197、基地の米本土移転、平敷屋エイサー
2766号【11月10日】三多摩公民館を特集、八重山教科書問題訴訟へ、烟台198、三多摩のあゆみの快挙

2767号【11月12日】第17号編集に向けて会議を、多文化共生研修会、多摩のあゆみ・学会へ、福岡にて
2768号【11月14日】市民運動3世代トーク、多摩あゆみ144、烟台199、沖縄県議会意見書、エイサー熱演
2769号【11月16日】三ヵ国生涯フォーラム(12月)プログラム、福建より、全国青年大会、次は豊後の山で
2770号【11月18日】『多摩のあゆみ』144号、烟台の風200号、馬頭琴コンサート、豊後の宿、名画に包まれ
2771号【11月20日】八重山教科書問題の署名を、市民活動フォーラム(板橋区)、烟台201、沖縄研究史料
2772号【11月22日】公民館学会(10回)大会、飯舘村酪農家の”お母ちゃん”、環境共生社会、韓国始興市
2773号【11月24日】25日研究会、公民館学会年報第8号、飯舘村酪農家お母ちゃんA、風浪?ながれ旅
2774号【11月25日】続・隠れ家、映画「ぼくたちは見た」ガザ攻撃証言、烟台の風202、初雪に故郷想い・・・
2775号【11月27日】茨城・鹿嶋からの報告、TOAFAEC 研究会と80歳を祝う会、徳永功さんの新著刊行!
2776号【11月28日】社会教育研究50年(研究会報告)、都立高校外国人受入枠拡充請願、2011を忘れない!
2777号【11月29日】「2011年を忘れない!」新カレンダー、図書館界の変人、烟台203、大切な記憶を
2778号【12月 1日】2日編集会議は延期、新カレンダー注文、沖縄防衛局長暴言、その谷に塔を立てよ
2779号【12月 3日】
「2011年を忘れない!」カレンダー、韓国からの注文、烟台の風204、なぜ「復権」か
2780号【12月 5日】2011を忘れない!カレンダー・振込先、烟台の風205、竹富島・種子取祭、線路は消えて
2781号【12月 6日】12月定例研究会・忘年会ご案内、町田、比川に共同売店オープン、古層の島・与那国
2782号【12月 8日】都立高校外国人受入枠請願署名取りやめ、和歌山大学声明、竹富島、少年Bの12月8日
2783号【12月10日】カレンダー送付ご挨拶、和歌山・変人に変化の兆し、名護・地域の力、祈りのカレンダー
2784号【12月12日】烟台の風206号、「多摩のあゆみ」144号、子どもの被災地ボランティア、七つの子の作文
2785号【12月14日】16日・179回研究会案内(再掲)、烟台の風207、2012新年会日程、新刊『きむたかの翼』
2786号【12月16日】2012 新年会ご案内、『きむたかの翼』のこと、名護市長の発言、三多摩の公民館
2787号【12月17日】日中韓・三国フォーラム準備会合、沖縄・韓国水原交流、烟台208、50回目の記念日
2788号【12月19日】12月研究会・忘年会ご報告、「戦後多摩の公民館活動」編集を通して、来年の楽しみ
2789号【12月21日】都立高校外国人枠問題、似て非なるモノ、名護市勝山区70年、来年は沖縄復帰40年
2790号【12月22日】烟台の風209号、福建より−母親節、鹿嶋市、町田市の動き、「おきなわ短信」の歩み
2791号【12月24日】エジプト日本図書館構想の顛末、烟台の風210号、沖縄十大ニュース、師走の風
2792号【12月26日】沖縄青年団資料調査の報告、NHK原発関連番組、烟台の風211、小さな忘年会
2793号【12月28日】内モンゴル赤峰へ、エジプト日本図書館顛末(2)、和光小学校、那覇の壺屋、お祝い二つ
2794号【12月30日】辺野古移設アセス問題、公州大学(院)へ、 新春日程、黄水仙の救い、今年の最終号
2012年
2795号【 1月 2日】新年ご挨拶−台湾、フフホト、長春、鎌倉、初めての風、海を越えて・東アジアから
2796号【 1月 4日】上海より、福建の日韓訪問記録の邦訳、沖縄復帰40年、福岡・変貌、屠蘇酒の酔い
2797号【 1月 5日】
1月定例研究会ご案内、復帰40年・仲宗根悟氏と、年末年始旅日誌、新年会お誘い
2798号【 1月 7日】第17号編集会議、広州へ、復帰40年(2)タイムス社説、元旦の夢、福島からの年賀状
2799号【 1月 9日】映画「ひまわり」製作への支援を、川越の障がい児学童、福井より、新年会終わる
2800号【 1月11日】信州伊那谷より、竜頭蛇尾(和歌山)、辺野古違法アセス訴訟、沖縄行き延期