【南の風2010】発行リスト・2501号〜2550号
各号後記(ぶんじん日誌)



*南の風・日誌・2451〜2500号■

*南の風2551〜2600号■次ぺ―ジ


名護・辺野古=キャンプシュワブ、大浦湾(機上より、030704)  
  
【南の風2010】2501号〜2550号・目次一覧
2501号【 9月 8日】9月研究会・韓国研究会・合同企画、青年ふるさとエイサー、祝2500号、白樺は倒れた
2502号【 9月 9日】名護市議選、名古屋市の地域委員会、松本より、烟台の風95、公民館の風・復活を
2503号【 9月10日】三国国際シンポ(上海)、釧路、烟台の風96、事務局コーナー、オレたちの学校
2504号【 9月11日】映画「月あかりの下で」上映会、岡山の公民館市長部局移管問題、二つの祝賀会
2505号【 9月12日】桐生中央通り地元学調査、キルギスの留学生と、烟台の風97、強制連行・その後
2506号【 9月13日】桐生の面白い動き、岡山公民館をめぐる事態、名護市議選圧勝、紹興へのお誘い
2507号【 9月15日】美酒に酔う−名護市議選、上海シンポ準備、烟台の風98、丸木美術館、社会教育学会
2508号【 9月17日】九州沖縄地域づくり会議、初年次教育学会、烟台の風99、30年前・神戸の想い出
2509号【 9月19日】大都市社会教育研究と交流の集い(33)、鹿嶋からの報告、神戸のうどん屋、集いの歩み
2510号【 9月21日】町田市「生涯学習センター」の動き、烟台の風100号、中国・対日デモ影響、神戸の夜
2511号【 9月22日】韓国向け出版の日本での祝賀会、烟台の風101、「東アジア」販売報告、学会終わる
2512号【 9月24日】公民館と地域づくり、ヤドカリの歌碑、竹富島の十五夜祭、烟台の風102、仲秋無月
2513号【 9月27日】岡山集会の感想、沖縄の基地重圧(琉球新報社説)、烟台の風103、夕焼け小焼け
2514号【 9月29日】166回研究会報告・韓国平生教育の動き、風に再登場、烟台の風104、年報第15号
2515号【10月 1日】韓国生涯学習研究フォーラム(第27回)、国立女性教育会館から、竹富島の種子取祭
2516号【10月 2日】和歌山大学より、図書館を通して大学づくり、唐人行列、烟台の風105、朗報あり
2517号【10月 4日】大邱・出版記念会、沖縄の青年会活動、烟台の風106、フォーラムなど活動日誌
2518号【10月 7日】石垣市青年団30周年、アメとムチの構図(36)二枚舌、烟台の風107、出版記念会
2519号【10月11日】10月定例研究会11月5日、高等教育予算削減の危機、第15号印刷、ずしりと重い一冊
2520号【10月13日】第167回研究会、カイロのアーカイブ支援、出版記念会お礼、平生学習フェスティバル
2521号【10月15日】モンゴル・チャリティコンサート・文化交流会、烟台の風108・出版記念会、慶州に遊ぶ
2522号【10月16日】町田市民自治学校、聡明な子孫に任せて、烟台の風109、日本の社会教育・出版
2523号【10月18日】既習の話(紀州より)、豊かな島の恵みに感謝・種子取祭、烟台の風110、紀州と土佐
2524号【10月20日】『日本の社会教育・生涯学習』の注文、烟台の風111、いろは丸沈没事件その後
2525号【10月22日】沖永良部島の図書館、釧路夜間中学「くるかい」、10/21から15年、日韓を結ぶ出版
2526号【10月25日】沖永良部島にて、夕焼けに舞うサシバ(宮古島)、烟台の風112、待望の年報第15号
2527号【10月27日】東アジア社会教育研究・第15号発刊、烟台の風113、祝!学長当選、祝!第15号
2528号【10月29日】第15号頒価・バックナンバー等、靖国合祀訴訟、烟台の風114、次の沖縄訪問計画
2529号【10月31日】11月5日は定例研究会、第15号の訂正とお詫び、烟台の風115、やんばるの子守歌
2530号【11月 2日】第56回全国夜間中学校研究大会案内、第15号注文、烟台の風116、上海国際シンポ
2531号【11月 3日】上田市の公民館をめぐる動き、感謝・上原文一さん、やんばるより、天高く祝いの古酒
2532号【11月 5日】『日本の社会教育・生涯学習』出版記念会、町田の動き、烟台の風117、骨の写真展
2533号【11月 7日】次の沖縄訪問計画など、竹富島言葉(テードゥンムニ)大会、烟台の風118、カボスの香り
2534号【11月 9日】日韓フォーラム@福岡、韓国出版、公州より、多文化共生研修会、海を越える交流
2535号【11月10日】南の風に参加、イギリスからの風、世界平和アピール七人委員会講演会、晩秋のHP
2536号【11月12日】大刀洗平和記念館へ、九州沖縄地域づくり会議、烟台の風119、太刀洗の思い出
2537号【11月13日】アニマシオンを考える(167研究会報告)、南の風に参加、烟台の風120、韓国コラム
2538号【11月15日】学習型社会創建・上海シンポ日程、韓国コラムの翻訳、烟台の風121、上海へ旅ごころ
2539号【11月17日】新「公民館の風」の発刊(岡山)、仙台市の動き、平和祈り朗読劇(北谷)、風の履歴
2540号【11月19日】タイ資料調査、台湾からの訪日団、組踊(沖縄)無形遺産登録、上海閘北の中日図書室
2541号【11月21日】上海国際シンポに向けて、備瀬(沖縄)という集落、烟台の風122、南大東島からの便り
2542号【11月23日】上海国際シンポの発表者、沖縄の原爆マグロ、烟台の風123、結婚祝いの会は誕生日
2543号【11月25日】結婚パーティーの裏話、生涯学習フォーラム、上海へ、紹興の夜、酒に香気あり
2544号【11月30日】第1回日中韓(学習社会創建)国際フォーラム、紹興二日目レポート2、ぶんじんバー
2545号【12月 1日】「郷がえり」の視点、石垣市青年文化発表会、紹興・上海レポート3、留学生へ感謝
2546号【12月 2日】『公民館のデザイン』刊行、再利用ハウス、紹興レポート4、韓国学者の特別エッセイ
2547号【12月 4日】第168回研究会・望年会、夜間中学へ、紹興・上海レポート5,われらともにこの道を
2548号【12月 6日】人生を振り向いて、烟台の風124、紹興・上海レポート6,公民館学会と出版記念会
2549号【12月 8日】福建省より、大田区学芸員募集、町田、紹興・上海レポート7、福建とのお付き合い
2550号【12月10日】国際シンポジウム(13日)案内、福建師範大学、烟台の風125、CLC と公民館の出会い



南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


2550号【2010年12月10日
★<アジアのCLCと公民館の出会い>

 財団法人ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)の柴尾智子さん(同事業部次長)から、12月13日に開催される「国際シンポジウム・公民館とアジアのコミュニティ学習センター(CLC)の協力について」(会場:東京神楽坂・日本出版クラブ会館)への強いお誘いを頂きました。先日の公民館学会でお会いした折のこと。出席しようと思っています。当日のご案内は上掲の通り。
 柴尾さんは、アジア諸国の識字運動やノンフォーマル教育の振興に関わる過程で、日本の公民館についての発見があり、アジア諸国のコミュニティ学習センター(CLC)との交流を積極的に進めてきた方です。当日の柴尾さんの学会報告によれば、その最初の契機となったのは2003年とのこと。アジア・ノンフォーマル教育担当者による会議(東京)、とくに宇都宮の公民館視察を通して共有されたACCU-APPEAL−14項目。
 さらに2006年に松本で開かれた「アジア太平洋の地域づくりに活かすコミュニティ学習センターの可能性」ワークショップを経て、2007年の岡山での「持続可能な開発のための教育(ESD) と地域づくりにおける公民館とCLCの役割に関する岡山宣言」。
 そして昨年5月には、文部科学省とACCUの共同発行による英文パンフ「公民館Kominkan」が世に出ました。同企画で日本語版も。同時期のベトナム訪問団を迎える会合で柴尾さんにお会いした折、「公民館に関する国家政策が失われつつあるとき、画期的な仕事!」と感想・感謝を申しあげたのでした。
 13日の国際シンポには、中国からは国家教育部成人継続教育課長、韓国からは平生教育振興院関係者が参加とのこと。なお12月10日〜12日には、岡山でCLC と公民館の「国際協力モデル」をさぐる講演・シンポが開かれています。

2549号【2010年12月8日
★<福建省とのお付き合い>
 上海から帰って1週間余り。相次いで日本公民館学会が筑波大学で開かれ、ようやく一段落したところに、福建省の李斗石さんからメール来信(上掲)。上海国際フォーラムの写真が添付され、再び上海を想い出しています。
 李斗石さんは福建師範大学、「福建省・生涯教育促進条例」についての報告(朱永康・福建人大常委会教科文衛委主任)を、お一人で日本語と韓国語に通訳した人です。あのとき会場はざわめき、感嘆の声があがりました。朝鮮族で中国に育ち、日本にも留学されたとのこと。旧知の朱永康氏からは記念の赤い壺を頂戴しました(下掲・写真)。当方からは「東アジア社会教育研究」第15号を進呈。
 ぶんじんと福建省とのお付き合いは、2004年の福建省訪問から始まります。末本誠さんと二人で、日本や世界の社会教育・生涯教育について講演(通訳は呉遵民さん)。たいへん好評でした。当時、福建省は中国初の「生涯教育促進条例」を準備中でした。台湾との「両岸」協力関係を含めて熱気あふれるものあり。このときのご縁で、ぶんじんは大学の「客座教授」、そして機関誌『終身教育』の「学術顧問」の称号をいただきました。福建『条例』は翌2005年に公式に制定されました。TOAFAEC では直ちに日本語訳(白メイ訳)、関連資料とともにホームページに掲載しています。→■
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2005fukkenhou.htm
 この旅では、福建省(福州・廈門)訪問のあと、北京へ移動し、中国成人教育協会2004年次大会に招聘され講演しました。同協会秘書長・謝国東さんとは今回の上海で再会したのでした。この間の記録はTOAFAEC 年報「東アジア社会教育」10号(2005年)に収録しています。ご覧頂ければ幸い。
 そしてすでに5年が経過。福建省では当時の熱気が今なお持続されている模様です。
福建省から記念の赤い壺、左から李斗石、朱永康主任などの皆さん(上海国際フォーラム、20101126)
 写真撤収

2548号【2010年12月6日
★<公民館学会と出版記念会>

 毎年12月初めに予定される日本公民館学会、今年は4〜5日の日程、筑波大学を会場に開かれました。参加者約100名。会長に新しく手打明敏さん(筑波大学)が就任。三代目の会長、ご苦労さまです。
 当方は気楽な出席、毎夜飲んでいました。乾杯が続きましたが、何よりの話題は、浅野平八さん(日本大学)を編集委員長とする『公民館のデザイン』(エイデル研究所)が刊行されたこと。学会創立(2003年)からわずか7年の間に、年報発行とともに、二冊の本格的な出版(『ハンドブック』2006年に続く)を実現したことになります。社会教育学的な公民館論に建築工学的な蓄積が結合したこれまでにない内容。乾杯を重ねたくなります。皆さま、必携の書です!
 学会プログラムが終了したその時点で、会場を駅前のドイツ・レストランに移して、韓国『日本の社会教育・生涯学習』出版記念会(大邱に続く日本でのお祝い会)の開催。弘前、大阪、和歌山、名古屋、仙台ほか関八州からの出席。学長(和歌山)、学会長(筑波)、社全協委員長が揃い、また「私は一字も書いていない」と自負する奇特な人たちもお祝いの雰囲気に惹かれて数人、まことに賑やかな一夜となりました。編者の山東省烟台・伊藤長和さんから熱いメッセージが披露されました。
 ヴァイチェン・ビヤの飲み過ぎ、筑波から東京への帰路はかなり酩酊気味。よろよろの足取り。若い世代に負けじ、の気力もそろそろ萎えてきたことを実感しつつ、しかし幸せな気分に包まれた初冬の暖かい夜でした。
第9回日本公民館学会懇親会(筑波大学、20101004)


出版記念会・最後まで残った人たち(筑波、20101205)


2547号【2010年12月4日

★<われらともにこの道を・・・>
 師走。今年はあまりいいことがないなと嘆いた前半。TOAFAEC 年報第15号の刊行も中途で息切れあり、心配した年でした。ところが結果的には充実した内容で出来上がり。韓国への『日本社会教育』出版も4年越しの恋がみのり、はじめての三国間の国際フォーラム(上海)は盛大に終了、12月に入っても“余韻さめやらず”の毎日です。
 今年納めの12月定例研究会(案内・上掲)は、とくに15号お祝いと忘年会、いや「望」年会(12月17日)。第16号に向けての新たな編集など、来年の期待を語りあいたいもの。江頭晃子さんのメール。
 「…お疲れもなく、元気で上海からお戻りになられたとのこと、ホッとしています。上海シンポも充実した様子が、皆さんからの高揚した報告から読み取れます。どんどん輪が広がっていて、感心するばかりです。17日の研究会案内。第15号は結構つくるのに疲れたので、皆さんの感想をぜひ聞きたいです。… 江頭」 (Thu, 02 Dec 2010 23:20)
 今回はとくに、15号合評会として、特集執筆の中国フォーラム、韓国フォーラム、そして上海で国際的に登場したかたちの「東アジア研究交流委員会」にも参加を呼びかけ、出張などで都合がつかない方にもコメントを寄せていただこうとの思い。皆さんどうぞよろしくお願いします。
 上海で詠んだ戯れ歌ノート、久しぶりに本号余白に。
◇海こえて父のごとしと言いくれし人あり上海の夜は深まる (11月27日、歓迎宴にて)
◇われらともに一書を編みし仲なれば 兄弟のごとしと杯かわす (11月28日、ホテル・ぶんじんバー)
◇「中韓日友誼」「われらともにこの道を歩く」と書き競えり (11月28日、普陀区長風文化活動センター)
左より小林、長風社区学校校長、韓国ヤンビョンチャン氏(上海普陀区、20101128)


2546号【2010年12月2日
★<韓国学者の特別エッセイ>
 上海・国際フォーラム参加者MLに、相次いで「お疲れさま」「お世話になりました」などメールが寄せられています。いま「南の風」は日刊となりましたが、それでも載せる余裕がありません。岩本さんの紹興・上海レポートに代表していただきましょう。しかしこのレポート、まだ紹興に滞在中(上掲)、上海に着くのは次号になりそうです。
 中国が続きましたので、話題を変えて・・・。韓国出版『日本の社会教育・生涯学習』への韓国側学者の寄稿(特別エッセイ)7本の日本語訳(風2537号に既報)のこと。浅野かおるさん(福島大学)、肥後耕生さん・金ボラムさん(いずれも公州大学校)の協力を得て、このほどホームページに入力できました。あと1本を残すのみ。本に挿入された写真もほぼ同じもので飾りました。
 また本には、特別報告Uとして、日韓の社会教育・生涯学習の研究交流の多様な展開について、歴史を含め、梁炳賛・金侖貞両氏による報告が収録されています。このほど金侖貞さんが日本語訳を送ってくださいました。これも収録済み。ご覧ください。→■ 
 もともとこの本の原稿は各章とも日本語、これですべて日本文が揃ったことになります。これから国内での日本語版・出版に挑戦することになります。成功するかどうか。
 明後日(4日)から、筑波大学で日本公民館学会(第9回)研究大会が開催されます。二日目プログラム終了後『日本の社会教育・生涯学習』出版にお祝い会の予定。学会にご参集の方、ご都合がつく方、ぜひお出かけください。日時:12月5日18時30分〜、会場:つくばエクスプレス「つくば駅」西武6F・ドイツレストラン「エルベ」(029-855-0422)

2545号【2010年12月1日
★<留学生への感謝>
 「南の風」は7日間の無風状態の報い。その間の国際フオーラムの記録・感想などが相次ぎ、やや混乱状態。いまや日刊「風」となりました。岩本陽児さんの「紹興・上海レポート」アドリブ紀行録(上掲)はまだ紹興二日目の昼食が済んだところ。上海に到着していません。風・編集としては(嬉しい)悲鳴。岩本さんに習って、のんびり行きましょう。
 今回の上海国際フオーラムでは、私たちの海をこえる研究・交流が留学生の力で支えられ、蓄積されてきたことを改めて実感しました。実質4日間にわたる発表・質疑・施設見学・食事の会話等、すべての通訳は(日韓ともに)留学生の奮闘によるもの。水準も高く、拍手!拍手!
 もともと上海とのお付き合いは、前号に記した羅李争・袁允偉の二人(いずれも東京学芸大学に留学)とともに、呉遵民さん(華東師範大学)の役割が大きい。呉さんは神戸大学(末本誠教授)に学び、学位をとりました。ぶんじんのことを「老師的老師」と紹介するのが常。今回の国際フォーラムの全般的な切り盛り役・葉忠海氏を連れてきたのも呉さん。1998年3月のこと。このときのエピソードはHPに書いています。→■ http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/shanhai2001.htm
 今回も例の大きな声で、フォーラムの重要部分の通訳を担当し、後半は北京の会議に飛んでいって不在。お礼をいう時間もなく失礼しました。
 いま一つ思い出しました。最終日(28日)夜、韓国訪問団とのお別れ会のこと。深夜の急な会場さがしや青島ビール・つまみ・お茶などを卓上に並べてくれたのは羅李争さん。紹興酒は黄丹青さんが持ち込みましたが、その他の経費は日本側で誰か払ったかしら?上田事務局長は帰国後のこと。おそらく羅さんの負担になったままではないかと気になっています。あの夜、ぶんじんは既に酩酊。いま酔いがさめています。

2544号【2010年11月30日
★<ぶんじんバーの開店>
 上海から29日夜、無事帰りました。先回(2009年)の上海調査の折は、帰ったあとダウン。今回は一夜明けて(もちろん疲れていますが)妙に元気です。紹興・上海の旅が面白かったからでしょう。
 前号冒頭にお詫びしたように、パソコンを持参しながら、この1週間、南の風は送信できませんでした。ホテル(上海外国語大学迎賓館)のパソコン環境がうまく動いてくれないのです(言い訳!)。これまでだと、シャカリキになって風の通路を拓いたものですが、連夜の楽しい交流の座、料理も酒も美味しく、あえて努力することをやめた?ようなもの。紹興賓館で編集した前号は、昨夜帰宅して、日遅れでようやく配信(一部重複)したという次第です。
 今回の上海は日本側(13人)だけでなく、韓国からの訪問団(17人)と一緒でしたから、毎夜の交流で賑わいました。打ち合わせ会では難しい議論もあったようですが、その座には出席せず申し訳ない。広州出張中の北京・韓民さんが駆けつけてくれましたので、再会を祝す杯で忙しく、結果的に失礼しました。もちろん羅李争さんや閘北区・学院の袁允偉校長も一緒。上海蟹をご馳走になった!
 これまでの旅では、夜のホテルで深夜「ぶんじんバー」を開店するのが慣わし。その地の酒類を用意してベッドのまわりを談論の場にするだけの工夫。しかし馬齢を重ねた今、バーのホストでもあるまい、と自粛気味でしたが、初日は黄丹青さん提供、岩本さん運搬の相当立派な紹興カメがありましたから、勢いよくバー開店と相成りました。いい酒でした。あとにはカメだけが転がっていました。
 上海プログラムの最終日(28日)。普陀区への訪問と歓迎宴が終わったあと、一行で和平賓館の老年ジャズバンドに寄りました。上海でドイツビヤ(ヴァイチェン)も乙なもの。上海外大ホテルに帰って、近くの小さな店で韓国の皆さんとお別れの会。夜もおそく、わずかに残った紹興酒の小瓶とお茶だけの会。別れたあと、その後のぶんじんバーにヤンビョンチャン(梁炳賛)さんたちがお出でいただき、ようやく閉店となったのは午前3時ごろか。部屋には何も残らず、わずかに西瓜の種がパラパラ。
 奮闘された皆さま、お疲れさまでした。たいへんお世話になりました。

後列・左より李正連、韓民(中国教育部)、梁炳賛(韓国・秘書長)、羅李争、岩本陽児、河野明日香の皆さん、
前列・左より閘北区学院の黄群(新党委書記)、袁允偉(同校長)、小林(同名誉図書館長)、金南善(韓国・団長)など各氏
                                       (上海外国語大学迎賓館にて、20101125夜)


2543号【2010年11月25日
★<紹興酒−香気あり>
 23日からの中国の旅。懐かしの上海・虹橋空港での出迎えは、久しぶりの羅李争さん(東京学芸大学・院卒)との再会。今年6月にオープンした「虹橋駅」から新幹線(動車)に乗って、一路紹興へ。列車は杭州経由の福州行きでした。両都市に行ったことがあるのに、紹興は初めての地。上海国際シンポの準備に没頭していた黄丹青さんも故郷に帰って、みるみる解放された表情に。当夜は紹興飯店に投宿、魯迅ゆかりの「威亨酒店」でほんものの紹興酒に酔いました。香気あり、心を溶かす趣き。やんばる古酒だけでなく、その風土が生み出す銘酒はそれそれに味わい深く、酔いはいつまでも続くもの。
 この夜の食事のことは、同行の岩本陽児さんが長文の記録(上掲)を寄せてくれましたので、それに譲ります。(本号が長くなったのはこの記録の故。酔っていただろうに、ご苦労さん!)
 今日24日は紹興のまちをゆっくり歩きました。午前は魯迅記念館や旧居をまわり、魯迅が遊んだ百草園、学んだ私塾などを確かめた後、昼食は紹興料理店のテーブルを運河沿いに持ち出して楽しみました。午後は清代末期の革命家(日本にも留学した)「秋きん」の記念碑や資料展示の大学通堂へ。彼女は纏足の世代、清朝への謀反を問われて処刑された(1907年)のは30才の若さ。日本留学中の和服姿の写真が印象的でした。
 運河を足で漕ぐ舟には乗る時間がありませんでした。次回の楽しみ?
 夜の食事と歓談。黄さんのご家族(お母さんに初めて会った)、親しい人たちが十数人。ぶんじんのバースディケーキも。黄さんから「お礼に歌を・・・」と促され、例によって「九・一八」「大海」を歌いました。明日は午前の散策のあと、上海に戻ります。夕刻に上海訪問団と合流予定。皆さんの一路平安を祈る。

2542号【2010年11月23日
★<結婚お祝い会は誕生日>
 南の風メンバー(最近ほとんど来信なし)の稲富和美さん(奈良市生涯学習財団・春日公民館)が、10月にめでたく結婚。昨日(21日)東京で友人・知人が集まって、同窓会のような結婚報告会が開かれました。稲富和美さん、あらためて、ご結婚おめでとうございます。
 ぶんじんとは和光大学での出会い。その後、和美さんは杉並安井家(原水爆)資料研究会に参加した経過もあり、また就職先が社会教育関連ということもあって、全国集会等を含め、ときどき顔を合わせる機会がありました。そして11月21日・結婚報告会のご案内。
 実はこの日は、ぶんじんの79回目の誕生日でした。偶然の一致。気楽な会なので、乾杯の発声を求められた際、お祝いのひとことに加えて、「昔の数え年でいえば、今日は八十の誕生日!」とつい口にしてしまったのです。毎年、あまり誕生日など気にしないのに、この日は妙な浮かれ気分。その流れで「乾杯!」とやってしまって、和美さん新夫婦には申しわけない雰囲気に。
 その後、結婚祝いの会は楽しく進行しましたが、途中で突然に司会が交代し、赤ん坊を前にかかえた旧ゼミ生が「ここで、ぶんじん先生の誕生日の祝いを…」と切り出し、まったく当惑。あわててマイクを奪いとり、今日は結婚のお祝いだ!と叫んで、「ザ結婚」(ふるさときゃらばん)を歌う羽目に。「結婚は白い雲、これから どんな空を飛んでいくのか、それは成り行き風まかせ。結婚は白い道 これから歩み始める白い道…」と。
 しかし、誰かが急いで用意したらしいケーキとローソク一本も登場。観念して美味しくいただきました。新婚カップルからは銘酒一本を頂戴し、教師冥利につきるとはこのこと。
左から2人目・稲富和美、3人目・阪口隼也の新カップル (東京八王子、20101121)


2541号【2010年11月21日
★<南大東島からの便り>
 思いもかけず、南大東島(島まるごと館)から、「大東コウモリ新聞」47、が送られてきました。沖縄本島から東へ約400q、太平洋上に浮かぶ島。「NPO法人 南大東Dongosabows」東和明さんからの便り。
 「…大東コウモリ新聞47号が出来ました。今の南大東のようすを満載しました。なんとか月刊にしたいと思い始めました。頑張りたいと思います。よろしくお願いいたします。」(Fri, 19 Nov 2010 08:47)
 太平洋のオアシスに渡り鳥が集まってきていること。台風14号襲来以降に気温がさがって海岸植物が色づき始めた、これが大東島の紅葉。シロッパ屋根葺き復活のニュース。締めくくりは、「子どもスタッフがみた台風あとの森」について。
 「予想外の大きな台風14号が10月28日に島に迫ってきました。たくさんの潮が降り注いだ上、そのあと11月6日まで雨が降らなかったものだから、森の木はどこもかしこも枯れ枯れです。サトウキビも枯れて島の被害の大きさが心配…」と。NPO法人南大東Dongosabowsのブログ→■   
 http://ameblo.jp/minamidaitodongosabows/
 東和明さんのお父さんは、ご記憶の方も多い東寿隆さんです。もと東京都教育庁・社会教育主事。お元気な頃に「月刊社会教育」編集長をされたこともある人。いま老後を南大東島で過ごしておられます。上地武昭さん(沖縄大学)からも誘われたことがあり、いちど大東島に行こうと話し合った経過もありますが、まだ果たせません。そのうちにぜひ!
 11月23日から上海へ。いまパソコンを抱えていくかどうか、迷っています。加齢とともに、荷物の重さが気になってきました。

2540号【2010年11月19日
★<上海閘北の中日図書室>
 上海の閘北区に「業余大学」がありました。文革後の大都市部につくられた、働きながら学ぶ大学、日本には見られない成人・社会教育大学です。かって上海では各区に設置されていました。初めて閘北区業余大学を訪問したのは1989年、上海駅からも近いゴミゴミした横町の暗がりに煌々と輝いていた夜の白い校舎が印象的でした。その後は、今世紀に移る頃に「社区大学」となり、さらに「行建職業学院」と改称して新しいキャンパスに移転し、いま若々しい学生の声につつまれています。
 この業余大学とTOAFAEC (代表・小林)の両者で、中日合作の学校づくりの試みが動きました。1997年から2000年にかけて。構想が文書化され、名称・定款も確定し、正式決定をまつばかりとなって、最終的には認可がおりず白紙へ。大学側はこの経過を惜しみ、大学内に「小林国際交流閲覧室」が設けられました。2001年10月のこと。この間の経過資料はホームページに収録しています。→  
 ほぼ1年半のご無沙汰。23日からの上海訪問の際に立ち寄るつもりです。業余大学時代の学長など首脳部は退職されましたが、当時副校長だった袁允偉さんが現在の学院長。袁さんは東京学芸大学社会教育研究室に1年留学されていたことがあります。
 昨日(18日)久しぶりに霞ヶ関へ。日本の政府刊行物(白書等)をいくつか入手して、閘北「国際交流閲覧室」に運びこむためです。懐かしの顔を思い浮かべながら、他に例のない日中図書室がまだ存続しているか、うまく機能しているかしら、と心配もしつつ…。
左より陳(図書館長)、韓民(中国教育部)、小林、袁允偉(学院長)の皆さん(小林国際交流閲覧室にて、20081102)


2539号【2010年11月17日
★<「風」の履歴>
 本号のビッグニュース、新「公民館の風」の登場。岡山の内田光俊さんが発行宣言。11月16日付で記念すべき第1号(上掲・抄録)が配信されました。
 新しい誕生日、おめでとう! いや何よりまず、有り難う!の気持でいっぱいです。
 あれは9月の初旬、岡山の夜のこと、風2502号本欄(下記)に書いています。酒も入った楽しいひととき、「公民館の風・復活を」という唐突な話を積極的に受けとめていただきました。
 新しい第1号は通算633号になるようです。内田光俊さんは旧「公民館の風」(ぶんじん発行)の初期からのメンバーでした。「南」が沖縄研究グループによる、ややパーソナルな同人誌的スタートでしたから、「公民館」をテーマに少し拡げた通信ネットを呼びかけたのでした。1999年秋のこと。二つの風が併行して出るようになって約3年半。それぞれ順調に定着してきましたが、逆に発行者ぶんじんの負担増もあり、「南の風」1000号の機会に、「公民館の風」は395号で休刊、2003年2月でした。→■
 この3年半の時期は、公民館50年記念の日本社会教育学会特別年報『現代公民館の創造』(1999年)や、その姉妹編『世界の社会教育施設と公民館』(2001)を世に出し、日本公民館学会の創設(2003年5月)に取り組んでいた頃にあたります。
 「公民館の風」を惜しむ声あり、その後、萩原周子(川崎)、佐藤進(東京)、内田純一(高知)の皆さんが、風をリレーするかたちで発行していただきましたが、現在は休止中。それだけに再刊は嬉しいニュースとなりました。無理はしないで、ゆっくり、楽しみながら、吹き続けてください。関連してホームページも準備中とか。しょせん「風」は流れるもの(フロー)、組み合わせて、ストックのページが大事。それが継続を生むことにもなりましょう。新「風」ご関心の方は、内田光俊さんmitsutoshi@u.email.ne.jp まで。

2538号【2010年11月15日
★<上海への旅ごころ>
 上海で開かれる中日韓・国際シンポの日程が近づきました(11月26〜28日)。詳細なプログラムはまだ入手できていませんが、1週間前に黄丹青さんから送っていただいた概略をご紹介しました(上掲)。この間、上海・呉遵民さん(華東師範大学)からも、通訳の体制等について何度もメールをいただき、有り難うございました。
 風には掲載していませんが…、呉メールによれば、国際シンポに北京から韓民さん(中国教育部・教育発展研究センター)も参加される由。久しぶりの再会となります。韓民さんは『東アジア社会教育研究』第15号の執筆者(巻頭論文)でもあり、上海行きの機会に、執筆者・編集委員そして寄贈分まで考えると、10冊以上を持参する必要がありましょう。内田編集長の方で段取りをよろしくお願いします。韓・呉の両氏には2冊を届けていたように記憶しています。
 小林は、閘北区学院「小林国際交流閲覧室」に例年「白書」など日本教育資料を届ける慣わし。第15号を運ぶ余力はなさそう。ご了解を。
 前号本欄で、新刊『日本の社会教育・生涯学習』所収の韓国側コラムの日本語訳をお願いしたところ、早速に肥後さんから快諾のメール(上掲)。相次いで、金ボラムさん(公州大学・院)からも「肥後さんと相談し、一緒に頑張ってやってみます」との返事。有り難う!
 また金侖貞さん(首都大学東京)も、「分かりました!日本の読者の方々にも読んで頂けるよう…」、梁炳賛先生の執筆部分を訳して送っていただくことになりました。当方はいつでも掲載できるよう、HPの用意をしています。→■

2537号【2010年11月13日
★<韓国のコラム7本>
 このたび韓国で出版された『日本の社会教育・生涯学習』(学志社刊、ハングル版)、その日本語による紹介ページ(目次・執筆者一覧、まえがき・あとがき等)をホームページに掲載しました(風2351号に既報)。早速見ていただいた方より、輪郭が分かった、大作なのだ!などの感想。
 本書には、日本からの執筆者(約30名)に加えて、韓国の主要な方々から「コラム」7本が寄せられています。タイトルを一覧にすると、
@韓日社会教育の架け橋・黄宗建先生:金済泰(元・文解教育協会長)
A揺籃から墓場まで、記録の達人たち:鄭賢卿(公州大学・非)
B韓日文解学習者たちの出会い:マンヒ(文解成人基礎教育協議会代表)
C日本における下からの生涯学習を見て:金南善(大邱大学)
D我々を感動させた川崎:イ・ジンウ(元・富川文化財団図書館、現キョハ図書館情報サービス長)
E韓日社会教育の知的呼吸:朴仁周(青瓦台社会統合主席)
F韓日社会教育界における永遠の出会い:崔云實(韓国平生教育総連合会会長、亜州大学)
  −敬称略−。いづれも興味深いタイトル。
 また特別報告として、「多様化・多元化する日韓生涯学習交流の発展」(梁炳賛・金侖貞)も収録されています。笹川孝一さんの日韓交流史を加えて、この本は日本と韓国の研究交流史、その証言集の側面もあるようです。この機会に、韓国側コラム7本を日本語訳して紹介したいと思います。まず、@韓日社会教育の架け橋・黄宗建先生(金済泰)について、肥後耕生さん(黄宗建研究)にお願いできないでしょうか。随時、ホームページに掲載していくことにしましょう。

2536号【2010年11月12日
★<太刀洗の思い出>
 久しぶりに岩本陽児さんが送ってきた“親孝行”の記録「大刀洗平和記念館」(上掲)、長文です。ぶんじんにとっても「太刀洗」の飛行場は忘れがたいところ。少年(旧制中学1年)の頃、勤労動員で駆り出されて、飛行場づくり(拡張工事)をさせられました。老若男女、とくに中学生徒と朝鮮人労働者が酷使させられました。雨の中、赤土の泥と格闘した忌まわしい思い出があります。かっての陸軍・大刀洗飛行場(当時は東洋一とか、西日本最大の航空基地、特攻基地)の跡地に町立「平和記念館」が昨年オープン。その後は観光バスも立ち寄るほどの盛況。そのうち農中茂徳さんの車で行こうと話し合っていたところでした。
 あのとき(1944年)、引率の中学教師が周辺の農家からカボチャを買いこみ、僕ら生徒たちに1里あまりの道を持たせて西鉄電車駅まで運んだ笑い話。食糧難だったのです。「配給」以外の「闇」商売をしたとして、その教師には「ヤミ」と渾名が…。軽蔑すべき話を思い出してしまった。その後、ぶんじんは1945年に本格的な動員で陸軍需品廠(耳納山中)へ。そして久留米大空襲に遭い、8・15を迎えるのです。岩本さんの親孝行から思わぬ昔ばはし。
 赤崎隆三郎さんから、九州沖縄地域づくり会議(上掲)の写真をたくさん送っていただき、有り難うございました。11月20日から上京とのこと。当方は21日に卒業生の結婚パーティ、23日〜29日は上海・国際シンポのため訪中予定。今回はお会いできないようですね。
 竹富島の上勢頭芳徳さん(公民館長)が東京へ。電話でお会いしよう、東京・竹富郷友会の皆さんとも一緒に、と話しましたが、結局は会えずしまい。次の竹富行きの楽しみにとっておきましょう。

2535号【2010年11月10日
★<晩秋のホームページ>
 最近の「風」は、連日配信を控え、隔日刊を守ってきましたが、相次いで届く皆様からの記事、とくに11月12日に開かれる「世界平和アピール七人委員会・講演会」の急なお知らせ(上掲)あり、連日の騒がしい通信となりました。お許し下さい。
 それにもかかわらず、伊藤長和さんの「烟台の風」は、前号に続き本号も先送りへ。申しわけありません。すでに2本の「烟台」が滞留中。この間、指定席を用意して、毎号の連載として定着してきた感もあり、次号以降に載せます。分量を多くして、一挙掲載という手もありますが、長文の風はかえって読まれない。各号100行〜120行以内に収める編集につとめています。ご了承を。
 実は、TOAFAEC ホームページ内に、伊藤長和さん「烟台の風」の奥座敷があります。烟台から着信したら、そのまま奥の座敷にお通りいただき、くつろいで読んでいただく部屋。伊藤さんのブログ・サイト。→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/itouentai10.htm
 南の風への掲載が遅れたお詫びに、さきほど伊藤さんの扉の写真を新しくしました。昨日までは、8月の神田神保町で開かれた壮行会の写真、半袖の夏姿でした。烟台から早くも冬の便りが届き始めて、いかにも寒そう。適当な近影がなく先日の韓国慶州で遊んだときの秋姿にしました。
 HPトップページの写真も更新しました。東京杉並・善福寺河畔の晩秋の1枚。ぶんじんの散歩道です。今年の紅葉はまだこんなに色づいていませんが、2003年に開かれた上海の集いに「日本の社会教育50枚」スライドショーの扉を飾った写真です。

2534号【2010年11月9日
★<海を越える交流>
 今年は韓国に向けた懸案の出版が実現でき、また両国の学会間で本格的な交流が始まる(4月)など、社会教育・生涯学習の領域では、日韓の研究交流がいちだんと進んだ年となりました。今週末には福岡で「日韓フォーラム」も予定されているとのこと(上掲1)。
 また日本公民館学会の『公民館のデザイン』(近刊)について、ハングル翻訳の話ももちこまれているらしい(上掲2)。何よりのこと。先月、小林編『公民館の再発見』についても翻訳についての打診をいただきました。もうすでに四半世紀が経っている本、古くなっています・・・だけど注目していただいたのは光栄、そんな返事をしたように記憶しています。酒の座のお話でしたから、よく憶えていないところもありますが。いずれにしても、韓国で日本公民館についての関心が拡がっていることは確かなようですね。賑やかな話が交錯し、お互いの交流を深めてきた画期的な年といえるかも知れません。
 対照的に、中国との関係が妙に冷え込んでいますね。政治レベルのトラブルは別として、学会や研究交流の面でも活発に動いているとは言い難い。1980〜90年代の日中交流が盛んに動いた時代を知るものとしては、気になるところです。その意味で、11月下旬に上海で開かれる三国間の国際シンポに期待がはずみます。
 海を越える交流と言えば、あと一つ、沖縄研究フォーラムの再生の課題があります。来年に向けて、山城さんを軸に新しい動きをつくれないものか。まず正月明け早々の日程、4〜5日程度のスケジュールを組むご提案。1月5日から(飛行機も少し安くなる?)の線で、沖縄に関心をおもちの方々、ご都合はいかがでしょうか。

2533号【2010年11月7日
★<カボスの香り>
 風の前号、5日昼に出したあと、さっぱりと髭を落として研究会に出かけました。永年連れ添ってきた人の曰く「…似合いませんよ」の一言で決断を迫られ、数分後にはきれいさっぱり、もとの顔に戻りました。
 その直後に、前号本欄を読んでのことでしょう、末本誠さんから次のメールが来信。あと一刻早ければ、悩みは続いたでしょうが…。やはり、未練の思い、なきにしもあらず。
 「…いまパリにいます。どうぞ髭仲間に入ってください。国生さんからは、小生の髭が貧相だと笑われていますが、このような髭もあっていいのだと胸を張っています。外国に行くときには、便利です。普通に受け入れてくれますし、バスの中では年寄として見てもらえます。」(Fri, 05 Nov 2010 17:31)
 研究会には、ゲストの増山均さんに差し上げる第15号や新刊・韓国本(ずしりと重い)などの荷物に加えて、大分のカボス一包みを運び込みました。渡部幹雄さんの母上から送っていただいたもの。毎年、この季節の贈り物に恐縮してきましたが、今年はとくに渡部さんの10月朗報あり、秋の香りに母上の思いが重なって、心にしみるものあり、皆さんにお裾分けに及んだ次第。
 研究会での増山さんの「アニマシオン」についてのお話は、予定時間いっぱいを使って、迫力ある内容でした。今でも“増山節”が耳に残っています。どなたか当夜の記録をお寄せいただけるでしょうか。
 次の沖縄訪問計画(風2528号)について、山城千秋さんからのご返報(上掲)。年末はやはり無理か。正月明けの線で計画を具体化することになりましょうか。皆さんの都合を聞き具体的な提案にしましょう。
第167回研究会ゲスト:増山均さん(高井戸、20101105)


2532号【2010年11月5日
★<骨の写真展>
 無精ヒゲがのびました。もともとショボショボ、白いものが混じる貧相な顔、いつもヒゲは剃り落とすならわし。ところが、この1〜2週間とくに公的な会合もないままに、案外にのびて・・ 今までになく「風」を感じるほどに。最近はまわりに美髭をたくわえる友人あり、妙な興味も出てきました。無責任なお世辞屋さんが、まずまずの評価をしてくれたのもご愛嬌。どうしようかと、暇人の悩みを楽しんでいます。
 閑話休題。ヒゲづらで外出しました。風2481号(8月5日)本欄に書いた「骨からの戦世−65年目の沖縄戦」比嘉豊光写真展(神田駿河台・明治大学アカデミーコモン1F展示スペース)へ。今年3月、那覇市真嘉比、浦添市前田で新たに発見された沖縄戦下の旧日本兵遺骨発掘の記録です。大きく開いた眼窩の骸骨。土中に埋もれた姿そのままに横たわる遺骨。すべて「骨」だけの写真展。これほどの生々しい骨の画像が並ぶことは二度とないでしょう。軍歌「海ゆかば」で歌われる「水漬(みづ)く屍、山行かば 草生(くさむ)す屍」の実像そのもの。
 会場ではビデオ「骨からの戦世−脳が出てきた」(20分)も。真嘉比の発掘現場で頭蓋骨を洗う作業、頭の中からミイラ状態になった脳ミソが取り出された一瞬、衝撃的でした。声なく心重く…。神田あたりに出ると、いつも三省堂放心亭でドイツビヤを楽しんで帰るはずなのに、この日ばかりは、粛然として家路につきました。
 読谷村楚辺で比嘉豊光さん経営「ゆめあーる」に、和光大学ゼミ合宿で何度かお世話になったことを想い出しています。豊光さんの仕事「琉球弧を記録する会」「島クトゥバで語る戦争」「ナナムイ」(宮古島)などともに、私にはとくに楚辺区の字誌(「戦争編」等)が印象的です。
 ところで、今日のTOAFAEC 研究会、どんな顔で出かけようか。
写真展「骨からの戦世−65年目の沖縄戦」(明治大学、20101104)


2531号【2010年11月3日
★<天高く、お祝いの古酒>
 11月、菊かおる季節。秋の空に陽光さんさん。メールが飛び交います。李正連さんから来たメールへの返信、ぶんじんのお願い。
 「…当方のホームページに韓国本(2006年)のページをつくっています。今年の2010年「日本の社会教育・生涯学習」学志社版は、ハングルでもあり、本を開いても「読めない」の声しきり。そこで日本語訳で目次、ヤンビョンチャンさんの「まえがき」、李正連さんの「あとがき」。加えて、編集・出版記念会についての記事・写真などをホームページに掲載してはどうかと考えていますが…。」
 それに応えて、李さんから送られてきたメール(上掲)。日本語による目次や写真を並べ、大著「日本の社会教育・生涯学習」紹介のページづくりをしました。2日夜、祝いの古酒を汲みながら…。 ご覧下さい。→■ http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/kankokusyuppan2010.htm
 久しぶりに、上海の羅李争さんからのメール。上海シンポ日程(11月26〜28日)の前、23〜25日に紹興へ遊ぶ計画(風2506号ぶ欄)を伝え、誘ったのです。
 「小林先生:お誘いありがとうございます。紹興に行ったことがありますが、あっという間に20年過ぎました。お陰で再度紹興へのチャンスができ非常に嬉しいです。羅李争」(Tue, 2 Nov 2010 02:52)
 最近はほとんど「風」に登場しませんが、羅さんは中国文革後の最初の国費留学生。韓民さんと同期、東京学芸大学院生の頃、二人は国立公民館近くの同じアパートに住んでいたことがあります。ぶんじん宅にもよく遊びに来てくれた旧友。囲碁の好敵手…と言いたいところ、しかしいつもぶんじんが負けていました。
「日本の社会教育・生涯学習」表紙(韓国・学志社刊)


2530号【2010年11月2日

★<三国間トライアングルの研究交流−上海国際シンポ>

 この「風」がどの程度読まれているのだろう、おそらく大半は捨てられているに違いない。情報氾濫の時代、それもやむをえない、などと諦観しつつ、思いがけず小さな記事を読んでいただいた反応があると、嬉しくなります。ようやく発刊できた今年の年報第15号の注文もいただき(上掲)感謝!です。ぜひ、まわりの図書館や研究室等にも収蔵していただくようお願いします。バックナンバーは、すでに一部欠号がありますが、今のうちだと主要な号が揃います。詳細はホームページを。→■
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/1-10kenkyu.htm
 この間、韓国への『日本の社会教育・生涯学習』刊行やその出版記念会の報告など、韓国に関する記事が多くなっています。併行して、いま「風」のパソコンには、11月26日〜28日に中国上海で開かれる「学習社会」創建に向けての国際シンポ(会場・上海外国語大学)の準備メールが連日飛び込んでいます。大きな目玉は、初めての中国・韓国・日本を結ぶ3国間トライアングルによる研究交流の取り組み。
 韓国・日本からそれぞれ15名前後の参加。中国国内から多数の報告が用意されている模様です(主催・中国成人教育協会)。これまで日韓・日中の2国間交流の努力を重ねてきましたが、言葉の壁を超えて、3国による新たな跳躍が始まります。今日の呉遵民さん(華東師範大学)から来たメール。「…すこし辛労するかもしれませんが、せっかくの三か国シンボですから、成功のため、がんばりましょう」と。
 日本からの参加は、石井山竜平、黄丹青、上田孝典、上野景三、内田純一、李正連、岩本陽児、河野明日香などの皆さん。呉迪さんなど留学生も。加えて中国・烟台からは伊藤長和さん(順不同)。若い世代に連なって、ぶんじんも頑張るつもり。

2529号【2010年10月31日
★<やんばるの子守歌>
 台風14号は房総半島沖を過ぎていきました(30日夜)。東京は台風らしい風も吹かず(知るかぎり)被害なし。外出を控えただけに拍子抜けでした。家にいたおかげで、テレビから流れてくる“芭蕉布”“やんばるの子守歌”を久しぶりに聞きました(BS2「叙情歌2010」)。研究室などでよく歌った想い出の歌。
 「いったーアンマーまーかいが べーべーぬ草刈いが」(お前の母さんどこに行ったの 山羊の草刈りよ…)の歌詞。父さんはどこに、牛の草刈りに、お姉ちゃん連れて…、さとうぎびの下草刈りに…、と続きます。次回の研究会(11月5日)でも歌いましょう。
 今年の年報『東アジア社会教育研究』第15号には「やんばる対談1」を収録しています。題して、「やんばるの地域活動・社会教育と2010・名護市長選」。ぶんじんが聞き手となり、ゆんたく風に島袋正敏さんに語って頂きました。とくに1月の名護市長選(稲嶺進さん当選)についての証言が興味深い記録となっています。
 聞き手としては、辺野古の基地問題や市長選挙をめぐる経過(1997〜2010年)と同時に、その背景としての名護の地域史、社会教育の取り組みや住民運動との関わりについても。
 対談の終わりのところで、正敏さんは地域の「在来文化資源」を再発見する視点を語っています。たとえば、在来種の黒豚のアーグーのこと、山原島酒之会(古酒運動)、祭りや集落(字)共同へのまなざしなど。それらと結ぶ社会教育、いわば「やんばる」的な発想、その現代的な課題をあらためて考えさせられました。

2528号【2010年10月29日
★<次の沖縄訪問計画を>
 28日の東京はあたかも初冬の冷気、終日の雨でした。台風14号の影響もあるのか、風まじり。寒々とした街角は、少し歩いただけで、ぐっしょり濡れました。
 沖縄の東を進んでいる台風14号は、日付が変わる頃、一時は935hpaまで発達(29日朝は960hpa)、容易ならざる勢いです。予報では速度をはやめて本土に来るらしい。先日の台風13号も影響して、物凄い豪雨に見舞われた奄美諸島では、再び厳戒態勢のニュース。
 この月末、実はひそかに沖縄行きを画策していました。忙しく仕事に追われている諸氏を尻目に南の島で遊ぼうという魂胆です。しかし台湾海峡に滞留していた台風13号の進路を心配し、それが消えたところに新たに第14号がやってきて、訪沖は諦めることになりました。残念!
 もともと10月7日は、「沖縄」の地で「東アジア」のメンバーで集いをもち、沖縄研究フォーラム(仮称)の立ち上げにも繋げようという計画がありました。その日が韓国・大邱での出版記念会に切り替わったといういきさつ。山城千秋さんはじめ予定していた方々に了承をいただきましたが、次の日程は未定のままです。せっかくの気運を失わないようにしたい。せめて一人で「やんばる対談」(第15号所収)に続く第2弾の相談でもという目算、それが台風によって打ち砕かれたかたちです。
 沖縄に関心を寄せる(10月7日の沖縄集いを予定した)皆さん、年末あるいは正月休みの予定はどうでしょうか。5〜6人で4〜5日前後の日程、沖縄本島を飛び回る計画をたててみたい。とくに山城千秋さんの都合は如何でしょうか。

2527号【2010年10月27日
★<祝!第15号、再び、ずしりと重い1冊>
 今日(26日)、待望の「東アジア社会教育研究」第15号が段ボールで届きました。階下の“風の部屋”へ運びきれないほどの重さ。1冊(297p)を取り出して、終日、ページをめくっていました。重さだけではありません。読み応えある論文・報告・対談など、いい出来映え。これまでにない充実した年報になったのではないでしょうか。それぞれの紙背に、執筆者・訳者の表情が浮かび、あの校正作業の酷い暑さも思い出されます。
 韓国の関係者への献本は、出張予定の名古屋大学の皆さんが持参していただくことになりました。本は出発に間にあったようです。李正連さんからのメール。「…今日、15号が無事に到着しました。9冊を持っていきます」(Tue, 26 Oct 2010 13:01)。 感謝!
 今号は、中国からの執筆者が多く、各地にどう届けるか。個別に送る郵送費はかなりの負担になります。去年までは、烟台−東京を往復していた張林新さんに依頼し、彼の事務所から国内便で送ってもらいましたが、いま東京に住んでいて頼めない。韓民さんなどの執筆者、編集委員その他の献本を含めると、少なくとも10冊余。
 さきほど上海の呉遵民さんと久しぶり電話しました。11月下旬の上海国際シンポについて話しましたが、その訪中の際に持参することで了解していただきました。第15号には、呉・黄欣夫妻による「国際的視野から見た上海市生涯教育地方立法」(千野陽一氏訳)が掲載されています。
 年報ご希望の方は事務局(山口)へ。http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/1-10kenkyu.htm

2526号【2010年10月25日
★<待望の研究年報・第15号>

 予定では本日(25日)「東アジア社会教育研究」第15号が出来上がるとのこと(アンティ多摩)。納品されて発送作業でしょうから、執筆者や維持会員の方々、予約の皆さんに届くのは数日後になりましょう。しかし本欄では待ちきれず、第15号のことを書きはじめました。
 これまでにも増して、充実した内容に仕上がっているようです。15年の歳月のなかで、ページ数は最も多く、ほとんど 300頁。内容的にも北京(韓民さん)からの原稿も間に合って、待望の中国特集が実現。並んで韓国及び台湾・中央アジア・パレスチナ関連、そして沖縄の報告など。「東アジア大都市」をテーマとする座談会記録も。この10ヶ月ちかくの取り組み、皆さま、ご苦労さまでした。
 編集委員会からの報告や販価等についての案内が「風」に寄せられると思いますが、実は確定した目次については、すでにTOAFAEC ホームページに収録しています。ご覧の上、注文など頂ければ幸いです。→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/1-10kenkyu.htm
 また、韓国関連報告の中で「文解基礎教育法案」(訳・解題:李正連)と、4月に開かれた日本社会教育学会・韓国平生教育学会の合同国際セミナー記事(小田切督剛)の2本も、大事な記録なので、ご了解を得て掲載済みです。→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2005kankoku.htm
 あらためて、この15年の歳月を思い起こしています。よちよち歩きの幼児が、少年期を経て、いま多感な若者に育ちつつあります。

2525号【2010年10月22日
★<日韓を結ぶ出版>
 11月下旬に上海で開かれる中・韓・日の三国国際シンポの準備が進んでいます。初めての試み、言葉の問題など乗りこえるべき課題あり、他方で上海方面との連絡が必ずしもスムースでなく、提出レジメの翻訳体制づくりなど、ここ数夜、遅くまで打ち合わせメールが飛び交っています。10月の韓国大邱での出版記念会に続く11月の上海国際シンポ、今年は当たり年のようですね。皆さんの奮闘が必ずや新しい東アジアの友情を創ることになりましょう。
 韓国での出版記念会・平生学習フェスティバルの余韻もまだ残っています。新版『日本の社会教育・生涯学習』がこれから韓国でどう読まれていくかも興味あるところ。本はハングル版ですから、日本では多く読まれないと思いますが、社会教育領域では韓国向けの初めての本格的な出版、大学図書館や公共図書館でもぜひ所蔵していただきたいと期待しています。公費購入の場合の書類等も用意しなければなりませんね。
 思い出したこと。10月7日・大邱の出版記念会の当日、李正連さんの著書『韓国社会教育の起源と展開』(日本版は2008年、大学教育出版)のハングル版が出版され、会場でその新著を頂きました。また金侖貞さんの『多文化共生教育とアイデンティティ』(日本版は2007年、明石書店)のハングル版も今年7月に刊行されて、たしか七夕の会で披露されました。日韓を結ぶ学会交流あり(4月)、研究出版活動も今年は賑やか。私たちの本とともに、お二人の新版が今後どのように韓国で読まれていくか、期待がふくらみます。

2524号【2010年10月20日
★<いろは丸沈没その後>
 前号本欄の「竜馬伝−いろは丸沈没事故」のわずかな記事に応えて下さって、和光大学・伊藤武彦さん(心理学、平和研究)から久しぶりのメール来信(上掲)。わが国初の海難事件についての蘊蓄五っ。そのうち、とくに(5)歌を流行らせて民衆・大衆を味方につけたこと、に同感です。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は(テレビの場面と少し違いますが)、その情景を次のように書いています(大意)。
 いろが丸沈没後のある日、竜馬は海援隊士を連れて、丸山にやってくると、馴染の芸妓十数人をよび、三味線をかかえ歌い始めた。芸妓たちも面白がってそれに和し、それが長崎の花街で爆発的に流行した。 “船を沈めたその償いは 金をとらずに国をとる”と。
 よさこい節で歌うと確かに面白い。賠償金をとらずに紀州五十五万石をとってやろうという意です。この歌の「…宣伝には紀州藩も閉口した。世論は明らかにこの藩に非であった。」(司馬)
 年表を見ると、いろは丸沈没事件が1967年(慶応3年)4月。同年6月に竜馬は、長崎から大阪に向けての船のなかで「第一策、天下の政権を朝廷に奉還せしめ…」で始まる「船中八策」を練り、10月には大政奉還建白へと展開します。しかし11月に竜馬は刺客に襲われ闘死。享年わずか33歳。その翌年には五ヶ条の誓文、江戸城の無血開城、世は明治と改元し、新しい時代が幕をあける、その直前の死、短い一生でした。
 竜馬が「八策」を示した船中には赤いワインが用意されていたそうです。我らもまた、グラスをかたむけ天下を論じつつ、仮称「社会教育八策」でも練り上げましょうか。

2523号【2010年10月18日
★<御三家・紀州と土佐の風>
 この10日間、韓国関連の記事が相次いでいます。とくに伊藤長和さん「烟台の風」に勢いあり(ご同慶の至り!)、毎号「出版記念会と平生学習フェスティバル」が続いています。本号の「烟台」110 号は、小林にとっては少々面映ゆい内容、そっとパスしようかと思いましたが、ご寄稿を尊重して、恐縮しつつ、あえてそのまま載せました。
 本号には、紀州から「既習」の話の来信あり。昨年の「風」常連・御三家の一人。相変わらず駄洒落の名手、ダジャレが出るのは元気の証拠、何よりです。淡路島を望む岬に豪邸?を構えるそうで羨ましい限り。そう言えば、御三家の残る一人は最近ほとんど音沙汰なしの構え。懐かしの「レディング通信U」も「吹き収め、間近です」のメッセージのままで終わっています。きっと多忙なのでしょう。
 紀州からの便りが来ましたので、ついでに土佐の話。昨晩(17日)の大河ドラマ「龍馬伝」は、「いろは丸」沈没をめぐって、土佐と紀州との対決が面白かった。当時の各藩が固唾をのんで見守ったという、わが国初の海難審判事件は、御三家・紀州が土佐に破れるのです。幕府が破れるも同然のこと。「南の風」では最近土佐からの風吹かず、こちらもきっと忙しいのでしょう。「東アジア社会教育研究」第15号完成を報じる朗報を待っています。
 お知らせ。前号に書いた『日本の社会教育・生涯学習』(ハングル版)について、李正連さんより連絡をいただきました。韓国からの送料を含めて1冊1,350円前後でお頒けできるようです。550頁の大著ですから格安というべき。ご希望の方は一報下さい。執筆者には別送される予定です。

2522号【2010年10月16日
★<『日本の社会教育・生涯学習』出版>
 今回ソウルで出版された『日本の社会教育・生涯学習〜草の根の住民自治と文化創造に向けて〜』(小林・伊藤・梁炳贊共編、学志社)について、(風には載せていませんが)お祝いをいろいろ頂戴し、有り難うございます。足かけ4年かかった編集作業、これ以上延ばすわすけにはいかないと、最終段階では脱兎の勢いにも似たスピードで頑張っていただきました。資料編、年表、地図、索引などを加えると、総頁は540頁を超える大作。写真も思いのほか多数挿入できました。
 あらためて、最終編集作業を担っていただいた韓国・公州大学研究室、日本語論文をすべてハングルに訳出した翻訳者集団、学志社(韓国教育出版ではトップ)の皆様に御礼申しあげます。
 この本の入手について、問い合わせが寄せられています。たとえば瀬川理恵さん。「 … 韓国での、日本の社会教育・生涯学習の出版、本当におめでとうございます。韓国の記念会は盛大だったご様子。南の風で拝読いたしました。…今回のご本ですが、12月5日(日本側出版記念会)で購入することが出来るのでしょうか?韓国アマゾンで売っているのでしょうか。」(Fri, 15 Oct 2010 23:08)など。
 10月7日の大邱・出版記念会の参加者は、出来たてホヤホヤの一冊を手にすることができましたが、それ以外には、執筆者にもまだお送りできていないと思います。李正連さん(編集委員会事務局長)の方で、執筆者への献本や購入希望者の受付け等について、ご案内くださいませんか。編者割引きの本もある?のでしょうか。
<追記> 以上を書いたところで、玄関のチャイムが鳴り、ヤンビョンチャン先生から送っていただいた10冊がEMS便で届きました。ご希望の方は小林にもご一報ください。

2521号【2010年10月15日
★<慶州(キョンジュ)に遊ぶ>
 
今回の韓国への旅、3日目のエクスカーションは慶州へ。楽しい一日となりました。大邱−慶州のルートは、私にとって忘れがたい懐かしの道でした。1980年2月に初めて韓国訪問したとき、一人旅で歩いたところです。
 30年前、日本・社会教育法について細かな資料を含めレクチャーするようにと私を招待したのは韓国社会教育協会。事務局長は黄宗建氏、当時は大邱市の啓明大学教授・大学院長、50歳代前半の働き盛り、颯爽とした姿、雰囲気を今も忘れません。
 立法に関わる「社会教育専門家会議」が開かれたのは扶余、そこから大邱までの道は、黄先生やその秘書役(院生?)の尹福南さんとご一緒でした。大邱・啓明大学で先生と別れましたが、私の旅慣れない様子を心配してか、予定の慶州と釜山には、その地に一人ずつ案内役を手配され、その心配りに感嘆したものでした。それぞれ宿や交通などを教えてもらって、あとは(配慮に感謝しつつ)一人旅の身となりました。エピソードいろいろ、すでに何かに書いたような記憶があります。
 初めて訪れた慶州。その町並みと古墳のある風景にすっかり魅了され、シラギとヤマトの歴史的な近似性に、衝撃に似た感動を覚えたものでした。
 今回、久しぶりの慶州でした。ずいぶんと整備され(かつては工事中が多かった)、また土曜日でもあり、たくさんの観光客。せめてひととき、懐かしの半月城の草むらを一人歩きしたいと思いましたが、雨の古城は草も濡れ、かないませんでした。同行の皆さんと天馬塚へ(写真)。午後は仏国寺、さらに山道を登って石窟庵の石仏に久しぶりにお会いしました。白皙秀麗の仏さま、心洗われるひととき。

慶州に遊ぶ、大陵苑・天馬塚近く (20101009)
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2520号【2010年10月13日
★<韓国・平生学習フェスティバル>
 前号本欄は、酔ったような気分で書いたせいか、花輪を花束としたり、脱字もあり、ご容赦願います。これからミスが多くなる予感あり。まずまとめてお詫びしておきます。
 韓国訪問の記録(続き)。出版記念会の翌日は、韓国平生教育振興院主催による国際シンポジウム「文解教育に関する国際的動向とパートナーシップ」二日目へ。このシンポの基調講演は金信一氏。ドイツ、フィリピン、オーストラリヤ、デンマーク、セネガル、日本(浅井孝司氏・文科省国際協力政策室長)などの参加、そして韓国側研究者によるシンポ。リテラシーをテーマとして意欲的な企画と多彩な論議に敬服!
 午後は、第9回韓国平生学習フェスティバル会場へ。大邱市東区トンチョン遊園地の外、河川敷に設けられた自治体・諸団体の活動ブースは賑やかな人出でした。中心の通りは歩けないほど。歩き疲れて、椅子に座りこみ、同行の手打明敏さん(筑波大学)が仕入れた缶ビールを楽しみました。あいにくの雨模様。午後7時より野外ステージでの開会式。写真(ホームページ表紙)でお分かりのように、家族連れも含めて、広い会場は満席の盛況。
 第三日(10月9日)は学会や総連合会のプログラムが組まれていましたが、私たちはパスして、慶州(キョンジュ)に遊びました(次号)。夕食時に帰って、平生教育学会の懇親会に歓迎していただき、乾杯のご挨拶。
 9年目を迎えた韓国平生学習フェスティバルは、今や大きな全国イヴェントとして定着。そこに国の振興院主催による国際シンポや平生教育総連合会や平生教育学会などの大会が重層的に開催・展開しているかたち。日本の状況と比べて、羨ましく思いました。

2519号【2010年10月11日
★<ずしりと重い一冊>
 韓国より昨日(10日)帰りました。今回の旅は、4年越しの私たちの奮闘?の甲斐あって、ようやく刊行にこぎつけた『日本の社会教育・生涯学習』の出版お祝い会、初日(上掲・記念会)の余韻が残って、終わりの日まで酔っていたような4日間でした。
 スケジュールを終えて帰途の朝も、釜山空港でまず乾杯、機内で二度目の“ご苦労さん!”ビール。家に帰り着き、あらためて新しい本を前に置いて一献傾けた夜。ずしりと重い一冊は胸に抱きごたえがあります。
 大邱のホテルで開かれた出版記念会には花輪が並びました。準備万端を整えられたヤンビョンチャン先生(編者)はじめ公州大学校・研究室の皆様、橋渡し・連絡役にあたった李正連さん(事務局長)、諸事お任せするかたちとなり、申し訳なく思っています。おかげさまで素晴らしい記念会、印象深い一夜となりました。有り難うございました。
 今年は墓詣りに行けなかった故黄宗建先生の遺影、その前に新本(下掲・写真)。大邱市は初期の韓国社会教育協会等が胎動したところ、黄先生(啓明大学教授・当時)ゆかりの地です。出会いからの30年、本づくりの8年、没後から4年、を思い起してご挨拶しました。
 会場には祝辞・乾杯など予定された方々(崔云実、金南善、金済泰各氏)のほか、金信一(元副総理)、鄭址雄(元社会教育協会会長)金智子夫妻はじめ、李ナムジュ平生教育振興院理事長、李善宰・韓国文解教育協会長等の諸先生が駆けつけてくださいました。
 日本からご参加の皆さん、お疲れさまでした。平生学習フェスティバルを含めて、出会いや感想など「風」にお寄せいただければ幸いです。
卓上に故黄宗建先生の遺影、前列右より5人目に金信一先生(元副総理、教育人的資源部長官)−20101007-

故黄宗建先生の前に新刊『日本の社会教育・生涯学習』(ソウル・学志社)−20101007−


2518号【2010年10月7日
★<韓国・出版記念会へ>
 前号・李正連さんメールのように、7日から韓国(釜山→大邱)に出かけます。この4年来、韓国生涯学習研究フォーラムの皆さんと取り組んできた『日本の社会教育・生涯学習』(ハングル版、ソウル・学志社発行)の出版お祝いの会。嬉しい旅です。
 この本の前身には、『韓国の社会教育・生涯学習』(2006年、日本語版、エイデル研究所)があります。日韓双方からの執筆・訳者が約30人、半分以上が韓国人研究者、企画から出版まで4年かかりました。
 この出版記念会(2006年秋)の直後から、日本の社会教育・生涯学習の歴史・制度・動向を韓国にきちんと紹介する本格的な出版を実現しようという企画が始まりました。執筆者は日本人研究者が中心となり、ハングルへの訳者も含めて同じく約30人、やはり4年の歳月を要しました。編集委員会の皆様、執筆・翻訳に参加していただいた皆様、まことに有り難うございました。この場をかりて御礼申しあげます。
 4年間の格闘、まさに山あり谷あり、いろんな想い出がかけめぐります。この歳月は、韓国生涯学習研究フォーラムの歩みと重なります。折々の写真とともに、その経過はTOAFAEC ホームページをご覧下さい。→ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kankokukenkyukai07.htm 
 日本での出版記念会は、今年の日本公民館学会の二日目、研究大会終了後に予定しています。ぜひご参集ください。(12月5日夕、筑波大学)
 今後、本書の元原稿を多少リライトしながら、日本語版、そして中国語版の出版が実現できないかと模索中です。

2517号【2010年10月4日
★<二つのフォーラムと一つの委員会・活動日誌>
 「風」には載らないメールが飛び交っています。一つはTOAFAEC の2010年報「第15号」刊行に向けて。原稿はもちろん校正ゲラもすべて揃って、あとは目次(英訳)や活動日誌などの最終作業。
 ご記憶かと思いますが、昨年・第14号では、TOAFAEC 「日誌」と並んで、「韓国生涯学習研究フォーラム・中国生涯学習研究フォーラム・東アジア研究交流委員会」日誌のページをはじめて作りました(p268)。韓国フォーラムの2007年初頭からの経過報告を含めて、「活動日誌」が簡潔な記録として収録されました。
 昨年に引き続き、今年も1年を振り返ってそれぞれの記録が(昨8月から本8月まで)を一覧にしました。遠藤輝喜さんの作成。本来はそれぞれの事務局長にお願いすべきところ、しかし当方のHPにまずまずの記録があり、また時間的にも急ぎますので、三つ(2フォーラムと1委員会)を一括しての表づくりをしました。各事務局長にチェックしてもらう余裕なく申しわけありません。昨夜おそく小林が全体的な校閲役を引き受け、間違いはなさそうという判断。ご了承下さい。出来上がってみてのお楽しみ。もしミスがあった場合はお詫びするのみ。
 あと一つは、11月下旬の上海国際シンポに向けてのメール交歓。黄丹青さんが連絡の中心。ご苦労さまです。なにしろ中国と日本と韓国をつなぐ、はじめての三国間の取り組み。言語を含めて難問がいろいろ。一つずつ、課題を乗り越えながら進んでいく?ほかないのでしょう。楽しみながら、頑張りましょう。

2516号【2010年10月2日
★<朗報あり>
 今年あまりいいニュースがないとぼやき、残りの月日になにか快事がないものかと書いたのは、つい先日のこと(風2504号)。10月劈頭から朗報が飛び込みました。教育長を辞して“自由人”となっていた渡部幹雄さんが和歌山大学特任教授・大学図書館副館長に就任されたそうです。山本学長じきじきの嬉しいメール、またご本人から喜びの報告が届いて、本号に並べて掲載できました(上掲)。おめでとう!
 私も大学付属図書館の館長をつとめたときがあります。教育系大学として独自の地域への眼差しをもって、いささかの努力をしたことを思い出しました。都内の教師への図書館開放、教科書展の試み、自治体図書館との話し合いなど、評価して下さる方もありましたが、4年の歳月を重ねながら結局のところ何ができたのか、忸怩たる思い。大きな構造は変らなかったようです。
 あれからすでに20年が経過、法人化の大学の状況もさまざまのようですが、幸い和歌山大学は地域や社会教育の視点からの意欲的な取り組み。所を得て、これから新しい仕事ができますね。楽しみです。ご無理のないところで、そちらからの風を寄せて下さい。
 ところで、TOAFAEC 定例研究会のニュース。次回は増山均さん(早稲田大学)が来て下さることになりました。10月の最終金曜日にご都合がつかず、次の金曜日(11月5日)の予定。また11月の最終金曜日は中国・上海行きと重なり、12月の会に合体して開くことになります。

2515号【2010年10月1日
★<竹富島の種子取祭>
 十月を迎えました。沖縄の各地から、祭りの笛や太鼓が聞こえてくる季節。今夏はそう忙しくもないのに、なぜか沖縄に行く機会がなく、それだけに沖縄の祭りに心が飛ぶのです。私たちの故郷、少年時代の風景、今は失われてしまったものへの郷愁とつながり、加えて南の島々の固有の文化、それが戦世も耐えて継承されてきたことへの尊敬、シマ共同体への切なる愛着、沖縄と出会って、いろんなことを考える契機となりました。それへの感謝!
 与那国のマチリは25日も続き、竹富島の種子取祭は10日ほどの日程。これまで、何度か出かけたことがあります。滞在はせいぜい数日ですから、多彩な祭り行事の一面をみるだけの感じ。マチリではほとんど芸能に出会えず、種子取祭は圧倒される奉納芸能の二日間がありました。竹富島の種子取祭は国指定の重要無形民俗文化財です。もちろん「与那国の祭事の芸能」も同じく国の重要文化財。
 竹富島からの便りによれば、今年の種子取祭の行事はは10月1日が初日だそうです。8月の節祭(大地と水に感謝の神事)、9月の世迎え(ニライカナイより種もみがもたらされる神事)に続く10月の種子取祭。奉納芸能(今年は7〜8日)の夜、深夜に及ぶ世乞い(ユークイ)の祈りと賑わいが思い出されます。
 種子取祭を迎えて、竹富公民館の館長・上勢頭芳徳さんはお忙しいことでしょう。10月7〜8日は、あいにく私たちの韓国行きと重なりました。

2514号【2010年9月29日
★<年報第15号>
 一ヶ月前の風2497号「花に嵐のたとえ」に書いて以来、年報「東アジア社会教育研究」第15号についての記事を掲載できず、ご心配をおかけしました。1ヶ月遅れのスケジュールで順調?に進み、2日ほど前に予定原稿すべてが揃ったそうです。執筆者各位はもちろん編集委員会関係の皆さま、とくに内田編集長、ご苦労さまでした。といっても江頭さんの編集実務はこれから最後の頑張り、どうぞよろしくお願いします。
 中国からは、多忙のなか韓民さん(中国教育部・教育発展研究センター副主任)の日本語原稿が届きました。鶴首の思いで待ち続けたラブレターにも似て・・・、画竜点睛とはこのこと。
 10月7日予定の韓国(大邱市)出版祝賀会に「第15号、間に合いませんか!」とお願いしていましたが、「韓国行きまでは間に合いそうにありません。すみません」とのこと。中国から参加の伊藤長和さんを含めて、ご了承お願いします。
 私たちの年報刊行は、「沖縄」「東アジア」を貫くフットワークとヘッドワーク、15年にわたるお互いの心意気によって実現してきました。同時に20人あまりの「維持会員」のご芳志がなければ今日まで持続することはできません。ギリギリの経費基盤を確保できて、今年の第15号も世に出ることになります。神戸の学会では、さらに新しく一人の維持会員をお願いできました。維持会費は2万円(相当の冊数を送付)、今後ともよろしくご支援くださいますよう!。また新しくご参加下さる方があれば、ぜひ!ぜひ!お願いいたします。

2513号【2010年9月27日
★<夕焼け小焼け>

 26日は久しぶりのTOAFAEC(第166回)研究会、韓国生涯学習研究フォーラム(第27回)との合同企画。上京中の赤崎隆三郎さん夫妻(名護)も出席され、賑やかな1日となりました。終了後の懇親会では日曜閉店「イーストビレッジ」を特別に開いていただき、積もる話に花が咲き、一同いい気分で酔いました。店マスターに感謝!
 想い出話をひとつ。1998年5月に韓国から黄宗建先生が来日され、沖縄へご一緒したことがあります。鹿児島から船の旅、その途中、一行は与論島に立ち寄り、旧赤崎邸に1泊。夕陽がきれいな景勝の地、この夜は黄先生がよく酔い、大いに歌われました。忘れがたい夜となって、赤崎邸に「また来たい」、お気に召した一室は「黄先生の部屋」として再訪の宿札がうたれました。
 しかしその後、黄先生の与論島訪問の機会はなく、中国へ赴任されて、2006年に急逝。私たちの共編『韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル研究所、2006年)が残されたのみ。扉に追悼の一文を掲げた本。
 この日の研究会で、私たちは『韓国の社会教育・生涯学習』2006年版をどのように改訂するか、という話を始めました。愛蔵の(書き込みもある)1冊を持参していましたが、酔った赤崎さんは、黄先生への思い出が湧き出たのか、強い所望。追悼のページに、ぶんじんの名を添えて進呈することになりました。
 酒に酔えば、大事な本を人に差し上げる習癖が戻ったみたい。この夜、ぶんじんは黄先生が大好きだった、♪夕焼け小焼で日が暮れて♪ を歌いました。
左側二人目から赤崎夫妻。右側奥に李正連さん、黄丹青さんも。撮影・遠藤輝喜(高井戸、20100926)


2512号【2010年9月24日
★<仲秋無月>
 旧八月十五夜(22日)、東京はあいにくの曇り、むし暑く仲秋の名月を楽しむ気分とはほど遠く・・・明けて一転急に気温がさがり、23日は終日の雨となりました。朝にゴロゴロの雷鳴で目がさめ、夕刻のニュースでは祭りの御輿に落雷(千葉県)、多数の人が病院に運ばれたそうです(34人の怪我)。天変地異と言えば大げさでしょうが、猛暑の夏、秋の落雷、これからまた何が起こることやら。尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐっては、思いがけない日中間の緊張関係、気になる昨今です。
 仲秋無月。いくたびか月をさがして空仰ぎ、されど・・・。
 幸い本号には、平久保の十三夜、竹富島の十五夜祭、中国の中秋節と、月にまつわる賑やかな記事が並びました(上掲)。お月見の気分です。
 月の思い出は、やはり沖縄・やんばるの豊年祭・十五夜遊びの夜。今年は、6月上旬の名護訪問以来、なぜか沖縄に行く機会をつくれませんでした。すでに9月も終わりちかく。10月の韓国や11月の上海スケジュールあり、まわりの忠告をいれて無理しないようにすると、結果としては欲求不満の状態に。数年前、名護の皆さんと博物館の中庭で撮った写真(下掲)、あのときの中天の月を思い出しています。当時、教育長だった稲嶺進さん(現市長)も一緒でした。
 ところで、9月26日(日)午後〜夜は、久しぶりのTOAFAEC 定例(第166 回)研究会です。韓国研究フォーラムとの合同企画→■ テーマは韓国「平生学習」。今回は(金曜日ではなく)日曜日の開催、奮ってのご参加をお待ちしています(風2501号・案内)。名護から赤崎隆三郎さんも来会予定。
名護博物館の中庭、月ものぼって・・・前列左端に稲嶺進さん(20070701)


2511号【2010年9月22日
★<学会終わる>
 神戸大学の受付で、山口真理子さんから渡された年報第15号「先行予約」チラシ。その足で、兵庫県民会館で開かれた「大都市社会教育研究と交流の集い」(第33回、21日)に配りました。たちどころに8冊の申し込みがありました。東アジア「座談会:大都市社会教育・生涯学習の展開と可能性」が収録されていることへの注目でしょう。代金はお会いする折り(次回研究会、26日)に。(¥16,000の預かり)
 大都市「集い」は、毎年、学会日程に続くスケジュールですから、重い疲労感で終わるのが通例。それを33年も重ねてきたことになります。大都市をめぐる社会教育の状況は厳しく、論議も重く、身体的だけでなく心理的にも、ぐったり感で終わるのが「集い」の特徴です。それだけに、1点の灯り、1滴の水の潤い、でも拾い出して、来年に向けて元気を失わないで別れようという意識が働きます。今年はとくに岡山市の公民館移管問題が「集い」終局の論議となりました。来年は、日本女子大学(川崎キャンパス)予定の学会に合わせて、おそらく川崎のどこかで開かれることに。事務局の今川義博さん(仙台市)ご苦労さまでした。
 帰り際に写真1葉(下掲)。撮影の小島康幸さん(横浜)や、なぜか福岡の横山孝雄さんが写っていない。お許しください。
 会場から新神戸までのタクシーには、福岡・横山さん、長谷裕之さんと同乗。ふっと一緒に博多行きに乗りたくなりましたが、ジッと我慢して上りの東京行きホームへ。夜、9時半に疲れ果てて帰着。
集い」終わる(20100921)  *福岡、岡山、神戸、大阪、堺、川崎、東京、千葉、仙台、札幌ほかの皆さん


2510号【2010年9月21日
★<神戸の夜>
 六甲の緑のなかで、日本社会教育学会(於・神戸大学)は盛大に開かれました。学会ならではの顔ぶれ、久しぶりの再会、懐かしいものです。若い方から挨拶されて名前を思い出せず・・・、初見の留学生だと早とちりして二度も会っていることを指摘されたり、あらためて当方のボケを実感することしきり。“枯れ木も山の賑わい”のたとえあり。お許しいただくことにしましょう。
 神戸に来て3日目の夜。さきほどまで「大都市社会教育研究と交流の集い」懇親会。連夜の酒の集いに少々疲れています。今年の学会会場でも、TOAFAEC 年報「東アジア社会教育研究」バックナンバーの販売と第15号予約受付けなど、山口真理子さんが連日頑張って頂きました。ご苦労さま。お昼もオニギリとバナナ持参で席を離れず。横に座って、お裾分けをいただきました。
 話題の一つ。1960年代の筑豊研究について発表申し込みしていた農中至さん(名古屋大学院生)は、先月末にアキレス腱を切り、故郷・九州に帰って入院中。当然?発表辞退かと思いきや、親父の茂徳さんが車に乗せて神戸へ。車椅子で発表していました。拍手!
 学会三日目(20日)、神戸大学企画のプログラム「持続可能な社会づくりと社会教育の再構成−賀川豊彦とESDを基点として」では、お孫さんの賀川督明氏(賀川記念館館長)が登壇され、心に響く話をされました。歴史に生きた賀川豊彦の縦軸、持続可能な社会づくりという現代的課題の横軸が交わって、社会教育「再構成」を深く考えさせられました。会場では、末本誠さん(神戸大学・大会実行委員会)の墨痕あざやかな掲示・案内が各所に。記念の写真を1枚。
社会教育学会(第57回)総会−末本誠副会長(神戸大学、20100919)


2509号【2010年9月19日
★<大都市社会教育研究と交流の集い・歩み>
 毎年、日本社会教育学会の3日目(最終日)夜から翌日にかけて開かれてきた「大都市社会教育の研究と交流の集い」。今年は第33回を迎えます。大都市(政令指定都市)職員労働組合・教育支部関係者と研究者有志の出会いから企画が始まりました。そのきっかけは社全協・調査研究部の会合、伊藤長和さん(川崎市)と小林のコンビで話が進みました。第1回は1978年10月、名古屋大学で開かれた学会に合わせ、愛知県青年会館を会場として、労働組合と学会関係者による歴史的な集いの始まり。組合の路線問題もあり、やや緊張感のある雰囲気でした。小川利夫さん(名古屋大学)や海老原治善さん(関西大学・当時)も出席されたことを憶えています。お二人ともすでに故人。
 大都市・労働組合側が30人前後、研究者側が10〜15人。もちろん年度で規模は違いますが、よく続いてきたものです。初期には「大都市社会教育行政のあり方を求めて」(1982年、大都市教育支部連絡協議会)、「七つの提言」(1986年、自治労)等がまとめられています。ユネスコのE,ゼルピを招いた記録は、『生涯教育のアイデンティティ』(エイデル研究所、1988年)として公刊されました。その後、第20回や第25回の「集い」記録も報告書となっています。ひとときホームページが動いていましたが、今は姿が消え、小林の関連記録だけをTOAFAEC/HPの隅っこに載せています。
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/971006daitoshi2.htm →■
 今年の集い「ご案内」は、「南の風」に収録することを忘れていました。遅ればせながら、仙台の今川義博さん(集い・事務局)から届いていたフアィルを記録として上掲。ご了承下さい。

2508号【2010年9月17日
★<30年前の想い出>

 16日未明から雨、部屋には涼しい風が入るようになりました。残暑過ぎ一転潤おう秋の雨。エアコンも切って、静かな夜。17日は晴れ。
 明日から久しぶりの神戸です。末本誠さん(神戸大学、TOAFAEC 代表)の関係もありますが、実はその前から神戸には懐かしい思い出が少なくありません。故津高正文先生(神戸大学)とのご縁によるものです。津高さんは故横山宏さんと親しい仲。そのつながりで、ぶんじんにもよく声をかけて頂きました。毎年の神戸大学社会教育主事講習に招いて下さり(講義日を1日間違えた失敗もあり)、夜の三宮界隈を案内して頂いたことも。粋な寿司屋や海に近いレトロな船員バーなど。
 ちょうどその頃、東京では『社会教育ハンドブック』(社全協編)初版を出し、また横山さんとご一緒に『社会教育法成立過程資料集成』を刊行しました。それぞれの出版社から、津高さん編集になる関西の社会教育研究(『地域づくりと社会教育』1980、『戦後社会教育史の研究』1981)の力作が相次いで世に出た経過など、懐かしく思い出しています。
 たしか1979年に神戸大学で日本社会教育学会が開かれたことがあります。30年も前のこと。歳月の経つのは早いものです。学会大会が終わった日の午後、津高先生は須磨の駅前の寿司屋まで、私たち研究室(当時・東京学芸大学、沖縄研究に意欲を燃やしていた)の若いメンバーを誘って「好きなだけ食べよ!」と盛大に馳走して頂きました。海辺でしばし遊んで・・東京への帰路、新幹線の中で賑やかに飲みながら、一同「関西の教授は立派だ!」と尊敬の念を新たにしたものでした。

2507号【2010年9月15日
★<日本社会教育学会の季節>
 百号おきアドレス帳整理の余波がようやくおさまり、日刊・南の風は本号で隔日発行のリズムに戻りました。この間に頂いたメールは載せきれないものあり、いまなお滞留している便りもありますが・・・。連日の風はいかにも吹き過ぎ。やっと常態に復して、やれやれの思い。 
 今年の日本社会教育学会は第57回大会、9月18日から3日間、神戸大学で開かれます。南の風メンバーのうち、学会々員の方とは神戸でお会いしますが、夜のスケジュールなど、「風」としてのご案内を。
 初日(18日)夜は、上海国際シンポ(11月)の準備、韓国向け出版の祝賀会(10月)打ち合わせなど、東アジア交流委員会関連の集いです。午後5時から@部、7時過ぎからA部。場所は、@神戸大学、AJR六甲道駅南口「酒楽旬菜 風Fu(HP)http://r.gnavi.co.jp/c578200/ 電話:078-843-8816(上掲・案内)。関心ある方のご参加歓迎(要会費)。
 二日目(19日)夜は、学会としての懇親会(神戸大学内)。おそらく20:30あたりから、六甲の山を下って二次会か?当夜の成り行き次第。
 三日目(20日)夜、すでに学会は終了。翌日の第33回大都市研究の集い(兵庫県民会館302号室)に向けての「交流のつどい」。18:00〜より、中華料理「楽園」神戸市中央区北長狭通3-3-2泰安ビルTel078-331-6161。お問い合わせなど、小林ケイタイまで、遠慮なくどうぞ。
 TOAFAEC 『東アジア社会教育研究』第15号は、毎年学会時に刊行の予定でしたが、今年は編集が遅れて、特別価格での予約申し受け。送料もサービス。学会期間中、資料販売コーナーにTOAFAEC ブースを開くそうです(会計・山口真理子さん)。バックナンバーの販売も。皆さん、お立ち寄りください。

2506号(2010年9月13日)
★<中国・紹興へのお誘い>
 “日刊”南の風は続きます。実は、中国・紹興への旅のお誘いを急ぎ載せたかったのです。さきほど黄丹青さん(目白大学)と電話で相談しました。いま中国へのフライト(とくに羽田−上海・紅橋など)は案外と混んでいて、予約を急いだ方がいい。日程によってはこの数日で決める必要あり。以下のご案内は、黄さんと小林の連名でのお誘いです。
 紹興に遊ぶ計画は、この10年余の懸案でした。一つは私たちと縁が深い上海閘北区行建職業学院(もと業余大学)の徐熾強さん(党書記、紹興出身)と言い交した夢。また黄丹青さんも紹興の人です。11月26〜28日予定の上海国際シンポ(日中韓の三国交流、風2503号に既報・石井山メール)日程の前に、2泊3日ほど紹興行きを計画しようという案が急浮上。同行希望の方があれば、この際、晩秋の紹興にお誘いしようということになりました。
 紹興は歴史のまち(春秋時代の越の都)、臥薪嘗胆の故事も。現代中国では、言うまでもなく魯迅や周恩来の故郷。書家に有名な蘭亭(王義之)あり、もちろん紹興酒も。一度は行って見たいところ。短い日程ながら、好き案内人もあり(徐熾強さんには今から連絡)。いい旅となること請け合い。
 スケジュールは、11月23日(休)に日本を出て、上海着→紹興(2泊)へ、25日(木)上海帰着。26〜28日は国際シンポ公式日程。29日(月)帰国の案です。行きの飛行機(23日)は残り少なく、予約を急いだ方がよさそう。復路便はそれぞれのご都合で。黄丹青さんに一括して予約していただきますので、パスポートの英文氏名、生年月日、帰りの希望日、念のため連絡の電話番号をお知らせください。
2009年3月・上海閘北区訪問時の一枚、前列左から3人目が徐熾強氏(20090317)


2505号【2010年9月12日
★<朝鮮人強制連行、その後>
 私の古い友人「林えいだい」さん(ノンフィクション作家)。北九州五市合併前の社会教育主事(旧・戸畑市教育委員会)でした。ちょうど半世紀前の出会い。いろんなエピソードがありますが、別の機会にして、最近出版された『≪写真記録≫筑豊・軍艦島−朝鮮人強制連行、その後』(弦書房、2010年5月1日刊、B5版330p)のことを書きます。農中茂徳さんを介して昨日の祝賀会(前号)の折、いただいた1冊。
 日韓併合百年にあたり、福岡県下の筑豊諸炭鉱、長崎県の端島(軍艦島)の炭鉱等を中心に、強制連行された「朝鮮人」の実態とその後を追った労作。韓国への取材は三十数回。史料としての稀少画像と、直接撮影の写真が全ページを飾り、息もつかず、ページをめくりました。
 「あとがき」より。林えいだいさんの父上は神職。1939年から始まった強制連行以降、筑豊の炭鉱から脱走する「山越えの朝鮮人」を自家に匿って、多いときは20数人。1943年春のある夜、特高(特別高等警察)に逮捕され、1週間後には釈放されたが、ひどい拷問のため食事もとれず、寝たきりとなり、「顔が腫れ上がり目は潰れたまま、背中の傷は痛々しかった。」そして死亡。享年48才。えいだいさんは11才(小学校4年生)。特高がやってきて葬式も許されなかったとのこと。
 戦後、父の逮捕の真相を知りたくて、当時の特高を探し続け、40年後に突き止めた。90才を過ぎた老齢の元特高は「すまないことをした、許してくれ、あの時代が悪かった」と両手をついて謝ったと。母上は「その特高のことを絶対に赦さなかった」そうです。

2504号【2010年9月11日
★<二つの祝賀会>
 今年もすでに残り4ヶ月足らずとなりました。最近の私のまわり、今年は、変事、不順、失職などあり、目出度くないことが多い年です。世の中は吉凶禍福いろいろあるのが常。いつも快事のみあるはずはないと思いつつ、親しい人と飲むと、いつになく愚痴をこぼしたりして、反省しきり。普段は元気を装おい、愉快な素振りに努めていますが …。今年の残りの月日は、慶事、楽事、そして順風、を期待したいもの。
 10月初旬、まず韓国で、夢に見た『日本の社会教育・生涯学習』の出版祝賀会が開かれます(風2493号既報・李正連メール、10/7)。2006年『韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル研究所)刊行の発展として、韓国生涯学習研究フォーラムが取り組んできましたた。3年半の歳月。版元はソウル・学志社。20人余の執筆になる日本文(なかに難解な)原稿が、日韓の若い世代によってハングルに完訳され、推敲を重ねて、めでたく出版の運びとなったのです。いろんな意味で、日韓研究交流の新しいステップを刻むこととなります。まさに快挙!というべき。この数日、祝賀会準備のメールが飛び交っています。
 話題は急転しますが、今日(9/11)は若い二人のお祝い会。ご存知・農中茂徳さんの息女と、羽江忠彦さん(社会学者)の息子がめでたく結ばれたそうです。両家族とは永い付き合い、当のお二人は赤ん坊のときから知っています。岡山まで西下した私のスケジュール(上掲・内田メール)に合わせての両家の祝賀会です。めでたや、めでたや!
 南の風は、いまや、“日刊”となりました。

2503号【2010年9月9日
★<オレたちの学校―浦商定時制>
 東京夜間中学研究会の関本保孝さんが何度も紹介してくださった映画「月あかりの下で―ある定時制高校の記憶」。7月初めの文京シビックセンターでの初公開・試写会に出かけたのですが、満員の盛況で、前売券をもたないものは入場できませんでした。むし暑い夜、神保町に出て、やけビールを飲んで帰った記憶。
 いまJR東中野駅前の劇場「ポレポレ」で上映中です。先日、空き時間を見つけてゆっくりと観ました。浦和商業高校・定時制の教師(平野和宏さん)と生徒たちの格闘の記録。4年をこえる思いのこもった取材、貴重な映像、大事な記録としていつまでも伝えるられるべき作品です。
 10日前の「風」(2496号)によれば、太田政男さんが「月あかりの下で」上映会のことを書いて下さるようなので、ここでは、本のご紹介を一つ。平野和宏編『オレたちの学校―浦商定時制』(草土文化、2008年)、居場所から学びの場へ、と副題がついています。
 「はじめに」で、平野さんは「私は浦商定時制で、教師として、青年たちと生きることのすばらしさを教えてもらいました」と書き出しています。閉塞的な状況を強いられることが多い現代の青年たち、しかし人は「変わることができる」確信、彼らの未来に期待をこめる「八つの力」の提起など、そのまま社会教育における青年活動論でもあります。
 私の同僚でもあった梅原利夫さん(和光大学)が「ウラショー・テージセ−という響き」の一文を寄せていて、これも印象的でした。

2502号【2010年9月9日
★<公民館の風、復活を>

 福岡は台風一過とはいいながら、昨日はしとしとの空模様。夜になってやっと涼しく、ようやく秋の気配。虫の音も庭にひろがり、よみがえる思いでした。明けて本日は一転、晴天。
 百号おき恒例アドレス帳整理のお知らせに応えて、たくさんのメールを頂戴しています。そのすべてを載せきれませんが、最近ご参加の方もあり(昔は毎期の風メンバー・リストを配信、いまは控えて、その名簿がわりに)少しでも多くの便りを集録しようと奮闘中。連日「風」です。
 数日前の岡山訪問について、内田光俊さん(同市教育委員会)がブログで小生のことを書いています。「現役ばりばりの公民館研究者っていう感じは、相変わらず…。」 当方は「もう歳だから・・・」と挨拶しましたが、「なんのなんの。」と応えてくれて、いい気分。若い世代に激励されると、さらに元気が出るものです。有り難う!
 食事の席で、かっての「公民館の風」の話になりました。1999〜2003年(通巻395号)時代のメンバーでもあった内田光俊さん。その後、篤志の方が何人か「風」を引き継いで頂きましたが、ただいま休止中。
 内田さんは自ら「大好きkominkan」(同ブログ)を名乗るほどの奇特の人、ぜひ!「公民館の風」を発行してほしい、世の中のために・・・と酔いの勢いでラブコール。「なるほど、今の僕には時間があるのは確かだが。さて。…どうしたものか。」「まあ、楽しい悩みではある。」など、脈がありそうなのです。単なるメーリング・リスト管理ではなく、「風」編集者として登場してほしい。ぜひ身を乗り出してください。

2501号【2010年9月8日
■<白樺は倒れた>
 前号の続き。7日午後、博多の駅に着いてみると、風はむしろ凪、薄日もさしていました。台風9号は玄海灘・対馬のはるか沖合か。数日の一人暮らしの買い物などして、油山にたどりつき、しばらくして沛然と雨が降ってきました。気持ちよいほど。普段のマンション生活では忘れていた雨の音。自然の生活に戻り、雨で心が洗われる気分です。
 残念なこと一つ。庭の3本の白樺のうち、元気をなくしていた1本がほとんど生気を失っていました。今夏の暑さに耐えきれなかったようで、おそらく蘇るエネルギーはなさそう。信州の生まれ、苗木で東京に頂いて油山へ運びました。家の建て増しで、移しかえたり、苦労をかけた白樺の枯死です。お弔いをしたいほど。
 ところで、前号・2500号を出したところ、いろいろお祝いの言葉を頂戴しました。恐縮しています。代表?で山口真理子さんのメールを掲げました(上掲)。「風」各号の件名をメモされてきた由。ご苦労さまです。ご参考までに、目次の記録としては、TOAFAEC ホームページに1号〜2500号の全目次を入力してきました。http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/kazeitiran3.htm→■
 当初はほとんど役たたず、単なる経過記録に過ぎませんでした。しかし歳月が重なるにつれて、いま最も重宝しているページ。キーワードを入れ検索機能を使えば、この間の活動経過・日誌記事・地域記録・文献資料などを拾い出すことができます。号数を確認して保存の「風」を開く…という手順です。検索して、読みたい号数が出てきたら、どうぞリクエストください。可能の範囲でお送りします。お役にたてば幸い。
 風のメンバーは(200ではなく)130人前後。恒例のアドレス帳整理で10人ほどの方にお引き取り願って、次の 100号を発行する間にまた新参加の方を迎えるというリズム。適度の新陳代謝となってきたようです。
この隣の白樺が枯れた(油山、20050830)
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*南の風・日誌・2451〜2500号■


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