小林文人編『これからの公民館』(国土社、1999年)  
                              
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『世界の社会教育施設と公民館』(エイデル)第U部・序章・終章→■



総論
T、公民館50年の蓄積と21世紀に向けての挑戦

1 はじめにー公民館は時代とともに
 公民館が制度として誕生したのは、第二次世界大戦後の教育改革のなか、むしろその先頭を切って、一九四六年(「公民館の設置運営について」文部次官通牒・巻末年表参照)のことであった。それから、すでに五〇年あまりの歳月を経過したことになる。当時はアメリカ占領下初期であり、占領政策の落し子とみられることがあったが、決してそうではない。当時の公民館の構想は、戦前からの日本の地域組織を基盤とし社会教育活動の体質を継承している一面があり、しかし同時に、戦後民主主義の時代的状況のなかで新しい戦後「施設」として出発した。日本の歴史と土壌のなかで生まれた典型的な日本型の社会教育施設といってよい。     
 そういう意味で公民館は、戦前の古い時代の影響もうけつつ、他方、それと決別しようとする戦後の時代のなかで産声をあげたのである。民主主義と平和主義をつよく志向して構想は画かれた。そして、それに続く激動の戦後史に育てられながら、あるいはそれに呻吟しながら、今日まで歩いてきた。あたかも人間の発達史に似ている。これからさらに、どのような時代を生きようとするのか、またいかなる時代に挑戦しようとするのか、きわめて興味ある課題である。公民館はつねに「時代」とともにあり、これからもそのなかで多くのドラマをつくっていくのだろう。
公民館がすでに半世紀余の風雪をくぐってきた事実は、それ自体、重要なことである。ここ数年来、全国的にまた地域・自治体のなかで、その発達史を掘り綴る作業が成果をみせている。(1)五〇年余りの歳月は自らの歩んできた道を確かめるに充分な時間なのであろう。そこから私たちは多くの事実を再発見し、またこれからの歩みに向けて重要な示唆を拾いだすことが出来る。
 同時にまた半世紀を過ぎた今日なお、新しい公民館が創られている事実がある。公民館の歴史は今も新しく創造されているといえる。一つの例をあげよう。手元に遠くから送られてきた紅い表紙の小冊子、沖縄県読谷村字大添区自治会の「手づくり公民館」という記録がある。冒頭に一九九八年六月・公民館落成記念「宣言文」が掲げられている。そこには次のような言葉が躍っている。
 「われらは、ここに自治の精神にあふれ、住民主体の、手づくり公民館を建てる。……
  われらは、地域社会を築くために智恵を出し合い、結束して無から出発した。……
  われらは、地域社会の暮らしの向上、子どもを育て、平和を愛し、自然を大切にする。  
  われわは、男も女も、老いも若きもひとしく新しい地域の文化創造をこころみる。
  われらは、地域が活気にあふれ、共に生き、共に助け合うユイマール精神をまもる」とある。
 周知のように読谷村は基地のなかにある。アメリカ占領下において、沖縄ではじめて公立公民館を設置(一九七〇年)した自治体でもある。そのなかで大添区は、戸数わずか二四〇、各地から寄り添うように住み始めた新しい集落(区の発足、一九八五年)、そこに自分たちの地域づくりの拠点として集落公民館を完成させた。いわば小さな自治公民館「宣言」である。
 この素朴な宣言文を読むと、半世紀前に文部省が打ち出した『公民館の建設』(寺中作雄・当時社会教育課長、一九四六年)の呼びかけを想い起こす。「この有様を荒涼と言うのであろうか」の書き出しで始まる初期公民館構想は、まさに「無からの出発」であり、そこに「大人も子供も男も女も」(公民館設置・次官通牒)ともに相集う総合的な「文化教養の機関」としての公民館が打ち出されていた。それから五〇年余を経過した今日、同じ思いをもって、小さな集落が自らの公民館構想を手づくりで宣言しているのである。
 かって寺中作雄は、文部省の示した公民館構想は「一つのイメージに過ぎない」「このイメージに血を通わせ、肉を附け、活きた文化施設として育たせる」(同『建設』自序)ことを熱く期待したが、大添区公民館の一つの事例は、これらが地域の具体的なイメージとして現実化していることを実証している。しかも、自治の精神、住民主体、地域づくり、協同(ユイマール)などの理念が、むしろ実践的な裏付けをもつ実像として鮮やかである。公民館は、時代とともに、ここまで育ってきた。


2 公民館の発達史ー主要な経過と特徴
 もちろん、公民館五〇年余の発達史は、単純なものではなく、紆余曲折の道程であった。その過程には多くの矛盾と格差が含まれている。まずはじめに主要な経過を簡潔に振り返っておこう。(2)
一、「公民館設置運営について」の次官通牒、初期公民館構想(寺中構想)、一九四六年、上記。
二、公民館の法制化、わが国の中心的・総合的な地域社会教育施設としての制度的位置づけ
  ー教育基本法(第七条)一九四七年、社会教育法(第五章)一九四九年。
三、全国への普及と大規模町村合併(一九五三年・促進法)による地区館・分館等の整理 統廃合。
四、公民館の体制拡充を求める公民館単行法運動(一九五三〜五七年)、しかし実現せず。
五、社会教育法大改正と「公民館の設置及び運営に関する基準」(文部省告示)、一九五 九年。
六、一九六〇年代の地域変貌にともなう公民館の農村的基盤の喪失と都市型公民館への脱皮の動き。
 施設・設備・職員体制・事業構造等の一定の「公民館近代化」過程。
七、自治体の社会教育実践を背景とする公民館像の模索・探求。たとえば長野県飯田下伊那主事会
 「公民館主事の性格と役割」(下伊那テーゼ、一九六五年)、全国公民館連合会「公民館のあるべき
 姿と今日的指標」(一九六七年)、東京都「新しい公民館像をめ ざして」(三多摩テーゼ、一九七二年)。
八、主として一九七〇年代の住民運動による草の根からの公民館づくり運動(関東・首都 圏など)。
九、一九七〇年代後半から八〇年代の行政改革・財政「合理化」による公民館の委託(北九州)、
 職員削減あるいは嘱託化(福岡)、コミュニティ・センター化(鶴岡)、受益者 負担等の影響。
十、一九八〇年代後半からの生涯学習政策の導入と公民館制度の軽視、公民館国庫補助の打ち切り、
 九〇年代後半の地方分権・規制緩和施策に一括された社会教育法改正(公民館運営審議会必置制
 の廃止その他)、青年学級振興法廃止、公民館設置基準の職員「専任」規定(第五条)削除など、
 一九九八〜九九年。

 もちろんこれに尽きるわけではない。紙数の関係から詳細な説明を省略せざるを得ないが、公民館をめぐっては、これまでにさまざまの施策や法改正が投げかけられてきたが、法制と職員体制等の諸条件について充分の整備をみないまま、今日に至っている。一九八〇年代の生涯学習施策以降は、公的セクター縮小を求める「行政改革」とも重なって、公民館制度の充実策は課題(とくに公民館主事の専門職化など)を残したまま、むしろ停滞し後退している側面も否定しがたい。
 しかし注目すべきことに、公民館五〇余年の歩みのなかで、とくにその後半になると、制度的な弱さを補充し克服するかたちで、自治体によってさまざまの実践や運動が取り組まれてきた。公民館に関する国家法制の不充分さを自治体法制が補い、国の公民館政策の貧しさを自治体の行政施策が、また地域(住民と職員等)の実践と運動が、その穴を埋めるかたちで公民館の体制と実践が自治的な拡がりを見せてきた。その意味で公民館の発達史は、国の法制に基礎をおきつつ、その枠組のなかにありながら、自治体側の努力により地域的かつ運動的に創り出されてきた側面をもっている。しかし反面では、そこにはつねに自治体間の地域的格差が大きく介在し、それが固定化し「定着」してきたこともまた事実であった。(3) 
 これまでの文部統計(最新は「平成八年度・社会教育調査報告書」一九九八年)によれば、公民館の総数、設置率、公民館職員等の状況は第1表の通りである。この表から、私たちは何を読みとることができるだろうか。本来は詳細な分析が必要であるが、本表に示されていない動きも含めて、主な特徴を十点にしぼって取りあげておこう。
1、公民館の普及定着は、少なくとも統計的には義務教育機関に並ぶ水準にあり、(全国中学校数を凌駕し、小学校一〇校あたり七・六館に達する)、区市町村の九割余の自治体が設置している。 
2、公民館設置数は、町村合併後の一九六〇年代以降は一貫して増加してきたが、八〇年 代に入ると横這い、むしろ停滞傾向にある。本館数に限ればわずかに微増している。
3、設置市町村あたり公民館数は平均六館であるが、自治体間の格差は大きい。全国自治体のうち約9%はまったく公民館を設置せず、とくに大都市部(東京・横浜等)の空白 が大きい。
4、自治体の公民館の歴史はきわめて多様である。公民館個別の歴史としては、五〇年の歳月を経過したものはむしろ少ない。公民館の設置が遅れた都市・近郊部では、ようやく一九七〇年代の設置が多く、その意味では公民館はまだ若い歴史と言える。施設・職員体制や事業編成等も決して画一的でなく、自治体によって多様な展開が見られるとこ ろに特徴がある。
5、一万八千にちかい施設数に対して、職員数が総体的に貧弱である。とくに専任・専門の職員体制は(同じく社会教育施設である図書館・博物館等に比して)きわめて不備である。一九八〇年代以降は行政改革の影響があり、非常勤、嘱託、委託等の職員数が増 えている。 
6、施設面の整備では、とくにこの二〇年来急速に改善され、「貧しい公民館」という歴史的なイメージは払拭されていく傾向にある。ホール、交流ロビー、保育室、団体交流室、工芸室、若者のたまり場、障害者参加による喫茶室、など新しい施設配置の試みが進展してきている。(4) 
7、法人立公民館(民法第三四条による社会教育法第二一条二項)はわずか七館に減少した。しかし、いわゆるNPO法による「社会教育の推進」の動きがあり、「法人」と公民館の関係は今後新たに注目されるところである。
8、人口流動の激しい大都市部は別として、主として中小都市・農村部においては、自治的な地域住民組織を基盤とする集落公民館・自治公民館の活動がさまざま動いてきた。最初の節で紹介した読谷村大添区公民館もその一つであるが、しかしこの「類似施設」 (社会教育法第四二条)は文部統計には示されず、充分な統計はない。(5)
9、自治体条例上では公民館として位置づけられないが、とくに大都市部において類似の地域社会教育施設(社会教育センター、同会館、文化センター等)が増加し、同じく市民集会施設(コミュニティ・センター)等も公民館類似の機能をもつ場合がある。従来これらの施設は公民館以外の施設として厳密に区別されてきたが、むしろ機能的な連関や相互のネットワークを積極的に考えていく視点が求められる。
10、最近の学校「余裕教室」活用(コミュニティ・スクール、生涯学習ルーム等)、あるいは学校施設と連動した生涯学習諸施設、さらには大学開放事業と公民館との関連についても今後新たに注目していく必要がある。


3 公民館をめぐる状況ーこの10年をどうみるか
  「まえがき」にも書いたように、本書は『公民館の再発見』(国土社、一九八八年)の続編としての意味をもっている。『再発見』刊行からすでに一〇年を経過して、この間の公民館をめぐる状況はどのように動いてきたのか、戦後公民館史五〇年のうち、最近の一〇年をどうみるか、あらためて再『再発見』の視点をもって検証してみる必要がある。
 この一〇年の経過は、戦後公民館五〇年史の中でも、質的に大きな変化と転換を含む一〇年であったと言えるのではないだろうか。時代の変転とともに、公民館もまた新たな再生が求められる状況が生まれている。
 まず一般的に言えば、前節にも触れたようにこの一〇年の公民館をとりま情勢はきわめて厳しいものがあった。文部統計をみても、残念ながら施設整備とくに職員体制についての条件整備の側面では、停滞ないし後退の傾向を否定できない。たとえば、公民館施設数の横ばいの傾向、わずかの増加にたいしても、職員数はそれに対応できていない。年度によってはむしろ減少している。公民館未設置の自治体数もまたほとんど改善されていない。
 その背景には、この間の国の新自由主義・経済政策にもとづく小さな政府、公的セクター見直し、民間委託、職員削減等の施策があり、公民館に暗い影を落としてきた。具体的には、(1)一九八〇年代後半以降の自治体における行政改革の影響(たとえば自治省「地方行政改革大綱」一九八五年)、(2)生涯学習体制への移行、民間市場による生涯学習事業の推進・支援(臨時教育会議最終答申、一九八七年、「生涯学習振興整備法」制定、一九九〇年)、(3)地方分権・規制緩和策に吸収される形での前記・社会教育法改正(地方分権推進委員会第二次勧告、一九九七年、生涯学習審議会答申、一九九八年、地方分権関連一括法改正、一九九九年)、などに示される。そしてこれに加えて(4)戦後三度目の財政危機といわれるバブル経済崩壊後の地方自治体財政困窮、がいま公民館を痛撃している。
 とくに奇妙なことは、国際的には「学習権宣言」(ユネスコ、一九八五年)「二一世紀への鍵」(同「ハンブルグ宣言」、一九九七年、後述)として注目されてきた生涯教育・成人教育の役割が、わが国では「生涯学習体系への移行」政策のなかで、公的社会教育の見直しと市場原理優先の民間生涯学習事業への助成策ーそれもバブル経済崩壊により失速するーというかたちに変質・退行していったことである。前著『公民館の再発見』でも指摘したように、「社会教育終焉論」(松下圭一)や「公民館の歴史的役割は終わった」論(高梨昌)も流布された。公民館の歴史的な蓄積と固有の役割に注目し、これを自治体計画や施策のなかにしっかりと位置づける行政の動きは、生涯学習体系移行下の自治体では、残念ながらむしろ少数に止まってきた。
 このように一九八〇年代の政策・行財政の主潮が、公民館にとっては厳しい流れであったにもかかわらず、一九九〇年代の統計的数値(前出・第1表)では、むしろ公民館・条件整備の一定の水準が保持されてきたという見方が、逆に可能なのかも知れない。そこにはやはり公民館制度のこれまでの地域的定着の厚みを実感させるものがある。公民館はそう簡単に「歴史的役割」を終わるものではないということだ。内部的にはさまざまな問題と格差をかかえながらも、公民館が(大都市部を除いて)全国的な拡がりをもって義務教育機関に匹敵する規模の普及を示してきた事実は、なによりも公民館五〇年の蓄積と実践にたいする地域的・社会的な評価を示すものであろう。
 公民館のこの一〇年をどうみるか。以上のような条件整備面の厳しさと停滞、あるいは低調と後退という傾向を冷静に把握しなければならない。しかし同時にまた、この間に各地の公民館が一定の公共的水準を維持し、また社会的支持を獲得してきたこと、それが(格差を含みつつ)全国各地で着実に定着を見せている事実にも着目しておく必要がある。つまり統計的かつ条件整備面での厳しい実態とともに、九〇年という時代と格闘しながら公民館が積み重ねてきている実践、それが固有に果たしてきた役割、市民・住民の主体形成にかかわる公民館活動への期待、というあと一つの事実をみる視点がまた重要なのではないだろうか。
 いま、子どもをめぐる学校教育の問題が深刻である。子どもの地域活動を含めて、おとなの学びや文化、社会的な活動や市民運動の状況はどうであろうか。公民館はそれらにどのように向き合って役割を果たしているのだろうか。このような問いは、単に施設や職員体制の統計的な数値だけで計ることはできない。施設・設備のあり方、職員の力量や情熱、それらが市民の学習的文化的な要求にいかなる質において有効に機能しているか、という側面から見ていかなければならない。その観点から、あらためて施設・職員・財政等の条件整備の水準が問われなければならない。単なる施設のでデラックス化や職員配置の体制が、それだけで価値を有するのではない。
 あらためて公民館がこれまでに蓄積してきた実践の拡がりに着目してみる必要がある。
その蓄積の上に公民館のこの一〇年は、いったい何を加え得たのだろう。
 

4 国際的視野からみる公民館
 公民館実践の新しい展開をみる前に、国際的な視点から日本の公民館を眺めてみるとどう見えるか、最近の動向なり評価なりを考えておこう。
 従来までの公民館の一般的な捉え方は、歴史的にも現実の実態からしても、公民館はきわめて特殊日本的な施設であって、国際的な視野からすれば、むしろ比較に耐えない古く貧弱な、農村型の遅れた制度としてのイメージが支配的であった。しかし各国の歴史と地域の状況に応じて、類似の社会教育・成人教育あるいは文化活動の機能が社会的に重要であり、その拠点としての地域施設がある種の共通性と固有性をもって、国それぞれに歴史的に形成されてきている。そのような認識に立ってみると、公民館はまさに日本型の地域社会教育施設として独自の性格をもっていること、全国的規模にちかい設置を実現してきていること、その地域性と公共性が、国際的に最近つよい関心を呼ぶようになってきている。
 たとえば、コミュニティ・エデュケーションの国際的な潮流(国際コミュニティ教育協会の結成、一九七四年)の流れに公民館を位置づけてみれば、戦後日本の社会教育活動はコミュニティ教育のいわば先駆的なものであり、「その固有施設として公民館を確立してきた」と考えることが出来る。(6) あるいはまた、近年の生涯学習にかかわる国際的な動向として、そのヨーロッパモデル、途上国モデルと並んで、日本モデルが注目されてきたところがあり、そこには日本の社会教育法制と「世界に類を見ない」規模で普及している公民館制度への国際的評価があった。(7) 東アジアに目を移してみると、一九九〇年代に中国(台湾を含めて)、韓国等において教育改革の動きが積極化しているが、共通して社会教育や生涯教育への強い政策的関心がみられる。そのなかで、地域や自治体の独自の役割についての認識が拡がりをみせ、それとの関連で日本の公民館制度が注目を集めてきている。激動の大都市・上海の「社区教育」(社会主義下のコミュニティ・エデュケーション)では、その中心施設としての社区センターないし社区施設が具体的な姿をあらわし、同市浦東新区のある施設を「中国における最初の公民館」と評する人もいる。(8)
 この間の国際的な潮流をみてみよう。周知のように、ユネスコ国際成人教育会議(第四回、パリ)は世界的規模で支持され共感をあつめてきた「学習権」宣言(一九八五年)をまとめた。それから一二年を経過してハンブルクでひらかれた第五回国際成人教育会議では「ハンブルク宣言」が出されている(一九九七年)。
 この一〇年余の間には、これまでにない「成人」「学習」の思想が発展をみせてきた。その権利性の主張だけにとどまらず、市民の主体形成と意識化の視点、実践的な方向性、そして地域づくり教育の重要性等について、大きな国際的な認識の拡がりがあった。ハンブルク会議に先立つユネスコ二一世紀教育国際委員会は「学習:秘められた宝」報告書(一九九六年)のなかで、「知ることを学ぶ」「為すことを学ぶ」「共に生きることを学ぶ」「人間として存在することを学ぶ」という学習・教育の四本柱を提起している。(9)ここには、単なる知的な学習にとどまらず、その行動性、共生の思想、人間的な生き方、を志向する深厚な学習論がみられる。学習は、人間にとって、社会にとって、地球にとって、「秘められた宝」だというのである。
 ハンブルク宣言は、その冒頭に次のように言っている。成人教育(ユネスコ用語、日本では社会教育、公民館活動と読みかえる)は「一つの権利以上のものである。それは二一世紀への鍵となる」と。さらに続く。(10)
「成人教育は行動的な市民が生み出したものであり、また社会における完全な参加のための条件でもある。自然環境上持続可能な発展を強化するために、民主主義、正義、男女間の公正さを、そして科学と社会と経済の発展を促進するために、さらに暴力的対立が対話と正義にもとづく平和文化に置きかえられる世界を築くために、成人教育は力強い概念である。成人の学習は主体性をつくり、人生に意味を与えることが出来る。(以下略)」
 ここにいう「行動的な市民」や「社会参加」、持続可能な社会・民主主義・正義と公正、平和文化等をめざす「学習」、つまり二一世紀の社会発展に向けての重要なキー概念としての「成人教育」「社会教育」への大きな期待は、あらためて私たちの心を揺さぶるものがある。(11)いま私たちはいかなる道を歩むべきか。この方向性は、日本の公民館が担うべき役割と、二一世紀に向けて公民館が歩むべき展望を示唆している。このような視点にたってみると、一九九〇年代日本の公民館実践の取り組みは、厳しい状況を含みつつ、その模索、胎動、挑戦の具体的な事例をたどっていくと、たしかにその方向へ向けての新しい助走がいま始まっていることを実感させるところがある。
 ちなみに、ハンブルク会議の基調報告のなかでは、自主的学習サークルを発達させてきたスウェーデンとならんで、共同学習や地域的活動の拠点となってきた日本の公民館制度が「参加の文化」の視点から評価されている。国際的視野からみると、公民館の可能性が大きく浮かびあがってくる。(12) 


5 公民館事業・参加者の量的な増大
 言うまでもなく公民館五〇余年の歩みは、施設・設備の量的拡大だけでなく、膨大な公民館実践の蓄積を生みだしてきた。それらは当然のことながら時代的な傾向をもち、また地域的な特徴をもっている。それらはもともと多様であり個性的な性格のものだ。公民館実践には学校教育における学習指導要領にあたるものがないだけに、公民館はつねに個別の、孤独な取り組みを求められてきたが、それだけに個々の実践は地域性と独自性(をもつ可能性)をもっている。ときに真摯な模索と挑戦が試みられ、相互の交流と共有が繰りかえされてきた。そのたゆまぬ蓄積の大きな価値に私たちは気づいていないのではないだろうか。
 しかし当然、格差もある。公民館の個別の多様な実践が、体系的に整理されず、理論的な分析検討の光もあてられないままに、雑然と放置されてきた現状もまた否定できない。五〇年の歳月のなかで風化も進んでいる。しかし日本の公民館は「成人」の「学習」、「おとなの学び」の形態を多様に生み落としてきたのである。この公民館実践の「宝の山」にどのように光をあてていくか、何を克服し、いかなる蓄積を重ねていくか、大きな課題である。
 たとえば、これまでの公民館実践のなかで創りだされてきた方法的な概念を想起してみよう。その初期の段階から指を折ってみると、全村学校、生産教育、小集団学習、地域調査活動、共同学習、サークル活動、生活記録・自分史学習、生い立ち学習、ろばた懇談会、系統的学習、市民大学方式、学級講座自主編成、企画実行委員会・準備会方式、集会活動、地域課題学習などなど、次から次に湧き出る泉の如くである。もちろんこれに尽きるものではない。
 この一〇年の公民館実践の展開は、言うまでもなくこれまでの膨大な実践の蓄積に支えられている。さほど体系的な関連が見えなくても、また公民館の地域性の違いがあっても、
私たちは間違いなく歴史的な継承の恩恵を受けながら、現在があることを知っておかなければならない。しかし同時に、二〇世紀から二一世紀への時代の転換のなかで、公民館実践は新たな課題をさぐり、脱皮と跳躍の努力を試みようとしてきていることも確かである。公民館のこの一〇年は、激動の時代を背景にして、そのような再生の歩みを踏み出してきた一〇年でもあったのではないか。   
 いくつかの特徴をあげてみよう。まず第一に、統計的に公民館が行う学級講座等の各種の事業や諸集会の実施状況は、一九八〇年代から九〇年代にかけて明らかに増加している。その典型としての学級講座数について言えば、一九八六年統計において約一四万五千(受講者数は約六七五万九千人)であったものが、九五年においては約一八万八千(受講者数は約八九九万八千人)、二九・八%の増(受講者数では三三・一%増)となっている(文部省「社会教育調査報告書」一九九八年、図表は省略)。前に述べたように、この間の公民館の施設数や職員数が停滞しているなかで、事業数や利用者は大きく増加している。
 第二に、量的な増加だけでなく、学級講座に代表される公民館事業(実践)の内容が多様化し、その方法もまた多彩になってきている。たとえば学級講座の名称も一様ではなくなり、ユニークなものを含めて「事業の数だけネーミングがある」というほどの拡がりをもつようになってきた。(13)言うまでもなく名称の拡がりは、取り組むテーマと内容の多元化を意味している。学習・事業の方法については、伝統的な講座方式にとどまらず、実習、フィールドワーク、集い、たまり場づくり、障害者の喫茶コーナー、保育室活動、自分史サークル、あるいはビデオ・パソコンの活用など、従来の公民館事業にみられない展開が始まっている。いわゆる生涯学習時代と呼ばれる時代の多様な要求が、このようなプログラム編成における新しい工夫となってあらわれているのであろう。
 第三に、公民館利用者、事業への参加者の量的な増加は、その質的な変化を生み出している。この一〇年、公民館に出入りする人たちの構成は、充分な調査統計に基づくわけではないが、明らかに質的に変化し多層化している。たとえば、障害者青年学級や喫茶室活動等の実践的な取り組み(東京・三多摩地区)によって障害をもつ青年たちが、地域の“内なる国際化”を背景とする民族共生をめざす識字学級の開設(首都圏各市)によって外国籍住民の人たちが、福祉行政と公民館との連携による「福祉ひろば」(松本市)等の事業によって高齢者たちが、あるいは子どもの権利条例運動(川崎市)や子ども遊び場マップづくり(岡山市)などを通して子どもたちが、中学生や高校生との対話を積極的にすすめた事業を開設(国分寺市)することによって若ものたちが、公民館活動の参加者・利用者として登場してきている。これまで公民館にとって「忘れられた人々」(前出、小林編『公民館の再発見』)といわれた人々が、いま公民館に姿を現しはじめている側面も見えてきている。


6 現代への挑戦ー公民館実践の新たな水路
 しかしながら前にも述べたように、公民館をとりまく環境や条件は、この間に残念ながら悪い方向にすすんでいる。この点は繰り返し指摘しておく必要がある。文部省・公民館設置基準から「専任」規定が消え去り(一九九八年)、社会教育法改正により公民館運営審議会の必置性、委員選任の自主性、館長任命にあたっての意見具申規定等が削除され(一九九九年)、自治体財政の悪化による影響もまた甚大であり、受益者負担の傾向は強まり、なによりも職員集団の体制(専門性軽視、異動の激化、後任不補充、嘱託化等)が弱体化してきている。
 それにもかかわらず、公民館の学級講座など事業数が拡大し、利用者・学習者が増加し、プログラムは多様・多彩に展開してきているということは、何を意味しているのだろう。それは明らかに学習・文化活動を求める市民・住民の要求がこれまでにない拡がりをもって発展してきていること、その具体的な活動拠点としての公民館にたいする社会的期待が増大してきていること、を証明している。現実的な行財政条件の乏しさのなかで、公民館はこの一〇年、むしろ健闘してきたのである。
 このような見方はやや楽観的すぎるという批判もあり得るかも知れない。なかには学級講座等の事業水準がこの間に低下し、利用者が固定化しあるいは大きく落ち込んでいる公民館もある。また、公民館の財団委託や運営の住民委託の動きもあり、また福祉施設化のなかに吸収されて公民館の機能自体が埋没しつつある自治体(北九州市)も現れている。憂慮すべき動向である。このような悲観的な事例についても、この一〇年の公民館をめぐる厳しい現実であって、事業数や利用者の統計的増加の内面に含まれる問題としてトータルに認識しておく必要がある。たしかに新自由主義経済政策による公的セクターの見直し、行財政改革、規制緩和等の施策は公民館の発展に大きく暗い影を落としてきたのである。
この動向を内に含みつつ、しかし新しい時代へ向けて公民館の展望をどう画くか、これまでの蓄積をふまえつつ、これからの公民館実践の方向をどう組み立てていくか、が重要な課題となる。転換する時代の要請のなかで、公民館に寄せられる社会的期待に応え、どのように独自な役割を果たしていくか、その実践的な水路をどう開いていくか、がいま求められている。
 このような問いを解く一つの鍵は、この一〇年来の公民館実践の動きを注意深く吟味することであろう。「足元を掘れ、そこに泉が湧く」の視点である。
 私たちは一〇年前に『公民館の再発見』を世に出したが、この段階では充分に「発見」することが出来なかった、あるいは当時まだ「未発」であった公民館実践が、この間に静かに胎動し、あるいはあざやかに顕在化してきた事実がある。それぞれに、時代的な変化、地域問題の激発、市民活動の展開、学習・文化要求の噴出、といった状況を背景にしての実践的な挑戦である。その主要な柱を、ここでは七つ挙げておこう。
1,過疎化、高齢化など深刻化する地域問題への取り組みと、地場産業をも視野に入れた地域づくり
 の実践。
2、集落の自治と活性化を推進する自治公民館、集落公民館(沖縄)の活動。
3、障害者の学習権保障と社会参加をめざす公民館実践の拡がり。
4、エンパワーメント(力づけること)概念の登場(一九九五年、第四回世界女性会議) と人権学習。
5、国際識字年(1990年)を契機とする識字実践への挑戦、民族共生をめざす公民館 事業の試み。
6、活溌な市民活動を背景とするNPO法(一九九八年三月成立)運動、文化協同運動、 ボランティ
 ア活動等と公民館の関わり、その模索。
7、生涯学習「計画」下(一九八〇年代後半以降)の各種類似施設、関連施設・機関との 連携とネッ
 トワークの形成、類似諸施設の公民館的事業の展開。

 もちろんこの七つの柱がすべてではない。またこれらも九〇年代に突然新しく登場して新種の実践ではない。ここに至る歴史の助走があり、依るべき蓄積もあった。たとえば地域づくりや集落公民館の実践は、ある意味で初期公民館・寺中構想の段階からの伝統的な課題でもあるが、しかし今日の地域や集落がかかえる現代的な状況に即して新しい挑戦が試みられているのである。その意味ではつねに新しい実践が創造されてきている。そのような現代という時代へのチャレンジに注目して、この一〇年に胎動してきた新しい実践の典型的な動きとして取りあげておきたいのである。本書U部に収録した諸報告は、この七点にそのまま即応するものではないが、それにかかわる具体的な展開事例を含んだ記録となっている。まさに地域的かつ個性的な多様な取り組みであるが、それぞれにこれからの公民館の可能性を考えていく上で示唆するところが少なく貴重な実践報告となっている。


7 二一世紀の公民館に向けての助走ー四つのキーワード
 言うまでもなくこれらの実践報告には、それぞれの課題に応じて地域的にさまざまの展開が見られるわけであるが、ある程度共通して、従来型のスタイルから何らかの新しい模索と脱皮の努力が始められていることは確かであろう。そこには、日本の公民館がいま明らかに新しい転換のときを迎えていることを実感させるものがある。一九九〇年代の公民館統計(前項)にみられた量的な拡大は、同時に質的な転換(その必然性)を内に含んでいる。それもかなり大きな潮流である。もちろん多くの模索を含みつつ。
 ここで、そのいくつか特徴的な方向をあげてみよう。従来の教育機関としての公民館から市民の学習拠点へ、学級講座の提供から市民活動への支援へ、教養知としての学習から行動的市民にとっての学びへ、単一の方法論から多元的活動論へ、プログラム編成者としての主事からコーディネーターとしての職員へ、公民館独立施設から開かれた関連施設ネットワークへ、などのイメージである。
 断っておくが、ここではAからBへ、という流れに注目したいのであって、Aをとくに否定しているのではない。Aはいわばこれまでの公民館の蓄積であり、しかしBへの流れによって新しいAへの脱皮へと環流し、公民館のこれまでの蓄積の新しい発展が可能なのではないか、と考えてみたい。こういう単純な言い方では、複雑な内容を捨象して短絡的な誤解を生む恐れがあるが、いまは誤解を恐れず、公民館の基本的なあり方とその実践の大きな転換の基点に私たちは立っていることをあえて強調しておきたいのである。
 公民館制度創立から五〇年、その初心を大事にし、制度的な骨格を充実し拡充させていくことはもとより重要な課題であり、公民館に関わる法改正や施設委託などの動きが急をつげているときだけに、充全の理論的な装備をしていくことはもちろん必要である。しかしともすると、それが受け身の制度防衛論に陥る傾向がないではない。むしろこういう制度改悪の時期であるだけに、時代とともに公民館が大きく脱皮・転換し、躍動していく視点もまた忘れてはならないだろう。 
 二一世紀の公民館へ向けての助走がいま始まっているとすれば、その主要な課題をどのように設定すればいいか。次の四つのキーワードから考えてみることにしよう。
1、地域 
 言うまでもなく公民館は「地域」の社会教育施設である。その地域がこの五〇年の間に大きく変容し、農村型から都市型公民館へ脱皮していく過程(一九六〇年代)において、公民館はその活動の基盤であるべき地域から遊離し、地域もまた自らの住民活動や連帯の拠点として公民館を位置づける関係が稀薄となり、そして地域自体がその過程で社会的連帯や協同の力を劣化させてきた。他方で、農村では地域や集落の解体現象は激しく進行し、公民館は自らの地域基盤を喪失してきている。いわば公民館の全般的な“脱地域”化の現象である。いまあらためて公民館と地域が真正面から向きあい、地域の再生と発展にとって公民館の独自の役割を、現代的状況をふまえて、復権していく必要があろう。その意味での地域創造型公民館(14)の可能性を問い直すことが課題となる。
 欧米型の成人教育では、総じてこのような地域創造の視点はさして明確ではなく、むしろ日本の公民館の地域施設としての独自の歴史と実践的役割があらためて再認識されてよい。「ハンブルグ宣言」では地域(コミュニティ)への参加を指摘し、「市民性の積極的な発揮を促し、参加型デモクラシーを前進させ、学習コミュニティを創造する」(同、未来へのアジェンダ一二)ことを求めている。たしかに地域は、参加型デモクラシー(住民自治)の場でなければならないが、同時に子育て、暮らし、福祉、祭りなど人々が生きる空間であり、生産・生活・自治が営まれる「小さな宇宙」である。このような地域と関わって、公民館がどのような役割を果たし得るか、「実際生活」(社会教育法第二〇条)に根ざし、地域課題と取り組み、地域づくりの拠点として再生できるかどうか、その具体的な実践方式もまた問われることになろう。
 公立公民館(約一万八千館)と並んで、日本各地に点在する集落(自治)公民館(推定五万館以上)の住民自治的な活動の可能性にも注目しておく必要がある。その典型は永くアメリカ占領下にあった沖縄の「公民館」(本書、島袋論文)と自力「村おこし」運動に見ることができる。公立公民館とのネットワークを含めて、これからどのような展開をとげるか興味深いものがある。
2、参加
 公民館実践にとって「参加」概念はこれまでも重要なキーワードとなってきた。それは主として公民館主導による運営や企画に民意を反映する「住民参加」として考えられてきた。いわば官から民への流れにおける「参加」である。しかしとくに一九八〇年代から九〇年代にかけて、参加の概念は大きく拡大する。すなわちこの時期に活溌化する環境、福祉、人権、文化などの社会的活動・市民活動への参加、それにつながる問題解決型学習や参加型学習(ワークショップ)への参加など、つまり市民主体の活動への社会参加の概念が登場してくる。さらにそのような市民活動の展開のなかに行政・施設(公民館)がどう参加していくか、いわば行政による参加(支援)、民から官への流れのなかでの「参加」が問われるようになってきた。公民館活動における参加の様式は多元化してきている。
 一九九八年に成立した特定非営利活動促進法、いわゆるNPO(民間非営利組織)法は、これまでの国家・地方行政(第一セクター)と企業(第二セクター)とならんで、市民団体(第三セクター)による社会的市民活動に法的基礎を用意した「参加」法の性格をもっているといってよい。法人格取得手続きや税制上優遇措置などいくつもの問題点を残しているにせよ、社会組織上に「市民」原理を法的に認めた点において、画期的な意味をもっている。同法第二条・別表では、特定非営利活動として「社会教育の推進」が掲げられ、さらに「まちづくりの推進」「文化、芸術又はスポーツの振興」「人権の擁護又は平和の推進」「男女共同参画社会の形成」「子どもの健全育成」などの社会教育・生涯学習と深く関連する諸活動が列挙されている。このことは公民館にとっても、従来の公的な組織・運営のあり方に、また事業・内容の編成や学習の展開に、市民団体の位置づけにかかわって、大きな転換を要請されることになる。「市民」「参加」原理を加えた公民館実践がこれからどのように創造されていくか、注目される。(15)

8 時代をあゆむ公民館、協同と支援の視点

3、協同
 日本の公民館は、基本的には地域施設として、集落・地方自治体など地縁的な拡がりの諸団体に依拠し支えられてきた(あるいは遊離してきた)歴史をもつが、その反面、地域をこえるアソシエィショナルな機能的団体との関係は相対的に稀薄であった。たとえば、労働組合、グローバルなNGO的団体、文化協同運動、生活協同組合、人権擁護運動、民族マイノリティ団体などなど。これらの協同的な団体の運動的エネルギーとネットワークに公民館はどのような関係をもつことが出来るか、状況と課題に即してどう「協同」していくか、時代をあゆむ公民館にとってこれからの課題というべきであろう。
 この問題を考えていく一つの事例として、長野県飯田市公民館の人形劇カーニバルへの取り組みがある。二〇年をこえる営々たるその歴史は、市民の自発的な参加と地域配置による公民館ネットワークがなければ成功しなかった。木下巨一(飯田市教育委員会)の証言は次のようである。
 「一九九九年八月、第一回『いいだ人形劇フェスタ』が行われた。これは二〇回目の昨年、いったん幕を閉じた『人形劇カーニバル飯田』から生まれ変わった取り組みであり、今まで以上に市民主体の催しとなった点に特徴がある。
 “一年に一度、全国のプロやアマチュアの人形劇人が集い、人形劇の上演や観賞を通し、学習や交流を行う祭典” 人形劇カーニバル飯田は、一言でいうとこう表現することができる。一九七九年にはじまったこの人形劇カーニバル飯田は年を追うごとに広がりをみせ、最近では二千人近い人形劇人がこの時期飯田に集う、日本最大の人形劇の祭典となった。また数千人の市民の関わり、人形が結ぶフランス・シャルルヴィルメジェール市との友好都市締結、八八年・九八年と二度にわたる世界人形劇フェスティバルの開催など、今では飯田の文化の顔となっている。」
 飯田市では、この人形劇まつりの期間中、飯田市全域の公民館や保育園、地域の集会所、神社の境内など合計百ヶ所近い会場で公演がくりひろげられる。市民と人形劇人の主体的参加と交流が重要であることはもちろんであるが、同時にそれを支える公民館や分館の役割が大きいのである。地域の公民館とそれを支える市民組織(各地区・実行委員会等)が、地域をこえる文化協同運動体と「協同」することによって、文化運動を発展させ、地域の文化を開花させてきた。
4、支援
 以上のようにみてくると、公民館の基本的な姿勢としてあらためて「支援」というキーワードを加える必要がはっきりしてくる。現行の社会教育法では第五条1号「援助」規定がこれにあたるのであろうが、公民館事業の法的用語は「実施」「開設」「開催」(第五条、第二一条)等が主であって、全体的に公民館主導の事業体系が基本になっている。これまでの発想は、つねに公民館から事業の受けてとしての市民・住民への流れであった。しかし未来への歩みをすすめる公民館の事業論はそれだけでは済まされない。学習主体としての「市民」主導の学習活動、社会活動、文化運動に対して、その主体性と民間性を尊重しつつ、公民館がどのように対応していくか、せまい住民参加にとどまらず、多元化していく「参加」をどう保障していくか、という意味において「支援」の方式を具体化し実践化していく必要があるだろう。
 あと一つ、ここで付言しておきたいことは、個々の公民館の事業論だけでなく、公民館相互の、またあるいは地域の関連諸施設相互のネットワークによる「支援」の事業論を考えていく視点である。現在すでに公民館の複数地域配置を実現している自治体(平均約六館、第1表)は多く、図書館の配置と「二本柱」(三多摩テーゼ「いま何をめざすべきか」)の体制を実現している地域も少なくない。また公民館の空白地帯である大都市部においても、この間に公民館的な類似施設が増加し、学校余裕教室の活用や児童館等の関連施設まで視野に入れれば、見方によっては豊かな地域諸施設のネットワークが形成されてきているとも言える。いずれも一九八〇年代から九〇年代の新しい施設状況である(後掲、内田論文・参照)。公民館と公民館的類似施設と関連諸施設との「地域施設ネットワーク」論、あるいは公民館を中核とする地域施設による「支援サービス」のシステム論を展開していく状況は熟しつつある。
 二一世紀への鍵としての公民館への展望をもって、新たなる歩みをきざんでいきたいものである。

 
<註>
(1)日本社会教育学会編『現代公民館の創造』公民館五〇年記念特別年報(東洋館出版社、
 一九九九年)、貝塚市、川崎市、松本市などの公民館史 
(2)公民館の歴史については、横山宏・小林文人編『公民館史資料集成』(エイデル研究所、
 一九八六年)に詳しい。また前記『現代公民館の創造』など参照のこと
(3)小林文人・末本誠編『新版・社会教育基礎論』(国土社、一九九五年)第二章「社会教育
 の法制と行政」を参照
(4)公民館の施設理論は画一的なものでなく、公民館の事業論・実践論の進展にともなって
 発展してきた事実に着目して、「公民館施設の一〇年発展説」を提起したことがある。
 小林「三多摩の公民館づくり」、「建築知識」一九八三年五月、s九七、所収
(5)全国公民館連合会編『全国公民館名簿』(帝国地方行政学会、一九七二年)が「部落公民
 館」の項を設けて一応の数字を示しているが、都道府県によって調査に精粗があり、また「分
 館」概念との混同もあると思われる。試みにこれを合算すると、全都道府県合計で38,738館
 となる。しかし茨城、栃木、群馬、石川、福井、京都、奈良、徳島、それに東京、千葉、神奈川等
 はまったくの空白となっている。また鹿児島、宮崎などその後の実数把握と比較すると数値が
 低い。これらを勘案し、当時まだ本土復帰前であった沖縄県下の集落公民館(約800)等を加
 えれば、どんなに低く見積もっても、全国で5万以上の集落公民館が存在していると推定される。
(6)上杉孝実「コミュニティ教育の国際的発展と公民館」、前掲(1)『現代公民館の創造』、66頁
(7)与謝野馨、岡本薫らによ日本モデルの提示、同「生涯学習のジャパン・モデルの発信」全日
 本社会教育連合会『社会教育』一九九五年二月号
(8)小林文人「東アジアにおける社会教育の概念と法制」日本社会教育学会年報第四〇集『現
 代社会教育の理念と法制』(東洋館出版社、一九九六年)所収
(9)天城勲監修『学習:秘められた宝』ユネスコ二一世紀教育国際委員会報告書(ぎょうせい、
 一九九七年)
(10)社会教育推進全国協議会編「二一世紀への鍵としての成人学習ー社会教育の国際的動向」
 (住民の学習と資料、22、一九九八年)
(11)鈴木敏正『エンパワーメントの教育学』(北樹出版、一九九九年)を参照
(12)佐藤一子「地球時代の共生・地域づくりと公民館活動」前掲(1)『現代公民館の創造』所収、
 四五一頁
(13)佐藤進「学級・講座事業と市民的教養の形成」前掲(1)『現代公民館の創造』所収、二三八頁
(14)小林文人「これからの公民館をどうえがくかー第五世代の公民館論」『月刊社会教育』(公民館
 五〇年特集)一九九六年一二月号
(15)佐藤一子『生涯学習と社会参加』(東大出版会、一九九八年)、とくにY「NPOが拓く学びのネ
 ットワーク」が参考になる


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